デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
4款 財団法人修養団
■綱文

第43巻 p.639-648(DK430141k) ページ画像

大正15年3月28日(1926年)

是ヨリ先、大正十四年七月起工セル会館竣工シ、是日、落成式ヲ行フ。栄一出席シテ挨拶ヲナス。
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式後、飛鳥山邸ニ於テ当団創立第二十一回記念式ヲ挙行ス。栄一、重ネテ挨拶ヲナス。尚、栄一、記念式ノ費用トシテ金千円ヲ寄付ス。


■資料

財団法人修養団書類(二)(DK430141k-0001)
第43巻 p.640 ページ画像

財団法人修養団書類(二)         (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
謹啓 春陽の候益々御清適奉賀候
陳者予てより多大の御援助御配慮を煩し候修養団新館今回竣成致候に付き、三月二十八日午前十時より落成式並びに本団創立第二十一回記念式挙行仕り候間、万障御繰り合はせ御賁臨の栄を賜はり度、右御案内申上候 敬具
  大正十五年三月五日
            財団法人修養団主幹 蓮沼門三
            財団法人修養団長 平沼騏一郎
    (宛名手書)
    渋沢栄一殿
  追て準備の都合も有之候間御来否の有無二十日迄に御一報煩し度く、尚御出席の際は此状御持参下さる様御願申上候


向上 第二〇巻第四号・第一三―三一頁 大正一五年四月 修養団新館建築経過概要 新館の設計及工事概要(DK430141k-0002)
第43巻 p.640-641 ページ画像

向上 第二〇巻第四号・第一三―三一頁 大正一五年四月
    修養団新館建築経過概要
      新館の設計及工事概要
 新館建築工事費は十二万七千四百円にして、設備其他を合すれば二十万円程なり。
 様式は稍々復興式を加味したる近代式、総て鉄筋混凝土として暖房給水・照明・瓦斯・避雷針等最新式文化装置とす。内部の大要は左の如し。
 (イ)地階(一〇九坪三八)
 (1)食堂(定員百七十人) (2)調理室 (3)湯殿 (4)脱衣室 (5)物置(大小二ツ) (6)外套室 (7)下足場
 (ロ)一階(一三六坪〇八)
 (1)事務室(大四室、小二室) (2)玄関両側(受付二室) (3)宿直室 (4)小使室
 (ハ)二階(一三一坪七五)
 (1)宿泊部(男子部、十二畳四人宛九室、婦人部、十五畳一室) (2)貴賓室 (3)応接室(二室)
 (ニ)三階(一三四坪一九)
 (1)講堂(定員八百人) (2)講師室
 (ホ)屋上(遊歩場)
○中略
    会館起工
 大正十三年五月、内務省より宿舎再建費三万円の下附を受け、会館建設の期は一日も忽にすべからざるに到れるを以て大正十四年七月、愛と汗の殿堂修養団本館は十万同志の祈を受けつゝめでたく起工せらるゝに到れり。
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 実に之れ計画発表後五年、本部焼失後二年なり。
 工事請負は入札により新組の手に落ち、鉄筋コンクリート四階建ての本館は着々とその雄姿を現はすに到れり。
      後援会の活動
 新館起工と共に団長並に両顧問は、日夜心身を労して親しく建築資金募集の計を立てられ、後援会も著々組織的活動の実を挙げ、本団の主義精神に共鳴して翼賛を申し出でらる士多く、住友・岩崎両男爵よりは、各々五万円五ケ年賦寄贈の申出であり、三井男爵又一時金一万円を寄附せらるゝあり。その他先輩亦各々多大の援助を約せらるゝに到れり。
      会館成る
 大正十五年三月、新館建築の工事竣つて玆に落成式を挙ぐるに到る
 代々木原頭壮麗なる四層楼は、誠に十万同志の家にして、国家鎮護の堅城たるべし。
 一木一石、皆之愛汗の結晶なり、先輩の援助、同志の赤誠何を以てか之に答へん。已往をしのび、将来を思ひ、感極つてその云ふ所を知らざるなり。
      新館落成式日程
 三月二十八日
   清祓式(午前七時より新館に於て)
   明治神宮報告参拝(午前八時)
   落成式(午前十時より新館に於て)
    一、団員着席 一、来賓着席 一、開式を宣す 一、静坐遥拝
    一、君が代合唱 一、勅語捧読 一、団長式辞 一、報告
    一、顧問挨拶 一、主事挨拶 一、来賓祝辞 一、祝電披露
    一、閉会を宣す 一、退席
   本団創立第二十一回紀念式(午後二時半より)
    一、着席 一、君ケ代 一、団長式辞 一、主幹挨拶
    一、渋沢顧問挨拶 一、国民体操 一、団歌合唱 一、万歳
    一、園遊会
   有志懇談会(午後七時より新館に於て)
 三月二十九日
   新宿御苑拝観
      会館建築費寄附芳名録
        大正拾五年弐月現在
拾円以上 {仮令小額と雖も其の赤誠には何等異りなきのみか、却つて勝るもの多し。然るに誌面の都合上略したることは甚だ遺憾なり。玆に謹んで深謝す。――編輯子}
金七百也                 后宮太夫
金壱百円也                賀陽宮殿下

金弐万円也                渋沢栄一
   ○以下金額氏名略ス。
合計金拾四万九百九拾六円参拾参銭也 四百五拾七口
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向上 第二〇巻第五号・第三一―四七頁大正一五年五月 栄ある汗愛の殿堂 『我等が家』の落成式(DK430141k-0003)
第43巻 p.642-644 ページ画像

向上 第二〇巻第五号・第三一―四七頁大正一五年五月
    栄ある汗愛の殿堂
      『我等が家』の落成式
 天に慈光かゞやいて瑞霞を彩り、地に歓声湧いて万物躍る。記憶せよ、大正十五年三月二十八日、今日こそ実に歓喜と希望に満ちた我等が家にして国家の家たる、修養団新館落成式当日なのである。
 畏くも、明治神宮の神域近き代々木の原頭に恵も深き麗かな春の光を浴びて巍然として聳ゆる雄姿こそ、実に粒々みな辛苦、尊い汗愛の結晶である。
 見よ、緑なす玄関前の大アーチ、紅白目覚むるばかりの幔幕の裾も長く、三千年の尊き歴史を誇る日の丸の大御旗、屋上の尖頭高く四方に流された万国旗、さては東西南北各地からヨイサヨイサと担ぎこまれた数十旒の三角旗、凱風徐ろに来たつてハタハタとあふれ揺らぐではないか。
 払暁、玄関前に整列した二百五十有余名の支部幹部代表者は、清浄の身をいとも軽々と明治神宮に参拝した。
 大鳥居をぬけ荘厳な拝殿に額き、神官の祓ひ清めを受け、国家の弥栄を祈願した。
 礼拝終り、露おく玉砂利の上を隊互粛々と北参道に向ふ。帰途半なる頃、白雪に輝く富士の秀嶺と相対して、我等が殿堂は凛々しき中にも宛ら笑めるが如く一入輪奐の美をまして汗愛の健児を迎へて居る。
 式場たる三階の大講堂には既に多数の来会者が見えてゐた。遠くは九州・朝鮮・満洲からも互に今日を祝ふために参会された同志でさすがの大講堂も愛の潤ひに満されてゐる。
 式場素より厳にして、正面高く清楚たる神殿の安置あり、左右の額には平沼団長自ら墨痕鮮かに、同胞相愛・流汗鍛錬の二大精神を示し目に沁む翠の大榊には永へに変らぬ健国の精神を表はしてゐる。喜びの中にも今は世になき恩人先輩の肖像に昔を偲び、立ち並ぶ数十の支部旗に櫛風沐雨二十年の血と涙の歴史を憶ふ。光彩陸離たる中に立つて万感交々至り、たゞあやしげに胸のうちふるふのみ。
 一同着席、何たる壮観ぞ、大講堂内は愈々厳粛の気に充たされる。本団の産婆役とも云ふべき子爵渋沢顧問の温顔殊の外麗しく、内閣総理大臣兼内務大臣代理守屋栄夫氏・一木宮内大臣・一戸大将・床次竹二郎氏代理・石光中将・和田一師団長・増田義一氏・沢柳博士・服部金太郎氏・井上鋼太郎氏・鎌田前文部大臣・井上雅二氏・朝鮮全北前知事亥角仲蔵氏・岩谷直次郎氏・波多野重太郎氏・谷竜之助氏・内田明治神宮警衛課長・浦井上野寛永寺執事・千駄ケ谷町長等百五十余名の来賓は御多用中にもかゝはらず特に駕を抂げられ、歓喜に輝く千余名の一般団員と共にさすがの大講堂も立錐の余地更になく、洵に涙ぐましきまでに有り難い事である。
 ピアノの静かな緊張の響きに「君が代」を合唱し、荘重な平沼団長の勅語拝読に式場闑として声なし、捧読がすむとつづいて団長の式辞があつた。
 - 第43巻 p.643 -ページ画像 
   ○団長式辞略ス。
    挨拶
                 顧問 子爵 渋沢栄一
 団長並びに来賓諸君。団員諸君。まことに喜ばしい今日、私如き老人声も思ふ様に立たぬが一言よろこびを申述べたい。
 只今団長の式辞にも、又宮田理事の報告にも、顧問としての力添へに対して特に取り立てゝ御挨拶を頂き、まことに恐縮の次第で御座います。
 私はこの団の為には、全く之を我物と思つて力添へをしたいと思つてゐます。それ故、取りたてゝ御礼や御褒めの言葉を戴くと却つて団に対する私の精神を弱からしめはせぬかと自らおそれる程であります
 私が初めて蓮沼君を知つたのは、明治四十二年――即ち今から十八年目の昔であります。『流汗鍛錬、同胞相愛』といふことをしきりに唱へて、私の処へも来られた初の頃などは私の目には全く子供の様に見えて居りました。――蓮沼君自身では、すでに一廉の大人物の様に思つてゐたらうが。――
 私はその頃、一般世間の人々が唯知識の方にばかり進み過ぎて、大事な精神的方面をおろそかにする風のあるのを見て、これでは民心が軽跳浮華に陥り、大なる禍を醸しはせぬかといふことを深く憂えてをりました際とて、此の『汗と愛』の精神は頗る時勢に適したるもの、これによつて、国民の上滑りの模倣的気分を矯正することが出来ると思つたので、本団に御力添へをすることになつたのであります。恰かもよし、先代森村君が(私より一年の年長者でしたが)私と同じ様な心持のいはゆる盟友でありまして、相共に図り、団の為に共に力を併せて御助け致しました。
 私共は、かかる精神的の運動に先達となる資格はありません故に、専ら縁の下の力持ちといふ積りでをりました。その間種々の変化もありましたが、十八年間日一日と進み、遂に今日かかる会館が出来る様になりました。かくなりましたと申すのも『徳孤ならず、必ず隣あり』で、団の人々そのものに、それだけの徳がそなはつてゐたからであります。
 団の次第に発展して来るに連れまして、何卒団長として是非立派な人格者を得たいといふ希望から、先きに田尻子爵を御願ひし、次いで現団長を戴くことになりましたが、御二方共、まことに結構な団長で御座いまして、その御蔭で遂に今日あらしめることが出来たのであります。
 私などの為したることは唯経済上一臂の力を添へたといふに過ぎないのであります。又今日のこの会館を得たといふことも、私共だけの力ではなく、それよりも多数の先輩の方々の御援助を得られた結果と申すべきであります。今日、本団としてもさほど恥しからぬ会館の出来たことは、私共にとつてもまことに喜ばしいことでありますが、これに就て唯一言だけを申し述べておきたい。蓮沼君並びに団長初め、団員諸君の今のよろこびはさもあるべしと思ひますが、併し、喜びには必ず憂の伴ふことを覚えていたゞきたい。又憂えは必ず喜びが伴ひ
 - 第43巻 p.644 -ページ画像 
喜びと憂えとは恰かもあざなへる縄の如きものであることを思つて、この喜びの日に大いに心の縄を締めて頂きたいと思ふのであります。昔もよく言ふ通り『名を成すは窮する時にあり、事の敗るるは多く得意の時』でありまして、修養団もこれだけの会館が出来ただけで得意とする団員諸子でも無からうが、併し之を二十年前に比べれば、非常な発展であつて、大いに喜ばねばならぬ次第であります。喜ぶにつけては、この喜びに酬ゆるだけの働きをしなければなりません。若しこの働きが出来なかつたならば、たとへ今後に於て、大なる失敗がなかつたとしても、今日の令名を維持することは出来ないであらうと思ひます。
 今日の様な吉日に甚だ不吉な様なことを申す様でありますが、かく申すのも団長初め会員諸子に至る迄、凡てを我が内々のものと思ふが故に、祝辞と共に一言、老人の婆心迄に祝辞と共に申述べる次第であります。(要旨――文責在記者)
   ○主幹挨拶、総理大臣祝辞等略ス。
 尚新館落成式に際して、左の如く寄附が御座いました。謹んで此処に深謝の意を表します。
  金壱千円也 子爵 渋沢栄一殿
    (但し本団創立第二十一回記念式園遊会費)
   ○以下金額氏名略ス。


集会日時通知表 大正一五年(DK430141k-0004)
第43巻 p.644 ページ画像

集会日時通知表 大正一五年        (渋沢子爵家所蔵)
三月廿八日 日 午後 時 修養団園遊会(飛鳥山邸)


中外商業新報 第一四三九八号大正一五年三月二八日 外苑に美を添へ修養団会館成る けふ落成式を挙げて渋沢子邸で大園遊会(DK430141k-0005)
第43巻 p.644 ページ画像

中外商業新報 第一四三九八号大正一五年三月二八日
    外苑に美を添へ
    修養団会館成る
      けふ落成式を挙げて
        渋沢子邸で大園遊会
府下千駄ケ谷六七五に新築工事中であつた修養団会館はこの程漸く竣工したので、廿八日午前七時から同新館において清祓式を行ひ、同八時明治神宮に報告参拝、後十時から朝野の名士多数参列の上落成式を挙行する事となつた、同会館は総建坪は五百余坪鉄筋コンクリートの三階建で、最高塔屋上端は地盤から五十六尺あり、日本青年会館と共に神宮外苑の一偉観として誇るに足るものである、総工費は十七万五千余円で一階に事務室、二階に宿泊室、三階に神庫・講堂等の設備がある、尚地下室に食堂・浴室などを設けてある、当日は午後二時半から飛鳥山の同団顧問渋沢子爵邸で盛大な園遊会を催すと


向上 第二〇巻第五号・第四七―四八頁大正一五年五月 本団創立第二十一回記念式(DK430141k-0006)
第43巻 p.644-645 ページ画像

向上 第二〇巻第五号・第四七―四八頁大正一五年五月
    本団創立第二十一回記念式
 三月二十八日新館落成式後、飛鳥山なる子爵渋沢顧問邸に於て本団創立第二十一回記念式が挙行された。
 荘重な平沼団長の式辞、懇篤な而も元気に充ちた渋沢老顧問の挨拶
 - 第43巻 p.645 -ページ画像 
温情至れる蓮沼主幹の挨拶等があり、式後園遊会が催された。
 泉水・木石の雅趣妙を凝した天下の名園に、煮込・シトロン・蕎麦・団子等各種の模擬店随所に設けられ、汗愛主義の御馳走が山の如く意のまゝに供せられる。すべてがヨイサヨイサで舌鼓を打つ。思ひ思ひに胸襟を披いて十二分の歓を尽す。歓喜の余り、団歌踊りとなり、天衝体操となり、ヨイサヨイサで団長を胴上げして天地も撼がす歓声を挙げる。
 軈て面白い茶番の余興が始まり、渋沢老子爵も全国の団員と共に打ち興ぜられた。講演先から遅れて馳せ参じた本田仙太郎氏の熱弁に一同を緊張させ、熱狂させ、万歳を三唱して、犇々と迫り来る夕闇の中に楽しき盛大な催の幕が名残惜しくも閉じられた。


向上 第二〇巻第四号・第六―九頁 大正一五年四月 落成の歓びを共にするに当り 更に団員諸氏の奮励を望む 子爵渋沢栄一(DK430141k-0007)
第43巻 p.645-647 ページ画像

向上 第二〇巻第四号・第六―九頁 大正一五年四月
    落成の歓びを共にするに当り
      更に団員諸氏の奮励を望む
                    子爵 渋沢栄一
 修養団に会館を造りたいといふことは本団の幹部のみならず、団に関係ある人人すべての希望でありましたが、これは相当の費用もかゝること故、今言つて今直ぐ行はれるといふわけに行かず、私共これを援助すべき地位に居るものも色々心を砕いては居りましたが、思ふ様に早くは出来なかつたので御座います。ところが此度漸くにして、まだ色々の慾を言へば意に充たぬ処がありませうが、この会館が出来上り、すべてが整頓せんとするに至り、私も諸君と共にこの喜びを分つことが出来るやうになつた次第であります。
 凡そ何事に関しましても、多数が相集まるには、その中心の基礎が正確に立つて居なければなりません。本山のない宗旨はとかく力が弱い、宗教尚然り、本団に於ても早くこの中心となる会館を建てねばならぬ、単に集会や事務の為に使用するだけでなく団員の講習会、或は講演会等の為にも使用する、即ち学を研き業を修める所としての会館は、団が強固なる発達をなす為に必要なるは、言ふ迄もないのであります。
 今日この会館の出来上りましたことは、団の幹部の方々並びに団員のすべてが力を注がれたのは勿論でありますが、殊に団の外にあつて力を添へられた多くの人々の功に因ることも多いのであります、故に此際最も深く感謝しなければならぬと思ひます。これと申すのも畢竟善い事は自然と四方に伝播する。論語にもある通り『徳孤ならず、必ず隣あり』といふ真理に基いてゐることを思ひます。かく申すと、自己宣伝となりて外部より御同情の諸君に対して感謝の意を欠く様に響くかも知れませんが、決してさういふ意味でなく、団員全体が斯く自覚して自重する必要があろうと思ひます。
      ○
 修養団の精神は之をつゞめて言へば『汗と愛』であります。又私の年来主義とするのは『道徳と経済の合一』であります。蓋し道徳は精神に属する事でありますが、之に経済といふ実力を伴はぬと、動もす
 - 第43巻 p.646 -ページ画像 
れば空理に流れ、又範囲が狭くなる嫌があります。故に古来完全に道徳を修めた聖主賢君に在つては、経済的方面も必ず整つて居りました畏くも我が帝室の如き其実例であります。故に道徳は経済によつて拡められ、経済も道徳によつて正しい道を進む事が出来るのであります論語に『九つの思ひ』といふ教があるが、その最後に『利を見て義を思ふ』と言つてあります。物を得るには其所得の正しいか否かを考定せねばならぬといふのであります。若し此の心得がなければ唯自分さへ得をすれば良いことゝなりて、諺に所謂強い者勝となります。是は単に一時の所得のみならず、総じて貯蓄といふことも道徳に導かれたものでなければなりません。道徳の伴はない貯蓄ならば、動物の中にでも見出すことが出来ます。熊や蟻は動物の中でも殊に貯蓄の念の強いものでありますが、それには少しも道徳が有りません。
 修養団で言ふ所の「汗と愛」は、私の道徳経済合一論を判り易くしたものだと、私自身では解釈して居ります。愛は道徳の一つの現はれであります。論語に『夫子の道は忠恕のみ』と言はれたその忠恕は、愛によつて表はされるのであります。かやうに愛は人間に最も必要なものでありますが、併し、寝てゐる愛では駄目である。汗の伴はぬ愛は効果がありませぬ。同時に汗も亦愛の附帯する汗でなければならないのであります。
      ○
 修養団は既に立派な団体となり、其会館も出来ましたが之は先にも申した通り、幹部並びに団員諸君の御努力であると共に、世の中が之を必要として同情を寄せられたことが大いに力となつて玆に至つたのであるから、団員諸君は大に責任を増したといふ自覚を持つてほしいと思ひます。若しも斯様な立派な会館の出来た後に、修養団の効果が揚らないやうなことでもあつたならば、所謂羊頭を掲げて狗肉を売るといふ誹りを免れず、愛と汗を標榜しながら却つて怨嗟と堕落とを示すものと言はれても致し方がありますまい。
 今日開館の喜びを陳ぶるに当り、団長初め、幹部諸君及団員の方々に向つて本団の名声の揚るを祝すると共に、益々責任の重くなることを自覚して戴きたいと御願ひする次第であります。
      ○
 翻つて現下の世相を観察するに、本団の希望と背馳する方向にのみ走るやうに見られます。その一例として我等国民に代つて、国家の大政を議する処の議会の存様は何うでありませうか。小声で言ふさへ恥かしい。況んやこれを公けに言ふことは慎しみたいのであります、何うしてもあの状態を見ては、『有りがたい、結構だ。』とは言へないのであります。何んとかして今少し品格を上げてほしいものであります詰り各人唯権利のみを主張して義務を忘れ、自己の利益のみを言うて他を顧みぬといふ状態であります。
 かゝる時代に当りて所謂愛と汗とで真剣にやつて行かうとする本団の主張は、実に困難であると思ひますが、吾々本団に信頼して切に之れが貫徹を希望する処は更に深いのであります。
 私は団の援助者といふ地位に居りますが、成るべく善良の援助者と
 - 第43巻 p.647 -ページ画像 
成りたいと思ひます。団員諸君に比べては少しは世故にも通じてゐると自任する処から、悪いと思ふことは遠慮なく御注意申し上げ、何とかして本団の真の能力を発揮させたいと衷心から期念して居るのであります。


修養団三十年史 同団編輯部編 第一四五―一四七頁昭和一一年一一月刊(DK430141k-0008)
第43巻 p.647-648 ページ画像

修養団三十年史 同団編輯部編 第一四五―一四七頁昭和一一年一一月刊
 ○本篇 三十年史 一六、修養団会館の落成
    汗と愛の結晶
 天に慈光輝いて瑞雲流れ、地に歓声湧いて万物躍る。
 大正十五年三月二十八日。今日こそ歓喜と希望に満ちた我等が家にして、同時に又邦家の家たる修養団新館落成式の当日である。
 畏くも明治神宮の神域近き代々木原頭、恵みも深き春の麗光を浴びて、巍然として聳ゆる新館の雄姿こそ実に粒々辛苦に成る尊い汗愛の結晶である。
 見よ、正面なる緑の大アーチ、目も醒むる紅白の幔幕、日東帝国のシンボル日の丸の大国旗、屋上高く翻る万国旗、全国各地の同志に依りヨイサヨイサで担ぎこまれた幾十旒の三角旗。
 払暁、玄関前に整列した二百五十の支部代表者は心身を清めて明治神宮に参入し、参拝終つて水を撒いた玉砂利の上を隊伍粛々と帰路に就いた。
 途中白雪を戴く富士の秀嶺と相対し我等が新殿堂の五層楼は凛々しくも笑めるが如く、一入の荘美を加へ、汗愛の健児を迎ふるものゝ如くであつた。
    同志悉く一堂に会す
 式場たる三階の大講堂は遠く朝鮮・満洲からの同志を迎へ、愛の潤ひに満たされてゐる。
 場内の正面には高く神殿を設け、左右には、平沼団長自ら墨痕鮮かに『同胞相愛』、『流汗鍛錬』の二大精神を表明した大額が掛けられてある。
 喜びの中にも、今は世になき恩人先輩の肖像を掲げて昔を偲び、立ち並ぶ幾十旒の三角旗の色褪せて見ゆるは、櫛風沐雨幾十年の血涙史を憶はしむ。
 渋沢顧問の温顔からは慈光が輝くかに思はれ、内閣総理大臣と内務大臣との代理を兼ねた守屋栄夫氏・一木宮内大臣・一戸大将・床次竹二郎氏、其他百五十余名の来賓が御繁多にもかゝはらず特に駕を枉げられ、歓喜に浸る千余名の団員と共に敬虔・厳粛の雰囲気を醸し出していることは、洵に涙ぐましいまでに有難い光景であつた。
 嚠喨たるピヤノの音に合せて『君が代』を奉唱し、荘重なる団長の勅語捧読に満場は闑として声がなかつた。
 式辞・挨拶・祝辞と予定のプログラムは滞りなく進行した。
 思へ、我が魂の本城は成つたのだ。
 竜は既に画かれた、睛
を点ずると否とは懸つて我等の双肩に在る。
 枯れた落葉が朽ちて新緑が萌え出るやうに、我等の古い生活は葬られて新な生涯が始まつたのだ。新生の児は若芽の精が空に伸びるやう
 - 第43巻 p.648 -ページ画像 
に、限りなく上へ上へと昇つて行く。



〔参考〕渋沢栄一 日記 大正一五年(DK430141k-0009)
第43巻 p.648 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正一五年           (渋沢子爵家所蔵)
三月十日 雨又曇 寒
午前七時半起床○中略 朝飧ヲ畢リ後○中略 修養団瓜生喜三郎氏団員ヲ同行来訪セラル○下略



〔参考〕竜門雑誌 第四五一号・第七七頁大正一五年四月 青淵先生動静大要(DK430141k-0010)
第43巻 p.648 ページ画像

竜門雑誌 第四五一号・第七七頁大正一五年四月
    青淵先生動静大要
      三月中
十九日 修養団理事会(渋沢事務所)



〔参考〕集会日時通知表 大正一五年(DK430141k-0011)
第43巻 p.648 ページ画像

集会日時通知表 大正一五年           (渋沢子爵家所蔵)
三月十九日 金 午後一時 修養団理事会(兜町)



〔参考〕(増田明六) 日誌 大正一五年(DK430141k-0012)
第43巻 p.648 ページ画像

(増田明六) 日誌 大正一五年         (増田正純氏所蔵)
十一月四日《(二)》 土 晴 出勤
本日の来訪者
○中略
2増田具治 修養団会計ニ関する報告並渋沢家立替金返済ニ関する件
○下略