デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
5款 財団法人修養団後援会
■綱文

第44巻 p.5-9(DK440001k) ページ画像

大正14年5月30日(1925年)

是ヨリ先、修養団理事会ハ後援会ノ設立ヲ決議シ、是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当後援会ノ創立協議会開カル。其後栄一、三井・三菱両家ヲ訪ヒ、当後援会ニ対スル協力ヲ求ム。


■資料

向上 第一九巻第一二号・第四二―四三頁 大正一四年一二月 後援会の設立と其経過(DK440001k-0001)
第44巻 p.5-6 ページ画像

向上  第一九巻第一二号・第四二―四三頁大正一四年一二月
    後援会の設立と其経過
 本年四月十九日の評議会に於て決議せられたる、修養団後援会は、平沼団長より左の諸氏を委員に指名依嘱せられた。
 渋沢栄一・森村開作・古河虎之助・中島久万吉・大橋新太郎・服部金太郎・増田義一・清水釘吉・諸井恒平・村井吉兵衛・矢野恒太・津崎尚武・中田錦吉・小倉正恒・中野昇・瓜生喜三郎
第一、創立協議会
 大正十四年五月卅日午後五時より、丸之内工業倶楽部に於て開会、出席者、平沼団長、二木理事、森村・服部・中島・清水・諸井・増田津崎・渡辺・瓜生各委員、増田・宇津木各幹事。
 平沼団長開会を宣し、修養団の使命と国家の現状とを概説せられ、後援会設立の急務を力説して一同の援助を求むる趣旨を闡明されたのであつた。而して後援会の趣旨及規則に就て逐次審議し、次に委員中より委員長及主事を選任する事となり、平沼団長は各委員の協賛を得て森村男を委員長に、瓜生喜三郎氏を主事に指名された。委員長は後援会の一部を統べ、主事は委員長を助けて日常事務を処理するのである。斯くて晩餐を共にし午後九時和気靄々裡に散会したのであつた。
第二、朝鮮及大阪方面への活動
 朝鮮聯合会基礎確立の為め招聘された瓜生主事は団長の命を帯びて渡鮮せるを機とし、朝野の人士を歴訪して後援会の趣旨を力説し其の賛助を仰ぎたり、然るに各新聞社を始め、斎藤総督・三矢局長・藤原秘書官・有賀殖銀頭取・島原第一銀行支店長等率先して後援せらるゝ事となり、倭城台支部長松本伊織氏は後援会幹事として万事斡旋の労を取られる事となつた。京城を中心として各道に亘り多くの援助者を得て、聯合会並に各支部の益々健全なる発達を遂げ得る様希望に堪へざる次第である。
 帰途大阪に至り、住友重役小倉正恒氏と会し、平沼団長と住友男爵の会見せらるべき日時打合をなす、終つて市内有志と会見し、中川知事を訪ひ、更に神戸市に岸田軒造氏を訪ね、賛助を得て松本氏同様後
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援会幹事の承認を受けた。
第三、東北及関西方面の運動
 八月一日より猪苗代湖畔に於て本部講習会開催せらるゝに当り、平沼団長並に瓜生主事は、此機会を利用して後援会の趣旨を宣伝せんとし、郡山市及若松市に講演会あるを幸ひ其都度これが宣伝をなす、両市共に共鳴の士多く、郡山市にては松山支部長、本会幹事を引受けられ、若松市にありては渡部新盛氏幹事に当らるゝ事となつた。猶ほ地方有志の方々にも宣伝して賛成を求めたのである。
 又、八月十日より延暦寺に於ける講習会を利用し大阪に至り小倉氏に会見、団長より懇切に趣旨を闡明されたのであつた、住友男は病気静養中故後日を約して帰京す、鳥井信次郎氏は壱千円寄附されたのであつた。
第四、両顧問会見
 九月初旬兜町渋沢事務所に於て老子爵と森村男と会見せられ、後援会の件に就き篤と相談せられ、東京方面の活動方法を大体協議せられ渋沢子爵は平沼団長並に森村顧問を代表して単身三井・三菱両家を訪問して賛助を仰ぐべく尽力せらるゝ事となつた。
第五、渋沢子爵、三井・三菱両家訪問
 三井、有賀長文氏と会見、賛成を受く。
 三菱、青木菊雄氏と会見、賛成を受く。
第六、平沼団長、三井・三菱両家訪問
 渋沢顧問の希望に依り、更に団長として両家理事を訪問して賛助を仰ぐ、
 三菱、青木菊雄氏三菱本社に於て会見
 三井、阪井徳太郎氏三井信託会社にて会見
  ○本資料第四十三巻所収財団法人「修養団」大正十四年一月二十八日ノ条参照。


向上 第一九巻第一〇号・第四六―四七頁 大正一四年一〇月 財団法人修養団後援会趣意書(DK440001k-0002)
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向上  第一九巻第一〇号・第四六―四七頁大正一四年一〇月
    財団法人修養団後援会趣意書
 修養団は明治三十九年二月十一日に創立されまして今年は二十年を迎へたのであります。其間幾多の困難にも遭遇し前団長田尻子爵を喪ひましてからは暫く団長を欠いて居りました。其時に当り大震火災を蒙り非常の打撃を受けたのであります。然るに昨年以来、人格徳望一世に高い現団長平沼騏一郎博士が本団関係者一同の懇請を容れられてこの難局を御引受け下され、又創立当初より多大の尽力を致されて来た二木謙三・宮田修の両氏も常務理事として庶務会計を分担される事となり、陣容玆に一新して第二期の活動に這入つた訳であります。
 蓮沼門三氏は御承知の通り二十年一日の如く刻苦奮闘斯道の為めに献身の努力を致して参りました。それが為め同君を中心として全国に亘つて今や数万の同志が汗と愛の精神を体して結束益々堅く平沼団長も修養団の為めには『倒れて後已むの覚悟だ』と言明されて居ります
 然るに修養団は地方農村青年や、学生の中に団員が多いので、団の活動を維持する資源を団員のみに求むる事は目下の処不可能でありま
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す。此の点については多年関係された先輩各位の常に御心配下さつた点であります。
 如何に主義精神が立派で国家社会の為め貢献する素質を備へて居ても、経済的独立がなかつたならば其の目的を達成する事が出来ないのであります。今日の修養団は消極主義を取つて進むなら曲りなりにも何とか経営が出来るかも知れませんけれども、社会の現状より見まして修養団の活動は国家社会の為め誠に急を要する事と存じます。皆さま今日まで陰に陽に御援助下さいました事も、平沼団長が将来を背負つて起たれた事も皆其志が同一であらうと考へられます。夫れ故教化団体としては、只今全国中最も実力ある団体の一と認められて来たこの修養団をして一層の活動をなさしめむが為め、玆に後援会を組織し同志諸君と協力して財的援助を与へたいと思ひます。
 どうぞ本会の趣旨を御賛成下さいまして、邦家の為め充分の御援助を御願ひ致す次第であります。
  大正十四年七月     財団法人修養団後援会委員一同
    財団法人修養団後援会規則
      第一章 総則
第一条 本会ハ修養団後援会ト称ス
第二条 本会ハ修養団ニ援助ヲ与フルヲ以テ目的トス
本三条 本会ハ事務所ヲ修養団事務所内ニ置ク
      第二章 会員
第四条 本会ノ趣旨ヲ賛シ一定ノ金額ヲ醵出スルモノヲ本会々員トス
第五条 本会ノ醵金ハ一ケ月壱円ツヽ五ケ年払込ヲ以テ一口トス、但シ数ケ月分分納又ハ全納ヲ妨ケス
第六条 会員ヲ左ノ三種トナス
    一、正会員 一口以上拾口未満 二、特別会員 拾口以上百口未満 三、維持会員 百口以上
      第三章 役員
第七条 本会ニ委員長一名及委員若干名ヲ置ク
第八条 本会ニ主事一名及幹事若干名ヲ置ク
第九条 本会役員ハ修養団長之ヲ嘱託ス
      第四章 会計
第十条 本会ノ会計ハ修養団監事之ヲ監査ス
第十一条 本会資金ノ支出ハ修養団長ノ請求ニ依リ委員会ノ決議ヲ経テ之ヲナス
    但シ参百円未満ノモノハ委員長ニ於テ支出スルコトヲ得
第十二条 本会ノ会計ハ修養団機関雑誌向上ヲ以テ之ヲ報告ス
     注意 本誌の巻頭に申込用紙を添付してあります。


(青木菊雄)書翰 渋沢栄一宛大正一四年一〇月二七日(DK440001k-0003)
第44巻 p.7-8 ページ画像

(青木菊雄)書翰  渋沢栄一宛大正一四年一〇月二七日
                    (渋沢子爵家所蔵)
拝啓 過日ハ態々御来駕被成下候節ハ匆々失礼仕候段御海恕被下度奉願候、扨而其節御申聞之修養団寄附之件ハ、岩崎男頃日出社ノ上委細
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御来示之趣相伝申候末何分詮議可致事ニ内定仕候間御承引被下度、就テハ本件ニ付更ニ岩崎男ニ御面談ノ為メ態々御来駕被下候事ハ却而恐入申候間、御見合セ被下度、御来示之御趣旨ハ十分諒解罷在候旨特ニ可申上様申付有之候間御承引被下度奉願候、同男ハ本日ヨリ約十日間之見込ニテ関西ヘ旅行致候乍序申添候
日本女子大学寄附之件ハ先日小生ヨリ一寸申上候通ノ事情ニテ、学校寄付ノ事ハ差当リ手廻リ兼候間、目下之処ハ御断リ申上度不悪御諒承被下度奉祈候
親敷参上可申上筈ニ御座候得共、却テ御邪魔可申上義ニ付前条以愚札一寸申上候 匆々敬具
                     青木菊雄
    子爵渋沢栄一殿
          閣下
(欄外別筆朱書)
 [大正十四年十月廿七日 青木菊雄氏来状


渋沢栄一書翰控 有賀長文・青木菊雄宛 大正一四年一二月二二日(DK440001k-0004)
第44巻 p.8 ページ画像

渋沢栄一書翰控  有賀長文・青木菊雄宛大正一四年一二月二二日
                    (渋沢子爵家所蔵)
三井合名会社
有賀長文殿
三菱合資会社 各通
青木菊雄殿 
拝啓、益御清適奉賀候、然ば修養団に対し御賛助仰度義に付ては、予て拝願仕候間御詮議中の義と奉察上候、何卒御好配被下度希上候、右に付同団設立の当初より主幹として各般の事務に尽瘁致来候蓮沼門三君に対し、同団の現状御説明の為め罷出候様申付置候間、拝訪の節は御多忙中恐縮ながら御引見の上概要にても御聴取被下候はゞ仕合に御座候、尚同君は九州・台湾各地に於ける講習会に出席致最近帰京致候に付、此等の状況も亦御聴取被下度候、右願用得貴意度如此御座候
                           敬具
  大正十四年十二月廿二日
                      渋沢栄一


向上 第一九巻第一〇号・第七頁大正一四年一〇月 近況御報告 蓮沼門三(DK440001k-0005)
第44巻 p.8-9 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

修養団三十年史 同団編輯部編 第一三三―一三四頁昭和一一年一一月刊(DK440001k-0006)
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修養団三十年史  同団編輯部編 第一三三―一三四頁昭和一一年一一月刊
 ○本篇 三十年史 一二、後援会の設立
    工業倶楽部で創立総会
 大正十四年の五月三十日。
 工業倶楽部で修養団後援会の創立総会が開かれた。
 会長は渋沢子爵、委員長は森村男爵、幹事長は瓜生喜三郎氏である
 桃太郎の修養団は、恰度丁年に達していよいよ鬼ケ島に出陣することになつた。
 後援会は、そのお爺さん、お婆さんである。日本一の黍団子を提供して、彼の尊い任務を果さしめなばならぬ。
 修養団の理想たる『明るき世界の建設』成否の一半は後援会の双肩に懸つてゐる。『肥料が無ければどんな良い芽も育たない。』
 爾来、各地に後援会が生れ、着々としてその実績を挙げ、今その尊い使命に向つて、一路邁進しつゝある。