デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
5款 財団法人修養団後援会
■綱文

第44巻 p.41-44(DK440011k) ページ画像

昭和2年7月18日(1927年)

是日栄一、当後援会会長トシテ関東長官児玉秀雄其他ヲ日本工業倶楽部ニ招キテ懇談会ヲ開ク。栄一修養団並ニ当後援会ニ就キ説明シ、協力ヲ求ム。


■資料

集会日時通知表 昭和二年(DK440011k-0001)
第44巻 p.41 ページ画像

集会日時通知表  昭和二年       (渋沢子爵家所蔵)
七月十八日 月 午後二時 修養団後援会ノ件(日本工業クラブ)


竜門雑誌 第四六七号・第一一七頁 昭和二年八月 青淵先生動静大要(DK440011k-0002)
第44巻 p.41 ページ画像

竜門雑誌  第四六七号・第一一七頁 昭和二年八月
    青淵先生動静大要
      七月中
十八日○上略修養団後援会委員会(日本工業倶楽部)


(瓜生喜三郎)書翰 渋沢栄一宛(昭和二年)七月一五日(DK440011k-0003)
第44巻 p.41 ページ画像

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財団法人修養団後援会書類(DK440011k-0004)
第44巻 p.41-42 ページ画像

財団法人修養団後援会書類         (渋沢子爵家所蔵)
    出席芳名(七月十八日午後二時工業倶楽部)
  来賓側             児玉関東長官
                  藤田学務課長
                  田中秘書官
                  安藤元満鉄理事
                  松村朝鮮総督秘書官
  修養団側            蓮沼主幹
 - 第44巻 p.42 -ページ画像 
                  二木理事
                  宮田理事
                  万代講師
  後援会側            渋沢会長
                  森村委員長
                  青木委員
                  服部委員
                  矢野委員
                  瓜生幹事長
                  三宅庶務主任


向上 第二一巻第九号・第四四―四六頁 昭和二年九月 児玉関東長官と修養団後援会 工業倶楽部の懇談(DK440011k-0005)
第44巻 p.42-44 ページ画像

向上  第二一巻第九号・第四四―四六頁 昭和二年九月
    児玉関東長官と
      修養団後援会
      工業倶楽部の懇談
 政務を帯びられて上京されたる関東庁長官児玉秀雄閣下並に朝鮮総督府外事課長松村松盛氏及び田中関東長官秘書官を主賓として、本団後援会長渋沢子爵の主催にかゝはる懇談会は七月十八日午后二時より丸ノ内工業倶楽部楼上に於て開催された。定刻前先づ服部後援会常務委員見えられ、次で渋沢会長は老躯を提げられて御臨席、先着の蓮沼主幹・瓜生幹事長等と始終莞爾として談話を交はされつゝ主賓の御来着を待たれる。
      長官の来着
 間もなく児玉長官・松村外事課長・田中秘書官・前満鉄理事安藤又三郎氏、其他後援会関係の方々相前後して来着、直に席に臨まる
      来会者氏名
 来賓側 関東庁長官閣下、同田中秘書官、朝鮮総督外事課長松村松盛殿、前満鉄理事安藤又三郎殿
 後援会側 渋沢会長、森村委員長、矢野・服部・青木の各常務委員 瓜生幹事長
 本部側 蓮沼主幹、万代講師
平沼団長、二木・宮田の本部両常務理事は用務の為め遺憾ながら欠席した。
      渋沢会長の挨拶
 渋沢会長は謹厳且荘重に関東長官の上京を好機として、我が修養団の為め切に御援助を仰ぎ度く玆に懇談会を開催したる処、各位の御光来を得たるは欣快の至りであると、感謝の意を述べられ、現代の社会の凡ゆる方面を通して静観すると、何となく廃頽的気分が漲り、国民の思想に更に統一なく混沌として彷徨の状態にあるのは誠に寒心に堪へない。智識も科学も非常な勢を以て完全に近い迄に進歩して来た。これからも益々進歩して行くことは疑ふまでもないことである。今の若い人々は新智識を沢山に持つて居る。我々老人と雖も若い人々に遅れず負けずに進歩しなければならい。
      道徳と知識の並進
 - 第44巻 p.43 -ページ画像 
 が然し反面から観ると現在の我国民は新智識は持つて居るけれども極めて道義的精神を欠いてゐる様に思はれる。政界の腐敗堕落も、経済界の混乱も、労資間の闘争も皆道義心の無い事が根本的原因であると信ぜられる。私はこの道義心を智識・科学の進歩と平行させて行き度いと思ふ。殊に若い人々には一層に道義心を進め度いと思ふのであると、道義心の涵養は頗る喫緊事たる事を述べられ、進んで蓮沼主幹を紹介し奈落の底に没入し様としてゐる此の世を救ふは、実に修養団の高唱する同胞相愛・流汗鍛錬の二大主義より外にないと結ばれた。
      明るき世界の建設
 尚蓮沼主幹を知るに至つた動機より過去・現在に亘つての修養団の経過、事業関係、其他一般の状況並に後援会を組織した理由を詳述し私の如き老人が微力ながら先輩とし、縁の下の力持ちとなつてゐるのは愛国の至情已み難きものあるが故である。何も名誉を得度いが為めでもなく、金持になると云ふ心からでもない。唯々道義の世にし度いが為である。また後援会に財界の有力者をお願ひ致しましたが、何の野心あつての事ではない。私は此の修養団の主義を以て世を光に導き度いと切に念願してゐるからである。何卒長官の御諒解と御援助とを希ふと御挨拶があつた。
      長官の挨拶
 児玉長官は修養団の主義には衷心より賛成である。今後とも微力ではあるが出来る限り尽力すべしと慇懃に述べられ、満洲地方に居住する人々は常に国防の第一線に在ると同様であるから、勇気が常に鬱勃として充満して居る。しかし何時何処に一大事変が起るかも知れないと云ふ不安の念に襲はれてゐるのは事実である。それ故に非常時に際して如何に善処するかに付いては、日頃の修養が最も大切であると思つて居る。若し万一動乱でも起つた時などは、内地の人々は政府又は諸方面の援助に依頼する事が出来るが、満洲ではさうは望めないから銘々各自が自己の真の力で総てを処理し切抜けて行かねばならぬ。居住民が自衛上よりして一体となつて内輪の力を統一しなければならない状態に置かれて居る。故に修養団の主義の如何に必要であるかは言ふまでもない事であると極力賛成され且つ後援を誓はれた。
      主幹の挨拶
 次に蓮沼主幹は起つて真摯敬虔な態度で自分自身修養団の講習会が及ぼした反響を紹介するは僭越至極の次第であるがと前置きして、東洋紡績工場や呉及び広島の各海軍工廠、大阪市電其他の大工場等が如何に修養団の汗愛主義の講習に依つて面目を一新したかの実況を熱心にしかも真剣に紹介され、長官閣下の御尽力を懇望する処があつた。
      幹事長の挨拶
 瓜生幹事長は是非後援会の為め長官の御力添ひを願ひ度いと説き起し、熱血溢るゝが如き意気を以て朝鮮に汗愛の善化網が張られ益々隆盛に赴きつゝあるは、これ偏に総督始め上司各位が自ら陣頭に起つて宣伝さるゝ為めであると、朝鮮の現状を縷述し、一回・二回では修養団を真に理解し得なかつたが三回目に始めて判然と諒解する事が出来たと云ふ人々が沢山にあるのであると、大阪の例を引用し、更に東洋
 - 第44巻 p.44 -ページ画像 
紡績姫路工場が現在の様になるに至つたのは、女工取締の一女性が覚醒して、凡ゆる圧迫・嘲笑・脅迫と闘つて汗愛主義を絶叫した結果であるとその苦闘の様を説述し、その他大阪市内の四貫島東洋紡績分工場に於ける支部旗樹立式の悲壮な景況等を涙を振つて紹介し、満場に感動を与へられた。
      再度長官の挨拶
 児玉長官は一一叮嚀に傾聴され、『後援会の確立は最も必要である。満洲朝野の有志に相談して屹度及ぶ限りの御援助する。其の時機と方法とは総て私に委せて貰ひ度い』と応諾された。
 斯くの如く主客隔意なく意見を交換して和気靄々裡に午后五時散会した。   (編輯子)