デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
5款 財団法人修養団後援会
■綱文

第44巻 p.55-57(DK440017k) ページ画像

昭和5年3月9日(1930年)

是日栄一、当後援会会長トシテ、修養団本部ニ於テ開カレタル、同団支部及ビ聯合会幹部会出席者ヲ、日本工業倶楽部ニ招キテ懇談会ヲ催ス。栄一病気ノタメ出席セズ。


■資料

財団法人修養団後援会書類(DK440017k-0001)
第44巻 p.55 ページ画像

財団法人修養団後援会書類         (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
拝啓、益々御清穆奉賀候、陳者毎々御高配を蒙り居り候修養団に於ては、来る三月九日(日曜)全国支部幹部会開催仕り、汗愛精神の普及徹底に関し熟議致候事と相成候に就ては、此機会に於て、多年明るき世界建設の陣頭に奮闘努力罷在各地青年諸子の労を犒ひ、且つ各位の御懇諭御鞭撻も願ひ度存候に付、同日午後五時三十分、丸ノ内日本工業倶楽部に於て粗餐差上度候間、万障御繰合はせ御臨席の栄を得度、此段御案内申上候 敬具
 追て御手数恐入候得共御来否折返し御一報煩はし度願上候
  昭和五年三月四日  修養団後援会長 子爵渋沢栄一
    (宛名手書)
    子爵渋沢栄一殿


財団法人修養団後援会書類(DK440017k-0002)
第44巻 p.55 ページ画像

財団法人修養団後援会書類        (渋沢子爵家所蔵)
  昭和五年三月七日
           修養団後援会幹事長瓜生喜三郎
   修養団後援会長
    子爵渋沢栄一殿
      後援会招待会ニ関スル件
明後九日午後五時三十分丸ノ内日本工業倶楽部ニ於ケル招待会ニ、別紙氏名○略ス者ニ御案内申上候ニ付右御報告申上候也


向上 第二四巻第四号・第二四頁 昭和五年四月 後援会長渋沢子爵主催お招ぎの犒ひの会 全国幹部会・なか日の歓談(DK440017k-0003)
第44巻 p.55-56 ページ画像

向上  第二四巻第四号・第二四頁 昭和五年四月
  ◇後援会長渋沢子爵主催
    お招ぎの犒ひの会
      …全国幹部会・なか日の歓談…
 修養団後援会長渋沢子爵の招待にかゝる、全国支部並に府県聯合会幹部会出席者の懇談会は三月九日の午後五時半から丸の内工業倶楽部で催されました。
 出席者は会議参会者二百数十名の殆んど全部と、本団側から平沼団長、蓮沼主幹初め理事評議員、講師、職員(会議主任まで)後援会側
 - 第44巻 p.56 -ページ画像 
からは森村委員長、瓜生幹事長初め常務委員、委員等で総員三百余名床次竹二郎・水野錬太郎・白川大将・長崎宮中顧問官・桑田中将・浅野翁・片倉翁・西沢・諸井・杉・松下・野村・山下・石井・関屋・下村・吉村・浦井・永田諸氏の官界、政界、実業界、宗教会、教育界の名士多数が見えて非常な盛会でありました。
 森村委員長は渋沢会長に代りて挨拶を述べられ、一同を代表して平沼団長の謝辞があり、皇国の為めに白色倫理運動を進むるに当つては「水火も辞せず、白刃も恐れず」との強いことばで覚悟を語られました。次いで蓮沼主幹よりも挨拶があり、引続き吉村(東京逓信聯合)四方(住友電線)、浅野翁、佐藤(新潟聯合)、橋本(朝鮮聯合)、小西タマ(兵庫味間)諸氏の実際談、感想談等があり、床次・水野・白川・長崎四氏の激励のことばがあり、最後に松崎(姫路東洋紡)氏は団員を代表して挨拶に兼ねて東洋紡の実況を述べられました。諸氏談話の要領は――
 床次氏曰く、『始は本団のために勉強したが、今はとんと御無沙汰をしてゐる。今夕は御招ぎに依りしばらく振りで罷出で、盛況を拝見して矢張り門徒の一人であるから衷心から喜びに堪へない。……』
 水野氏曰く、『早くから修養団に共鳴し、朝鮮に普及するやうに努力した。世間にいろいろのモツトーを掲げて運動が起つたが、其の実体今いづこ、修養団が同胞相愛・流汗鍛錬を掲げて二十五年、終始一貫嘗て渝らず、いよいよ盛大に赴きつゝあるの現状を見て邦家社会のために慶賀に堪へない。現下の社会に鑑み、之を全国民に徹底せしむることは最も必要なことであると思ふ。……』
 白川大将曰く、『五年前旅順で発会式に臨み、団員各位の熱誠にして真剣、力強き実行実働の団体なるを実見し、爾来横から力を注いで居つた。今夕は各地の中心者から力強い実例をたくさん伺ひ、近頃まことに愉快にして心丈夫の感を深くした。謹んで感謝の誠意を表します。……』
 長崎顧問官曰く、『私も満洲で修養団大会を閑院宮殿下の御親閲の折拝見し、団員諸氏の熱誠で真面目な態度に敬服し、修養団の普及徹底を冀つて居つた一人であります。……』
 主客陪賓、互に打ち解け、歓びに堪へない情景、感談はそれからそれへと尽くるところを知らなかつた。時刻も移つたので午後九時半に団歌を合唱し、蓮沼主幹の二大誓願の朗誦を以て、会を閉ぢました。
                         (止水生)


向上 第二四巻第五号・第八九頁 昭和五年五月 向上日誌(DK440017k-0004)
第44巻 p.56 ページ画像

向上  第二四巻第五号・第八九頁 昭和五年五月
    向上日誌
      三月中
九日 午後五時半、第六回地方幹部会出席者及び本団幹部一同、後援会長渋沢子爵よりの招待を受け、丸ノ内日本工業倶楽部の招待会に出席せり。



〔参考〕竜門雑誌 第四九八号・第一一三頁 昭和五年三月 青淵先生動静大要(DK440017k-0005)
第44巻 p.56-57 ページ画像

竜門雑誌  第四九八号・第一一三頁 昭和五年三月
 - 第44巻 p.57 -ページ画像 
    青淵先生動静大要
      二月中
青淵先生には去月十二日頃より風邪の気味にて引続き本月も在邸静養せらる。



〔参考〕竜門雑誌 第四九九号・第六五頁 昭和五年四月 青淵先生動静大要(DK440017k-0006)
第44巻 p.57 ページ画像

竜門雑誌  第四九九号・第六五頁 昭和五年四月
    青淵先生動静大要
      三月中
青淵先生には引続き在邸静養せらる。