デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
1節 実業教育
1款 東京高等商業学校 付 社団法人如水会
■綱文

第44巻 p.276-283(DK440063k) ページ画像

大正6年10月27日(1917年)

是ヨリ先、当校同窓会、栄一ノ寿像ヲ鋳造シ、是日、其除幕式ヲ行フ。栄一出席シテ謝辞ヲ述ブ。


■資料

東京高等商業学校 同窓会会誌 第一〇八号・第三―四頁大正五年一二月 常議員十一月例会(DK440063k-0001)
第44巻 p.276 ページ画像

東京高等商業学校 同窓会会誌  第一〇八号・第三―四頁大正五年一二月
    ○常議員十一月例会
十一月九日(木曜)午後五時半より丸之内中央亭に於て、本会常議員例会を開催せり。先づ当日の出席者を挙ぐれば左の二十六名なりき。
  ○氏名略ス。
当日評議の項目並に其の各項決議の要領を列挙すれば左の如し。
 (一) 渋沢男爵寿像製作に関する件
  本件は既に前回の例会に於て、決議せられたる所なれども、当日は其費用の範囲及其支弁の方法其の他詳細に渉りて審議を遂げられ、終に左の如き決議を見るに至れり。
 (イ) 寿像は銅の等身大胸像とする事
 (ロ) 右製作に関する諸費用を金弐千円以内として同窓会幹事に一任する事
 (ハ) 前項の費用は本会より支出する事とし、秋季総会に於て之れが追認を求むる事
 (ニ) 寿像の作者選定の件、並寿像安置の場所選定上如水会館建築技師との交渉等、凡て同窓会幹事に一任する事
  ○前回ノ例会トハ大正五年九月二十八日ノ例会ナリ。本款大正五年十一月二十五日ノ条参照。


東京高等商業高校 同窓会会誌 第一〇九号・第一―一七頁大正六年一月 ○秋季総会記事/○幹事会(DK440063k-0002)
第44巻 p.276-277 ページ画像

東京高等商業高校 同窓会会誌  第一〇九号・第一―一七頁大正六年一月
    ○秋季総会記事
昨秋十一月二十五日(土曜)午後五時より、帝国ホテル内に於て秋季総会を開く。当日は本総会に引続き、別項所掲の渋沢男爵喜寿の祝賀会を開催せる事とて出席者の数一百九十九名(元の申込数は二百十九名)の多きに達し、実に近年稀に見るの盛会を極めたるが、先づ其出
 - 第44巻 p.277 -ページ画像 
席者氏名を列挙すれば、則ち左の如し。
  ○氏名略ス。
当日は先づ左の議題に就きて協議あり。
      ○議題
 渋沢男爵寿像鋳造資金支出追認の件
      説明
  男爵閣下の喜寿を祝すると同時に男爵の恩徳を永遠に記念するの一資料たらしめんが為め、此際男爵の寿像を謹鋳し、之を如水会会館内に安置する事となし、之に要する費用二千円以内を本会より支出するものなり
本議事を開かんとするに当り堀幹事より、議事進行の便宜上先づ議長を設けたしとの動議あり、其の結果満場一致を以て成瀬隆蔵君座長席に就かれたり。然るに本件は、既に昨夏以来、本会幹事の間に於て企画せられ、九月二十八日開催の常議員例会に於て之れが実行を決議せられ、続いて又十一月九日開催の同例会に於て、其の費用の範囲及其の支弁の方法等を決議せられたるものなるが、結局満場一致を以て可決せられたり。是れより次の報告に遷れり。
○中略
    ○幹事会
十二月二十三日(土曜)午後一時より、丸之内中央亭に於て、渋沢男爵寿像彫刻家選定に関する件に就き幹事会を開き、幹事全部出席評議の結果、大体競技に附する事と成り「渋沢男爵胸像彫刻競技規程」なるもの十二箇条を決議せり。
  ○右競技規程見当ラズ。


中外商業新報 第一一一七四号大正六年五月一六日 ○渋沢男の胸像競技堀氏の当選(DK440063k-0003)
第44巻 p.277 ページ画像

中外商業新報  第一一一七四号大正六年五月一六日
    ○渋沢男の胸像
      競技堀氏の当選
神田高等商業学校隣地に建築中の如水会館読書室に設くべき渋沢男爵の胸像製作は、予て国民美術協会に於て同窓会の委託を受け、石川確治・掘進二・建畑大夢・藤井浩祐・北村西望の五氏に指名競技に附したるが去る十日各自石膏像を提出したるより、十二日審査員一同会合審査の結果堀氏の出品を採用することに決定せり


東京高等商業学校 同窓会会誌 第一一一号・第一一―一四頁大正六年六月 渋沢男爵寿像原型審査会(DK440063k-0004)
第44巻 p.277-279 ページ画像

東京高等商業学校 同窓会会誌  第一一一号・第一一―一四頁大正六年六月
    ○渋沢男爵寿像原型審査会
大正六年五月十二日午前十時より、母校専攻部校舎内に於て、渋沢男爵寿像原型審査会を開く。
 出席者
  渋沢正雄君   渋沢秀雄君
    (以上男爵御令息)
  新海竹太郎君  朝倉文夫君  黒田清輝君
  久米桂一郎君
    (以上名誉嘱託審査員)
 - 第44巻 p.278 -ページ画像 
  中条精一郎君
    (右如水会館建築技師)
  八十島親徳君  増田明六君  白石喜太郎君
    (以上渋沢家事務所職員)
  犬塚信太郎君  堀光亀君   土肥脩策君
  横田清兵衛君  村瀬春雄君  町田豊千代君
  安藤兼三郎君  石井健吾君  成瀬隆蔵君
  藤村義苗君
    (以上同窓会如水会役員)
本件は既報の如く、其の原型の選定を競技法に依るの条件を附して、其の鋳造を国民美術協会に依嘱し、去る二月より五月十日迄(元は四月末日迄)の期限を以て、現代知名の新進彫刻家五名(石川確治君・堀進二君・建畠大夢君・藤井浩祐君・北村西望君)其の競技に応じ製作中なりしが、愈々右期日に至り、各作者より其の作品の提出ありしを以て、乃ち本審査会の開催を見るに至れるなり。而して総数五基の作品に対し、先づABCDEの符号を附し、投票法に依りて審査せられたる結果、C号なる堀進二君の作に係るもの絶対多数を占めて当選せり。
斯くて審査結了を告ぐるや、一同別室に移りて主客懇談の裡に午餐を共にせられたるが、デザートコースに入りて、堀幹事より左の如き挨拶を述べられたり。
      堀幹事の挨拶
 私は一言御挨拶を申上たいと存じます。
 今日は、渋沢男爵の寿像原型の審査を仰がんが為めに御集りを願ひました処が、諸大家先生並に其他の諸君が、御多忙の時間を割いて特に御臨席を辱うすることを得ましたのは、我々が深く感謝する所で御座います。殊に本日当選の作品は、我々が之を天下に誇つても宜しからんかと思はるゝ様なもので有つた事は、亦我々が大に満足する所で御座います。
 然るに私は、此の際尚ほ少しく、本件に関する従来の成行を申上げて置きたいと思ひます。
 扨我々の母校は、帝国商業教育の発源地で御座いまして、且つ母校が斯界の為め多大の貢献を致し来れる事は、我々が故ら申迄も御座いませんが、渋沢男爵には此の母校の創立以来今日に至るまで、絶えず母校の発展に関して御援助を下さいましたのみならず、又母校の出身者に対しても、同男爵は恰も慈父の愛子に於けるが如き情誼を以て、恒に懇切に誘掖指導せらるゝので、我々同窓者も亦斉しく同男爵を敬慕尊崇して措く能はざる所で御座いますが、殊に同男爵には昨年喜寿の高齢に達せらるゝの故を以て、実業界を隠退せらるると云ふにも係はらず、実に稀なる御健康であらせらるゝといふ事は、我々同窓者の最悦ぶ所で御座いました。そこで我々同窓者は、其の際聊か同男爵に対し祝意を表し、且つ男爵の恩徳を永遠に記念するの一端として、寿像鋳造の議を決しましたが、其の寿像安置の場所が、我々同窓者の企画に係る如水会々館なるが故に、寿像鋳造
 - 第44巻 p.279 -ページ画像 
の件に関し、先づ会館建築の設計者たる中条氏に御諮り申しました所が、同氏の御考では先づ新進の彫刻家数名を選定して、之に原型の競技製作を為さしむる事とせば、一は美術の奨励とも成り、亦優秀の作品を得る上にも却て便宜なるべしとの事なりしを以て、此の事に関し一応渋沢男爵の御意向を伺ひました所が、平生後進の誘掖等には最も御熱心なる男爵の事故、直に御同意下さいましたので、愈々競技法に依りて着手する事を決し、且つ同時に今日御臨席下さいました諸先生方に競技作品の御審査を予め懇請致しました処、幸にも各先生共我々の懇請を御快諾下さいましたので、終に今日の好結果を得ました様な次第で御座いますから、畢竟するに今日御列席の諸大家先生方の御協力に依りて、斯る満足なる結果を収むる事を得るに至りましたことを我々は深く感謝致します。就ては諸先生方に対して、斯る相応はしからぬ場所に於て、斯る不行届きの粗餐を呈するが如きは、却て失礼かとは存じますけれども、どうか諸先生方には、只我々の微衷を御採納下さらむ事を切に御願ひ申します。
 尚ほ此の際諸先生方に御願ひ致して置きたいと存じますのは、彼の寿像を予定の場所なる如水会々館内に安置致します迄には、まだ長い月日が御座いますから、其れまでに本件に就いて、特に御指導を仰がねば成らぬ事も有らうかと存じますので、向後共何分宜敷御願ひ申上ます。
右挨拶終了後更に別室に移り、午後三時に近き頃漸く散会せり。


集会日時通知表 大正六年(DK440063k-0005)
第44巻 p.279 ページ画像

集会日時通知表  大正六年        (渋沢子爵家所蔵)
十月廿七日 土 午後二時 高商ニテ御講演
        午後四時 同校ニテ男爵寿像除幕式


東京高等商業学校 同窓会会誌 第一一四号・第九―一六頁大正六年一二月 渋沢男爵寿像除幕式(DK440063k-0006)
第44巻 p.279-283 ページ画像

東京高等商業学校 同窓会会誌  第一一四号・第九―一六頁大正六年一二月
    ○渋沢男爵寿像除幕式
十月二十七日(土曜) 午後四時より、別項秋季総会の時間に先だち母校講堂に於て渋沢男爵寿像除幕式を挙行せり。而して其の参列者の数は本会員百三十余名の外に、母校学生の参加せる者を計上するときは無慮一千有余名の多きに達し、実に近来の盛会なりき、先づ当日の順序を挙ぐれば左の如し。
 一、開式の辞(堀幹事)
 二、男爵令孫登壇 一同起立
 三、除幕
 四、同窓会代表者祝詞(成瀬隆蔵君)
 五、男爵御挨拶
 六、閉式の辞(堀幹事)
 式後母校本館階上に於て祝盃を挙げ、男爵の万歳を三唱す。
      以上
右堀幹事開式の辞、本会代表者成瀬君の祝辞、及び男爵閣下の御挨拶等の筆記を順次に紹介すれば左の如し。
      式辞          幹事 堀光亀君
 - 第44巻 p.280 -ページ画像 
 閣下並諸君。只今より渋沢男爵閣下の寿像除幕式を執行致します。
 今日男爵閣下の寿像除幕式を致しますに付きまして、男爵の御賁臨をお願ひ致しました所が、御多用中にも拘りませず特に御出を頂きましたことは、吾々同窓一同の深く感謝致す所でございます。尚ほ此機会に於きまして寿像作成に至りました成行を一通り御報告致します。昨年渋沢男爵閣下に於かれましては、七十七歳と云ふ御高齢俗に喜の字のお芽出度いお年を迎へられましたに付きまして、吾々同窓に於きましても聊か祝意を表しまする為に、十一月二十五日に帝国ホテルに於きまして祝賀会を催しました。尚同時に永く男爵閣下のお芽出度いことを記念し、且つ又平素の御好意に対し、敬慕の意を表彰致しまする為に寿像を鋳造しまして、之を来年出来上りまする所の如水会館の一室に安置すると云ふことを満場一致を以て決議致しました。直に此旨を男爵に御伝へし御快諾を得ました。其方法と致しまして特に競技の方法に依つて最も秀逸なる寿像を得たいと云ふことに方針を一定致しまして、国民美術協会に託しまして、現今彫刻界に於ける新進奇才を以て目せらるゝ所の五君に其競技を御依頼致しましたのであります。其著手致しましたのは本年二月二十日でありますが、是等五君の原像が出来上りましたに付きまして五月十二日に審査会を開きました、此審査会に於きましては特に男爵閣下の御令息お二た方と現今美術界の元老を以て目せられて居る所の新海竹太郎・朝倉文夫・黒田清輝・久米桂一郎の四君と、且つ長い間男爵の下に在つて朝夕咫尺せられて居ります所の渋沢事務所員たる同窓の三君にお出を願ひ、其他に尚ほ同窓会如水会の諸君が加はりまして、都合二十名で以て其五君の原像を慎重に審査致したのでございます。然るに大多数を以て遂に堀信二氏の製作に係る原像が当選致したのでございます。其当時審査員の期せずして発した言葉を私が解釈致しますると、渋沢男爵閣下の御銅像は国内に其数甚だ少くはないけれども、恐くは吾々が玆に造らむとする銅像程、御本人に肖通つて居り、威愛並び具つた名作はなからう。斯う云ふことに一致して居つたのでございます。さうしまして其後堀氏の手を経まして鋳金家の大峡光胤氏に依つて、玆に只今から除幕を致さうとする銅像が出来上つた次第でございます。
 此御寿像は前に申しました通り、此お隣に今造りつゝある如水会館の中に安置すべきでありますが、如水会館は来年十月に至らなければ竣工を致しませぬ。それまでの間は此間開館式を挙げましたる御大典記念図書館の中の同窓出身者の閲覧室に之を安置することになる筈であります。一応此成行を御報告致して置きます。(拍手)

      祝辞        同窓会代表者 成瀬隆蔵君
 閣下。諸君。幹事より過刻此式場に於て渋沢男爵閣下に対して祝辞を述べよと申渡されました。突然のことにて用意もございませぬが併し甚だ光栄に感じまして聊か蕪辞を述べます。
 雅俗共に福禄寿と云ふことは能く申すことで、此福禄寿の三語には人間の有ゆる幸福を意味して居るやうに存じます。然るに狭い小さ
 - 第44巻 p.281 -ページ画像 
い意味に於ての福禄寿を有する所の人は相当なきにしも非されども大なる意味広い意味の福禄寿を兼備したお人は、私共浅学寡聞の為に知らぬかは存じませぬが、稀にあるとも容易に得難い所のことと思ひます。然るに何の幸か、吾々の最も景仰する所の又恩人である所の渋沢男爵閣下に於て之を具備されて居ると信じます。如何なる英雄豪傑、人格崇高学識高遠、智能兼備のお人と雖も、脆弱であつたならば、到底充分に社会に貢献するといふことは六ケ敷いことでございます。然るに何の幸か渋沢男爵閣下は性来御強健で居らしつて、御高年に至るに従つて益々矍鑠壮者を凌ぐの勢であらつしやる独り男爵閣下のみならず、御家族概して御健全であらつしやる。御子孫は益々御繁昌遊ばし、加ふるに閣下は種々な御経歴を有せられ此御経歴中には閣下御自身は必ず思ふやうに行かなかつたと御不満にあらつしやることもございませうが、私共から見ますと、思ふこと成らざるなし、殊に明治時代に至つては一層思召通りに進んだことと思ひます。即ち思召したことは悉く御成功を遊ばしたと申して宜からうと思ひます。加ふるに有らゆる美徳――何と申しませうか誠意とか、親切とか、忠恕とか云ふやうな、寔に立派なお徳は尽く具へられて居らつしやるよりして、天下の人は皆景仰せざるなしと云ふ有様であります。実業界に於ては実に非常なる御功労があらつしやり、又精神界に於ては論語宗の開山で居らつしやる。又吾々の此学校に就ては恩人であらつしやる。其他教育にあれ、慈善にあれ非常に社会にお尽しになつた。此故に誰とて其お徳を慕はざる者なく、御盛名は実に世界に轟いて居る次第であり、加ふるに御家は御裕福――併し此富と云ふものは仮令数億数十億の富を得ても、其手段にして宜しきを得ざる富は唾棄すべきである。又徒らに宝を死蔵して居ると云ふものならば、用を為さないのみならず却て害を為すこともあらうと思ひますが、閣下の如きは実に御富裕で居らつしやる其富を、充分に御利用遊ばすと云ふ状態。而して尚御栄爵を得られ、万人景仰の的となつて居らつしやる。即ち人爵と天爵と両様とも具へられて、斯の如きお人は実に古来稀と存じます。併し斯の如き有徳のお力にした所が、若し御寿命がなかつたならば如何とも致方ないでありませうが、幸なるかな斯の如き偉人に対して、天年を藉して、吾々昨年喜寿のお祝を致すと云ふやうなことに至りました即ち今日の此寿像も先程堀君から述べられたる如く、其記念として調製致しましたものでございます。吾々は尚ほ喜字の祝のみに止まらず、米寿、百歳、其上に次第にお祝を重ねる心得でございます、又それを望むばかりでなく、必ずそれは為し得ることだらうと信じて居ります。願くば此寿像の有らん限りの御寿命をお持たれになるやうに致したい。言換へて申せば、世界の長寿者の新記録をお作り下さることを希望致すのであります。啻に希望に止まらず御見掛け申す所の今日の御状態では、必ず其望が達せらるゝだらうと存じます。聊か此希望、此言を以てお祝辞と致します。(拍手)
 尚ほ序でに一寸申上げて置きたいと思ひますのは、只今式辞に於て堀君が述べられました如く、此有為の技術家五名にお願をしたと云
 - 第44巻 p.282 -ページ画像 
ふことは、多分私共の考では美術奨励の意を以て玆に至りましたことゝ思ひます。敢て話合ひは致しませぬけれども、皆期せずして其意味も含んだことゝ思ひますので、之を一言加へますと同時に、今日此除幕式を挙行するのは妙な時に執行するやうに思召すか知れませぬ。併し如水会館は明年でなくては出来ぬ、然るに此寿像は出来上つた、出来上つた以上は寸時も早く我人共に之に接したいと云ふのは自然の人情である。そこで実に有らゆる美徳を具へたる温乎たる此寿像を早く皆様のお目に触れるやうにして、閣下の高恩を感ずると同時に、又此寿像に接して間接に感化を受くる所の資料となしたいと云ふ趣意で、妙な時にと云ふお感じがあるか知れませぬが、今日此除幕式を行つた次第でございます。念の為め此事を加へて置きます。(拍手)
     男爵閣下の謝辞
 満場の諸君。今日は実に存じ寄りませず斯の如き御席に参上致して玆に自己のことに就て皆様に謝辞を述ぶるの光栄を荷ひます。只今堀君から此寿像建設のことは精しくお申述でございますが、嘗て其五名の彫刻家諸君が宅にお出でゝ私の顔を見ると仰しやつたときには、甚だ鬱陶しいことをして下さる諸君だ、暫くの間其方へ向けとか此方へ廻れとか、却々に――態度を示すとか姿勢を見るとか云ふことで喧しうございました。(笑)殊に私は実はさう云ふやうな未だ学問もなければ徳望もない者、自らそれを期しませんでございまして、室内のものなら未だしもでございますけれども、外へでも曝されるのであつたら、それこそ仮令諸君からどのやうなお小言があつても、是は絶対的に御辞退するのであつたのです。全体銅像は大嫌ひの人間。斯く申すと、総て欧羅巴の銅像まで皆嫌ひか、それ程までに嫌ひではありませぬが、蓋し此銅像は実に国家にあの人あつて始めて大事が出来たとか、此危急存亡の間を維持したとか云ふお人に於て始めて真価がある。甲も乙も丙も丁も甚しきは日本の地域が残らず銅像で塞がる如き有様になることは、ドウゾー止めて頂きたいと希望して居るのでございます。(哄笑)斯様な主義を持つて居りますから、成べく御免を願ひ得れるものならばと考へましたけれども、併し諸君のお取極になつた御希望で、兎に角一方から云へば五人のお方に、或は一の奨励的に私の身体が材料になると云ふものまで、お断りを申すのも如何かと思うて、お請を致しましたことが、遂に斯の如き立派なものとなつて、此処に現はれるに至りましたのは、有難いやら半ばは迷惑やら(笑)、今日はさう云ふことは申しませぬ。迷惑は除いて有難いと云ふことを申します。回顧しますると、商法講習所の昔から、成程此商業教育の是非必要と云ふことは、仮令私が学問に縁の乏しい人間でも、実業を念ふ、実業を重んずると云ふ観念からは、随分力を尽して論じ来りました。其中に或は此学校を斯かる程度に進めたい、斯うありたいと云うて苦心経営したことも一朝一夕ではありませぬから、それらの既往を申上げますと、実業教育に対して多少の心配をした人間だと諸君の賞讚を蒙
 - 第44巻 p.283 -ページ画像 
るも、或は敢て当らぬでもないかも知れませぬが、併し翻つて考へて見ると、此学校に対して大に殊に強く力を入れたお方は、未だ外にあるのです、而も一人ならず二人三人あるやうに思ひます。其人は今は皆故人になつて居ります。私が其人を指して申上げませぬでも、現在のお方は皆心に御記憶なさるでありませう。斯う考へますると、長生ほど得なものはございませぬ。若し私が其時代に死んでしまつたら此銅像は私の為めに設けられぬことゝ考へます。私が七十七になつた、それこそ大手柄で、自分の身体を自分で讚めるのも可笑しいが、併し私の生きたのは私の力ですから、私が讚めても宜いと思ひます。(拍手)唯今成瀬君から福禄寿をお引き下さいましたが、寔にお芽出度いことで、福禄寿は総て世の中に欲しい。七福神の一つでもありまするし、又孟子は天下に達尊三あり爵と歯と徳と申して居ります。福禄寿と少し違ふやうであります。私に稍々其三つが具つた如く仰しやられたのは、是は成瀬君の思違ひ、私は敢て甘受致し兼まする。第一富と云ふものが、成程私は本所深川の貧民長屋にでも居るものと比べたらそれは富んで居りますが、それを云へば諸君皆富豪ですから、私一人を比較せぬでも宜い。若し富む人から比べたら或は私は貧人と云はなければならぬかも知れない。故に此富と云ふ字に付ては甚だ有難いが、どうも充分なるお請が出来ない。又禄と云ふ字は或は位と云ふものを意味するかも知れませぬ。多く爵禄と云ふ字に通ひますから。――すると此人爵は私は卑いもので、又之を受けて居ることは心に心苦しく感じて居ることは決して私は自ら衒ふでもございませず、真にさう思ふて居る。全体吾々実業界には斯様な爵なんぞは要るものではないと思ふ。どうぞ諸君爵持(癪持)にはおなりなさらぬことを希望する。(笑)さらば此三つの中皆嫌ひかと云ふと今の寿――長生だけは是は尊重せねばなりませぬ。試に私が五十で死んだなら斯かる光栄を荷ふことは出来ませぬ。現に私以上に直接本校の為に尽され、又此学校をして斯る度合にまで到らしめた、諸君の最も御記憶に存して、あの人があつたから此学校が斯うなつたとまで云はれるお人がありましても不幸にして此寿を承けることが出来なかつた為に、此光栄に浴することが出来ぬのであります。故に三つの中寿だけは甘受しますが、二つは甚だ残念ながら成瀬君に返上したい。斯く申すと爵も福も総て皆嫌ひの人間かと仰しやるか知れませぬが、さうではありませぬ私は福は大変好む。富も好むけれども、其富たるや唯自分のみが富まぬで世間を富ますと云ふことを主義として居ります、爵と雖も其意味を以て成瀬君の御賞讚に対して或は御請を申し得るかも知れませぬ。重ねて斯の如き光栄を荷ひましたことを深く感謝致し、且つ此同窓会の皆様の色々の御心配に依つて、最も宜しきを得たる方法をお尽し下すつたことを別けて有難く感佩致します。(拍手)
  ○右銅像ハ大正十二年九月一日、関東大震火災ニヨリ如水会館類焼ノタメ破壊シタリ。