デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
1節 実業教育
2款 東京商科大学 付 社団法人如水会
■綱文

第44巻 p.309-314(DK440070k) ページ画像

大正15年11月14日(1926年)

是ヨリ先、如水会館復興建築竣工ス。是日、同会創立記念日ニ当リ、同会館ニ於テ開館式ヲ挙行ス。栄一出席シテ祝辞ヲ述ブ。式終ツテ如水会ノ鋳造ニ係ル栄一ノ寿像除幕式行ハル。栄一出席シテ謝辞ヲ述ブ。


■資料

如水会々報 第三三号・第六頁大正一五年八月 定例役員会 七月九日(金)正午開会(DK440070k-0001)
第44巻 p.309 ページ画像

如水会々報 第三三号・第六頁大正一五年八月
    ◇定例役員会 七月九日(金)正午開会
      議案
○中略
四、渋沢子爵記念事業の件
 ○寄附金を以て同子爵の胸像を復興すること
 ○其設計等は倶楽部委員会に委託すること
 ○若し資金に余裕あらば二基鋳造し一は母黌に安置すること
 ○右鋳造は開館式に間に合はすこと
○下略


如水会々報 第三六号・第四頁大正一五年一一月 渋沢子爵寿像除幕式御案内(DK440070k-0002)
第44巻 p.309-310 ページ画像

如水会々報 第三六号・第四頁大正一五年一一月
    ◇渋沢子爵寿像除幕式御案内
拝啓、秋冷之候益々御清適奉賀候、陳者母黌の創設者にして且つ其擁護者たる渋沢子爵が、今日猶矍鑠として母黌は勿論国家社会の為大に尽瘁せられ居候段御同様慶賀の至りに存候、昨秋九月母黌の創立五十週年記念全国社員有志晩餐会の開催せらるゝや、其席上満場一致賛成の下に発起せられ候同子爵記念事業企画の趣旨に基き、今夏以来美術
 - 第44巻 p.310 -ページ画像 
家堀進二氏に依頼して製作せられたる同子爵寿像二基の内、本会々館内に安置せらる可きもの(他の一基は母黌新講堂内に安置の予定)已に其鋳造完成を告げ候に付、来る十四日開館式当日午後正四時同子爵親しく御賁臨の下に、右除幕式施行致候間奮つて御参会被下度、此段得貴意候 敬具
  大正十五年十一月一日
                   社団法人 如水会
    社員各位
   ○同寿像ハ如水会館倶楽部室ニ安置ス。


集会日時通知表 大正一五年(DK440070k-0003)
第44巻 p.310 ページ画像

集会日時通知表 大正一五年       (渋沢子爵家所蔵)
十一月十四日 土 午後四時 如水会館開館式及青淵先生寿像除幕式(同会館)


竜門雑誌 第四五九号・第八九頁大正一五年一二月 青淵先生動静大要(DK440070k-0004)
第44巻 p.310 ページ画像

竜門雑誌 第四五九号・第八九頁大正一五年一二月
    青淵先生動静大要
      十一月中
十四日 ○中略 如水会館開会式並青淵先生寿像除幕式(如水会館)
   ○大正十二年九月一日ノ関東大震火災ニ一橋ノ如水会館モマタ類焼セリ。依ツテ約二十三万円ノ経費ヲ以テ修理ス。大正十五年起工シ同年十月三十日落成ス。(「如水会々報」第三七号第二―三頁ニヨル)


如水会々報 第三七号・第一―一一頁大正一五年一二月 会館復興成る 開館式の記(DK440070k-0005)
第44巻 p.310-312 ページ画像

如水会々報 第三七号・第一―一一頁大正一五年一二月
    会館復興成る
      ――開館式の記――
 「お芽出度う、お芽出度う」の言葉が、集つた五百有余の人々の口口に交される。今日大正十五年十一月十四日は本会創立の紀念日に重ねて、復興せる新会館の開会式と母校の恩人渋沢老子爵の寿像除幕式とを挙行する此上ない芽出度い日なのである。橋畔の巨人は満三年の眠より覚めた。荘麗比ひなき我会館は、久し振りに其大門扉を開いて数百の同人を吸ひ込んで居る。晩秋の薄暮燦々たる電光に輝く我会館の内に、千坪に近き此の巨屋の内に、喜びに集ふた同人の群は、予期以上に結構を極めた新会館の模様に先づ驚き、次に喜び、知るも知らぬも相顧みて「お芽出度う」の祝詞を交換し、三々五々館内を見て廻る内に、正四時の開会の時刻は迫つた。鈴が鳴る。一同は粛々庭上に仮設された天幕張りの式場に着席した。
 正面の壇上には来賓渋沢老子爵を始め、佐藤博士・堀進二氏其他役員の連中が着席した。伊藤常務理事の開会の辞に次いで、藤村建築委員長は立つて一場の報告演説を試みた。少々長いが其演説内容は此の会館復興事業に関して委曲を尽して居る故、御参考迄に左に掲記する
  ○藤村建築委員長報告・佐藤工学博士報告・江口理事長式辞略ス。
 理事長の需に応じて立たれた渋沢老子爵は、次の如き祝辞を下された。
    ○渋沢子爵祝辞
 - 第44巻 p.311 -ページ画像 
 会員諸君、斯る祝賀すべき最もお目出度い席に、老衰ながら参上致して一言を申し得られることは、此上ない光栄に存じます。教育に造詣のある身柄でもありませぬし、又今日は実際と離れて全くの隠居、唯多少社会事業の事務を執りつゝあるのでございますにも拘らず、如水会に於ては震災後の修繕が調つて、斯の如き前会館に優る物が出来たに付て是非開館の式に出て一言の意見を述べろと云ふ幹部の方々からの御要求でございました。従来私は此会館に対しては御同情を寄せて居りまして、実は「君子之交淡如水」と云ふ字を拙筆で書いて上げた、それが焼けたに付て更に書けと云ふことで復た拙筆を揮ふたと云ふ関係もございます。唯単に粗末な字を書いたばかりではございませぬ。唯今江口君の御述べになつた通り御同様、あなた方と私が老人になつたと云ふ意味ではありませぬ。併し同じ商業社会の人として、五十年の間にどう変化したかと云ふ事は、私が喋々せぬでもお判りのことで、江口君の段々に我々の社会の地位が進んで来るのは、畢竟我々自ら進みつゝあると云ふことを自覚せねばならぬと云はるゝのは全く其通りでございます。若し如水会館の如きも震災の不幸に遭つた為に何時までも再興が出来ないと云ふ話であつたならば、唯一つの会館であるから、此為に世間が何と言ふか判らぬ、決して是が向上発展とは云はぬであらう。勿論知識の増し、人格の進み、社会から受け得る待遇の恥かしからぬ有様になることは必要でありますけれども、待遇を受けるには必ずそれだけの素地なくして受ける訳にはいかぬ。即ち皆様のお力に依つて、前より更に優れた如水会館が、其間に何等の行違ひもなく、立派に出来上つたと云ふことは唯会館一つのことではあるけれども、それ自身が即ち我々商業界に明を与へ人格を進めると云ふことに相成ると申しても、決して過言でなからうと思ひます。凡そ物事は志と仕事と両者相進んで世に重きを成されると云ふことは、古人の我々によく教へて居ることで、知るばかりではいかぬ、又行ふのみでもいけない、故に知ると行ひと両者進んで初めて世に重きを成す。我が商業界は其以前弊害は多少あつたかも知れない、其弊害も唯単に自己に関すると云ふ位であつた、制度の悪かつたことも原因しますけれども、併し商工業者が自ら卑める為に、人之を卑めたと云ふことは争ふべからざる事実と思ひます。試みに維新以来六十年の進歩を見ると、決して御同様に世の中から蔑視されると云ふ事はない。斯の如きものが出来たことは、諸君は世間に十分なる面目をお保ちなさるではありませぬか。唯単に如水会のみでない、如水会の会員たる商業に従事する諸君の社会に於ける地位は如何であるか、斯の如き面目をお保ちなさると云ふことは申す迄もないことだと思ひます。
 私は斯る席に於て、講釈じみた事を申上げるのは失礼かも知れませぬが、道義と精神との両者を一致させると云ふことは甚だむつかしいのであります。他の言葉を以て申しますと、仁義道徳と云ふことゝ、生産殖利と云ふことは、全く両者を混合して世の中を進めて行くに於て、初めて我々商工業者の地位が高まる、又利が著しく進むのであります。若し利益のみさとつて、唯それだけに存するならば、互に相争ふことにのみ趨つて、国家は完全なものでないと云ふことになりはせ
 - 第44巻 p.312 -ページ画像 
ぬかと虞れるのであります。然らば精神だけを主として所謂高くとまると云ふことで、品格は良いにしても国家の経済、理財が完全に進まなかつたならばそれこそ武士は食はねど高楊子で、社会から尊敬を受けることが出来ないばかりではない、或は軽蔑されるでありませう。故に経済と云ふものは甚だ必要、其経済を進めて行くには学問知識が最も必要である、併しそれに依つて人格を高め之を十分に維持すると云ふことの一つは精神である、其精神は何に依つて涵養するか、仁義道徳ならでは完全なる精神を維持して行くことは出来ないと思ひます六十年の今日実業界が進歩した。実業に従事する方々が世の中から尊敬を受けると云ふことになりましても、まだ経済と道徳が一致した世の中になつたとは申されぬやうでございます。此如水会が斯の如き復興を見たことは如何にも嬉しうございます。決して経済界は震災に遭ふて居ない。併ながら斯の如き有様に依つて未来の希望を致しますと甚だ斯るお席に応はしからぬ申条でございますが、理財と道徳の一致と云ふことでございます。其希望を併せて申上げるのでございます。
 立戻つて、如水会は斯の如く立派に復興をして、即ち実業界の力強いことを社会に御示し下すつて居ります。私は従来関係した事柄でもあり殊に有難く感じますから、玆に悦んで唯単に祝辞のみならず、併せて御礼を申上げます。
 老子爵は其御元気な演説を終られるや、更に血気の壮者にも勝るお声を以て万歳の発声を勤められた。
 天皇 皇后 両陛下万歳 万歳 万歳
 摂政宮殿下 万歳 万歳 万歳
 かくて老子爵には最後にお芽出度うの言葉を残して席に復され、伊藤常務理事は神戸支部其他よりの祝電を披露したる後、開館式終了の旨を告げて芽出度閉会したのは五時を過ぐる数分であつた。引続き老子爵寿像除幕式に移る。


如水会々報 第三七号・第一二―一三頁大正一五年一二月 老子爵の温顔を拝す 渋沢子爵寿像除幕式の記(DK440070k-0006)
第44巻 p.312-314 ページ画像

如水会々報 第三七号・第一二―一三頁大正一五年一二月
    老子爵の温顔を拝す
      ――渋沢子爵寿像除幕式の記――
  開館式の芽出度く終了するや、引続き老子爵寿像除幕式が挙行された。伊藤常務理事開会の辞を宣し、老子爵令孫昭子嬢は進んで壇上正面に安置された寿像の前に立ち、紅葉の手に綱を引けば紅白の幕は見事に撤せられ、堀進二氏苦心の労苦に成る老子爵寿像は会衆の前に其英姿を現し、一同拍手を以て之を迎へた。江口理事長即ち立つて次の式辞を述べた。
      ○江口理事長式辞
 今日の芽出度い開館式の当日に、渋沢子爵の御来臨を願ひまして、御寿像の除幕式を行ひまして、殊に御令孫のお手づから綱をお引き下さいましたことは諸君と共に欣幸に堪えぬ所でございます。
 実は昨年の九月に母校五十年の祝典のありました場合如水会の大会のございました時に、我々は子爵閣下を如何にもお慕はしく思ひまして、何とか此際に記念の意を表はす方法はないだらうか、何か記念の
 - 第44巻 p.313 -ページ画像 
事をしたいものだと云ふやうなことから満場一致可決致しまして、色色な相談の結果、曾て大正六年に子爵七十七歳の御祝、所謂喜の字のお祝ひのあつた場合に寿像を鋳造致しましたが、大震災の為にあゝ云ふやうなことになりましたので、何とかしてもう一つ鋳造したいと云ふことに話が纏りまして、二基の寿像を鋳造致しまして、一つは如水会館に安置し、一つは国立の方に出来ます商科大学の講堂に安置したい、斯う云ふことになりまして、こちらの方のは早く出来ましたのでございます。丁度此際に除幕を致しますことの出来ますことは悦ばしい事であります。此寿像は当時如何にも渋沢子爵に酷似して居つたと云ふ評判でございましたが、唯今渋沢子爵の御面前で比較致しますと非常によく似て居ります。是は渋沢子爵閣下が如何にも御健全で、十年前も今日も少しも変りがないと云ふことを現はして居ることではないかと思ひます、我々は尚ほ重ねて再びお喜びを申上げる時があらうと思ひます。今日は洵に喜ばしき感じを申上げまして、御祝を申上げる次第でございます。
  江口理事長の先導にて老子爵は再び壇上に立たれた。長時寒風裡に坐せられたに拘らず、不相変壮者を凌ぐ御元気にて挨拶を述べられる。
      ○渋沢子爵挨拶
 殆んど感極つて涙を以て感謝するの外ありませぬ。私の胸像を更にお拵へ下すつて、此開館式に併せて除幕をして下さると云ふことは何等の光栄でありませう。前にも申上げます如く、私は諸君に対して教鞭を執つたと云ふこともなければ、教育に対しては何等関係がないと申さなければならぬので、唯併し想ひ起すと今の商科大学になつた其昔は、敢て其任でないでありませうけれども、商法講習所と云ふ変な名に依つて発端したので、其頃ほひに私は無学でありながら、商業に対しては完全な教育がなければいかぬと云ふことを深く感じまして、此事だけは熱心に思ふた、思ふたばかりでなしに此事に力のある限りを尽したのでございます。是れだけは或は今日も尚斯る光栄を荷ひ得るかと思ひますが、私の其昔の観念が誤らない、此為に九十に近くして大に安んずるやうに思ひます、今此胸像を拝見しますとよく似て居る、江口君の仰しやる通り、私でさへ何方が渋沢か分りませぬ、どうぞお見くらべを戴きたうございます。
  大拍手裡に老子爵の挨拶は終り、本会一の長老成瀬隆蔵君立つて祝辞を述べた。
      ○成瀬隆蔵君祝辞
 今日は開館式に渋沢子爵が御臨場下すつて、玆に除幕式を行ひました。而も時は夕刻である、あなた方も竜門会に居られる方は御承知でありませうが、近頃渋沢子爵閣下は夜分或は夕刻などにはお出にならないやうに、御一族は勿論我々も亦国宝とも申すべき子爵閣下はお身体をお大事になすつて下さらなけばならないのでありますが、流石渋沢子爵も側がやかましい為に夜分は滅多にお出かけがない。然るに今日は御臨席下すつて先程も祝辞をお述べ下さり又我々の最も服膺すべき事をお述べ下すつた。是は諸君と共に服膺しますと云ふことを誓ひ
 - 第44巻 p.314 -ページ画像 
たく思ひます。是は必ず御同感でゐらつしやらうと思ひます。而して除幕式のあとで江口君から十年前の渋沢閣下と同じやうだ、斯う言はれました。真にそれはさうでありますが、渋沢子爵閣下は自分の身体を虐待するお方でありますから、相当に十年前はお年を召したのでありますが、前申上げます通り唯今は御親族其他からも、幾ら御健康であらうとも矍鑠としてゐらつしやらうとも、御養生あるやうにと云ふのでありますから、是からは虐待を恢復する、従前よりは遥にお若くおなりになりはしないかと思ひます。さうして子爵閣下の為に私が万歳を唱へる役目に当りました。世間に斯う云ふ場合に万歳を唱へるのも余り気が乗らないで唱へる場合がある。然るに渋沢子爵閣下に対しましては真に心の底から万歳を唱へることの光栄を有しましたのは真に愉快に堪へません。
  かくて成瀬君の音頭にて一同は老子爵の万歳を三唱した。
 渋沢子爵閣下万歳 万歳 万歳
 伊藤常務理事の閉会の辞に依り除幕式の儀も芽出度終了した。時に午後六時数分。


如水会々報 第三七号・第二九頁大正一五年一二月 本会代表者渋沢子爵邸訪問(DK440070k-0007)
第44巻 p.314 ページ画像

如水会々報 第三七号・第二九頁大正一五年一二月
    ◇本会代表者渋沢子爵邸訪問
十一月十四日の開館式及寿像除幕式の際、渋沢老子爵には老躯を押して御出席下され、寒風裡に終始御着席下さつたばかりでなく懇篤なる御祝詞まで下され、尚又式後の祝宴にも御臨席下さつた其の御芳志に対する御礼の為めに、藤村理事・土肥幹事の両氏は本会を代表して翌十五日午前子爵邸を訪問し、拝眉の上親しく御礼を申述べた所、子爵よりは「結構な寿像を作つて頂いて、寧ろ自分から御礼に参上す可きに」との謝辞あり、尚会員諸氏に宜敷御伝言乞ふとの御言伝があつた相である。