デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
1節 実業教育
3款 神戸高等商業学校
■綱文

第44巻 p.404-407(DK440081k) ページ画像

明治44年5月17日(1911年)

是日栄一、関西旅行ノ途次当校ヲ訪レ、生徒ニ対シ演説ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第二七六号・第六〇頁 明治四四年五月 ○青淵先生関西旅行(DK440081k-0001)
第44巻 p.404-405 ページ画像

竜門雑誌 第二七六号・第六〇頁 明治四四年五月
○青淵先生関西旅行 青淵先生には女子教育普及の目的を以て、大隈伯爵・森村市左衛門及び女子大学校長成瀬仁蔵の諸氏と共に、去五月十四日午前八時三十分新橋発列車に便乗出発、左の日程を以て各地を巡回し二十二日帰京せらるゝ予定なり。
    青淵先生関西旅行日程
 五月十四日(日)前八時卅分 新橋発 大阪滞在
 同 十五日(月) 同上
 - 第44巻 p.405 -ページ画像 
 同 十六日(火)     同上
 同 十七日(水) 神戸行 同上
 同 十八日(木) 岡山行 岡山滞在
 同 十九日(金) 津山行 同上
 同 二十日(土) 倉敷発 京都滞在
 同 廿一日(日)     同上
 同 廿二日(月)     帰京

渋沢栄一 日記 明治四四年(DK440081k-0002)
第44巻 p.405 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四四年         (渋沢子爵家所蔵)
五月十七日 曇 軽寒
○上略 十二時神戸ニ着、東亜ホテルニ於テ午飧シ、後水島氏ノ請求ヲ容レテ高等商業学校ニ抵リ、一場ノ演説ヲ為ス ○下略


竜門雑誌 第二七九号・第一七―二〇頁 明治四四年八月 ○神戸高等商業学校に於て(DK440081k-0003)
第44巻 p.405-407 ページ画像

竜門雑誌 第二七九号・第一七―二〇頁 明治四四年八月
    ○神戸高等商業学校に於て
  本篇は去五月青淵先生が関西旅行の際、神戸高等商業学校学生の為に、同月十七日同校講堂に於て演説せられたるものなり。(編者識)
 久々にて本講堂に於て諸君に御目に掛るのは誠に悦ばしい、去る三十九年と昨年今日とで都合三度、本講堂に於て御話をするのであります、唯今校長の御紹介の中に、私が大変忙しい中を来つた様に申されましたが決して其程忙しい訳ではありませぬ、併し今日三時半からは他へ参らねばなりませぬから其積りで御聴きを願ひます。
 本校は幸ひ良校長の御指導の下に年一年と拡張せられ、又十分行届いた教育を施されますのは真に結構なことであります、諸君の中には軈て卒業の人も有らう、又規定の年月を終へてから学校を去られる方もあらう、併し皆何れも私共と同様な境遇に入り実業の方面に活動せられるのであるから失礼乍ら恰も自分の子か孫の如く思ひ、一日も早く立派に卒業して経済界に出られん事を衷心願つて居る、で本日は第一に諸君と共に悦ぶべき事を申し上げ、次に国家社会の為めに憂ふべきことを申述べる積りであります、実に世の中の事は年を逐うて進み行くものである、勿論其間に一張一弛は免れざるも兎に角過去三・四十年前の有様に較ぶる時は年により遅速の差こそ有れ、一般に商工業其他凡ての事物が大に進歩して居る、三十九年の夏私が朝鮮旅行を了へて帰つた頃は大戦争後の事と曰ひ諸種の事業は総て調はぬ有様であつた、其時の朝鮮はまだ他国であつたから自分等大いに肩身の広い様な感がした、然るに今日では最早我国の一部となつて居る、此れ確かに政治上の大進歩である、而して其朝鮮の商工業も同様に発達したとは謂ふ事を得ぬが大いに変化したには相違ない、又外国貿易に関する海関税の如きも改正せられて自由の権利が十分に保護せらるゝに至り日米新条約の締結、日英同盟の拡張も行はれて愈々其鞏固を加へた、以上は政治上の悦ぶべき事柄であるが、此を経済界の方面に見るに我国の公債は四十年に大に下落し、折柄鉄道の国有も行はれ十七会社の鉄道は挙げて政府の有となり、是れが為め日露戦役による国債十数億
 - 第44巻 p.406 -ページ画像 
の上に更に五億の国債を増すに至つた、夫れより以後は我公債は次第に其価を減じ、四十一年には七拾円台に迄下落し、外国市場に於ても亦斯る有様で、為に我国の信用を傷けた、私は此を銀行業の立場より大に憂ふべきものとなし、戦後の経営に関し大に政府に建議する処有らんとし、豊川・原・園田・早川等の諸氏と共に、時の首相西園寺侯を其病室に訪ひ、侃々諤々の論をなした、併し是決して鉄道会社の提灯持をした訳でなく、真に国家のため憂に耐えない処があつた故である、時の内閣も此主旨を是認はしたるものゝ直に実行するに至らずして、翌年六月桂内閣成るに及び再び之を建議した、其結果桂首相は遂に其十月手形交換所の大会に代理として後藤逓相を出席せしめられ、該件に関して其処置の要領を公言せられた、爾後十数月にして公債の価格は回復した、換言すれば利子は低落して金融は緩慢を告ぐるに臻り、銀行にては孰も大抵年利六分以下にて貸出をなさゞるべからずと云ふが如き有様となつた、如斯金利の低落したるが為めに、銀行にては其れ丈数でこなすといふ風に取引の数を増加し甚だ活気を示して来た、斯く一方に関税の改革は行はれ、金利は下落し、外国貿易も大に順境となつた、只税政の整理未だ行はれざるが為めに、商業上にも十分なりとは謂ふを得ざるも、此を数年前の状態に比すれば経済界は大に其面目を改めたるものと曰ふべきである、而して諸君は此の如き時代に学問せられ、卒業の暁には大に事業を経営せんとせらるゝは誠に幸福至極であるから、其御積りで今より待たれよと申したい、如斯万事都合よく一の憂ふ可きもの無きが如きも其実は決して然らず。
 凡そ事物は各種聯絡して進むに非れば不可なり、若此の聯絡を欠く時は仮令或る事は進歩するも未だ満足と謂ふを得ぬ、例令世間の事物は大きく成るが宜いと謂ふたとて、無暗に独活や竹の子の様に俄かに大くなつたり又頭のみ大きくなりて手足は小さく彼の福助の様では決して喜ぶ可きものでない、大小長短総て其権衝を要するのである、国運の発展、事物の進歩も一方に此れを維持して行くに適当なる丈其国民の精神修養が進んで居るか、勿論学生諸君は現に学校に居らるゝから此種の欠点はない、然し現今の社会狭く申せば実業界、広く申せば国民全体が前に申す通り、一方に於て悦ぶ程他方に此れを維持するに足るべき人格が進んで居るかと問うたら、否と謂はざるべからずと思ふのである、私は政事界の事に就ても総ての事物の進歩せる如く精神上も同じく進歩せるや否やを疑ふ。
 私は現今の政府当局者とは営業上相当の関係を有し、一朝事有らば公債等に就きては私共の意見を求めらるゝのである、併し私の意見が完全に採用せらるゝものとは思はれぬ、実に今日は中央集権の弊が見ゆる、公債政策の如きは大に改良せられるも、三十七・八年戦争の結果新に二億に近き臨時税を増して未だ之を整理せぬ故に完全なる財政制度と曰ふを得ぬ、又兎角政府万能を夢み民業を抑圧せんとする傾向がある、現に鉄道国有の主旨の如き物価の平均を得せしめ、実業に利益を与へん為め経済上必要なりと言ふにありき、然るに事実は之に反して或は民間の鉄道と競争をなし、或は其運賃の引下を禁ずる等甚だ面白からざるものあり、同時に官吏の多数は自己の責任を避け自己さ
 - 第44巻 p.407 -ページ画像 
へ過失無くば宜しいと思うて執務する、実に奉公人根性の極と言ふべきである、総ての官吏の職務を執るには世の利益を第一とし、自己の過失の如きは此を第二に置き委任せられたる職務は奈何にせば最も好きかを考へてやると謂ふ覚悟を要す、此覚悟ありて始めて其職に忠なる者と謂ふ可きである、然るに前述の如く一般の官吏に此覚悟無く自分さへ宜くば他は那様でも構はぬと云ふ風である、加之近頃は官尊民卑の弊は復古したる有様である、尚官途の事に就きては述べ度事多きも此処では恰も的なきに箭を放つが如き感あれば此位にて止めて置きます。
 斯く私共が憂慮する弊風は啻に官途のみならず、学者・政事家・実業家にも常に商業道徳を唱へ、此れが発達普及に努めて居るが未だ十分の効果有りとは申されぬ、自己の利益のみを心掛け世を益すると否とは恬然之を顧みざるは今日普通の事にて、甚きは他人を苦めて迄も私利を計らんとする者がある、例之株式会社は一人の力一人の資本にては十分ならざるため起すものなるに、重役の中には自己の利益の目的にのみ此れを設立し、或は自己の喰物となし甚しきは会社の金を消費するが如き不道徳をなす者近時頻りに曝露し、為めに株式会社は罪悪を犯す道具なるかの感を世人に懐かしむるに至れり。
 以上は現今世に立てる老成人に関して申したるが、現時の青年諸君には左様なる事はないと信ずる、去りながら青年とても凡ての方面に於て完全なりと謂ふを得ぬ、自己の身に高尚なる志望を有す事は宜きも、此れに適当する丈の勉強をなさゞるの弊あり、又活溌敢為又は質朴の風に乏しき様なり、私共は昔の教育を受けた者で諸君とは学術を争ふ訳には行かぬ、又唯独り漢学に於て諸君に敗を取らざる覚悟ある許りなり、私共の青年時代には今日の青年の様な行動は尠く寧ろ乱暴と謂ふべき程であつた、只今日青年は其精神が鞏固でないと思ふ、而して此風習は一般の社会にも実業界にも認めらるゝ、斯の如く天下の青年が軟弱になり行くとせば実に憂ふべき事で、此儘には捨て置かれぬと思ふ、上述の諸点に付き是を外国に比較して奈何であるか、我国は過去四十年間に於て凡ての事業が数倍十数倍の進歩を遂げて居るならば夫は悦ぶべきである、併し世上の事が皆同様の割合で進歩したとは言はれぬ、例之都会の人口は増加するも田舎の人口は増加せず、商工業は発達するも農業は否らずと言ふ如き有様である、此れ外国に比すれば果して如何。
 諸君は第二期の実業家として事業経営の任に当る人なれば、上述の如く大に悦ぶ可き事と大に憂ふべき事とを深く観察し、而して其悦ぶ可き事は大に悦び、其憂ふべき事は然る所以を研究して社会に出で活動するが宜しい、又内に在て学ぶ諸君も能く社会の状態を知り、学術の研究と精神の修養とに努めて、他日の準備をなされん事を切に希望す。(拍手大喝采)