デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

大正7年5月5日（1919[1918]年）

是ヨリ先、当校校長市村芳樹、引退ス。是日、名古屋市国技館ニ於テ謝恩式挙行セラル。栄一之ニ臨ミ、祝辞ヲ述ブ。

集会日時通知表　大正七年　　　　　　　　（渋沢子爵家所蔵）
五月五日　日　午前九時　市村氏謝恩会（国技館）
　　　　　　　午後　　　市村氏ノ為ニ宴会

竜門雑誌　第三六〇号・第七八―七九頁　大正七年五月
○市村名古屋商業学校長謝恩会　名古屋市立商業学校長市村芳樹氏は勤続三十年に及び且つ年齢五十歳に達したるより、今回引退する事となりしにより、同校卒業生約四千名より成れる謝恩会にては五月五日
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同市国技館に於て謝恩式を挙行したるが、当日の来会者約三千名、恩師に公債証書額面拾万円の目録を贈呈したる由なるが、この日青淵先生は同氏の為め特に同地に出張臨席せられ、一場の祝辞演説を述べられたりと云ふ。

竜門雑誌　第三六一号・第六九頁　大正七年六月
　　　　○青淵先生　愛知三重両県下旅行記事
青淵先生が令夫人同伴にて五月四日西下せられたるは既報の如くなるが、右に付き各都市に於ける諸新聞紙は筆を揃へて青淵先生の消息を伝へ、或は歓迎辞を掲げ、或は講演を詳記して、以て先生の人徳を崇敬愛慕せざるなし、依つて左に其一般を掲げて先生の行を偲ぶこととせり。（前号雑報日程参照）
　　　　　　○市村校長謝恩会
　市村名古屋市立商業学校長の退職記念の謝恩会は昨五日午前九時半より国技館に於て開会さる。来会者は渋沢・中島両男爵、松井知事佐藤市長以下商業学校卒業生、女子商業卒業生、市内在住の名誉職実業家等凡て三千余名にして、吉田政三氏謝恩会の謝恩会式辞、藤村義苗氏の後援会式辞、加藤勝太郎氏の謝恩の辞ありて市村校長に対し公債証書額面拾万円の目録を贈呈し、次で来賓として岡田文相（松原警察部長代読）松井知事、佐藤市長、山岡大阪商業会議所会頭、渋沢男爵、名古屋商業学校商友会員総代八木道三氏の祝詞演説あり、更に寺内首相、牧野・清浦両子爵、小山健三氏其他よりの祝電披露あり、最後に市村氏は最も謙遜なる態度にて簡単なる謝辞を述べ、盛会の裡に正午散会せり。当日渋沢男爵の祝辞大要左の如し
　我国商業界の発展を回顧すれば、誠に今昔の感に堪へず、明治二十年頃迄は商業教育の如きは全く軽視され、大学出身者は凡て官吏となるにあらざれば教師となりたり、而して有識者階級も軍事と政治に重きを置き、実業的施設に就ては殆んど考ふるものなかりし程なり、然るに時勢の変転は遂に今日の商業教育の旺盛を致せるが、併も現在の大勢を見るに、実業が富を造ると共に徳義の点に於て欠如せるは世界共通の弊害なり、商業を奨励するも単に富を得るのみにては不可なり、之に加ふるに高尚なる人格の養成を以てせざる可からず、今回の謝恩の挙は実に異数とす可き美挙にして慶賀の至りに堪へず、孔子は徳不孤必有隣と云へり、市村氏は広き隣りを有せり、名古屋人士も亦全国に隣を有する覚悟を要す、云々（名古屋日報其他）
○下略

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市村先生語集　杉浦太三郎　編　附録・第四二―四八頁　大正一五年一二月再版刊
　　　　　　　伊藤惣次郎
　○第五　市村先生謝恩式
　　　　（六）　渋沢男爵祝辞
知事閣下満場ノ諸君、斯ノ如キ空前ノ美挙ニ対シテ、玆ニ祝辞ヲ申上ゲルノヲ私ハ此上モナキ光栄ト存ズルノデゴザイマス。畢竟市村校長ノ商業教育ニ対スル堪能ノ働キト、又従来忠誠ヲ以テ其事ニ当ラレタ徳沢ノ普ネキ所トガ其原因ヲナシタノデゴザイマセウガ、之レニ加フルニ、当地方ノ商業教育ニ生立ツタ諸君ガ此師ノ恩ヲ厚ク御感ジニナツテ、申合ハサレテ玆ニ斯ノ如キ事ヲ企テラレタノト相俟テ、実ニ空前ノ美挙ガ此所ニ顕ハレタノデゴザイマス。此事ニ関シテ唯今ノ謝恩ノ辞ハ寔ニ至レリ尽セリ、言葉短カニシテ其ノ情ノ言ヒ尽サレテアルヤウニ拝聴致シマシテ、皆様ノ御感ジハ左様デアツタカト云フ事ヲ此席ニ於テ承知致シテ実ニ奥床シク感ジマス。続イテ文部大臣閣下ノ御叮嚀ナ御祝辞ガゴザイマシタ。殊ニ唯今松井当県ノ知事閣下ガ、御懇篤ニ或点カラハ御訓示ノ意味ヲ以テ祝辞ヲ御述ベニナリマシタガ、夫レヲ拝聴シテ、左様ニ県治ニ就テ御心ヲ労セラレルカト余所カラ参ツタ私モ深ク喜バシク感佩致シマシテゴザイマス。私ハ教育上ニ大ニ関
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係ヲ有ツテ居ルモノデモゴザイマセヌ、何等官職アル訳デモナク、此御席ニ出テ祝辞ヲ申スノハ勿論無資格ナ人間ト申サナケレバナラヌノデゴザイマスケレドモ、御案内ヲ戴イテ、後援会ノ諸君トモ御懇親ノ厚イ為メニ此美挙ニ賛成致シマシタ一人トシテ又広イ商業教育ニ関係ヲ有テ居ルノ故ヲ以テ、斯カル際ニ出テ一言祝辞ヲ申スノハ是非望ムト云フ皆様カラノ御希望ガゴザイマシタカラ、前ニモ申ス通リ深ク喜ビ居リマシタ事故ニ、是非出タイト御受ケヲ致シテ即チ爰ニ参上致シマシタ訳デゴザイマス。斯カル機会ニ於テ、我帝国ノ商業教育ハ如何ナル沿革ニ依テ今日ニ及ンダカト云フ事ヲ概略申上ゲルノハ、或ハ相当ナ事デハナカラウカト考ヘマス。蓋シ教育ノ事デゴザイマスカラ其局ニ当ツタ人ガ精シイ事ヲ知ツテ居リマセウガ、商業教育ニ於テハ局ニ当ラヌ私モ相当ニ知悉シテ居ル積リデゴザイマスカラ、此場合ニ於テ一言申述ベテ見タウゴザイマス。
大政維新ノ後ニ、百般ノ事物ガ国ガ変ツタ如クニ進歩発展致シマシタ事ハ、帝国臣民トシテ満場ノ諸君ト共ニ深ク感佩セネバナラヌ事デゴザイマスガ、其原因ハ何デアツタカト申スト、明治初年ノ五ケ条ノ御誓文、是ガ日本ノ今日アラシメタト申上ゲテ決シテ過言デナイ。而シテ其中ニ智識ヲ世界ニ求メルト仰セラレタ、此智識ヲ世界ニ求メルト仰セラレタ事ハ即チ学問ヲ進メルト云フ事デアル。其学問モ唯ダ東洋式亜細亜範囲ノ旧道徳バカリデハイカヌ、智識ヲ世界ニ求メルト云フ事ハ其趣意デアリマシタ。政治ニアレ軍事ニアレ教育ニアレ、総テ其方針ニ依テ我帝国ノ百機皆挙ツテ参ツタノハ宜イガ、唯ダ悲シイ哉、聖天子ハ左様ニ御思召サレテモ実業上ノ教育ニ付テハ、明治ノ初メニ左様ニ注意ガ届イタト申上ゲ兼ネルノデゴザイマス。或ハ局ニ当ツタ御方ハサウ云フ念慮ヲ有ツタカ知ラヌガ、一般ノ商工業者ハ旧幕府ノ制度デ教育ハ殆ド先ヅ皆無ト云ウテ宜シイノデアリマスカラ、到底其智識ヲ求メル順序ヲチツトモ知ラナカツタ。商売往来ト塵劫記デ世ノ中ヲ送ツタ工業家ヤ商人ニ迚モ商業教育ノ注意ガ届クベキ訳ガナイ。而シテ其指導ノ位置ニ立ツタ役人ハドウカト云フト、等シク其仲間デアリマシタカラ、商業教育ト云フモノハ悪ルク申スト白イモノカ黒イモノカ知ラナイト申シテヨカツタ。殊ニ政治ニ大変革ヲ起シタ直グ真先キデアリマシタカラ、人心ハ名誉ト利益ニ進ムガ一般デ平素全ク政治上ノ観念ガ強クシテ、学問ト申スト先ヅ政治或ハ軍事、此ニ途ニ全ク力ガ向イテ参ツタノデゴザイマス。論ヨリ証拠、今現ニ東京高等商業学校ガ千数百ノ生徒ガ這入ツテ、唯一ナル商業教育ニ相成リマシタガ、明治二十年迄ハ左迄商業教育ト云フモノニ国家ガ力ヲ御入レナサラナカツタト申サナケレバナラヌ。初メハドウ云フ事カト云フト、森有礼ト云フ御方ガ亜米利加ニ於テ「ビジネス・スクール」ト英語デ申ス即チ商業教育デアル夫レヲ起サネバナラヌト云フ事ヲ企テマシタノガ明治七年デアル。而シテ之ヲ自家ノ経営ニシテ企テヤウト思ヒマシタガ、何分費用ガ足ラヌカラ東京ニ於テモ個人ニサウ云フ力ヲ添ヘル事ハ出来マイケレドモ――東京ハ其頃市ト云フモノデハナク――東京府ニ於テ幾分助力シテ呉レロト云フ事ヲ、府知事デアリマシタ大久保一翁ト云フ人ニ申シテ参ツタノガ、抑モ商業教育ノ発端ト申シテモヨ
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カラウト思ヒマス。玆ニ於テ森君ノ私ノ経営ニ対シテ、東京府ノ或一種ノ共有金ガアツテ、其共有金ノ一部ヲ以テ之ヲ補助スルヤウニ致シマシタ。即チ今ノ高等商業学校ノ抑モ初メガ夫レデ成立チマシタノデゴザイマス。続イテ其学校ニ亜米利加カラ「ホウイツトニー」ト云フ先生ガ参リマシタ。日本ノ方デハ森君トノ個人ノ関係カラ矢野二郎氏ガ其校長ト云フ位置ニ立テ、其教育ニ従事スルヤウニナツタノデゴザイマス。今日謝恩会ニ於テ御当地ノ学校出身ノ諸君ガ斯ノ如キ美挙ヲ御催シニナツテ、唯今贈品モアリマシタ、其御受ケナサル市村君ハ、今申上ゲタル矢野君ノ高等商業学校ニ於ケル其時分ノ生徒ノ一人デアツタノデゴザイマス。昨日御目ニ懸ツテ三十年モ商業教育ニ従事ナサツタト云フ事ヲ伺ツテ、御見掛ケ申スト余リ御年ガ若イ、何ダカ少シ算盤ガ違ツテハ居ナイカト云フテ段々押問答シタラ二十歳頃カラ御勤メニナツタサウナ、私共ハ老人デアルガ、三十年ト云フト大分昔ノヤウニ考ヘテ居ル、御若イニ三十年教育ニ就テ御出ニナルト云フノハ、何カ間違ツテ居リハセヌカト思ヒマシタガ、能ク伺ツテ見マスルト、矢野ノ時分ニ夫レコソ青年デ学ニ御就キニナツタ御方デアツタヤウニ思ヒマス。此矢野ト云フ人ハ、商業教育ニ於テハ市村君ノ如ク愛情ト申ス点ニ於テハ蓋シ欠如タル所ガアツタヤウデスケレドモ、併シ商業教育ノ必要ト云フ事ノ観念ヲ以テ、其商業教育ニ従事スル諸君ニ対シテ、我心ヲ以テ其人ノ胸ニ推シタト云フ事ハ、蓋シ市村君ニ譲ラヌ程情義ニ厚イ人デゴザイマシタ。十七・八年ノ間商業教育ニ従事シテ不幸健康ガ保タズシテ、私ヨリ年ガ下デアリマシタガ故人ニナツテ大分ノ歳月ヲ経マシタ。是カラ商業教育ニ大イニ力ヲ入レ出シタト申シテ決シテ過言デナカツラウト思フ。若シ同氏ヲシテ今日ヲ見セシメタナラバ、感情ノ強イ人デアリマスカラ単ニ感嘆シテ居ラレヌ、真ニ涙ヲ以テ喜ブニ相違ナイト思フ、吾々ハ多分市村君モ同感デアラウト思ヒマス。私トハ教養ノ関係ハナイ人デアルケレドモ、斯ノ如キ感情ヲ以テ商業教育ニ努メタ人デアル故ニ、今日ヲ見セシメタイト真ニ暗涙ヲ催ス程デゴザイマス。是ハ其当時ノ商業教育ニ於テ或一・二ノ人ガ力ヲ入レタト云フ其一人タル矢野君ニ就テ、玆ニ過ギ去ツタ事ヲ御話シスルノデゴザイマス。
当時商業教育ガ世ノ中ニ疎ンゼラレタ一例ヲ尚ホ申シテ見マセウト思ヒマス。多分明治ノ十四・五年頃デアリマシタカ、今東京ニ瓦斯会社ト申ス大会社ガアリマス。其瓦斯会社ガ東京府ノ持チデアリマシタ時ニ、外国人ニ依テ瓦斯ノ製造ヲシテ居ルノハ将来ノ不利益ト考ヘテ、私ガ局長ヲ引受ケマシタ場合ニ、ドウカ日本ノ人ニヤラセタイト思ツテ、「テルケルン《（ペレゲレン）》」ト申ス教師ガ居ツタカラ、其人ニ日本人ヲ附ケテ段々練習サセテ日本人ニ切リ換ヘルヤウニシタイト考ヘタ。其ノ時分ニ帝国大学ガ出来テ居ツタカラ、大学ニ相談シテ一人ノ卒業シタ人ヲ頼マウトシタ、所ガマダ私共ハ其ノ時分瓦斯ノ製造ハドウ云フ学科ニ属スルカヲ能ク理解セヌ位デ、理科デアルカ工科デアルカスラ能ク解ラヌ位デアリマシタ。承リマスレバ夫レハ応用化学ト云フ学科ニ属スルト云フ事デ、某ト云フ人ガ丁度卒業セラレテ居ルト云フノデ、其ノ人ニ相談シテ瓦斯局ニ当テル事ニシマシタ。承諾シテ参ツテ、此瓦斯
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局ハ将来何ニナルカト云フ事ヲ質問シマシタ。私ハ之ニ答ヘテ云フニ期カル事業ハ今ハ東京府デ持ツ居テルケレドモ、追々相当ナル営利的ノ事業ニナルナラバ、役人ガ持テ居ルノハ宜クナイト考ヘル、私ハ成ルベク事業ハ民間デヤルガヨイト思フ、東京府ハ先ヅ政府ニ似寄タモノデアルカラ、成ル丈ケ是ハ独力デ経営ガ出来ルヤウニナツタラ民間ニ移ルガヨイト思フ、左スレバ会社ニナルト斯ウ答ヘタ。スルト其人ハ喜ンデ応ズルト云フ約束ヲシテ居ツタガ、サウ云フ訳ナレバ私ハ嫌ヤデゴザルカラドウゾ御免ヲ蒙ムル――今此所ニゴザル御方々ハ会社ヲ御嫌ヒナサラヌデアラウケレドモ、其当時サウ云フ事ヲ云フ人ハ其人バカリデナイ、大抵ノ人ガサウ云フ観念デアリマシタ。世ノ中ノ変化ハ意外ナモノデアルト云フ事ヲ御了解ガ願ヒタイ。是ハナゼ左様ニ云フカト申スト、第一ニ人ニ対シテ軽蔑セラレル、役人ト会社ノ技師抔ト比較ニナラヌノミナラズ、恩給モナイ勲章モ貰ヘヌ、抑モ学問シヤウト云フノハ、世ニ発展シテ名声ヲ挙ゲヤウト云フノガ本望デアル其本望ノ名誉ト云フモノハ全ク滅却セネバナラヌカラ縦令少々給金ハ善イカ知ラヌガ嫌ヤダ、況ヤ其給金モ役人抔ヨリ善クナイ。斯ノ如キモノハ御免ヲ蒙ムルト申シマシタ。玆ニ於テ私ハ大イニ憂ヘテ商業教育ト云フモノガ斯ノ如ク軽蔑セラレテ居ル――但夫レハ工業デアルケレドモ、私ノ申ス商業教育ト云フノハ商モ工モ籠メタル実業ト云フ意味デ申スノデアル――其時ノ大学総理ハ――今ハ総長ト申スガ――加藤弘之サンデアリマシタ、其応用化学ノ学長ノ位置ニ居ツタノガ唯今モ存命シテ居ル高松豊吉君デアリマス。其人ニ会ヒニ参ツテ申シマシタ。斯ノ如キハ国家ノ為メ将来甚ダ憂フベキ点デナカラウカ、サウスルト大学デ教育スル人ハ皆ナ役人カ教師ナラデハ造ラヌ趣意デアルカ役人ヤ教師ダケデハ国家ハドウナルノデアリマスカ、吾々ハ是カラ先キ真正ナル方法ニ依テ国ヲ富マス事ヲ進メテ往キタイト云フノニ、役人ト教師ダケデ進ミマスカ、教ヘラルヽ人ガアツテ教師モ必要ダ、生徒ガナケレバ教師ハナクテモヨイ訳デアリマセヌカ、人民ガナケレバ役人ハ無用ニ属シハシマセヌカ、斯ノ如キハ甚ダ詰ラヌ考デアルト申シテ苦情ヲ申シマシタガ、丁度市村君ノ校長ニ御成リナサルト云フ頃ノ時代ハ其位ノ有様デアリマシタ。其当時ノ有様ヲマダ現存シテ能ク承知シテ居ル御方モゴザイマセウガ、明治十七・八年頃迄ノ有様ハ、東京ニ於テモ商業教育ハ実ニ軽ンゼラレマシタ。今申ス高等商業学校ハ、唯今申シマシタ「ホウイツトニー」ト云フ教師ニ依テ商法講習所ト云フ名ニ依テ東京府デ経営セラレマシタ。森サンノ経営ガ東京府ニ移ツテ、明治十五年カ十六年デゴザイマシタ。東京府会ハ斯ノ如キモノハ不必要デアル廃スルガヨカラウト云フコトデ廃シマシタ。其廃シタノハ東京府民ノ総代ガ廃シマシタ。而モ相当ナル議論ヲスル智識階級ノ人デアル沼間守一・田中慶蔵・藤田茂吉ト云フヤウナ人デ、相当名ノ聞エタ人ガ商業教育ヲ軽蔑シタ。商法講習所ナル高等商業学校ノ前身ハ宙ニ迷ツテ廃スルカ廃セヌカト云フ時デアリマシタ。其時矢野二郎君及ビ之ヲ補助シタノハ斯ク申ス私デ、其他商業教育ニ重キヲ置ク同志ガ申合セマシテ、聊カノ貯金法ヲ設ケテ、ドウシテモ吾々共デハ維持ガ出来マセヌカラ、民間カラ参万円ノ金ヲ造リマシタカラ政府
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デ商業学校ヲ建テヽ下サレマセト云ウテ農商務省ニ頼ンダ、所ガ商業教育ノ奇遇トデモ申シマセウカ、最初組立テタ森有礼サンガ廻リ廻ツテ文部大臣ニナツタニ付テ、商業教育ト云フモノガ漸ク基礎ヲ建テル事ニナツテ、即チ今ノ東京高等商業学校ハ其時ニ相当ナル基礎ガ成立ツタノデアリマス、今日ノ場合ニ余リ妙ナ言葉ノヤウニ聞エマスガ、商業教育ノ沿革ハマダ申上ゲレバ種々ナル紆余曲折ノ御話ガアリマスガ、先ヅ大要ハ唯今申ス通リ、明治七年頃森有礼サンガ「ビジネス・スクール」ヲ組立テタイト云フノガ濫觴ヲナシマシテ東京府ガ之ヲ補助シタ、補助シタ末ニ東京府会ガ之ヲ不必要トシテ廃滅致シマシタ。其廃滅ヲ遺憾ニ思ツテ其時校長ニナリマシタ矢野及ビ之ヲ廃メテハナラヌト云フテ深ク憂慮シタ私共ノ有志ガ、漸ク之ヲ存続セシメテ二年バカリ関係シテ居ル中ニ、最初個人トシテ組立テタ森君ガ文部大臣ニナツテ、玆ニ高等商業学校ト云フモノニ形ヲ改メルヤウニ相成ツタ。爾来ハ独リ或ル若干ノ人ガ必要ヲ唱ヘル事デナク、前ノ某ト云フ瓦斯局デ意見ヲ申述ベタト云フ人抔ノ事モ、全ク一時ノ考ヘ違ヒデアツタ国家ノ進歩ハ実業上ニ負ハナケレバナラヌ、実業上ノ働ハ政治界・軍事界・学問界ト同ジヤウナル必要ノアルモノト云フ感ジガ追々進ンデ参リマシタ、遂ニ商業教育ハ殆ド全国押シナベテ、今日デハ高等商業学校モ数校立ツテ居リマス。更ニ高等ナラザル甲・乙種ノ商業学校モ殆ド百以上ヲ以テ数ヘラレルデゴザイマセウ。斯ノ如ク商業教育ノ進ミマシタノハ、明治二十年以後三十年間ノ事デアツテ、其以前ノ商業教育ノ状態ハ前ニ申上ゲタ如クデ、決シテ跡形ナキ話デゴザイマセヌ真相ヲ申述ベタノデゴザイマス。
斯ノ如キ沿革ヲ有ツタ商業教育ガ、実ニ意外ニモ名古屋ニ於テ今日ノ如キ事ガ取リ設ケラレタト云フ事ハ、私ハ異常ニ感ズルノデゴザイマス。仮令当時ハサウ云フ有様デ東京市民ガ商業教育ヲ疎ンジタニセヨ先ヅ全国ノ首府デアル東京ニ於テコソ斯様ナ企ガアツテヨカラウト思ウテ居ツタニ、名古屋ニ於テ空前ナル斯様ナ美挙ガ現ハレタト云フ事ハ、実ニ私ハ甚ダ異常ト迄申上ゲタイト思ヒマス。異常ト申上ゲルニ付テモ、市村君ノ是レ迄ノ御丹誠又其才徳ガ然ラシメタモノト申サネバナラヌノデゴザイマス。併シ市村君ノ才徳ハサウアラウト思ヒマスケレドモ、同時ニ名古屋地方ノ方ガ恩ヲ思ウテ、将来市村君ニ後顧ノ憂ナク、商業教育界ニ力ヲ尽サセルヤウニ御仕向ケニナツタト云フ事ハ、名古屋ノ諸君ノ勝レタル御真意ハ敬服ニ余リアルノデゴザイマス斯ノ如キ事柄ガ名古屋ニ其端ヲ初メテ開カレテ、追々全国ニ斯様ナ風ガ進ミ行クデアラウト思ヒマス。名古屋ノ名誉ハ特筆大書スベキ事ト信ズルノデゴザイマス。唯今知事公ガ、名古屋地方ハ兎角或ハ拝金ト云フヤウナ嫌ガアリハセヌカ、道理トカ情愛ヨリハ損得ノ力ガ進ム風ガアルト云フヤウニ云ハレル地方ニ於テ、斯ノ如キ美挙ヲ企テラレタノハ実ニ知事トシテ喜ブト仰セラレマシタ。我県下ヲ御愛シナサル情トシテ今ノヤウナ言葉ノアルト云フ事ハ、世間ニ左様ナ言葉ノアルト云フ事ヲ或ハ証拠立テラレルカモ知レマセヌ。然ルニ今日ノ如キ美挙ノ現ハレタ事ハ、実ニ知事公モ又諸君モ決シテ御憂ヒナサルニ及バヌ商業教育ヲ重ンジ、師弟ノ情誼感恩ノ念ガ甚ダ強イト云フ事ハ、是レ
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以上ノ仕方ガナカラウト私ハ思フノデゴザイマス。唯ダ玆ニ私ハ一言更ニ市村校長及名古屋ノ有志諸君ニ申上ゲタイト思ヒマス。如何ニモ知事公ノ仰セノ通リ、独リ名古屋バカリデゴザイマセヌ、商業上ノ智識ヲ進メルノハ富ヲナスノ原因デアル。富ヲナセバ益々利益ヲ進メル観念ヲ増ス。此希望ノ進ム程徳義トカ情愛ト云フモノニ欠点ヲ生ズルト云フ事ハ、独リ我帝国バカリデナイノデゴザイマス。世界共通ノ弊害デアル、智識ノ進ム程人格モ進ミ徳義モ進ンデ往カネバナラヌ、ガ智識ガ進ミ富ガ増ス程反比例ニ人格ガ減ジ徳義ガ衰ヘルト云フ事ハ世ノ通弊デアル。日本ノ各地皆然リ、富ノ増シタ所程情愛ガ減ジテ居ル名古屋モ富ガ増セバサウナルト云フコトハ通弊デアリマス。果シテ然ラバ唯ダ商業教育ガ進ムデ富サヘ増セバ夫レデ唯一ノ望足レリト云ヒ得ルカ、決シテサウハ申サレヌデアラウト思フ。果シテ然ラバ市村君ノ将来ハ、ドウゾ商業教育ヲ進メルト共ニ、其商業ニハ仁義道徳ガ必ズ伴ハネバナラヌモノ、其商業ヲ行フ人ノ高尚ナル人格ヲ進メムナラヌト云フ事ニ大イニ力ヲ入レテ教ヘテ戴キタイ。又市村君ノ今日アラシメタ諸君ハ其点ヲ御考ヘアリタイト思フ。孔子ノ言葉ニ徳不孤必有隣、才徳ト云フモノハ独リ縮ンデ仕舞フモノデナイ、必ズ隣ノ出来テ来ルモノデアル。即チ市村君ノ徳ガ名古屋地方ニ斯ノ如キ広キ隣リヲ作ツタノデアル。更ニ進ムデ此名古屋ノ徳ガ全国ニ隣リヲ御作リナサルヤウニナルデアラウト思フノデアリマスス。故ニ斯ノ如キ美挙ガ、ドウゾ全国ニ広イ隣リヲ御作リナサルヤウニ求メルト同時ニ、商業教育ハ唯ダ単ニ富ヲ増シ、利益ヲ進メルバカリデナク、人格ノ向上ヲ共ニ進メルト云フ要件ヲ御忘レナイヤウニ致シタイト思ヒマス。玆ニ祝辞トシテ一言申上ゲマシタ。（拍手起ル）（文責在記者）