デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
1節 実業教育
16款 其他 4. 東京市立商業学校
■綱文

第44巻 p.534(DK440123k) ページ画像

明治45年4月13日(1912年)

是日栄一、当校ニ於テ、生徒ニ対シ演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四五年(DK440123k-0001)
第44巻 p.534 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四五年      (渋沢子爵家所蔵)
四月十三日 晴 軽暖
○上略 七時蠣殻町商業夜学校ニ抵リ一場ノ演説ヲ為ス○下略
   ○演説筆記ヲ欠ク。



〔参考〕新修日本橋区史 同区役所編 下巻・第三九五―三九六頁昭和一二年一〇月刊(DK440123k-0002)
第44巻 p.534 ページ画像

新修日本橋区史 同区役所編 下巻・第三九五―三九六頁昭和一二年一〇月刊
 ○第三編 第四章 第四節 実業教育
    第三項 東京市立商業学校
 東京市の所管にかかり、本区内商家の子弟が多く就学せる夜間商業学校である。本校の設立は古く明治三十九年六月二十七日、小伝馬上町に東京市立商業補習夜学校を設けたるに始まる。その後四十二年五月二十七日組織を変更して乙種程度とし学校名を東京市立商業学校《(夜脱)》と改称した。四十四年四月十一日位置を蠣殻町二丁目十四番地に変更し五月校名を現在の東京市立商業学校と改称した。大正十一年四月一日学則を改正し修業年限を四ケ年とした。大正十二年震災には校舎全焼のため、麹町区麹町一丁目十九番地仮校舎に移つたが、昭和五年四月再び本区に復帰し、蠣殻町三丁目十一番地日本橋高等小学校校舎を使用して今日に及んでゐる。昭和八年二月一日番地変更に依つて蠣殻町四丁目十四番地の十となつた。
 現在学級数一四、生徒数男子六二八、教員数二八、学校長西山種男