デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
1節 実業教育
16款 其他 7. 早稲田工手学校
■綱文

第44巻 p.536-540(DK440126k) ページ画像

大正2年2月9日(1913年)

是日栄一、早稲田大学付属工手学校卒業式ニ臨ミ、訓辞ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正二年(DK440126k-0001)
第44巻 p.536 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正二年        (渋沢子爵家所蔵)
二月九日 晴 寒
○上略 午餐後早稲田大学ニ抵リ工手学校生徒卒業式ニ出席ス、一場ノ訓示演説ヲ為ス○下略


竜門雑誌 第二九七号・第七三頁大正二年二月 ○早稲田工手学校卒業式(DK440126k-0002)
第44巻 p.536 ページ画像

竜門雑誌 第二九七号・第七三頁大正二年二月
○早稲田工手学校卒業式 早稲田工手学校にては二月九日午後一時より卒業式を挙行せり、同日は青淵先生にも同校長徳永博士の懇請に応じ、臨場の上一場の演説を為されたる由


早稲田学報 第二一七号大正二年三月 附属工手学校第一回卒業式(DK440126k-0003)
第44巻 p.536-540 ページ画像

早稲田学報 第二一七号大正二年三月
    ○附属工手学校第一回卒業式
○上略 去明治四十四年附属工手学校を創立し、其の五月五日開校式を挙行せし以来、此種教育の要求極めて切なるの致す所来学者漸次増加し来り、開校未だ幾何の年所を閲せざるに拘はらず、現在生徒一千二百有余名を数ふるに至りしが、本年夙く既に第一回卒業生を出すの時期に達し、二月九日午後一時より大講堂に於て之が卒業証書授与式を挙行せり。○中略
○渋沢男爵
 伯爵閣下。来賓諸君。満堂の生徒諸君。斯る祝典に出まして、一言意見を申上げますことは私の最も光栄に存じます所であります。既に総長閣下、又学長、校長から有益なる又御懇切なる御訓話のあつた後でございますから、私は更に蛇足を加へる必要はないと思ひますけれども、此工手学校の成立から伺ひますと、此所に学ぶ所の学生は特に利益を得、特に便宜を持つて居ると云ふことは別して諸君の光栄として、理解するやうにしたいと思ひます。只今校長から此学校は早稲田大学の一部に属して、総長大隈伯を戴いて居る。世間之れに矚目することが甚だ大であると言はれたが、如何にも私共もさう思ひます。而して此学校にて教授を受ける諸君が、斯様申すと
 - 第44巻 p.537 -ページ画像 
失礼な申条であるけれども、其教場教具たるものが、決して普通の工手学校に於て見るべからざる設備を有つて居ると言ふことが、もう一つの特典と、諸君は考へて宜からうと思ふのであります。故にかゝる名誉なる学校、又設備の完全なる学校に於いて出来上つた所の諸君は、十分なる勇気を以て自からの為め、世の為めに、之れから社会へ出て大に其学び得た所を現はすやうに為されたいと、深く希望致しますのであります。校長の御言葉に社会は頗る卒業生に向つて希望を有つて居る。百十数人の御方が、已に業に各方面から望を属せられて約束が出来た。それは今申す総長閣下の名誉もあらう学校の名声もあらう。それは勿論であるけれども、私は更に社会が丁度此の程度の学校を修めた所の人々を需要する勢が、頗る強くなつて来たと云ふことをもう一つ加へたいと思ふ。故に諸君の為めに最も好時機である。又独り諸君の身の為めの好時機ではない。世の進むに於いて、左様なくてはならぬと思ふのであります。教育上に付いて、大体論を申上げまする資格は私にはありませぬ。如何となれば教育の事には甚だ疎いのであります。即ち伯爵の如き長い間教育に御高配になつて居る方々の御前に於いて申すは失礼か知れませんが、日本の現在の教育の有様を見ると、推しなべてどうも此の上の方の教授に重きを置いて居るやうで、実際に応ずる方の教授は、教へ方も密でなければ、学ぶ人も望みが少ないと言ふ弊がある。丁度伯爵の今の御言葉に紙の上の技術は甚だ感心しない。実際の技術が十分に進んで行かなければ、本当の事は為し得られぬと仰せられたが、学問も科目が高いとか、学理が高尚だと云ふことも、勿論必要であるけれども、それが真に徹底せぬ教へ方であつたならば、必らず其修得したるものが何の効能がない。或は害があるかも知れぬ故に今日の学問は或る点から其弊がないとは言へぬやうに私共は考へる。況んや上を望む考が強い為めに、中間に力を尽す学科が甚だ少ない。どうも技師長になるとか、工学博士になると云ふことを好む御方が甚だ多い。諸君の如き其道の間に自から心を労し力を労して中間に介在して、学理的に又実際的に、此中間の働きをなさる者が甚だ乏しい。工手学校は即ち丁度今、私の申上げまする地位である、諸君の修められたことは、尤も今日に必要の多い程度のものであると申上げて、決して間違ひませぬと申すのであります。
 今学長が諸君は社会に出る見本である。後から良い品物を造らなければならぬことは勿論であるけれども、先ず此見本が善くないと、此学校の品物の名声を社会に博することは出来ない。諸君の責任や甚だ大であると言はれた。誠に私は御尤千万と思ふのであります。但し諸君が、之れから社会に出て余り見本を立派にして、後から出来る品物が粗製濫造になつては気の毒であるから、自分等も少し手控へして、良い品物にならぬやうにするが宜からうと云ふ御遠慮はない方が宜しい。若しなつた所が品物が悪るければ、社会が見本と違ふことを当局者に小言を言ひますから、之れは製造家の方で一生懸命になつて良い物を造るに違ひないから、諸君は其見本の完全を期することを何処迄も御考へなすつて、後が悪からうと云ふて遠慮
 - 第44巻 p.538 -ページ画像 
をなさるには及ばぬから、其事は念の為に申上げて置きます。
 私は諸君の之れから先きの針路に付いても、十分なる向上を認めて居る。之れは伯爵閣下の極く詳細なる御演説がありましたから、之れらに付いては申上げませぬで、寧ろ諸君が今申上げた通り、其修めた所の学科の程度が低くかつたからして、之れから社会へ出て就く所の位置の始めは極く下級にあると云ふことを怨んだり、不足に感じたりせぬやうに御慰安を与へて置きたいと思ふのである。最高級の学校を修めた人は、世の中に出て優れた地位を占めるに至るには相違ないが、併し、より低い学校を出ても、或は其学校を修めぬでも、非凡の勉強と優れた才とを以て、大に発達した人は幾らもある。試みに現在の人を捕へてこゝに数へて見ましても、例へば、カーネギーの如き、蘇士蘭から出で、十三の年に糸屋や何かの小僧をした。本当の学問をしては居りませぬけれども、あれだけの人物になつた。又北米鉄道会社の社長をして居るゼエームス・ヒル氏、之れも或る工場の手間取から起つて居る。今は亜米利加の北部に於いて鉄道王と称されて居る人である。之れらは高等の学校から成立つた人でなくして今日に至つた。左様な非凡な人を、亜米利加の私の知つた人で二人を数へられる。まだ幾らもありませう。日本の今日にも、其人の名を申上げるは失礼か知れませぬから申しませぬが、例へば兵卒から将校になつて大変な勇名を博した人もあれば、又或る役所の給仕から遂に大臣にまで出世せられた御人もある位である故に果して学校の位地が高いから、屹度世に発展が出来ると云ふものではありません。故に今日諸君が之れから世に出で、どうも此学校が低いから自分の位地も低いものだと、自から卑下することは甚だ諸君の発達を妨げる訳になるので、決してさう云ふ御考はなさらぬが宜いと思ふ。どうも人は高尚なことばかり考へて、大いに過つと云ふことが御座いますから、或点には慰安をせんければならぬのであります。私はこゝに一つ変つた御話を申上げて置かうと思ひます。西洋の事は知りませぬ。支那の事は少々存じて居る位のことですから、支那人の説に付いて、一の御話を致します。支那に古硯の銘と言ふものを書いた人がありましたが、之が甚だ面白い。硯と墨と筆は殆んど一致したもので、用ひられるのは何時も同じ様である所謂文墨といつて、始終一緒に働いて居る。然るに、此寿命に於ては丸で違つて居る。筆は何日使つたと言うて、其寿命を日を以て数へる。墨は幾月磨つたと言うて、其寿命を月を以て数へる。然るに硯に至ると、何代前の人が買つたと言うて、世を以て数へる。故に同じ種類のやうなもので、同じに用ひられて居るが、其寿命、即ち長生と夭死とに至つては左様に相違する。よく見ると、筆は頗る動くものである。又鋭いものである。墨は之れに次いで稍々動く、稍稍鋭どいものである。硯は又反対に、極く鈍いものである。静なものである。して見ると人の寿と云ふものも、動けば寿命が詰つて静であれば長生をするものと言得ると思はれるのであります。所がよく考へると決してさうでない。試に筆をして如何に静に置いた所が世を以て数へることは出来ない。又硯は左迄動くものではないけれ
 - 第44巻 p.539 -ページ画像 
ども、縦ひ仮りに之を動した所が、何時迄も用ひられる。して見れば寿命は天性である。鈍いと、動くと静かななる丈けの差別ではないか。兎に角、硯よ。手前は静なるを以て体とし、鈍きを以て用となす。其為に世にも疎んぜられず、何時迄も誉の盛んでない代りに又謗もなくて世を終ることが出来るだろうと言うて硯を慰めた文がある。之れは諸君に一向何も痛痒を感ぜぬ言葉であるから面白くないことでありますけれども、人が世に立つて、互に此社会の事物に交つて見ると、さう云ふやうな感じを間々起すものであります。今の古硯の銘に依つて、私は文明社会の人の世に立つ有様と云ふものを一つ考へて見ると、例へば此日本の種々の職業をそれそれ一の家屋と見て、其種々の種類の人民が其家屋を飾り立てるとして、一の道具立にして数へて見ますと、余程面白い。例へば政治家の如きは表看板の資格があるから、之を坐敷にでも言うたらば、床の間の置物とでも申すか、或は正面に掛けて置く文晁の幅とか、応挙の掛物とか云ふものにもなりませうか、又軍人の如きは前の方にいかめしく、或は鎧なり兜なり、飾つてあると云ふ道具にもなりませうか、教育家は書棚と申して宜いかも知らん。さう云ふやうに色々と各方面のものを品評して見ますと、此実業家諸士は、……私と諸君とは多少方面が違ふけれども、先づ実業家と思ふ。是等の種類はどう云ふ見立を受けるだろうと考へると、少し割が悪い。どう考へて見ても割が悪い。即ち勝手道具と云ふものになる。私は銀行業者であつて幾らか資本の関係を有ちますから米櫃ともなりたいと思ふ。諸君は米櫃ではないけれども、事に因ると米を洗ふものになつたり或は米を磨ぐものになつたり、炊くものになる。兎に角生活上に関係する勝手道具の種類に属するではなかろうかと思ふのである。此勝手道具は家が富み人文が進んで行つても、世に玉を炊き桂を焚くと云ふやうな形容詞はあるけれども、まさかにそう云ふことをするものは何処にもない。焚物に紫檀の木を焚くものは何処にもありはしない。どんな富んだ人でも矢張り焚物は石炭か或は薪であるから、勝手道具に多くの資本を費やすことはない。何時も勝手道具の名誉は乏しい。此勝手道具は立派なものだと言うて、味噲漉を三千両で買つたと云ふ例しはない。けれども只面白いことには、勝手道具と云ふものは、例へば其家が貧弱に陥つても、其価を下げない、何時になつても勝手道具は其必要を保ち、永久なる価格を保有することが出来るから、即ち今の硯の性質に一寸近くなつて来るやうに思ふのです。諸君は之れから先き世に立たるゝに当り、どうぞ余り表面の栄誉を求めず、此勝手道具として益々光輝を発せしむるやうにして頂きたいと希望致すのであります。私の業体と諸君の御事業とは、大分違ひは致しますけれども、実業家たることは一である。同じ方面に働らくものと考へまするので、斯様な有力なる勝手道具が、沢山出て来ることを深く喜びますから、どうぞ此勝手道具の本分を十分に御尽し下さるやうに希望致して止みません。
との演説あり。
○下略
 - 第44巻 p.540 -ページ画像 
   ○早稲田大学ハ明治四十四年三月同大学附属工手学校ヲ開設ス。其ノ学科ハ機械科・電工科・採鉱冶金科・建築科及ビ土木科ノ五ニ分チ、修業年限ヲ二年半ニシ、夜間教授ノ制ヲ採リタリ。志願者頗ル多ク此時ニ於テハ既ニ生徒ノ数一千名ヲ超過ス、本第一回ノ卒業生ハ機械科十五名、電工科四十八名、採鉱冶金科九名、建築科十九名、土木科二十八名ナリキ。(「創立三十年記念早稲田大学創業録」ニヨル。)