デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
1節 実業教育
16款 其他 9. 長崎高等商業学校
■綱文

第44巻 p.540-543(DK440128k) ページ画像

大正3年5月4日(1914年)

是日栄一、中国旅行ノ途次、当校ヲ訪ヒ、学生ニ対シ講演ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正三年(DK440128k-0001)
第44巻 p.540 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正三年         (渋沢子爵家所蔵)
五月四日 晴 気候平和ニシテ朝来快然タリ
午前六時起床入浴シテ茶ヲ喫ス、衣服ヲ更メテ室ヲ出レハ長崎ナル銀行会社ノ各員多ク来リ迎フ、但本船ハ払暁着港シタルナリ、午前八時朝飧ヲ食シ、地方人等ニ誘ハレテ上陸シ先ツ迎陽亭ニ抵リテ休憩ス、十時過高等商業学校長ノ請ニ応シ其校ニ於テ学生一同ニ一場ノ講演ヲ為ス○下略


竜門雑誌 第三一二号・第八一頁大正三年五月 ○渋沢男一行出発(五月四日長崎発電)(DK440128k-0002)
第44巻 p.540 ページ画像

竜門雑誌 第三一二号・第八一頁大正三年五月
○渋沢男一行出発(五月四日長崎発電) 渋沢男一行支那漫遊の途地洋丸にて寄港、三井物産社員其他の出迎を受け、男爵は午前十時より高等商業学校にて講演をなし、正午向陽亭に於ける市内同盟銀行其他有志の招待会に臨まれ、三菱造船所観覧の上午後四時出帆の同船にて上海に向へり(東京日々新聞)


学友会雑誌 第一六号大正三年七月 大正三年五月四日於本校講堂 渋沢男講演大要(DK440128k-0003)
第44巻 p.540-543 ページ画像

学友会雑誌 第一六号大正三年七月
  大正三年五月四日於本校講堂
    渋沢男講演大要
 - 第44巻 p.541 -ページ画像 
 此度私は支那の方へ参りますに就きまして、其途次御当地に立寄り本校に参りまして多数の学生諸君と会するのは誠に愉快に感ずる所であります。我実業界の将来の進歩発達と云うことは誰しも希ふのでありまして、特に我々はその希望が痛切であります丈、今日斯の如き良き学校に参りまして、学生諸君に会し、将来第二の国民として帝国の実業を興進する諸君であると思へば、実に末頼もしく思ふのであります。極く暫時の碇泊であり且つ私も大分老衰致しましたので、声もよく立たず咄嗟にお話も出来まいとは思ひましたが、着早々一場の話をと願はれまして、予て自分も大に実業界の進歩発展を希うて居り、且校長始め多数相識の御方も居られますので強いて断るのも甚だ快くありませんので、玆に参りました次第で御座います。
 今回の旅行は支那を漫遊するのみでありまして、殊々しく別に取立てゝ御話することはありません。私が第一回目に行つてから既に四十年になりますので、支那の有様も余程変つて居る事と思ひます。殊に内地の事はよく存じませんので、今度一遊を試みることを非常に喜ばしく思ふのであります。
 然るに世間では私の今回の旅行を目して、実業上の利権を布植する為であるとか何とか種々の説をなすものがありますが、決して左様なことはないのであります。実は彼地に或合名会社の実業組織が出来て居て、以前は中国興業会社といつたのが、此頃中日実業会社となつて居ります。これは昨年孫逸仙氏が来られた時に共に組織に与つた縁故がありますので、彼地に行つたら其設立と将来の発達に就て彼地の人に少し話したいと思うに過ぎないのであります。それ故支那旅行については別に述ぶることは無いのであります。そこで今日は将来実業家たらんとせらるゝ諸君の御参考にもならんと思ふ事を一言述て置きたいと思ひます。
 度々種々の席で申述べる事でありますが、私共が若い時の実業教育は極く古く、極く簡易なものであつたのであります。維新後は欧風を学んで稍新しい学問が輸入せられましたが、主に政治方面にのみ傾いて実業界の人々は其時分には殆んど教育を受けない者のみであつたので御座居ます。然し此有様では到底国家は立つて行く事は出来ない。昔の東洋的教育で所謂君主が英明にて善政を行ひ、人民が帝の徳に依り其命に従ふて居れば足ると云うのであればそれでよいのであるが、欧洲の今日の有様はさうではなくて、一国民の多数の富が増さなくてはならぬのである。トルコやシヤム等の様に一部の国民が富んで他の者は奴隷視される様では決して富強の国たる事は出来ないのであります。君主政体の国であろうが、共和政体の国であろうが、斯る有様では決して健全なる発達をなす事は出来ぬのであります。そこで日本も之に鑑み、先ず大に政治を興したのであるが、政治の方面のみに傾いて実業の方面は余り顧みなかつたのであります。漸く明治二十年頃に東京に実業教育らしいものを授ける学校が出来て、それ迄は日本の実業教育と云ふものは全く阻害せられて居たので御座居ます。
 それから十数年の後、東京高商と云う名になり、各地に商業教育の盛になりましたのは極く最近の事でございますが、未だ実業教育の総
 - 第44巻 p.542 -ページ画像 
てが行き届いて居るとは云はれないと思ふのであります。今日では東京・神戸・大阪・御当地・山口等に高等の商業教育が施されつゝあり又甲乙種の商業学校が四十に近く、又私立の分も随分少くない事と思ひますが、如斯今日の盛大を致したのは大に喜ぶべき事であつて、昔の恨が無くなつたと云うても宜しいのであります。然しながら如斯実業教育が進むにつれて注意しなければならないことは、智識の方面の教育と同時に、精神の方面の修養を怠つてはならぬと云うことであります。即ち一言で云ひますれば、商業道徳の基礎が丈夫にならねば堅実なる発達はむつかしいと云う事であります。学者・軍人・政治家たるを問はず、道徳は人道でありますから、誰しも心得ねばならぬのであります。然し就中商業家の側に於て最も非道徳に傾きやすく、それは商業界に特に誘惑が多いからであります。尤も誘惑と云うものは誰にもあるが、実業家と最も関係が深い故に、古い教にも慥か孟子の中であつたかと思いますが、「仁を為せば則ち富まず、富めば則ち仁ならず」と云う意味の事があるし、又欧羅巴の教にもアリストートルと云う人は「総ての商業は罪悪なり」とまで喝破して居ります程、富と云うものは自分が得る事が第一の目的である。是が為には如何なる手段をも選ばぬと云う事になれば非道徳に陥り、罪悪と迄極言せらるゝに至るのであります。如斯商業家と云うものは非道徳に陥り易いのでありますから、諸君は大に心すべき事であると思ひます。
 僅々四十年間を以て政治に軍事に実業に、大に教育は盛となりましたが、皆多くは物質的教育であつて、幾分精神的教育も加味せられては居りますが、多く物質的に注入せられるからして、その方面にのみ心が奔ると云うことになる。以前一緒であつた仲間の人々で或人は支配人となり、又或人は大なる富をなしたと云うことであれば、多くの人がこれを羨望する。その羨望が軈て大なる誘惑である。友達が悪い方面に誘惑するのは他人がする誘惑であるが、羨望の為に生ずる誘惑は自分から起す誘惑であつて、その害最も甚しいものであります。それ故に如斯誘惑の多い実業界に立つて行かうする人々は、毅然として之に打ち克つの覚悟が無くてはならぬ。それでなければ実業教育とゆうものは却て誘惑の教育となつて、その真の目的というものは達し得られない事になるのであります。
 私は明治六年より実業界に入つて今年で四十二年になります。始めて第一銀行に従事し、不肖ながら其時から首脳に居り今日でも頭取で居りまして、お恥しい事には四十年間少しも変らないのであります。私は随分古い人間でありますが、同時に私程、日本の昔の有様を知つて居るものは無いと云うも過言ではなからうと思ひます。その頃、軍事は軍事に丈けた人、又教育に、外交に、各其人があつたのであります。然し実業界には其頃誰も居らず、所謂世界を股にかける商業は発達する能はざる状態にあつたのであります。
 不肖私は海外に旅行し、稍文明的商業を発達せしむる事が出来るかと思ひまして、四十年間実業界に身を委ねて居たのであります。私一個としては、その間に少しも発達せず昔の儘で居りますが、日本の実業界は昔の比ではなく、実に驚くべき状態に立到つて居るのでありま
 - 第44巻 p.543 -ページ画像 
す。御当地には明治十年・三十年・三十三年と参りまして、いつも前回に参りました時に比し発展しているのを感じましたが、今日にては大なる発展を遂げて居る様に思ひます。長崎丈でも然うであります。他の都市に於ても大に発展せるものがあるのであります。然り、物質的にはその様に著しい発展を致しているのであります。然るに精神的には如何、之も亦共に進歩せりと断ずるには大に躊躇するのであります。これは何人も是認する処であろうと思ひます。これは国民として又実業界の人として、由々敷き大事であると思ひます。
 長い事申せば限りがありませんが、何卒今の学生諸君、所謂第二の国民たる諸君は、智識の点に於てのみならず、精神の強固と云う事の切に大なる事をお考へになつて、比点に十分御注意あらん事を希望する次第であります。
          (大正三年五月四日於本校講堂文責在記者)
   ○右「学友会雑誌」ハ長崎高等商業学校学友会ノ発行ニ係ルモノナリ。


竜門雑誌 第三一三号・第二〇頁大正三年六月 ○長崎高等商業学校に於て 青淵先生(DK440128k-0004)
第44巻 p.543 ページ画像

竜門雑誌 第三一三号・第二〇頁大正三年六月
    ○長崎高等商業学校に於て
                      青淵先生
  本篇は青淵先生が支那へ赴く途次五月四日長崎へ寄港せる際、長崎高等商業学校々長事務取扱山内正瞭氏の請を容れ、同日午前十時同校講堂に於て全校学生に対し約三十分の講演をなせるものなりとて、同地の東洋日の出新聞が其大要を摘記して掲載したるものなり。(編者識)
   ○講演前掲ニツキ略ス。



〔参考〕渋沢栄一 日記 大正六年(DK440128k-0005)
第44巻 p.543 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正六年         (渋沢子爵家所蔵)
一月二日 雪 寒甚シ
○上略
午前新聞雑誌等ヲ一覧ス、雪中来人少ク読書ニ便ナリ、午飧後書斎ニテ揮毫ヲ為ス、数年来遅延セシ長崎商業学校ノ碑ヲ書シ、其他十数葉ノ題字又ハ色紙類ノ揮毫ヲ為ス○下略