デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
1節 実業教育
16款 其他 14. 三重県立四日市商業学校
■綱文

第44巻 p.549-554(DK440133k) ページ画像

大正7年5月8日(1918年)

是日栄一、名古屋市ヨリ四日市市ニ到リ、三重県立四日市商業学校ニ於テ、生徒ノタメニ講演ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第三六〇号・第七九頁大正七年五月 ○青淵先生旅行日程(DK440133k-0001)
第44巻 p.549 ページ画像

竜門雑誌 第三六〇号・第七九号大正七年五月
○青淵先生旅行日程 青淵先生には去る五月四日前記市村名古屋商業学校長謝恩会に特に臨席の為め、令夫人同伴にて東京駅出発西下せられ、九日無事帰京せられたり。各地に於ける演説其他は追て報道すべきも、左に其日程を掲げ置くべし。
○中略

 五月八日  前十一時半 鳥羽駅発
       後二時廿七分 四日市駅着
       四日市「松茂旅館」泊
 五月九日  前九時廿七分 四日市駅発
       前十時卅四分 名古屋駅着
       後十二時四十六分 同駅発
       後八時半 東京駅着
    以上



竜門雑誌 第三六一号・第六九―七六頁大正七年六月 ○青淵先生愛知三重両県下旅行記事(DK440133k-0002)
第44巻 p.549-550 ページ画像

竜門雑誌 第三六一号・第六九―七六頁大正七年六月
    ○青淵先生愛知三重両県下旅行記事
 青淵先生が令夫人同伴にて五月四日西下せられたるは既報の如くなるが、右に付き各都市に於ける諸新聞紙は筆を揃へて青淵先生の消息を伝へ、或は歓迎辞を掲げ、或は講演を詳記して、以て先生の人徳を
 - 第44巻 p.550 -ページ画像 
崇敬愛慕せざるなし、依つて左に其一般を掲げて先生の行を偲ぶこととせり。(前号雑報日程参照)
○中略
    ○講演会場へ
  第一銀行支店○四日市に於ける事務の実際を視察し、権威ある訓示を与へられたる男爵は、更に同所を出で、予て市民の熱望せる講演の為め浜一色の県立商業学校に至り、主として青年子弟の為め豊富なる経歴を公示して講演せられ、終つて大正館に於ける歓迎会場に赴かれたり。(九日)
○中略
先生今や四日市市を辞して帰京の途に就かれんとす。
○下略


竜門雑誌 第三六一号・第三一―三六頁大正七年六月 ○四日市商業学校に於て 青淵先生(DK440133k-0003)
第44巻 p.550-554 ページ画像

竜門雑誌 第三六一号・第三一―三六頁大正七年六月
    ○四日市商業学校に於て
                      青淵先生
  本篇は過般青淵先生が四日市商業学校に於て全校生徒の為めに訓誡せられたる講演の由にて、同市「勢州毎日新聞」に掲載せられたるものなり(編者識)
 多数青年諸君に御目に掛つて、然も商業学校で一場のお話を申上る事は非常に喜しい事であります。今、川澄教頭から大層老体を煩して云々とのお言葉でありましたが、私しは寧ろ欣然として諸君にお話をし、老体を起して話をしてやつたと云ふ考で無く、私の方から御頼してお話をさして頂くのであります。然し私しの様な者の云ふ事は金玉の論で無いに致せ、老人が精神籠めて話す事をよい加減に聞流されては困る、諸君も又時を費して聴く上は、之を有用に利用せねばならぬ人は如何なる時でも何事か成さねばならず、お互に不用の時は無い筈で、人は世に在る限り聊かにても時間を無用に使ふてはならぬ。所謂三百六十五日、寝る時間と食事を摂取する時間、其他雑用を弁ずる時間を除けば、一日一昼夜廿四時間中無用の時間は無い、少くとも十時間は何人も働き得べきもので、之れ生れ出で来れる効果で大に競ひ励むべきである、学校の教育を受るも只記憶して居る丈けでは余り利益な事もなく、之を心に銘ずる事が大切で仮令ば五月八日には渋沢が来て斯く斯くの話をしたと記憶する丈でなく、之を深く心に考へて利用せらるゝ様諸君の心に入れて頂き度い。
 学問と云ふも課目が種々あり、数学・物理と云ふ様に諸君の学ぶ事も色々あるが、之を心に記憶して其事柄を実際に用ふることが必要である、孟子の云ふた、『学問の道は放心を求むるのみ』で学問をチヤンと心に銘じて理解し活用する道を講ぜねばならぬ、人は心に記憶せずして空に記憶しては成らぬ、文字丈け記憶しては成らぬ、仮へば教育勅語中『我臣民克ク忠ニ克ク孝ニ』と云ふ御言葉は諸君も記憶して居られようし、又私も敗けぬ様に記憶して居るが、只口調子に覚て居ては何の用もなさぬ、口丈けでは不可ぬ、心に記さねば駄目である、亦『夫婦相和シ、朋友相信シ、恭倹己レヲ持シ、博愛衆ニ及ホシ、学
 - 第44巻 p.551 -ページ画像 
ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ、徳器ヲ成就シ、進テ公益ヲ広メ』と仰せられたが、己は之が出来て居るかどうか、文字を理解しても父母に克く仕へて居るかどうか、又孝経に『身体髪膚父母に受く、毀傷せざるを孝の始とす』とあるが如く、父母に受けたる此身を粗末にしてはならぬ、然し只傷さへ付けねば孝行だとは云へぬ、身を立て父母を現す事が必要である、学問とは真似をする事ではない。
 私しが今度の旅行の目的は皆様に講話して歩くのでなく、久しく伊勢大廟に参拝せず段々老体になり今度の参拝を限とは思はぬが、数年間一度は参拝仕度と思ひ我国民をして敬神の誠を尽す為と、亦今の大廟の宮司三室戸さんが懇意で是非在職中に参拝せよと勧められたのと今一ツの目的は直接の事で名古屋商業学校の市村芳樹と云ふ人が廿五年間教職に就て居たのが、今度職を引退するに就て恩を受けた人々が此の額(男爵は生徒控所に掲げられし額を指し)にある様に身は恩の為今は義に依るとある様に、市村教授に教を受けた人が謝恩の為に金を醵めて、恩師の一生を安全に送らしめんと同校出身の昔の学生が企てゝ醵金の方法をなし、私も之に加盟して少し寄附したので其目録を差出し、謝恩の言葉が述べ度いと思つて其式に列する為とで、私は市村と云ふ人に教へられた訳では無いが、商業教育と私とは今も川澄さんが話された如く古い関係があり、商業教育家の為に渋沢が一場の式辞を述べた上で神宮参拝の序を以て、又伊賀上野に私の知人があり、折角の機会であるから上野町の人々に経済界の講話をせよとの事で其地へ参り、今日は其帰りであるが、皆様の為に一席の時間を費す為に参上し、商業学校に関係のある渋沢が生徒諸君にお話せんとて出たのであります。
 私のお話仕度い事は『商業教育の経過並に経済と道義』とも申すべき関係に就てお話したい、日本に於ける凡ゆる事物の進歩が其源を教育に発して居る事は争ふべからざる事実である、明治大帝が維新の際に『知識を世界に求めよ』と仰せられた如く、智識は世界より求めよであつて、東洋丈ではなく世界的に学問を進めよとの事が五ケ条の御誓文にある通り、欧米の智識を輸入して之を日本化し、日本の進歩を図る、斯くして明治の御世は始つて政治・教育は同じ様に進んだが、商売の教育は甚だ乏しかつた、先刻川澄さんもお話になつたが矢野二郎君が東京に商業講習所と云ふものを起した際には渋沢が一人お助をした計りで其当時の心細さは実にお話にならぬ、只今こそ商業教育が世間から認められ、御当地に於ても斯く多数の諸君が商業教育に従事せらるゝと云ふ事は其当時に於ては夢にも出来ぬ事と思はれた。
 偖て私しは明治六年商売に従事しました時の考は当時世の中は政治のみ発達し、軍隊のみ強くても之れでは足らぬ、日本国民の前途は危険である。即ち政治に熱狂し、軍人計りを唯一の日本武士の如く考へて居ては真正の富が進まぬ、富む事は富んでも、よしや軍隊が強くとも、完全の富国になる事が出来ぬ、事に当つて死ぬと云ふ心が激しかつたとするも或場合引は取らぬとて真正な文明は進まぬ、今欧洲の有様に見るも勿論軍事・武力には力を入れて居るが同時に国を富しむる事を務めて居る、商売の学問の進まぬ時代は日本人は日本丈けの商売
 - 第44巻 p.552 -ページ画像 
は知つて居ても日本以外の事は知らぬ、一歩進んだ処で支那と和蘭を知て居る位で頗る狭い範囲で商売をして居つて、世界を股に掛けて欧米人士の様に商売を行ふには対手の国と同様の智識を持たねばならぬ事は明かである。
 斯の如く対手の国が有つ丈けの商売上の智識に応ずる丈け又日本も智識が要るのであるから、只政治丈け進んでも学者丈け出来ても之を取扱ふ事を知らぬ、即ち商業教育者は大声疾呼して之を希望せざるを得なかつた、新しい時代は政治観念が強く商業教育に対する希望も低いものであつた、諸君は其時代を御存じがなく、実際に見ぬ事は感じが薄いが諸君がお宅へお帰になりお祖父さんに聞て御覧になれば判る渋沢が昔の商業教育に就て斯く話して居たとお聞き下されば判る、昔の商売は二一天作ノ五と云ふ珠算が根本で、商売往来と云ふものがある位で幾何とか三角等と云ふ事を知て居るものは少し過激な言葉であるが馬鹿より外は知らなかつた、欧洲の事は勿論、唐・天竺と云ふ様な事を云ひ、朝鮮位か琉球を知て居るものが少しあつた位ゐ、商売は有無相通ずるもので其方法等を知るものは殆ど皆無であつた。
 而して今お話をした最初の商法講習所は一時東京市の方でも廃止仕様と云ふ説が出て私共が力を入れ之を保存さす事としましたが、之が間接に一ツ橋高等商業学校設立の原因とも成りましたので、当時は進んで之を設けようと云ふ御方もなく商業の高等の学問を修める処は無く、其他の学問をする処は高等学校より進んで帝大・早稲田・慶応と綜合大学もあり、民設としても教育機関は備りましたが、商売の方の学校は皆無で苦心致したものであります。併し之は昔の話で今日では四日市へ参りましても、斯く数百名の方のお集り下さる前でお話が出来る商業学校が出来ました、偖て高等商業学校は明治廿年頃は遅々として進みませず、実業家と云ふものは卑められまして初めは商売人より役人が高く見られて、官途から去ると野に下ると云ふ様な文字が用ひられ、私も明治六年、野に下つた一人で官吏が重く見られ、一方は軽くされ官尊民卑の時代でありましたが、今日はお役人が廃めて私の家へ迄実業家へ世話をして呉れと頼みに来る様になり、諸君の将来は大層心強いので、即ち御当地にも多数の御方が集つて商業教育に従事されるとは喜しい事であります。
 商業・工業の事に就て尚委しくお話する時間もありませぬから一般の変化に止めて於きますが、当時は斯様の例も引き続て数多くありましたが、時間を費して申上げても諸君に余り大した利益でもありませぬから商業教育とは斯々斯様の沿革であつたと云ふ事丈けをお話致します、第二にお話致しまする事は商業教育と云ふものは如何なるものであるか、商業と人たる本分は如何であるかを申上げ度い、申す迄もなく商業は種々あつて近来実業と云ふものは工業も、運搬業も、鉱山業も、保険業も悉く実業である、之を綜合して商業は富を作る手段であると云ふも、然し富を求る事と人たる本分==道徳とは如何、凡て事業をやれば事業に対して成敗即ち十分見込を立てゝ仕事を進め、利益を追ふ為に結局強い争が起る、又富を増さねば効果が無い、此富を得んが為に其事業を直すくにせず曲つた事をして富を得んとするもの
 - 第44巻 p.553 -ページ画像 
が出来る。
 此土地にも矢張り相場と云ふものを立る取引所がある、米株式の取引をする、私しは敢て株式取引で儲ける事を悪いとは云はぬ、然し其事実が只株式の売買で一方が利益を得れば一方が損をする、甚だしいものは之で賭博をやる、賭博と云へば一方が玆に物を伏せて表か裏かと何れかに金をかけてお互に明けて見て、一円づゝ賭ける時は表か裏のものが取られる、取つた人は一円が二円となり一方は損をする、斯る事で得た利益は真正の富とは云へぬ、併しながら米を作る人が米を作て之を売り、百姓が之で油も買へば砂糖も買ふ、米を買た人は之を食ふか或は又人に売る、売つた人も食ふ人も利益があり、作る人も之で利益を見る、三ツの間で何れも利益する之れが商売である、紡績工場も此街にあるが綿を作るものから之を買入れ、工場で製造して糸として売ると利益がある、工場も買つて売つて利益をとり、糸屋は糸を買て又売つて利益を見る、綿を作るものと共に四ツ斗り此間で皆相当の利益を見て居る、之れが真正の富である、凡てのものに道義即ち道徳上の富と不道徳の富との差がある。
 尚激しい悪い事になると有るものを無いと云ふ、見本より粗末な品を作る粗製濫造と云ふ事をやる、甚しいものは約束を違へると云ふものがあるかと思へば人が買んとする品物へ手を廻して買占め、其人の利益を防害する、偽を云ふ、信用を重ぜぬ、約束を違へる、人の商売を妨げ己れの利益を図る念が人間の本分を没却する、之れが今日迄富と経済の没却を見た処で、商業が進歩し事業が発達すると共に智識が進むにつれて斯る人格が衰へて人を愛する感念が下落して人はどうでも宜い、自己丈け良ければ宜いと云ふ心、虚栄浮薄狡猾、人間が斯様な有様に成つて了へば商業教育は寧ろ悪い風習を作る根本の様に成ります、今世界の有様は段々と物質文明が進み個人と国が力を入れて自国の富を作らんとの観念が強く国際道徳は没却され惹いて強いものゝ力で弱いものを倒す、弱肉強食、これ戦の言葉であり、兎が虎や狼の餌食となる様に今日の日本も心得違の望を持てば商業丈け進歩するも国を挙げて弱肉強食となり、昔の様に商業教育の無かつた方が却つて安全であるが如き状態を呈することであらう。
 今回の欧洲戦役が果して如何に終るか私共御互に之を計り知る事が出来ぬ、併し何れ終局を見る事であらうが、其暁に世界の風潮が如何になる事か、甚しく弱肉強食主義が瀰蔓するか、或は此の主義で無くば一国を守る事が出来無く成らぬとも限らぬ、然しながら私共は斯る弱肉強食主義となつてはならぬ、お互に実業界の人は狼狽せぬ様に心掛ける事が必要である、殊に若い未来の多い人に此心掛が大切である未来の多い人こそ富国強兵の実を挙ける人で、諸君こそ第二の国民として大に尽すべき人々である、幸に前に申上げた事を十分に心銘されて正しい帝国の臣民となつて貰はねばならぬ。
 商業教育も又此の主旨で養成され国民としての智識を磨き商業家として立派な人と成て頂きたい、教育の事は今も其沿革に附て述べたのであるが今日では十分設備も整ひ、教育を了へて出て働く場所は沢山にある、世間は斯る人物を要求して居る、昔と違ふのであるから十分
 - 第44巻 p.554 -ページ画像 
に学問を勉強して大に活動せねばならぬ、只活動するにも今申した道義と利殖、道徳と経済を一致させねばならぬ、富むと云ふ考は真正の実業について初めてなすべきことで、不道徳、粗製濫造、約束を違へる事、他人の利益を妨害する事、斯の如き事は誠の商売人のなすべき事では無く、人格ある実業家の取るべき道では無い、諸君は自ら自重し、自ら尊敬して、実業家として時世の進運に応ずる様に心懸けられ度い、私しも老人であつて今回限りお目に掛れぬとは断言出来ぬが、未来ある方々に私しの希望を諸君に依て現じて貰ひ度いのである、誠に纏らぬ事を申述べましたが之でお話を終ります。