デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
1節 実業教育
17款 全国商業学校長会議
■綱文

第44巻 p.559-567(DK440137k) ページ画像

明治45年5月10日(1912年)

是日栄一、東京高等商業学校ニ於テ開催中ノ全国商業学校長会議ニ臨ミ、講演ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四五年(DK440137k-0001)
第44巻 p.559 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四五年        (渋沢子爵家所蔵)
五月十日 晴 軽寒
○上略 午前十時高等商業学校ニ抵リ全国商業学校長ノ会合席ニ於テ一場ノ講演ヲ為ス○下略


竜門雑誌 第二八八号・第四八頁明治四五年五月 ○全国商業学校長打合会(DK440137k-0002)
第44巻 p.559 ページ画像

竜門雑誌 第二八八号・第四八頁明治四五年五月
○全国商業学校長打合会 青淵先生には本月十日東京高等商業学校坪野校長の依頼により、同上旬より同校に於て開会せられたる全国商業学校長打合会に出席して一場の講演を為されたり。


竜門雑誌 第二九一号・第四二―五三頁大正元年八月 ○全国商業学校長協議会々場に於て 青淵先生(DK440137k-0003)
第44巻 p.559-567 ページ画像

竜門雑誌 第二九一号・第四二―五三頁大正元年八月
    ○全国商業学校長協議会々場に於て
                      青淵先生
  本編は本年五月東京高等商業学校に於て開催せられたる全国商業学校長協議会々場に於ける青淵先生の演説なり。(編者識)
御目通りを致した御方も大分有るやうですけれども、久々の御会見でございますから、どなたどなたとはつきり承知しませぬ、況んや多数は初めて御目に掛かるであらうと思ひますが、此程中から御評議の為に東京に御会同の御様子を承知しまして御苦労のことゝ御察し申上げて居ります、今日は私に参上いたして諸君の御参考になるべきことを申上げるやうにと、当校長から御依頼でございましたから大した気付きを申上げると云ふ程の事は有つて居りませぬけれども、幸ひの御会同である、兎に角御目に掛つて十分御勉励を願ひますと云ふだけの言葉なりと申上げたいと思ひましたから、今日を御約束して参上すると申上げた次第でございますが、折角の御集に対して御目に掛つて見ると一言何か諸君を稗補することを申上げたく思ひます。
何時も申上げるやうでありますが、学事に身を委ねて居りませぬ私しですから、詰り教育を命となさる諸君に向つて補益すべき御話は余程難いと恐れて居る、併し同じ教育としても商業教育である、実業の指導である、其の出来上つた人は憚り多い申分でございますけれども、先づ私共の畑に身を立つて往くべき其の青年を仕立てゝ下さる諸君であれば詰り御注文申す資格が私に有る、又此注文を受けるは諸君の責任と云うては、ちと言ひ過ぎますけれども、其の御意味を以てやつて戴きたいと云ふだけの関係は具へて居ると思ひます、殊に私は此の商業教育に付いては学問の無いにも拘らず、始めから日本の実業をして学理と十分適応さして進めて行かなければ、日本は将来真正なる富を成すことが出来ぬと云ふだけは、大きく言うたら四十年も昔、少くも
 - 第44巻 p.560 -ページ画像 
三十年以前から其事を唱へて、一日の如く唱へ来つて居りますのでございます、故に詰り大体の意見に過ぎませぬけれども、其主義に於て一・二心付きの事を陳上いたして、御参考に供さうと思ふのでございます。
三十年前と今日と較べますると、教育の範囲も大変広くなりましたし又教育を望む人の智慧も進んで来て分量も多くなつた、同時に之を教育なさる諸君の方法も設備も大いに進んで来て居ると云ふことは論を俟ちませぬ、是等が相俟つて国家の総ての方面が発達しまするのですから喜ばしいことで、往時を回顧しますと愉快極まる訳であります、併し物は憂が憂にのみ終らぬと同時に、喜が喜ばかり継続してはいかぬもので、喜のある時分には憂のことを考へなければならず、憂の有る場合に只憂にのみ沈んで仕舞ふといふことは人の向上発展を妨害するものである、故に志ある人は憂の有る場合に、其間喜の有ることを心に貯へて志を沮喪せしめぬやうにして往く、又喜の有る場合に此喜に馴れて、此の喜を憂に帰せしめることの無いやうにと心懸けなければならぬのである、古人の聯句に、名を成すは毎に窮苦の日に在り、事を敗るは多く得意の時に因す、と云ふ格言があります、支那人の一言一句は余程面白く書いてあります、成程人は困艱の場合に名を成す端緒が啓けるものであるが、又得意の時に蹉躓胚胎せしめるもので私自身などにも大分さう云ふ経歴を嘗め来つて居りますから、御若い諸君であつても多少さう云ふことがあらうと思ふのである、故に前申す通り、喜と憂は謂はゆる糾へる縄の如く、此学業教育の進歩して行くのを喜ぶと同時に、多少憂へありと云ふことを忘れてはならぬと思ふのである、で、私が今日三十年来の経過に見るも実に非常の進歩で、各地の商業学校の校長さんが御集りなすつて此の広い会堂が満員になる程進んで参つたのを見るが、昔は此東京にすら一の学校すら持続が出来ぬやうな時代があつたのです、――彼と此とを較べて見ますと、三十年の歳月短しと云ふべからずとは申しながら、誠に其進歩は如何に喜び多いでございませう。併し其の喜は喜のみで終り得られぬと思ふのである、今日学業を学ぶ人、教ゆる人の間に等しく欠点が多いと云ふことを申上げざるを得ぬと思ふのです、斯く申上げますると、甚だしきは教育亡国とまで憂慮せねばならぬかも知れませぬけれども、其の憂を憂のみに終らせぬのが御互の務である、御互と云ふよりは、諸君の務であるのだから、諸君の御力をして、是から先き大いに恃みとするならば、或は私が此の一時の御注意も少しく価値あらうと思ひます。
先づ第一の点を申さうならば、どうも教育が政治に傾く弊がある、近頃は実業の教育も随分進んで参りましたけれども、まだ大部分が謂はゆる梯子段教育と云ふやうな有様で、一番上の階級に進んで行きたいと云ふ希望を強くする、其の学ぶ人の資格、能力等に比較して学び得たならば然るべきことなるに其分量は考へずに何でも詰込んで学ぶと云ふ方に走る、是は事物の一張一弛の間に生ずる弊害ですから、進んで行く場合に其れを咎めるのは寧ろ酷ではありませうけれども、併し唯進みばかりして、行き誤つてから気が付くのでは抑々遅い、故に今
 - 第44巻 p.561 -ページ画像 
日に於て最も注意したいと思ふのであります、詰り学ばせるに付いて其の学問が成るべくだけ其の人に適応するやうにさせたいと云ふ主意です、併し其れは教育上為し能はぬことだ、さう云ふ無理な注文をしたからと言うて限りある費用、普く設けてある設備で各種のものを各様に教へやうと云ふことが出来ることではない、其れは求むるのが無理であると斯う言はれるでありませうけれども、併し此の一般教育の上から、其の出来上つた品物即ち学び得た事が其の人に取つて不適当で、其の教育では売れぬと云ふ場合には寧ろ其人を誤ると云ふことになる、申さば仕入品と誂向と云ふ差別のやうなもので、若し或器械又は一の器具に譬へて言はうならば、需要の少ない田舎へ持つて往つて何時までも売れない為に席を塞げる、掃除する時につい傷を付ける、段々色も褪めて其の品物は店晒しとなる、是が道具であるとか反物であるとすれば、色が褪めるとか疵が付くとかだけで済むけれども、意識の有る人であるから種々の煩悶を起す、其の煩悶は種々の弊害を生ずると云ふ訳になる、さうすると、此の製造品は甚だ不利益になる、入費を掛けて不利益の物を造り出すと云ふことがないとも申されませぬ、私は総て誂品を造れとは申上げませぬけれども、成るべくだけ需要多き製造に心懸るやうにしたいと思ふ、併し各校長さんが其の父兄に悉く貴様は如何なる資力を有つて居るか、其の子弟は学才がどれ程あるか、而して家庭はどうだか、家業はどうか、親父はどうか、祖父さんはどうかと詮索して然らば此の学問をしたが宜しいと言ふことは是は人間では出来能はぬではないかと仰しやるでありませうけれども今の教育を見ると其れとすつかり反対で、猫でも杓子でも皆同じ教育を与ると云ふ仕組に相成つて居る、又求める方も勿論能力にも構はず資力をも論ぜず、唯だ求めると云ふだけであるのが今日一般に風を為して居る、詰り其の間に大いなる弊害を惹起して、学んでは見たが職を執ることが出来ない、後は頻りに煩悶を惹起すと云ふことは往々聞及ぶであります、是は一時の弊である、故に追々と調和されるだらうと思ひます、故に高等遊民が出来て総ての社会にまで妨害を与へるなどゝ云ふ杞憂は、深く憂ふるに足らぬと私は思ひます、けれども其の有様が無いとは言はれぬのである、但し諸君の御従事なさる学校は寧ろ其の程度が低いからして製造品を直ぐ其の地方、若くは其の地方たらざるも一般に向き易いところであると思ひますからして、今申上げた弊害が比較的薄い方であらうと思ふけれども、是は今日の教育上一般にある弊害と思ひます、其れで仮令程度の低い商業学校長諸君に於ても成るたけ此の弊害のある所を知悉して、出来得るならば謂はゆる誂向の品物を造ると云ふ御心懸けが教育上甚だ必要であるが、仕入品を造らずに誂向の品物、割の廉い良い物を造り出すと云ふやうに各員が各方に教育が出来るならば、もう其れに越したことはないけれども是は言ふべくして行ふべからざるものでありますからして、唯だ大主意に於てさう希望したいと思ふのである、又他の一例を以て申すなら私が始終心配して居りますのは、是は相応しからぬ譬でありますけれども、玆に孤児がある、孤児を収容して養育する手段として合宿法でやると云ふと費用が掛りませぬし、手数も楽でございます、併し此孤
 - 第44巻 p.562 -ページ画像 
児中に少し性質が善くない、悪るい習慣も付いた者を矯正し、感化して往かうと云ふには、一人に向つて一人の保護を附けるやうにしなければ完全のことは出来ない、故に家庭式の収容法にする、欧羅巴では家庭式でなければいかぬと言て居る、併し其れにしますと、例へば百人あるものを十人づゝに別けると十軒の家を造らなければならぬ、取締に立つ者を十人置かなければならぬと云ふ訳で、大層費用が掛かる合宿法で之を四つの家で二十五人づゝにしてやると、十人の取締を附けて置かぬで四人で済む、二十五人の合宿法を五十人にすると更に費用の節減が出来る結果、其の代りに注意が届かぬ、其の性質に従うて或は矯め、或は誘ふと云ふことに欠ける所がある、出来得るならば前のやうにしたい、其れと此の学校教育とは同日には論ぜられませぬけれども、蓋し其の間に同じ意味を含んで居ると思ふ為に、私は諸君に大体に於て前陳の弊害がありますから、成るたけ其の弊に御注意ありたいと云ふことを望み上ぐるのであります。
更にもう一つ申上げたいのは、今日の有様は小学中からして、相当の倫理道徳のことも教へぬではございますまいけれども、教育と家庭が師となつて或は誘ひ、或は戒めると云ふやうな有様で、例へば智慧は学校で教へるけれども、精神をば家庭が師となりて或は誘ひ或は戒めると云ふやうな法が立つて居るとは申せぬやうであります、追々に教育界に成長した人が家庭を作り、其の家庭が良い模範を示し、二代三代と経て往つたら終には学校で智慧は教へる、精神は家で修養すると云ふやうに、工合好く往くでありませうけれども、目前の所は何れの学校もさう云ふ有様では無い、さうすると、此の学校で智慧を与へて貰ふと云ふだけで、家に帰りても復習もせぬ其の両親には能く分らぬと云ふやうな場合が往々ある、単り其の与へられた智識すら家に帰つて復習もさせ得ず、況んや道義とか精神の修養とか云ふものに至つては、殆ど何等之を修める途が無いと云ふやうに見受けられる、諸君の御管理なさる学校の青年が、更に進んで高級に往く人も有りませうかなれども、其の学校を卒業して直に世に立つと云ふ人であれば、是非其の人に相当なる智慧と共に心を維持する教へがなくては私はならぬ事と思ふ、是等に対しては其の場所場所に於て相当なる倫理を教養する仕組が要用である、但し各地に於て同じ様なる方法を御設けなさると云ふことは求める訳に相成りますまいけれども、既に当学校などには同窓会と云ふものがあつて、修身上又は信義道徳にまで心を磨くものとは申されませぬかも知れませぬけれども、必ず多数の仲間で謂はゆる相制裁すると云ふので自然と其の人の品位を高くすると言ひ得るだらうと思ひます、若し此の同窓会の力を更に進めて参りましたならば、一種の気風を造ると云ふやうなことが出来るものだと思ふのです之を作らせ之を養成して往くのは其所に従事する方々の平日の丹精が其の効を奏するであらうと思ふのでございます、御人を指して申上ぐるのは失礼かも知れませぬけれども、名古屋の市村君などは始終此御心配をなさる為に、其の学校に育つた人が強い情愛を以て校長を師として仰ぐと云ふことを私は承り及んで居りますが、蓋し其等は好模範と申上げて宜からうと思ふのであります、私は学校に付いてさう云ふ
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ことは望み得られませぬけれども、埼玉県人でございますから、埼玉県出身で東京に出て居る学生が、埼玉気風と云ふことを誇る訳ではありませぬけれども、一種の気風を生ぜしめたいと云ふ考から、もう十年ばかり寄宿舎を作りまして、そこに寄宿する人は自ら埼玉学生気質と云ふものを形造りたいと心懸けて居ります、まだ成立つたとは申されませぬ、又非凡の人が出来たとは申上げられませぬけれども、段々歳月を経て往くに随つて、其れから出身した人が先輩となつて仮令東京に居りませぬでも、始終其の寄宿舎に対して消息を通じ気脈を通はして居る故に、善い事が有ればそれを賞し悪るい事が有れば之を戒めると云ふやうにして、先輩が余計出来て来る程、人は斯くありたいものと律義を重んじ、軽薄を戒めなければならぬ、偽りは言ふては成らぬ、父母には孝、兄弟には友にしなければならぬ、詰り孝悌忠信を本にして、さうして知識を磨き学業を励むと言ふと即ち、勅語の父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し朋友相信じ、学を修め業を習うて完全の人となるであらうと思ふ、是非是だけの根本が無ければ、幾ら人に智慧が有つても事業が出来ても何にもならぬと言ひたい位である、其の基礎を造ると云ふことは果して此の学校の校長諸君の御責任ではないでせう、けれども、前に申す通り家庭が其れを作るだけの要素がない故に御互と言うては失礼で、諸君は教育に従事する、智慧だけ教へれば夫れで其の者がどうなつても構はぬと云ふならばいざ知らずです、決して教養と云ふ意味は其の人をして完全に過失なからしめるのでなければ能事了れりとは言へぬだらう、智慧だけ進めば精神はどうでも宜いとは決して申せぬのである、故に私は成るべく今のやうな気風を作り成さしめる手段が各地に於て諸君の御心懸けに由つて成立つものであらうと思ひます、詰り此の精神修養に属することを、学校に学んだ者には其気風を一つに作り成すと云ふことを一の御心懸けとして往きたいと思ふのであります。
今一つ申上げたいのは是も類似の注文で斯く申しましても、実際如何にすれば宜いかと仰しやらるれば私も其の答に苦しむ問題でありますが、師弟の間の関係をして、情誼を厚くし相親むの念慮を強くあらせたいと思ふ、御集りの地方の学校に於ては如何か知りませぬが、私が聞及ぶ東京の中辺の学校に於ては、頗ぶる此の師弟の関係が薄い、殆ど師と弟子とが何と言うて宜うございませうか、悪い例を言はうならば、寄席に出る落語家を聴きに往つた多数の聴衆の如くにまで見受けられる、あの人は講義が面白くないとか、あの人は時間が長いとか甚だしきは悪い癖を見付けて之を批評すると聞及ぶのです、蓋し是は私が悪いことだけ聞く為であるのかも知れませぬ、昔と雖も師弟の間が総て情愛が密だとは申せぬでせうけれども、誠に孔子は三千の弟子があつた、三千の弟子が残らず皆能く顔を知り、皆能く談話をした人ではないでせう、併し其の中で六芸に通ずる者が七十二人あります、此の七十二人は常に孔子と談話をして居つたやうに見える、七十二人は孔子の人格に全く感化されたやうに見えるのです、斯の如き師弟を例として論ずるも余り過当でありませうが、又今日の支那を見ると左まで模範ともされない、併し今日の支那が悪るいからと言うて、孔子の
 - 第44巻 p.564 -ページ画像 
徳が変遷する訳は無い、支那が後に悪るいからと言うて孔子を軽んぜぬでも宜い、支那が善いからと言うても桀紂を重んずる訳には往かない、故に此の孔子が師として子弟を導ひた有様は誠に師たり弟たるの間柄が極善いと思ふ、斯の如き有様を今日求める訳には往かぬけれども、徳川氏時代に於ても師弟間の感化力は強かつた、其情誼が切実であつたと云ふことは、試に一例を言はうならば、熊沢蕃山が中江藤樹に師事した有様などを御覧なさい、蕃山と云ふ人はあれ位気位の高い人であつて、所謂威武も屈せず富貴に蕩せずと云ふ、天下の諸侯を物の数ともせず、備前侯に仕へはしたけれども、師として敬せられたから政を施した位の見識の有つた人だが、中江藤樹に向つては真に子供のやうになつて三日忍んでさうして弟子たることを得た、其の師弟間の情愛の深かつたのは、蓋し中江藤樹の徳望が人を感化せしめたのだらうと思ふ、又新井白石と云ふ人も剛情で智略と云ひ、才能と云ひ又気象と云ひ実に稀有の人である、其れが終身木下順庵には服従して居つたと云ふことである、近頃佐藤一斎と云う人も、能く弟子を感化せしめた、又広瀬淡窓も同様である、私の知つて居るのは漢学の先生だけだけれども師弟と云ふ関係が昔風では一身を抽でゝ親しむと云ふのである、然るに今の師弟の間は殆ど寄席を聴きに往つた有様を為して居ると云ふことは、是は私は満足の風習でないと恐れて居る、畢竟是は師匠たる人が悪るいと言はなければならぬ、徳望、才能、学問、人格がもう一層進まなければ其子弟をして敬虔の念を起させぬ、そこには師たる人に欠点があると言はなければならぬ、併し弟子の心得方も甚だ悪るいと思ふ、一般の風習が其師に対して敬ふと云ふ念が少ない是は至極結構とは私は言ひたくないと思ふ、他の国々の有様は私にも能く分りませぬ、併し英吉利などはどうも私は師弟の間の関係が日本の今日のやうではないと思ふ、但し日本でも優れた教育に従事した御人が猶ほ今私が申す有様とは言はぬ、或種類にはそれこそ中江藤樹も木下順庵もありませうけれども、甚だ鮮ない過渡時代の為めに不幸にして俄出来の先生が沢山あるから、自ら斯かる弊害を惹起したのだと弁解すれは弁解の言葉があるでせうけれども、苟も人に教授する以上は其の人自身が自ら省みて余程注意をして貰ひたいものであると同時に、又一方からして之を十分敬ふと云ふ心を以て子弟の間に情愛を以てしたいと思ひます、諸君の御従事なさる学校の教員諸君にも、生徒をして常に之に接触せしむるに其の御心懸けをなされたら、其の風儀を良くすると云ふことが悉くは届かいでも、悪るいのを防ぐと云ふだけ位のことは為し得られるものであらうと斯う思ひますのです。
色々の注文を申上ぐるやうでありますが、もう一つ申して置きたいと思ふ、其れは此の学問に対する経費です、諸君の御従事なさる学校は総ての費用がさう沢山掛らぬで御仕上げであらうと思ひますから、決して諸君に対して費用が掛り過きるから、もつと節約するが宜からうと申すではございませぬけれども、如何に教育は貴いもので、教育の進んだ為に国家が発展した、国威が宣揚したと云ふことは御互に申されると思ふても、併し此の教育が今日の国家の財政経済に対して大いに苦痛を感ぜしめて居ると云ふことも亦忘れてはならぬのでございま
 - 第44巻 p.565 -ページ画像 
す、而して其苦痛があるからと云うて、教育は進めて行かなければならぬが、教育を進めて行く程夫れ程、実力が進んで往くかと云ふことは余程考へものである、諸君御自身に此の職を奉しつゝ尚ほ他の生産事業を御やりなさると云ふことは出来ぬでせう、故に教育に従事する者は教育を専らにし、生産に従事する者は生産を努めて国費であるなり、地方費であるなり、町村費であるなり、個人の費用であるなり、其れを供給して教育が完全に出来るやうにして、一方も乏しきを告げず、一方も不足を感ぜずしてやつて往ければ此上もございませんが、私は其生ずる力よりも、費やす方が多くて総ての部分が少し釣合が付かぬと思つて居る、即ち生産力より費消力の方が先きに立つ虞がある是は教育ばかりを申すのではありませぬ、費消力が生産力より打勝つと、追々と不権衡を惹起して、終には国家が衰亡して来る、今日諸物価が高いと云ふことも生活困難を唱へるのも、貿易のバランスが不権衡であつて兌換制度の維持が覚束ないなどゝ云ふ歎声のあるのも、皆此の費消力が強くつて、生産力が之に伴はないと云ふことに帰すると云ふ事は是は決して争はれぬ論であります、憚りながら私は此の生産力に従事して己れ自身は富を以て称へられる仲間にはなれませぬけれども、併し私の管理することは皆な富を増すことを経営して居るのです、三・四十年ばかり以前までは、日本の国費と云ふものは大抵土地に附いた貢租を以て総て賄をして居つた、日本の政治は即ち地租に由つて為して居つた、其頃私共は是では迚もいかぬ、土地の貢租ばかりで国家を経営する如き貧乏国では何をすることも出来ない、大いに此の商工税が盛んにならなければいかぬと言うた、商工業に向つて強い税の課け得られるやうな国にならなければならぬと言うて苦心した昔の事を申すのはをかしうございますけれども、明治六年に私が官を罷めます時に建白書を奉呈した、其時には逃げ際に後足で砂を掛けたなどゝ言つて人に謗られましたが、其の奏議中にも書いてあります歳入は農税ばかりである、斯の如き貧国ではいかぬから、税は増すやうにせねばならぬ、税の増せるやうにしやうならば、無暗に費用を使つてはいかぬ、税を増す土台が出来ぬではならぬ、沢山其葉を摘まうと思へば其枝を余計繁茂させなければならぬ、繁茂させずして唯だ摘んだならば終には枯れて仕舞ふと云ふやうな意味を以て、為政の余り急進に傾き過ぎることを論じました、いつもさう云ふことばかり言ふて居る、悲観説ばかり唱へると言はれますが、今日も猶ほ同じ様な意見で財政が始終経済を妨害する、補助せずに妨害をするとまで言ひたいやうに思はれる、斯かる時代であるから如何に必要なる教育でも、今日之に対して費用を節約すると云ふことは私は希望に堪へないのである諸君の御従事なさる教育の費用が一番少ないと思ひますからして、諸君に向つて強く節約を求めると云ふ意味ではない、総ての教育に向つて其費用はどうぞ節約したいと云ふことを深く希望するのです、併し其の生産力を増すべく教育を為す諸君であるから、請ふ隗より始めよの意で努めて少ない費用に由つて完全なる教育が与へられるやうに御心懸けを願います、殊に諸君は唯だ教へるばかりでなく、其学校の政治を共にしてござるから是だけの費用を使つて、其学に従事する、他
 - 第44巻 p.566 -ページ画像 
の学校に於ては是程費用が掛かるけれども我学校は斯う云ふ費用を節約して、猶ほ他に優ると云ふ誉を持つ如き有様にまで御注意を希望いたします、色々御注文を申上げるやうに聞へて、悪るくすると出来ない相談だと仰しやられるかも知れませぬが、総て諸君は欠点が無いから他の欠点をどうぞ御補ひなすつて下さいと云ふ意味で申すのではございませぬ、前置にも申す通り、今申上げる事共が皆適応するや否や私自身にも分らぬから謂ゆる思ひ出の儘御話をするので出来得ることならば、さう云ふ風にして下さいませいと云ふに過ぎませぬのである前に叙し来つた事が御参考になつたならば、自分の幸甚此上もございませぬが、更に今一つ申上げ加へて置きたいのは事業を経営する人の心持ちである、是は私が銀行者であるからして、銀行業をするに付いての心懸けが、諸君の従事する商業学校の校長としての御心懸と同じく其職さへ尽せば宜い訳である、其の職に対する責がある、行ふべき務がある、其の務は朝から晩まで箇条書で定めるものでは無い、大抵程度がある、其れを完全に尽せば其れで職分は足りたと言うて宜いのです、例へば一家の主人たる者が相当なる務を処しさへすれば、其れで能事足れりと言ひ得るだらう、併し私は其れでは人の世に立つ完全なる仕方ではないと思ふ、如何なる仕事に対しても、近頃の流行語の趣味も持たぬといかぬと云ひますが、此の趣味と云ふ語の定義がどの辺に在るか、学者でないから完全なる解釈を下すことは出来ぬが、人が職掌を尽すと云ふにも此趣味を持つことを深く希望するのです、趣味と云ふ字は理想とも聞えるし、欲望とも聞えるし、或は好み楽むと云ふやうな意味にも聞える、故に此趣味と云ふ字を約めて解釈したならば前にも申す通り、其の職分を単に表面通りに勤て往くと云ふのは俗に謂ふ御極り通りで、只其の命令に従つて之を処して往くのである併し趣味を持つて事物を処すると云ふのは我心から持出して此の仕事は斯くして見たい、斯うやつて見たい、斯うなつたから、是を斯うやつたならば斯くなるであらうと云ふやうに、種々の理想欲望をそこに加へてやつて往く、其れが始めて趣味を持つたと云ふこと、即ち趣味と云ふのは其の辺にあると私は理解するのです、趣味の定義はどうであるか知らぬが、是非人は其掌る事に付て総て此の趣味を持たれたいと思ふ、更に一歩進んで人として生れたならば、人たる趣味を以て尽したいと思ふ、果して此の世に一人前の趣味を持つて其の趣味が真正に向上して往つたら、其れこそ相応の功徳が世の中に現はれ得るであらう、其れまでに無うても、趣味ある行動であつたならば、必ず其の仕事に付いて、必ず精神あることになるであらうと思ふ、若し其の極り通りの仕事に従ふのであつたら、生命の存在したもので無くなつて唯だ形の存在したものとなる、此間も或書物の養生法に付いての言葉がありました、若し老衰して生命が存在して居つても、唯だ食うて寝て、其の日を送るだけの人であつたならば、それは生命の存在ではなくして肉塊の存在である、故に人は老衰して身体は十分に利かぬでも心を以て世に立つ者であつたら、即ちそれは生命の存在であると云ふ言葉がありました、人間は生命の存在たり得たい、肉塊の存在たり得たくないと思ふ、此は私共頽齢の者は始終其れを心懸けなければなら
 - 第44巻 p.567 -ページ画像 
ぬ、まだあの人は生きて居るか知らんと云はれるのは蓋し肉塊の存在である、若しさう云ふ人が多数有つたならば、此の日本は活き活きはせぬと思ふ、今日世間に名高い人でまだ生きて居るかと言はれるのが沢山有る、是は即ち肉塊の存在である、故に事業を処するにも其の通り、唯だ其の職を務めるだけでなく、其の事に対して趣味を持たなければいかぬ、若し趣味が無いなら精神が無くなつて仕舞ふ、恰度木偶人と同じ様に成る、斯の如き訳でありますから、諸君に取つても趣味の必要なることを御勧め申さなければならぬ、即ち若し深い趣味を持つて御尽しになつたならば、私が申上げる如き事が悉く行はれると云ふことは期し難いとしても諸君の心から生ずる理想、若くは欲望の或一部分に適合し得るだらうと思ひます、孔子の言葉に、之を知る者は之を好む者に若かず、之を好む者は之を楽む者に若かず、と云ふ教がある、論語の雍也篇にあつたと思ひます、蓋し私は趣味の極致と思ふのでございます、どうぞ此の商業教育に対して十分なる趣味を御持ち下すつて、好む以上の楽むまでに此の事業を御進めなさることに御願ひしたうございます、長々と出来ない相談を申上げた嫌ひがあるかも知れませぬが、前にも申す通り、決して訓戒的に申上げる積りでもなし又強ひて願ふ訳に参りませぬけれども、思ふた事を遠慮なく申したに過ぎませぬから、御参酌下すつたら幸甚でございます。(拍手)