デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
2節 女子教育
1款 日本女子大学校
■綱文

第44巻 p.584-590(DK440142k) ページ画像

明治44年5月14日(1911年)

是日ヨリ同月二十二日ニ至ル期間、栄一、当校ヘノ寄付金募集及ビ女子教育振興ノタメ、当校評議員大隈重信・当校校長成瀬仁蔵・当校評議員森村市左衛門・同塘茂太郎等ト共ニ、大阪・神戸・岡山・京都ノ各地ヲ旅行ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四四年(DK440142k-0001)
第44巻 p.584-585 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四四年       (渋沢子爵家所蔵)
五月十三日 晴 暖
午前七時起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、後成瀬仁蔵氏ノ来訪ニ接シテ明日ヨリ女子大学ノ事ニ関シテ関西旅行ノ順序ヲ談ス○下略
五月十四日 雨 軽寒
午前六時起床入浴シテ直ニ朝飧ヲ食シ書類ヲ整理シテ留守中ノ要務ヲ覚書トシテ記載ス、此日ハ女子大学ノ要事ニテ大隈伯・森村氏・成瀬校長ト大阪行ノ約アルニヨリ午前八時自働車ニテ新橋ニ抵ル、武・正明石等同伴ス、停車場ニ多数ノ見送人輻湊ス、大隈伯等先ツ抵ル、即チ汽車ニ搭シ八時三十分発車ス、送別人頗ル多シ、静岡・名古屋・豊橋・大津・西京等ノ停車場ニハ種々ノ人士来リ迎フ、車中多様ノ来訪人アリ、又新聞記者多ク来リテ時事ヲ談ス、夜八時半大阪着伝法屋ニ投宿ス、西園寺以下大阪・神戸ノ銀行員等来リ迎フ、塘氏来話ス
汽車中大隈伯其他ト此行ニ関スル一行ノ方針ヲ協議ス
五月十五日 晴 軽寒
○上略 大隈伯ヲ花屋ニ訪ヒ、更ニ公会堂ニ抵リテ女子教育ニ就テ一場ノ講演ヲ為シ、畢テ大阪ホテルニ抵リ高崎知事、土居通夫氏ニ桑港クロニクル新聞記者ヲ紹介ス、加藤辰弥氏通訳セリ、六時ヨリ大阪人士多数来会シテ晩飧会ヲ開キ、女子大学寄附金ノ事ヲ勧誘スル為メ一場ノ演説ヲ為ス、宴散シテ帰宿ス
十一時過夕日ケ岡女学校ヲ一覧シ、女学生ニ対シテ一場ノ訓示演説ヲ為ス
五月十六日 晴 軽寒
午前七時起床入浴シテ朝飧ヲ食シ後種々ノ来客ニ接ス、八時梅田発ノ汽車ニテ高槻ニ抵リ分校敷地トシテ大阪ナル竹原氏寄附ノ申込アリタルニヨリ一覧ノ為大隈伯・成瀬・森村及大阪市人多数同行ス、一覧畢リテ桜井駅ニ抵ル、楠公袂児ノ古跡ナリ、地方人ノ来会頗ル多シ、大隈伯ハ一場ノ演説ヲ為シ茨木ヨリ汽車ニテ大阪ニ帰ル
高槻ニテ斎藤氏ノ宅ニ休憩ス、一見セシ土地ハ一万七千坪余ニシテ高雅幽静且眺望ニ富メリ、但道路交通ハ不便ナリ、伝法屋ニテ午飧シ午後一時公会堂ニ抵リ、同仁会ノ集会ニ出席スル筈ナリシモ来会遅キヲ以テ直ニ清水谷女学校ニ抵リ女学生ニ一場ノ訓示演説ヲ為ス、又梅花女学校ニテ同ク一場ノ演説ヲ為ス、六時藪田忠次郎氏ノ新居ニ招宴セラル大隈伯・森村・成瀬諸氏同行ス、種々ノ饗応アリ夜十一時帰宿ス
 - 第44巻 p.585 -ページ画像 
五月十七日 曇 軽寒
午前七時起床入浴ヲ廃シ洗面シテ直チニ朝飧ヲ食ス、食後数多ノ来客ニ接ス、午前九時旅宿ヲ発シ梅田女子高等学校ニ抵リ校内ヲ一覧シ一場ノ演説ヲナス、○中略 後武徳殿ニ抵リ大隈伯ノ演説畢リテミカドホテルニ抵リ地方人士招待ノ宴ニ出席シ、食後女子大学ノ為メ寄附金ノ依頼演説ヲ為シ、畢テ明日ノ旅行手続ヲ協議シ、夜十一時半常盤花壇ニ投宿ス、夜山陽新報社員来話ス
五月十八日 晴 軽暖
○上略 七時二十分神戸発ノ汽車ニ搭ス、大隈伯ハ此汽車ニテ大阪ヨリ乗組マル○中略 十一時岡山市ニ着ス、停車場ニ迎フル者頗ル多シ、車ヲ下リテ大隈伯ハ阪本金弥氏、余ハ杉山岩三郎氏別荘ニ抵リ午飧ス、後、高砂座ニ抵リ講演会ニ出席ス、実業ト女子教育ト題スル演題ニテ一場ノ講演ヲ為シ、畢テ後楽園ニ抵リ市人ノ歓迎会場ニ列席ス、会スル者演劇場ヨリ少キモ無慮四・五百名アリ、香川氏ノ歓迎ノ詞ニ次テ大隈伯ノ挨拶アリ、畢テ明石氏ヲ其家ニ訪ヒ午飧ヲ饗セラル、七時半又後楽園ノ鳴鶴館《(鶴鳴)》ニ抵リ地方有志ノ懇親会ニ列席ス、一場ノ謝詞ヲ述フ夜九時杉山別荘ニ帰ル、重政雄造来リ話ス
○下略
五月十九日 晴 暖
○上略 山陽女子高等学校ニ抵リ学生ニ向テ女子教育ニ関スル演説ヲ為ス
十二時杉山別邸ニ於テ午飧シ○中略 三時後楽園内ノ鶴鳴館ニ於テ婦人大会ニ出席シテ婦人ニ関スル問題ニテ一場ノ講話ヲ為ス、会衆千有余名アリテ熱心ニ聴聞セシカ如シ、畢テ香川氏ノ主催ニテ当地有名ノ松ノ江楼ニ抵リ晩飧会アリ、地方有力者六・七名会同ス、宴会中女子大学寄附金ノ事ヲ陳述ス、一同領意セリ、宴散シテ大隈伯ヲ阪本氏ニ訪ヒ夜十一時杉山氏ニ帰宿ス
五月二十日 晴 暖
○上略 此日岡山ヲ発シテ帰路ニ就クヲ以テ送別人頗ル多シ○中略 森村・成瀬氏等ト七時四十分発ノ汽車ニテ東上ス○中略 一時半大阪ニ抵リ車ヲ下リテ伝法屋ニ抵リ休憩ス、女子大学分校ノ事ニ関シ小山・本山・竹原ノ諸氏ト談話ス、森村・成瀬二氏同席ス、畢テ岩本氏ノ招宴ニ出席ス高崎知事・植村市長・土居・本山・岩下・浜崎・片岡ノ諸氏来会ス、三月初旬ニ発表セシ岩本氏ノ寄附行為ニ付種々ノ協議ヲ為シ、要務畢テ八時五十分大阪発ノ汽車ニテ京都ニ抵リ、十一時頃木屋町玉川楼ニ投宿ス○下略
五月二十一日 雨 軽暖
○上略 旅亭ニ帰リテ午飧シ直ニ同志社ニ抵リ女子大学卒業女子ニ訓示ヲ為シ、更ニ同志社学生ニ一場ノ演説ヲ為ス、三時再ビ議事堂ニ抵リ一般市民ノ大会ニ於テ女子教育ヲ必要トスル一場ノ演説ヲ為ス、会衆二千五百名余ナリト云フ盛会ナリ○下略
五月二十二日 晴 軽暑
○上略 九時二十五分京都発ノ最大急行列車ニ搭ス、森村氏同行ス、送別ノ男女頗ル多シ○中略 名古屋ニ午飧シ、森村氏ト分ル○中略 午後八時半新橋ニ着ス、迎ノ者多ク来会ス、直ニ自働車ニテ帰宿ス○下略
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日本女子大学校四拾年史 同校編 第一六三頁昭和一七年四月刊(DK440142k-0002)
第44巻 p.586 ページ画像

日本女子大学校四拾年史 同校編 第一六三頁昭和一七年四月刊
 ○第三章 成瀬校長時代(その二)(明治四十四年―大正八年)
    一 女子高等教育反動時代
○上略
更に明治四十四年には、本校創立十周年記念会の後、五月の初旬から下旬にかけて、大阪・京都・神戸・岡山に於て本校創立十年報告会が催された。此の一行には、前記渋沢男・森村氏の外、大隈伯が加はられた。
○下略


竜門雑誌 第二七七号・第六五―七〇頁明治四四年六月 ○青淵先生関西紀行 塘茂太郎君(DK440142k-0003)
第44巻 p.586-589 ページ画像

竜門雑誌 第二七七号・第六五―七〇頁明治四四年六月
    ○青淵先生関西紀行
                     塘茂太郎君
   青淵先生には日本女子大学校評議員として同じく評議員なる大隈伯爵・森村市左衛門翁・成瀬校長と共に女子高等教育奨励の為め兼て同校基金募集の目的を以て去五月十四日東京出発大阪・神戸・岡山及び京都の各地を巡歴せられ、同二十二日帰京せられたり。左に掲ぐるは其紀行の概略なり。
五月十四日(日曜)
 午前八時三十分新橋出発、関西各地巡回の途に上らる、一行は青淵先生・大隈伯・森村市左衛門翁・成瀬女子大学校長等なり。同日午後八時半大阪着、北畠男・古荘控訴院長・土居商業会議所会頭・菊池侃二氏・桜楓会員其他官民有志者二百余名の歓迎を受け、直ちに先生は伝法屋に、大隈伯は花屋に、森村翁成瀬校長は岡本旅館に投宿せらる
五月十五日(月曜)
 午前一行は此程新築落成せる大阪高等商業学校に臨み、引続き天王寺中学、夕陽岳高等女学校を巡視し各一場の演説を試みて正午帰館。
 午後二時より中島之公会堂に於て大阪府教育会の主催に係かる教育講演会に臨席、会長高崎知事開会の辞を述べ、成瀬校長は大阪の現在及将来の事情より女子大学設立の必要を説き、森村翁は海外の女子教育と我国情とを綜合して高等程度の女子教育機関増設の急務を述べ、次に青淵先生は其関係せられたるは日本最初の女学校たる虎の門女学館の由来より説き起し、女子教育の利害得失を批評し、米国の女子教育を評し、女子教育の程度如何は第二の国民の品性実力に及ぼす影響多大なりとて女子高等教育の必要を説かる。最後に大隈伯の男女の間には智力能力の等級を設くべきにあらず、完全なる子孫の永続は女子の智能の発達に俟たざるべからずとの主意の演説ありて四時半散会、当日来会者無慮三千余名にして非常に盛会なり。
 同五時より引続き大阪ホテルに於て同地に於ける女子大学賛助員並に有志者を招待したる女子大学報告会に臨まる。高崎知事・植村市長北畠男・小山健三・村山竜平・本山彦一・広海二三郎諸氏其他重なる紳士百六十余名の来会あり。青淵先生又主人側として財務報告を兼ねて一場の挨拶をせられ、来賓を代表して小山氏の演説の後、一同食卓
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に着き万歳を唱へて散会せり。
五月十六日(火曜)
 午前七時五十分梅田駅発高槻に向ふ。是れ某有志者が女子大学分校敷地に提供せられんとする土地を検分の為と、桜井駅なる楠公父子訣別の遺跡の近時甚しく荒廃せるを嘆き、其修理を計画せる有志者伊豆少将・植場代議士・中村元嘉・斎藤弔花等の諸氏より一行の来臨を懇請せられたるによる。高槻駅着直に車を列ねて先づ斎藤弔花氏の居宅に小憩し、一同敷地を検分したる後、附近なる能因法師の古碑を訪ひ茶菓の饗応を受け、夫より国道を腕車によりて桜井駅に到る、同地には小学児童堵列して一行を出迎ふ、有志者より遺跡の現状と之を修理して公園を設くる等の企を聞き、直ちに山崎停車場に到り十一時過の列車にて帰阪す。
 午後二時清水谷高等女学校に到り、一行各一場の演説をせられたる後、同校内に開催せる桜楓会大阪支部総会に臨み、青淵先生も会員に対して懇篤なる訓話を述べられたり。
 同夕刻には藪田忠次郎氏の招待を受けて桃山なる同氏別荘に於ける晩餐会に臨まる。
五月十七日(水曜)
 午前八時より梅田高等女学校及び梅花女学校の両校に赴き、各一場の演説を試みられ、十一時梅田出発坂神電鉄社長今西林三郎氏の好意により特別仕立の電車にて神戸に着、大隈伯は直ちに軍人後援会神戸支部大会に臨まれ、青淵先生始め他の一行はトーアホテルに午饗の後神戸高等商業学校に赴き、水島校長の案内にて校内を一巡したる後講堂に於て全校生徒に対し先生の講演ありたり。
 同日午後六時よりミカドホテルに開きたる女子大学報告会に臨み、先生は主人側として一場の挨拶をせられたり、来会者六十名許。同夜先生はトーアホテルに、森村翁其他はミカドホテルに一泊。
五月十八日(木曜)
 午前七時三十分神戸を発して岡山に向ふ。同十時三十六分岡山駅着同地に於ては大隈伯も青淵先生も森村翁も皆初めて迎へたることゝて官民有志者の出迎頗る多数にして、谷口知事・岡田市長・西郷地方裁判所長・福田同検事正・児玉警察部長・菅医学専門校長・金子第六高校長・杉山中鉄社長・藤原県会議長・佐藤市会議長・土居貴族院議員・坂本代議士・池田男爵・香川真一・大原孫三郎等の諸氏を始め、県会議員・市参事会員・銀行会社代表者・婦人懇話会員及桜楓会支部会員其他無慮三百余名に上る。斯て一行は駅長の案内にて貴賓室に少憩後間もなく用意の腕車にて大隈伯は坂本氏邸に、青淵先生は杉山岩三郎氏の上西川別荘に向はれ、森村翁・成瀬校長等は自由舎に入れり。
 午餐後直ちに劇場真砂座に於て開かれたる教育講演会に臨む。岡田市長先づ一行紹介の挨拶をなし、夫より例の如く成瀬校長・森村翁・青淵先生・大隈伯の順序にて女子教育に関する各一場の講演を試みられたり。此日定刻前より続々として詰掛たる聴衆は約二千五百余名と注せられ、満場空席なく、入場し得ざりし者も多数ありし由なり。先生の講演は「実業と女子教育」の題下に、実業家と女子とは封建時代
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より維新後に至るまでも、全然被治者として取扱はれ、殆んと運命を同ふせること、今日に於ては国家組織の一要素として認められたること亦相同しとて実業家女子教育の発達の経路を述べ、進んで女子教育の必要に説き及ぼし、更に一転して真正なる婦徳は天性の容姿、天性の智能、天性の貞操にのみよりては到底保ち得られず、其智能識徳を進めんが為には教育によりて其根本を培養せざる可らず、或は英米婦人の一部の傾向を見て女子教育に反対するものあれども、これ一弊の為に百利を棄てんとする者にして、教育の程度にして進まざらんか、其弊や尚ほ甚しきものありと述べ、最後に師弟の情につき現時の弊所を痛撃し、近時智育発達して徳育之に伴はず、師弟の関係日に疎遠となるは師の感化力の乏しきに由る、其一因は形式に拘泥すると薫化の中心たる校長の交迭頻繁なるにあり、此点に於ては私立学校は寧ろ形式に束縛されず、校長の交迭も少なく、教育上喜ぶべきことなりとて官立学校必ずしも優れたるにあらず、私立学校必らずしも排斥すべきにあらず云々を以て結ばれたり。
 同日午後三時半より後楽園内鶴鳴館に官民合同大歓迎会を催さる。此会は一戸師団長・谷口知事・岡田市長、其他五十五名の官民有志者の発起に係り、来会者は県下備作三国は元より遠く香川県より来れる者ありて九百余名に上る。定刻に至り会員総代森川真一氏起つて歓迎の辞を述べ、大隈伯一行を代表して謝辞を述べらる、後谷口知事の発声を以て一行の万歳を三唱し終りて余興に移り同地有名なる吉備舞楽(菅公、桜井駅)を観覧、一同折詰壜酒を頒ち歓を尽して六時散会。
 引続き七時半より同所にて有志歓迎会を開かれ、百余名の来会あり香川真一氏の開会の辞の後、青淵先生は答辞を兼ねて
 大隈伯は本日の講演にて教育の独立に就て述べられたるが、余は自己の立脚地よりして商業の独立を主張せんとす。左れば商業の独立も基礎は国民教育にあり、その国民教育にも女子の教育が今日の急務なり、
と述べて女子大学の為に援助を請ふ所あり、夫れより配膳、歓談盛に起り十時過ぎ散会せり。
五月十九日(金曜日)
 本日大隈伯は一行と分れて津山町に赴かれ、青淵先生始め他の一行は午前九時半杉山・大原両氏案内にて岡山孤児院に到り、院長代理其他の出迎を受け、同院設立の由来及現状の説明を聞き、院内を視察して後、職員一同と紀念の撮影をなしたる上、院児に対して一場の訓話をなされ、若干の金円を寄附して同院を辞し、山陽高等女学校に至り講堂に於て成瀬・森村の両氏と共に先生にも一場の講話をせられ、十二時過ぎ帰宿。
 午餐後上石井町石井製氷所に赴き、主人石井氏の懇請により先生は松樹を、森村翁は檜樹を紀念の手植をなして二時二十分岡山私立中学校に臨み、光岡同校長の案内にて講堂に入り、先生及び森村翁共に一場の演説を試みられたり。
 午後三時鶴鳴館に開かれたる岡山婦人懇話会及び桜楓会岡山支部の主催にかゝる講演会に臨まる。来会者は市内各女学校上級生及び市内
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有志婦人にて殆んど二百人に達す、婦人の会合としては当地稀有の事なりといふ。成瀬校長・森村翁の講演の後、先生亦た一場の演説をせられたり。
 同夜七時より松之江楼に於ける香川・杉山・岡田市長・高田商業会議所会頭其他有志諸氏の饗宴に臨まる。今夕会合の諸氏は今回一行来岡の目的を賛し、女子大学の為に将来援助の労を執らんとの好意を表せられ、先生は森村翁と共に学校の現状を述べて諸氏の尽力を請はれ杉山氏の挨拶ありて饗宴に移り暫時歓談九時頃辞して各旅館に帰る。
五月二十日(土曜)
 午前七時四十五分岡山を発し一時過ぎ大阪に着、先生は再び伝法屋に入られ、竹原・小山・本山其他有志諸氏と会見し女子大学大阪分校の事に付き懇談する所あり、夫より先生は岩本栄三郎氏の寄附財団委員会に臨まれたる後午後八時四十分発の列車に搭じて京都に向ひ、十時京都着、先生は玉川楼に、森村翁・成瀬氏等は松吉旅館に投宿。
  大隈伯は本日備中倉敷の講演会に臨まれ、午後七時発列車にて京都に向はれ、夜半着京直に中村楼に入れり。
五月二十一日(日曜)
 午前九時京都市会議事堂に於て京都市立第一・第二商業学校・染織学校其他各実業学校生徒約二千名に対し大隈伯・森村翁と共に先生亦た一場の演説を試みられ、午餐後同志社女学校に到り、同校内に開きたる桜楓会支部会に臨み、先生の講話あり、午後二時同志社講堂に臨まれ、原田同社長の開会の辞に次で先生は同社男女学生に対して宗教と実業の関係に就て所見を述べられ、森村翁亦た一場の演説をなし、同社を辞して直に再び市議事堂に向ふ。
 午後三時市教育会の主催に係かる教育講演会に臨まれ、加藤教育会理事長の紹介を以て開会、成瀬校長・森村翁・青淵先生・大隈伯の順序にて主として女子教育に関する講演をせられたり、聴衆二千余、婦人其半に過ぎ、盛なる会合なりし。
 午後六時半より銀行集会所に開かれたる京都経済会の歓迎会に臨まる、来会者は菊池京都大学総長、仁保・勝本両博士、横山府事務官、加藤市助役を始め百余名、一同食卓に着くや、仁保博士は起ちて政治に財政に将た教育に功績甚大なる三老翁の入洛は吾人の深く満足する所なりと歓迎の辞あり、大隈伯・森村翁と共に青淵先生も答辞に兼ねて所感を述べられ、歓談の中に九時過ぎ散会を告ぐ。
五月二十二日(月曜)
 一行予定の日程は昨日を以て終局を告げたるを以て、青淵先生は森村翁と共に大隈伯に先ち午前九時廿分発列車に搭じて帰京の途に就かれ、森村翁は名古屋に下車、先生は同夜八時三十分新橋に着、女子大学職員生徒桜楓会本部並に市内各支部代表者其他多数の有志者の出迎を受けられ、曖依村荘に帰邸せられたり。


渋沢栄一 日記 明治四四年(DK440142k-0004)
第44巻 p.589-590 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四四年          (渋沢子爵家所蔵)
六月三日 晴 暑
○上略 三時女子大学ニ抵リ桜楓会ノ催ニ係ル歓迎会ニ出席シ、旅行中ノ
 - 第44巻 p.590 -ページ画像 
概況ト各地ニ於ル感想トヲ詳細ニ演説ス、畢テ茶菓ノ饗宴アリ○下略
   ○中略。
六月二十二日 曇 暑
○上略 塘茂太郎氏来リ女子大学ノ事ニ関シ岡山地方ノ諸氏ニ書状ヲ交付ス○下略
   ○六月三日ノ演説筆記ヲ欠ク。