デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
2節 女子教育
1款 日本女子大学校
■綱文

第44巻 p.599-601(DK440155k) ページ画像

大正6年2月22日(1917年)

是日栄一、成瀬仁蔵・麻生正蔵・塘茂太郎等ト共ニ、当校学制改革ヲ議定ス。四月ヨリ新学制実施セラル。


■資料

渋沢栄一 日記 大正六年(DK440155k-0001)
第44巻 p.599 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正六年         (渋沢子爵家所蔵)
二月二十二日 晴 寒
○上略 午前十時日本女子大学ニ抵リ成瀬・麻生・堤諸氏《(塘)》ト会談ス、学制改正基金計算及諸設備ニ付費途支弁ノ事ヲ議定ス○下略


集会日時通知表 大正六年(DK440155k-0002)
第44巻 p.599 ページ画像

集会日時通知表 大正六年         (渋沢子爵家所蔵)
二月廿二日 木 午前十時 日本女子大学校評議員会(同校)


家庭週報 第四〇九号大正六年三月二三日 学制改革内容(一)(DK440155k-0003)
第44巻 p.599-601 ページ画像

家庭週報 第四〇九号大正六年三月二三日
    学制改革内容(一)
      将に大学生活の真価を見ん
『日本の婦人に真の大学生活といふことが出来るであらうか』それは久しい前からの日本婦人に試されつゝある最大な問題でございます。これ等のことについて多くの興味と注意とを払はるゝ本紙の読者に今母校女子大学に於て来る新学期より実施されんとする新学則に就いて摘録報導し得ることを嬉しいことに思ひます。
新学則の主なる点は選択制度といふことでございます。それに伴つて教授時間の減少といふこと、修業年限の伸縮などゝいふこともありますが要はこの選択制度の実現でございます。この選択制度といふことは、我が国に於ては女子の学校は勿論、帝国大学に於ても或る一部に行はれて居るだけでありまして、未だ全部この方針に依つて試みられたものはないのでございます。それはこの方法が極めて進歩的のものであると同時に、之れを活用する学校の設備と学生の態度とが備はらなければ牛刀も徒らに鶏をさくものとなるの恐れがあるからだと申します。母校女子大学はこれについて今春は将に創立十六年の紀念式を迎ふると共に其所に満十五年間の試験を続けて来たのでございます。即ちその久しい間の実験が、この新学期を作り上げたといふことが出来ませう。私達は更に日本の婦人に一つの新らしい試みが行はれんとするのであることを思はねばなりません。先づ左に新学則の要綱を掲げて見ませう。
      新学則の三綱要
△新旧学則異同 今回実施の新学則は旧規則とは大に趣を異にするも其実本校が創立以来主張し実行し来れる自動主義の一層適切なる実現に外ならず、要するにその精神は(一)教授の減少と(二)選択制度の採用と(三)修業年限の伸縮の三点に要約するを得べし。
一、教授時間の減少 旧規則も主義に於ては変らざるも但し各学生が教授の下に学習し聴講する時間数多きに過ぎ、自学自習の余裕少きが為め知識は外部よりの糊塗となりて雑駁に流れ、学力は内部より
 - 第44巻 p.600 -ページ画像 
自発せずして浅薄に傾くを免れざりき、此を以て今回は教授時間数を減少し学生の自学自習の時間数を増加し、四学年在学の学生に於ても最少限毎週十九時間の学習を以て正科卒業生の資格を得ることとせり。尤も学生の体力・学力共に優秀なる場合には科目の性質にも参照して、学習時間数を毎週廿五時間まで増加するを得るなり。
二、選択制度の採用 選択制度も亦本校が従来より採用し来りし所のもの也。但し必修科目の数と其の教授時間の余りに多きに反して、選択科目の数と其の教授時間の余りに少かりしが為め十分に其の実効を挙ぐる能はざりしが、今回は両科目の割合を顛倒し、前者を減少し後者を増加したり。即ち必修科目は全在学年限を通じて、僅々六科目に過ぎず、其の学習時間数も亦計一千百五十二時間を出でざるに、一方選択科目は其の科目数は学生選択の関係上一定するを得ずと雖もその学習時間数は最少の場合すら千五百八十四時間に及び最多の場合の如きは実に二千四百四十八時間の多きに上れり。之を以て学生は又従来の如く某学部に入学すれば、其処に指定されたる一定の科目団を是非共学習せざるを得ざるが如き検束を受くることなく、各科各部分属の種々の選択科目より自己が望む所の主副の専攻科目乃至自由選択科目を選定し、以て各自の学科課程を編制するの自由を有するなり。而して各学生が科目を選定特に主副専攻科目選定の場合には、当人の個性・父母の要求・家庭の事情其の他あらゆる必要の方面に参考して遺漏なき指導を与へ、然る後に選定せしめ之に許可を与ふることゝせり。
三、修業年限の伸縮 修業年限は大体劃一的に規定し得る点もありとはいへ、其本来の性質よりいへば、各学生の体力・学力其の他の事情により自から多少長短を異にすべき筈のものなり、故を以て新学則に於ては本科の正科卒業生としての資格を与ふるには、前述せる如く少くとも毎週十九時間即ち四学年を通じて毎年三十六週間の学習として、計二千七百三十六時間の学習を要するが故に、多数の学生は四ケ年にして卒業すべきも、然れども体力・学力共に優秀なるものは毎週二十五時間づゝ学習すれば三ケ年にて卒業し得べく、又或は余裕ある学習の希望若くは其の他の事情によりては五ケ年にても卒業し得べき事とせり、故に卒業資格としては少くも三ケ年の在学を要し、事情によりては四ケ年又は五ケ年の在学をも許可するなり。然れども師範家政学部に於ては教育法規との関係上之を二科に分ち、第一部は四ケ年修業、第二部は三ケ年修業を規定せしも、其の精神に至つては他部と異る所なく、即ち同一の精神を異れる形式の上に表はしたるものに過ぎざるなり。
と記るされて居ります。そうして以上綱要によりて編成された各科各部各科に就いてはまだ多くの説明を要します。即ちこの新学則によりて編成さるゝ新部門の中には、人々が久しく待ち望んだ国文科の再講も或は開かるゝやの機運に向つて居るのでございます。新学則の第二章を見ますと左の条項がございます。
第五条 本科を分科制度とし科を分ちて文科・理科・実学科の三科とし細別して部とし各部に科目を分属せしむ
 - 第44巻 p.601 -ページ画像 
第六条 文科を分ちて教育学部、哲学部・国文学部・英文学部・文学部・史学部・社会学部・美術部の八部とす
 但し当分国文学部・英文学部に主副専攻科目を開設し順次他に及ぼすものとす
第七条 理科を分ちて数学部・理化学部・博物学部の三部とす
 但し当分理化学部に副専攻科目を開設し順次他に及ぼすものとす
第八条 実学科を分ちて家政学部・師範家政学部・体育部・農芸部・商業部の五部とす
 但し当分家政学部に主副専攻科目を開設し師範家政学部は特に課程を規定開設するものとす
 中略……
第九条 科目は各部に分属せしむるも各学生の学習上之れを分ちて必修科目及び選択科目とし、必修科目を全体必修科目及び部分必修科目とし、選択科目を専攻選択科目及自由選択科目とし、専攻選択科目を基礎科目主専攻科目及び副専攻科目とす
第十条 全体必修科目は全科全部各学年に共通せしむるものにして左の二科目とす
      実践倫理 体操
第十一条 部分必修科目は全科全部に共通せるも、一定の学年に限りて課するものにして其の科目及び配当左の如し(略)……未完



〔参考〕集会日時通知表 大正五年(DK440155k-0004)
第44巻 p.601 ページ画像

集会日時通知表 大正五年         (渋沢子爵家所蔵)
七月廿五日 火 午前七時 成瀬仁蔵氏来約(飛鳥山邸)
   ○中略。
七月廿九日 土 午后四時 女子大学成瀬氏来約(兜町)
   ○中略。
八月六日 日 午后二時 女子大学ヘ御出向
   ○中略。
八月廿八日 月 午前十一時 成瀬仁蔵氏来約(兜町)
   ○中略。
九月九日 土 午后二時 成瀬仁蔵氏来約(兜町)



〔参考〕集会日時通知表 大正六年(DK440155k-0005)
第44巻 p.601 ページ画像

集会日時通知表 大正六年         (渋沢子爵家所蔵)
一月七日 日 午前十時 成瀬仁蔵氏来約(飛鳥山邸)
   ○中略。
一月廿三日 火 午前十時 日本女子大学ヘ御出向
   ○中略。
一月廿六日 金 午前九時 成瀬仁蔵氏スカタ氏同伴来約(飛鳥山邸)