デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
2節 女子教育
1款 日本女子大学校
■綱文

第44巻 p.602-604(DK440157k) ページ画像

大正6年4月20日(1917年)


 - 第44巻 p.603 -ページ画像 

是日栄一、当校第十六回創立記念式ニ臨ミ、祝辞ヲ述ブ。


■資料

集会日時通知表 大正六年(DK440157k-0001)
第44巻 p.603 ページ画像

集会日時通知表 大正六年        (渋沢子爵家所蔵)
四月廿日 金 午前九時 日本女子大学創立記念式(同校)


家庭週報 第四一六号大正六年五月一一日 例外に対する杞憂もあり 男爵 渋沢栄一(DK440157k-0002)
第44巻 p.603-604 ページ画像

家庭週報 第四一六号大正六年五月一一日
    例外に対する杞憂もあり
                   男爵 渋沢栄一
大隈侯爵のお話の通り、社会は教育によつて進歩するものである。そこに男女の区別を置く必要はないと私も存じて居る一人でありますが併し其処に例外があるといふ事も忘れてはならぬ事と思ひます。
如何に教育がよくても学ぶ人間が悪ければ弊害を来す事もある。例へば今日の女子の中にも教育を受けたものゝ中に往々男子をして首を傾けさせるものが輩出する。私は決して大隈侯爵の言葉に反対をいふわけではないがさういふ事実を見せられた時非常に情ないことに思ふ。
      △女子大学創立当時
又成瀬校長から女子大学の起りに就て述べられましたが、私ははじめ女子大学の創立に就ても大に疑心を持つた一人であります。御相談を受けた時もその考へは実によろしい。然し実際今の社会にそれが適当であらうかといつて私は随分反対も述べた一人であります。丁度此の頃から十年ほど前に某女学校が出来て、然もそれは時の総理大臣伊藤博文侯が政治の力を以て日本の風習を改めるといふ意気込みで建てられたもので、欧羅巴の最も進歩したもので、私も賛成した一人でありますが、その後十年を経ても更に進歩せねばかりでなく、却つて種々の批難弊害すら起つて来た。丁度それを見てゐた時でありますから、私は女子大学は殊に課程も高く仕掛も大きくせねばならぬ、が果してそれが実際によい結果を齎すであらうかどうかといふことについては頗る疑をもつたのであります、私の自分勝手な説を申すやうですが、これは必ずしも先見の明がなかつたとばかりともいはれぬであらうと思ひます。
      △後進者の責任
然し之等の事はすべて過去に属して、愈々尊い力を認められこゝに端緒を開いて、既に十六年の歳月を重ね、今日の発展を見るに至つたのは実に喜ばしい次第であります。韓退之が進学の辞といふ文章に、「業を務むるにくわしく、楽しむにすさむ、行ふは思ふに成りて従ふに破る」といはれてありますが、皆さんの学業もその通りで勤勉にすれば事は成る、希望を持てば達する時機があります。
この学校は生れて既に十六年になりますが、校長はやがて六十にならるゝ人で、その教育に志してからの歳月は実に長いと云はねばなりません、かく一生を玆に捧げ尽さるゝこの偉大な教育家を私共は信じて今は少しの懸念もなしに安心してお願ひして、及ばずながら御尽力をもしてゐる次第であります。
併し此の大学の将来の力は誰によつて開かれて行くでありませうか、
 - 第44巻 p.604 -ページ画像 
それはどうしても長き将来を持つあなた方の力によらねばなりません
      △懸念なからしめよ
こゝから出た諸子は婦徳は勿論、高い知識を加へて世に立ち、大にこの女子大学の価値を発揮して一人残らず校長はじめその他の人の懸念の的にならぬやう、立派な御婦人になつて戴き度い事を記念日に際して深く御願ひする次第であります。



〔参考〕集会日時通知表 大正六年(DK440157k-0003)
第44巻 p.604 ページ画像

集会日時通知表 大正六年        (渋沢子爵家所蔵)
四月廿八日 土 午前十一時女子大学ヘ御出向(コロネル大学ベリー氏来会ノ約)