デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
2節 女子教育
1款 日本女子大学校
■綱文

第44巻 p.632-633(DK440169k) ページ画像

大正10年3月29日(1921年)

是日栄一、当校第十八回卒業式ニ臨ミ、訓辞ヲ述ブ。


■資料

集会日時通知表 大正一〇年(DK440169k-0001)
第44巻 p.632 ページ画像

集会日時通知表 大正一〇年       (渋沢子爵家所蔵)
三月廿九日 火 午後二時 日本女子大学卒業式ヘ御出向(同校)


家庭週報 第六〇八号大正一〇年四月八日 日本女子大学第十八回卒業式祝辞 力相当に外に出でよ 子爵渋沢栄一(DK440169k-0002)
第44巻 p.632-633 ページ画像

家庭週報 第六〇八号大正一〇年四月八日
    日本女子大学第十八回卒業式祝辞
      力相当に外に出でよ
                      子爵 渋沢栄一
 本校第十八回卒業証書授与式に臨みて、一言の祝辞を述べる事を非常に光栄に存じます。私は度々此の壇上に於て諸子にお目にかゝりますが、先日も新評議員三井高修氏《たかやす》の御披露の時、過去の多い、未来の少ない私が過去の少ない未来の多い人に話をすることは妙な話題であると申しましたが、こゝにお出でになる大隈侯爵などは、過去も多いが未来も多いのであります。
 さて年一年と卒業生が増加してゆくことは誠に喜ばしいことで、斯く教育を受けた婦人の漸々ふえることは、社会が進歩してゆく証拠であります。私共は本女子大学から卒業生の出るのを最初は大分あやぶみました。つまり女子の高等教育をあやぶんだものゝ一人でありました。時代にそぐはぬ教育を受けたために実に女らしくない女、そして学問を鼻にかけて不遜な態度をする女子が出ては困ると思ひました。換言すれば学問の説は知つても実際の社会を知らぬ婦人の出ることが私共の杞憂であつたのであります。ところが事実に於ては諸子《みなさん》は至つて謙遜に、且つ真面目で決して以上の如き心配のいらぬのみならず、年と共に漸時世間の評判がよくなりますことは、誠に喜ばしい事であります。
世の中が漸々変化《だんだん》して来て、此の頃の時勢は風紀険悪の傾向となつて参りました。これから先きの女子は此の時に当つて如何なる心掛が必要であるかを熟考しなければなりません。殊に今後の世界は益々困難に益々複雑になつて参りますので、いかに努力しいかに調和を計つてゆかねばならぬか、非常に責任の重いことであります。
 - 第44巻 p.633 -ページ画像 
 先日アメリカの一婦人と話をいたしましたが、其の時の問答の一部を一寸御参考に供したいと思ひます。――其の婦人はフランシスといふ人の娘で今は未亡人で、法律を以て身を立てゝゐますが、昨年日曜学校大会に其の父君と共に来朝されたのでありました。法律家でありますから法律上の事は勿論、其の他労働問題等に関して種々話された末、最後に私に向つて「あなたは老人であつて永い間色々と社会のために貢献されたさうですが、日本に於ける女子教育の方針及び東洋婦人の位置等がどの位迄解釈されてゐるか、私のきく処によれば女子教育は、大変軽蔑されてゐるとの事であるが、果してそれは本当でせうか」「東西古今を問はず偉人は皆女子から生れるが、その根本である女子教育を蔑にする様では文明国と云ふ名に恥ぢはしないか」と云はれました。私はこれに対して、「本女子大学を始め他の女学校を参観されたならば、大いに女子教育の改革されつゝあることが分ります。」と答へました処、「さういふ方面もありませうが、併し社会一般の婦人の風紀を見るに、教育を尊重せず、また婦人自身もそれを自覚してゐない、つまり勇気がないやうに思はれるが、これでは軽蔑されても不満足だと云へないではないでせうか。」ときかれましたから、再び私は「日本の婦人は世界に名を挙げる様な人がないかも知れぬが、然し日本婦人の古い習慣として内には如何に充実した学問を持つてゐても、それを外に表はさず、いざといふ時に此の養つた力を出すのだ」と申しましたら、「それではもつと注意して観察いたしませう。」――と云つて別れました。これに依つて考へて見ますと、最初に私共老人があまり注意やら、忠告やらを申し過ぎたので、却つて折角学んだ若い人達が一方に引つ込み思案になつたのではないか、そして米国婦人の眼に左様映《さう》つたのではなからうかと思ふにつけて、私共はもうあまり皆さんに内にばかり引つこんでゐないやうに、勿論学問は決して鼻にかけてはなりませんが、内に充実した力を以て大に外にやつて戴きたいといふ事を、今後は是非皆さんに御願ひしたいと思ふのであります云々(文責在記者)