デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
2節 女子教育
2款 財団法人東京女学館 付 女子教育奨励会
■綱文

第45巻 p.12-17(DK450003k) ページ画像

大正7年10月30日(1918年)

是日栄一、当校創立三十周年記念祝典ニ臨ミ、祝辞ヲ述ブ。


■資料

集会日時通知表 大正七年(DK450003k-0001)
第45巻 p.12 ページ画像

集会日時通知表 大正七年 (渋沢子爵家所蔵)
十月三十日 水 午後一時 東京女学館創立卅年記念祝典(同館)


竜門雑誌 第三六六号・第五六頁 大正七年一一月 ○東京女学館創立記念祝典(DK450003k-0002)
第45巻 p.12 ページ画像

竜門雑誌 第三六六号・第五六頁 大正七年一一月
○東京女学館創立記念祝典 虎の門なる東京女学館にては去十月三十日同校創立三十年記念祝典を催したるが、当日青淵先生の演説、卒業生、在校生徒総代の祝辞等ありて後余興に移り、一同和楽の裡に散会せりと云ふ。


白菊 第二巻大正八年二月 創立三十週年の祝典(DK450003k-0003)
第45巻 p.12-17 ページ画像

白菊 第二巻大正八年二月
    創立三十週年の祝典
 大正七年十月三十日は、創立三十週年に当れば、盛大なる祝典を挙げむとて、母校に於てかねてより其用意せらるれば、我白菊会にても秋期の同窓会を廃し、祝意を表するため、応分の寄附金をなすことゝせり。
 爰に畏くも東伏見宮妃殿下より本誌の初に掲載せる御写真○略ス 並に御歌を御下賜相成りたれば、母校の職員生徒一同大に喜ばれ、御歌は大山先生の作曲にて、祝典当日一同にて之を歌ふことに定められたり
 前日より講堂は例によりて十分の装飾を施され、二階の教室は生徒の製作にかゝる挿花絵画習字裁縫等それそれ陳列せられ、茶菓の用意も残る隈なく整ひて当日の至るを待たれぬ。式日の朝、山村八重子嬢より、自ら培養せられたる美事なるダリヤを沢山に寄贈せられたれば数個の籠に挿して、或は講堂の卓上を、或は二階の茶菓室を飾り、又一層の光彩を添へぬ。定刻に至らざるに、早くも式場は来賓卒業生に
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て、立錐の地なき盛況なりき。式は君が代の唱歌に始まり、左のプログラムにより次々行はれぬ。
  一 君か代           生徒
  二 勅語捧読          土方館長
  三 東伏見宮妃殿下御歌     生徒
  四 創立三十週年祝辞      土方館長
  五 来賓祝辞          渋沢男爵
  六 卒業生祝辞         津軽男爵夫人
  七 生徒祝辞          武田淑子
  八 唱歌(創立三十週年祝の歌) 生徒
      余興
  九 洋琴独弾          林歌子
  十 唱歌            生徒
 十一 英語対話          四年生
 十二 唱歌            生徒
只遺憾なりしは、館長閣下の前夜よりの御風気にて、御出席叶はざりし事なり。長崎評議員館長代理として、深切丁寧に母校の盛大になりしを祝され、次て渋沢男爵閣下の御演説は一同に深き感激を与へられたり。津軽男爵夫人御子様の御病気のため御欠席になりしを以て、岡崎寿美子嬢代りて祝辞を朗読したり。生徒の余興も面白く、一同感嘆の声を放たれぬ。式終りて茶菓を供し、無事散会したりしは五時頃なりき。当日の渋沢男爵及卒業生現在生徒の祝辞祝歌次の如し。
    渋沢男爵の演説
 当女学館の三十年の記念会が今日催されますことは、洵にお芽出度いことでございます。三十年と云ふ歳月は、此前に居らつしやる方々の未だお生れにならぬ以前のことでございますから、御承知は無い筈であるが、私共から見ると、それ程に長くは感じませぬ。一寸今考へると昨日今日のやうな気が致します。私が老人故にさう感ずるかと思ひますが、丁度先刻長崎さんより其当時の有様を審かにお話がありましたので、私以上に当時の事を知つて居るお方のあることを喜びます併し長崎さんは私から見ると大分お若く居らつしやるからして、御記憶が好い為めに其当時の事を私程には御関係なさらぬでも、却て能く覚えてござつたと云ふことは、洵に私も嬉しく思ひまするし、皆さんもお喜び下さるでございませう。貴女方を完全なる教育をせぬばならぬと云ふことは、決して一朝一夕に日本の学界が其論議を定めて居るものではございませぬ。今尚ほ女子教育に就ては、教育調査会で種々なる討議をしつゝある故に、却て貴女方の教育に関する斯くしたら宜からうと云ふ大問題の定まるのは、或は今後尚ほ多少の歳月を要するかも知れませぬ。併ながら此世の中が明治の大政の渙発された場合に於て、以前の東洋流の古い女子教育の思想に止めて置くことは出来ぬと云ふことは、其当時の政治家学者、更に進んでは世間一般社会が認めた訳でございます。女子教育の昔を申すと、先づ日本では例の貝原の女大学、是等が一番金科玉条とされて居つたのです。多く其長ずる所の性質、先づ第一に貞節優美緻密柔順斯う云ふやうなことは、最も
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御婦人方に必要であつて、男は外、女は内、家政を整へ、良人を助けて内顧の憂なからしむると云ふのが、女子の殆ど専門的任務であつたのでございます。けれども此主義からして、御婦人方に対して知識を与へると云ふ方法が甚だ少いのである。悪くすると御婦人に知識を与へるのは、社会の却て乱雑を求めるのだと云ふ悪い教すらあつた位で世の中は内外共通、世界はお隣と云ふ場合に、明治の大政渙発になりましたけれども、御婦人方の位置は、矢張昔の支那並に居る日本に止ると云ふ有様で、十数年間居つたと云うても宜いのです。そこで前に申す通り政治家学者或は実業家も共に是ではならぬと云ふ感じが起つて、遂に段々の論議の末、明治十八・九年頃に女子教育奨励会と云ふものが成立し、それから此の東京女学館が二十一年に開校されたので此三十年の祝典は即ちそれから起算して丁度玆に三十年を祝すべき訳に相成つたのでございます。故に其本を尋ぬればもう一層前がありますけれども、先づ女学館の形造りを為したのは、右等の理由から起つて来た。丁度長崎君の今お述べになりました故伊藤公爵が最も其事を御主張なさつて政治界の方々も大層之に力を添へ、又続いて実業界の者も尚ほ其趣旨に従つて之を御賛同申し、而して其仕事をするには直さまに政府が予算を組んで左様な事をすると云ふ訳にも参らぬものですから、有志者の醵金に依つて其事業を経営すると云ふことに相成つて、殊に之に従事する人々は官となく民となく稍々相当な階級の人々が相集つて、一方は愉快に、一方は学問、学問と楽みとを共に進めて行くやうにしたい、即ち奨励会と云ふのは、御婦人方の社交上の練習其一方に女学館と云ふものを造つて妙齢の御方に知識を与へる、斯う云ふ事になつたのです。爾来追々に此女子教育に就ては独り東京ばかりでなく大に地方にも必要を感じまして、今日女子教育は小学校以上に高等女学校若くは専門学校の種類が沢山成立ちました。丁度此学校の出来ました後十数年を経て、小石川に日本女子大学と云ふものも出来て居ります。是も私は一分の関係を致して力を添へて居ります。全国を通じて高等女学校の数は幾つありますか、今日此処へ取調べて参りませぬが、三十年の歳月、追々に此教育の進歩し且つ普及して参つたことは実に喜ばしい次第でございます。果して今前に申上げた通り将来日本の御婦人方に対する教育程度は、どの辺どの主義で宜しいかと云ふことは今大要は行ひつゝありますけれども、尚一つの制度上に定まる所もあるでございませうから、是は其定まるに従つて追々に進んで行くことは宜しからうと思ひますけれども、仮令左様に他の進歩があるに致せ、先づ主として其初めに力を入れたのは何れであるかと申したならば、当女学館を第一に指を折られると云ふことは決して過たぬ自負と申して宜からうと思ひます。斯う申上げますると、私共も微力此処に従事致しました為めに、己れ自身達が心配したぞよと云ふ言葉に聞ゆると相成ませぬけれども、追々故人になられた其当時の御方々の、日本の為め、教育の為めに、深く御心配なさつた遺績と申して宜い、吾々は唯其驥尾に附いて、其事の倒れぬやうに幾分か増すやうに力を加へたに過ぎませぬのです。長崎君が此女学館の既往に顧みて、大に盛大になつたことは実に今昔の感に堪へぬと御賞讚を下さつ
 - 第45巻 p.15 -ページ画像 
たが、私共其以前から関係して居る身から申すと、左様にまでは感触せぬでもう少し大きくなりさうなものだ、此辺の所で三十年の記念式を挙げると云ふことすら少し関係者から申すとお恥かしく思ひまするし貴女方に対しても実は世話人の働きが悪いから未だ立派の校舎も出来ぬのだと、お小言を頂戴しても已むを得ぬ訳である。寧ろ長崎君と校舎に就ては反対の感じを持つのであります。併し是も必ずしも何時までも斯うでもなからうと思ひます。今やそれぞれ将来の方法を講じつゝございます。会長土方伯爵其他関係のお人々と今頻に評議致しつつ居りますから、果して大厦高楼が出来ると云ふことは申上げ兼まするけれども、折角其昔一番先に組立つたる女子教育の元祖たる位置をどうぞ維持して行きたいと云ふことは、私も思ふし社会も思ふであらふ、又貴女方皆様もお思ひであらふと考へます。今申上げます通り此学校は未だ借家的経営を為して居るけれども、幸に三十年の久しき此処から御出身になつたお方々は、もう段々相当な家庭を造つて、即ち文明的生活をやつてござる方々は却て指を折るに遑ない位の多数を持つて居ります。此点に於ては古いだけそれだけ当学校の最も誇とする所であつて、而も其中には実に顕貴な方々が大分居らつしやると云ふことは、唯貴いお身柄だから貴いと云ふばかりではない、其貴いには必ずそれだけのお力をお備へなさつてござる、故に此教育が御婦人方にあれば斯くなるものだと云ふ一般に対する模範も、充分に示され得るだらうと思ひます。斯様な誇るべき一つの助けもある故に、前に申上げた何時までも斯る有様でなく、此学校を進めると云ふことも、軈てに其攻究が附き得るであらうと思ひますけれども、斯くお芽出度い場合に私は玆に今就学中若くは卒業の皆様方に対して、苦言のやうに聞えまするけれども、一言申上げて置きたい事がございます。能く男子には誰にも彼れにも説教致します。欧羅巴の戦乱が開けてからもう五年に亘つて居ります。世界に惨害が充ち満ちて居る―情けない事である。人を殺すことを何とも思はぬ、物を費すことを数ともせぬやうな有様。而して其戦争の為めには社会の秩序、色々な階級を混乱して或る場合には仕合せを得た者があり、或る場合には不仕合を得た者がある。是は何時まで継続するものであるか、其終熄はどうなるか。此場合は国民の最も心得ねばならぬことであると云ふことは始終申し来つて居ります。併し此事は御婦人の方々に対しては八釜しく申さぬのが普通になつて居りますけれども、私は男子にばかり云うて御婦人に言はぬと云ふことは、御婦人に教育を与へた効能がない訳であつて、畢竟は御婦人を未だ立派なお方と見ぬからで、決して貴女方は御心配なさらぬで宜いと云ふ方でなくて、実は貴女方に其責任を分たぬ訳になりはせぬかと恐れるのであります。故に今日は其事を一言申上げて貴女方は矢張此戦争終熄の後否戦時中でも、日本国民として斯様考へねばならぬと云ふことを、もう御卒業の方は勿論、就学中の方でも押並べて其観念をお持ちなさらんではいけぬと申上げたいのでございます。殊に此戦争関係から我帝国は隔つて居る為め、又彼是の設備が欧米に敢て勝るとは申せぬでも、相当なる組立のある為めに、例へば船のこと、鉄のこと、其他の物資に対しましても、大に之に応じ得られ
 - 第45巻 p.16 -ページ画像 
るの働きに依つて、或る点からは困難もありますけれども、或る点からは寧ろ仕合せの影響を受けて居る。此戦乱の影響が善と不善とを数へて見たならば、それこそ善が八分で不善は二分しかないと云うても宜い位の有様である。此処を以て実業界などは、此戦乱は寧ろ仕合せと思ふ。其戦乱の為めに普通の骨折でする一年の仕事を、甚しきは一と月否三日ですると云ふが如き俄かなる幸福を得た人が沢山ある。故に此一体の経済界の有様と云ふものは、或る点から云ふと段々膨脹して来る。一寸目に触れた自働車の数を見ても、三百とか五百とか云うた話が、何時の間にか既に二千以上を数へると云ふことは、即ち此膨脹の証拠を此処に現はして居る。自働車を嫌ふではございませぬけれども、それと同時に御覧なさいませ、例へば骨董品などが或る懸物が何万円だ、或る茶道具が何千円だ。其品物に羽の生へて飛ぶやうに売買される。又今日御婦人には三越へ行つて御覧なさると、何千円と云ふ帯があると云ふことである。帯は私共が締めるものではない、此前にござる貴方女のお締めなさるものである。其帯が高いからと云うて貴女方に直接苦情を申上げるのは宜しくない。帯は婦人の締めるものだから、此処に居る御婦人方にチトお心得下さいと云うて八つ当りは私は申さぬのであるが。斯の如き有様になつて参りますると、是から先どうなるか―必ず是は大に憂ふべきことが生ずると云ふことは、どうしても言はざるを得ぬのです。一方に英吉利なり仏蘭西なり伊太利なり此戦争参加の直接の国の有様はどうでございます。甚しきはリボンも掛けることは出来ないでせう。又掛けないでせう。食事も或は節約して居るでせう。此中に今の何千円の帯とか、何百円の帯とか、或は骨董に数万の金を出してそれを誇ると云ふやうな国柄で居つては、私は甚だ憂ふべきことであると思ふ。是は決して貴女方が悪いと云ふのではないから、貴女方に向つて此愚痴を申すのは寔に八つ当りの嫌があつてお気の毒でありますけれども、社会の一般の風習を作るものは男ばかりではない。其風習が悪いと云ふのは、矢張御婦人方が多少悪いお手伝をなさつたと申して宜しい。一昨年私は亜米利加に行きました。亜米利加で斯う云ふ噂があつた。中等以上の人が段々借金を余計するやうになつた。多くは会社銀行などに出る事務員の如き人で、何故さう云ふ事が生じたかと云ふと、此人が自働車を買ひたい、其自働車を買ひたい原因は多くは奥さんの勧誘に因ると、斯う云ふ話を聞きました。是は亜米利加の話で、日本には決してそんな事を仰しやる御婦人は一人もありますまいが、併し亜米利加にはあつた。甚だ宜しくないことで、奥さんの為めに自働車を買ひ、自働車の為めに借金が出来ると云ふことは、甚だ面白くないと申して笑つたことがありますが、どうぞ満場の皆様方は其旦那様に自働車を買はせて、其旦那様が借金を造らるゝやうな事をなさつてはいけませぬから是も矢張お考を戴きたいことである。三十年の歳月を空しく費さずに、仮令此校堂の今以て満足せぬのは吾々共の悪いのでありますから、是は吾々共より皆様方にお詫を申しますけれども、併し校堂に拘らず学問の進んだと云ふことは私は甚だ嬉しいと思ふ。又皆さんもそれを以て自らお任じなさるであらうと思ひます。只今長崎君から、今昔の感に堪へぬと云
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ふ御賞讚を得たことは喜ばしいのでありますが、唯欧羅巴の戦乱に対して、我帝国が好い影響を受けて進むは甚だ宜いけれども、併し物事は決して男子ばかりの注意、男子ばかりの覚悟ではいけませぬ。男女共に覚悟せねばならぬ。殊に其覚悟に就て最も注意すべきは御婦人にある。斯う思ひますると是から先世に立たれる、既に卒業なすつたお方、及び就学中の是から後に世に立たれるお方々は、別して御注意あつて、此最も六ケ敷い世の中に立つて、教育ある婦人として、新家庭を進めて行かねばならぬのであります。常に私は申します。今までの日本の婦人は否東洋の婦人は、消費経済ほか知らなかつた。消費経済といふものは、豆腐が二丁は多いから一丁にするが宜いとか、味噌をどうする、醤油をどうする、其使ひ払だけに対する経済で、殖産経済は殆ど無視して居つたものである。併し婦人はそれではいけない。先づ消費経済が主ではあるけれども、殖産経済に対しても相当なる知識を持たねばならぬ是から先は段々さう云ふことに改良せねばならぬのであります。斯る場合に、唯三越に行つて立派な帯だけが先にお目に着くやうでは甚だ宜しくないと思ひますから、私は此戦争に対する注意は、決して男子ばかりに言ふべきものではない、貴女方を重んずると共に、貴女方に対しても深く御注意を乞ふと云ふことを申上げるのは、決して私は無用の言葉でなからうと思ふのです。玆に三十年の祝典を深く慶賀すると共に、皆様方に将来の希望を申述べたのであります。之を祝辞と致します。
   ○卒業生総代祝辞・在校生総代祝辞略ス。