デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
2節 女子教育
2款 財団法人東京女学館 付 女子教育奨励会
■綱文

第45巻 p.27-30(DK450007k) ページ画像

大正13年3月(1924年)

是ヨリ先、十二年十二月、館長神田乃武逝去ス。是年一月、栄一評議員長トシテ館長事務ヲ取扱ヒ、是月、館長ヲ兼摂ス。


■資料

青淵先生公私履歴台帳(DK450007k-0001)
第45巻 p.27 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳           (渋沢子爵家所蔵)
一東京女学館々長     十三年○大正三月


女子教育奨励会東京女学館の沿革概略(DK450007k-0002)
第45巻 p.27-28 ページ画像

女子教育奨励会東京女学館の沿革概略
○上略
 - 第45巻 p.28 -ページ画像 
同○大正十二年神田館長死亡の後は別ニ館長を定めず、女子教育奨励会評議員長子爵渋沢栄一専ら館長の職務を掌る
○中略
十三年春評議員長渋沢子爵館長の職を兼摂せらる


白菊 第七巻・追加第一―五頁大正一三年一一月 罹災と復興とに就て 西田敬止(DK450007k-0003)
第45巻 p.28 ページ画像

白菊 第七巻・追加第一―五頁大正一三年一一月
    罹災と復興とに就て           西田敬止
○上略 玆に皆様と共に痛惜に堪へませんのは、館長神田先生の御薨去の一事であります、先生は昨年の春頃より御健康がすぐれさせられず、大震火災の頃は病床に在らせられましたから、災後の実地は御覧にもならなかつたけれども、善後の事に就ては何かと御配慮下さいまして仮校舎落成授業開始の事を御聞に入れ申しました時などは大変に御喜びになりました、其の後御衰弱が次第に増させられて、十二月三十日の夜に至り終に薨去遊ばされたのであります、大正十二年の下半期は母校に取つて最大の厄年であつたと思ひます。
神田館長御薨去の後は、各評議員の御評議によつて評議員長渋沢子爵が館長の事を摂せられて居りますから、皆様も左様御承知あらんことを希ひます。


東京女学館書類(二)(DK450007k-0004)
第45巻 p.28 ページ画像

東京女学館書類(二)            (渋沢子爵家所蔵)
                     (西田)
    女子教育奨励会東京女学館 沿革概要 (印)
○上略
      東京女学館
○中略
館長 最初館長ヲ置カズ英国教師ミス・マクレーヲ教頭トシ、別ニミセス・カルクスヲ女学倶楽部ノ主任トシ、専ラ貴婦人社交上ノ指導ヲナサシム
   明治二十五年教頭ミス・マクレー外英国教師一同辞任帰国、ミセス・カルクス尋デ死去、女学館倶楽部コレガ為ニ中絶、爾後一時外山評議員教務ヲ監督ス
   明治二十六年秋辻新次氏館長就任、同二十九年秋吉村寅太郎氏辻氏ニ代リテ就任、同三十二年秋吉村氏ノ館長ヲ罷メ評議員長土方伯ヲ館長トシ、幹事西田敬止ヲシテ諸般ノ事務ヲ掌ラシム大正七年秋土方館長薨去、同年冬評議員神田男爵就任同十二年冬神田男爵薨去、同十三年春以来評議員長渋沢子爵館長ノ任務ヲ兼摂セラル
○下略


集会日時通知表 大正一三年(DK450007k-0005)
第45巻 p.28 ページ画像

集会日時通知表 大正一三年        (渋沢子爵家所蔵)
壱月廿八日 月 午后弐時 東京女学館評議員会(事務所)


東京女学館書類(一)(DK450007k-0006)
第45巻 p.28-29 ページ画像

東京女学館書類(一)           (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
拝啓、本館々長神田男爵旧臘三十日逝去相成候ニ就テハ、後任館長推
 - 第45巻 p.29 -ページ画像 
挙其他重要の件々御評議相願度、来廿八日午後二時麹町区八重洲町一ノ一渋沢事務所ニ於て評議員会相開申候間、何卒御繰合せ御来会被成下度、此段御通知申上候 敬具
 追而御来会の有無折返し御一報被下度奉願候
           市外下渋谷羽沢御料地内
大正十三年一月十九日 東京女学館東京女学館印
    (宛名手書)
    渋沢評議員長殿


東京女学館書類(一)(DK450007k-0007)
第45巻 p.29 ページ画像

東京女学館書類(一)          (渋沢子爵家所蔵)
 大正十三年一月廿八日午后二時
  渋沢事務所ニ於テ東京女学館評議員会
                   (太丸・丸字ハ朱書)
                    ○渋沢子爵
                    ○服部氏
                    欠長崎氏
                    欠増島氏
                    欠田中氏
                    欠桜井氏
                    ○大倉氏
                     若尾氏
                    欠穂積男爵
             出席     ○西田敬止
                  以上十名
   ○此評議員会ニ於ケル評議事項ハ左ノ如シ。
    一、館長推挙ノ件
    一、仮校舎増築ノ件 雨天体操場・礼法・割烹・唱歌・教場
    一、幹事舎宅ノ件
    一、感化院ヨリ地所引渡未済ノ件
    一、仮校舎請渡ノ際、相当技術者ニ依頼ノ件
    一、新築後援会発起ノ件
    一、現在生徒父兄ヨリ寄附金募集ノ件
    一、評議員増員ノ件(「東京女学館所蔵文書」ニ拠ル)
    此等議案ニ就イテノ議決、従ツテ後任館長問題ノ討議内容ニ関シテハ、徴スベキ資料ナシ。然レドモ「東京女学館書類」(一)(渋沢子爵家所蔵)中ノ資料ニ拠レバ、大正十三年三月二十九日ノ第三十三回卒業式ニ、栄一ハ館長トシテ出席シ、卒業証書ノ手交及ビ館長告辞ヲナス。


集会日時通知表 大正一三年(DK450007k-0008)
第45巻 p.29 ページ画像

集会日時通知表 大正一三年         (渋沢子爵家所蔵)
参月廿九日 土 午前十時 東京女学館卒業式(羽沢御料地内同学館)
   ○中略。
七月廿九日 火 午前十時 東京女学館評議員会(銀行クラブ)


東京女学館書類(一)(DK450007k-0009)
第45巻 p.29-30 ページ画像

東京女学館書類(一)          (渋沢子爵家所蔵)
 大正十三年七月二十九日(火曜)午前十時
  銀行倶楽部ニ於テ評議員開会
                  出席 渋沢評議員長
                  〃  長崎評議員
 - 第45巻 p.30 -ページ画像 
                  〃  服部評議員
                  〃  大倉評議員
               旅行中不在 田中評議員
                  〃  若尾評議員
                  〃  桜井評議員
               洋行中不在 増島評議員
                  〃  穂積評議員
                  出席 西田幹事
    提出議案○略ス
    報告
 一、文部省ヨリ借入金ノ件
 二、同第二回借入金ノ件
 三、寄附金現状
 四、新築後援会寄附金ノ状況
当日席上長崎氏ヨリ女子教育奨励会名義存続の意見出で種々懇談之結果、之ニ付研究することゝなり、其方法として兼て深き関係を有する宮内大臣の意見を聞くことゝなり、近日渋沢・長崎両氏帯同、宮相訪問のことゝなりたり、従て寄附行為ニ付てハ全然議論せす、総会の招集も決定せす、諸事右根本意見確定の上の事としたり
次に館長選定ニ付渋沢子爵より、(イ)普通の高等女学校程度とし、文部省令による校長を置くか、(ロ)又ハ教育ニ興味及識見ある人にして然も社会的の地位名誉ある人を依頼するかの二途の一を選ふ必要ありと提議し、一同賛意を表し、其採択ハ(ロ)と決定し、奨励会員中より物色し徳川達孝伯を適当なりと認め、同伯に対し長崎氏より内交渉を為すことゝなりたり、右にて散会、十三・七・二九・記
   ○此交渉成功セズ、結局栄一引続キ館長タリ。



〔参考〕青淵先生関係事業調 雨夜譚会編 昭和三年六月二六日(DK450007k-0010)
第45巻 p.30 ページ画像

青淵先生関係事業調 雨夜譚会編 昭和三年六月二六日
                     (渋沢子爵家所蔵)
    東京女学館
○上略
館長 初め館長を置かず、英国教師ミス・マクレーを以て教頭に任し一切の教務を掌らしめ、別にミセス・カルクス、ミセス・マグドナルドをして社交家事訓練の指導に当らしむ、明治廿四年ミス・マクレー等を解雇し、評議員文学博士外山正一専ら教務の監督に任じたりしが同廿七年に至り辻新次を館長とし一切の校務を委任せり、同三十年辻館長辞任、吉村寅太郎を以て館長とす、同三十二年吉村館長を罷め、評議員長伯爵土方久元館長となる、大正七年土方館長死亡により評議員男爵神田乃武其後を襲ふ、同十二年神田館長死亡の後は別に館長を定めす、設立者長崎省吾専ら館長の職務を掌る(註、実際上は渋沢子爵之に当るも届出の手続面倒なるより長崎氏を届出書に記載す)
○下略