デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
2節 女子教育
3款 跡見高等女学校
■綱文

第45巻 p.48-49(DK450015k) ページ画像

大正8年5月25日(1919年)

是日、上野精養軒ニ於テ、当校名誉校長跡見花蹊八十賀宴開催セラル、栄一、祝辞ヲ贈ル。

尚、後年跡見花蹊記念校債募集ニ応ズ。


■資料

竜門雑誌 第三七三号・第五三頁大正八年六月 ○跡見花蹊女史喜寿宴《(マヽ)》(DK450015k-0001)
第45巻 p.48-49 ページ画像

竜門雑誌 第三七三号・第五三頁大正八年六月
○跡見花蹊女史喜寿宴《(マヽ)》 五月二十五日午後跡見女学校名誉校長跡見花蹊女史八十の寿宴を上野精養軒に於て催したるが、当日の参会者は来賓校友生徒等千二百名、校友総代、在校生徒総代の外来賓大隈侯、一木法学博士、中橋文相(代)、青淵先生(代)其他の祝辞、演説等ありて後立食の饗応あり、夕刻散会したる由なるが、青淵先生の祝辞は左の如くなりき。
 人の長寿なるは其人の心力の人に勝れたるを証する所以にして、人生の慶事なれども、其人に伝ふべき徳行才芸のなからんには、唯遐
 - 第45巻 p.49 -ページ画像 
齢を加へ異数の寿を得たりといふのみにて、めでたさも時間の範囲に止まるべし、若し其人が道に志し芸に遊ぶ者なる時は、其長寿は其事業と共に高きを加ふ。況や其道をもて多くの人を教育し、之を天下後世に伝ふる者なる時は、めでたさも空間に亘りて愈尊かるべし。跡見花蹊女史は、若きより文芸に秀でたるのみならず、学校を建てゝ多くの淑女たちを教育し、天が下の人々、女史の名を知らざるものなく、知りて其風采を景慕せざるものなし。而して今年八十歳に達せられて、尚健なりと聞く。余も女史と同齢なるが、常に自彊息まず、天命を楽むをもて保寿の要訣となす者なり。女史の如きも、同じく此要訣を得られたるものか。女史は既に文芸をもて天下に重ぜられ、又其寿を保ちて門人子弟にかしづかれ、長く久しく国家の文運に貢献せられんとす、これ唯女史の為に祝すべきのみならず、又国家の為に祝すべきことならずや。因りて一言を呈して祝辞となす。
  大正八年五月二十五日
                    男爵 渋沢栄一

礼状往復(二)(DK450015k-0002)
第45巻 p.49 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕集会日時通知表 大正一五年(DK450015k-0003)
第45巻 p.49 ページ画像

集会日時通知表 大正一五年       (渋沢子爵家所蔵)
一月十四日 木 午後一時半―三時 故跡見花蹊女史告別式(小石川柳町跡見女学校)