デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
2節 女子教育
5款 女子英学塾(津田英学塾)
■綱文

第45巻 p.54-63(DK450022k) ページ画像

大正14年7月29日(1925年)

是日栄一、当塾復興資金ニ金二千円ヲ寄付ス。大正十五年二月二十四日、ナーシッサ・シー・ヴァンダーリップ、アメリカ合衆国ニ於ケル右資金募集ノ情況ヲ報ジ、次イデ十一月十日、アンナ・シー・ハツホン、栄一ノ寄付ニ対シ礼状ヲ送ル。栄一ソレゾレニ返書ヲ発ス。


■資料

津田英学塾四十年史 同塾編 第六一八頁昭和一六年九月刊(DK450022k-0001)
第45巻 p.54 ページ画像

津田英学塾四十年史 同塾編 第六一八頁昭和一六年九月刊
 ○附録
    創立以来の寄附者表(略敬称)
  金額 目的 氏名
○上略
 二、〇〇〇 復興資金 子爵 渋沢栄一
○中略
 備考○中略
    三、金額欄に弗字を附記したものの外は、凡て円単位である
   ○下略
   ○後掲ミス・アンナ・シー・ハツホン書翰訳文欄外記事ニヨレバ、右寄付ノ日時ハ大正十四年七月二十九日ナリ。


(増田明六)日誌 大正一四年(DK450022k-0002)
第45巻 p.54-55 ページ画像

(増田明六)日誌 大正一四年       (増田正純氏所蔵)
十日○六月 水 晴
前九時安孫子よな子夫人を御殿山津田梅子氏の寓に訪ふ、用件は先き
 - 第45巻 p.55 -ページ画像 
ニ同夫人より明石氏及小生ニ、桑港に於けるアレキサンダー氏夫人が津田英学塾の為ニ、罹災復興資金を同地ニて募集シ居るニ付てハ、此際渋沢子爵の主宰せらるゝ東京日米関係委員会ニ於て、金弐万五千円を同資金として夫人ニ送附すれハ、アレキサンダー氏も必す同額を寄附すべきニ付、然る上ハ渋沢・アレキサンダー記念ホールを同校内ニ建築して、日米親善を永久に記念すべしと桑港出立前来談したる米人ありしを以て、此旨一応子爵ニ伝へられたしとの談話あり、明石氏及小生は此談話を子爵に致したるが、子爵の右希望ニ対して可成応諾致度考にて同委員会幹部ニ図りたるが、目下経済界不振の折柄、到底其金額を醵集する事能ハさるべしとの説ニ一致し、乍遺憾一先御断する外なし、但自分一個としてハ同塾に若干の寄附金を為すべしとの御意見なりしかは、此旨同夫人ニ答ふべく赴きたる次第なり
○下略
   ○本資料第三十九巻所収「其他ノ外国人接待」大正十四年四月七日ノ条参照


諸会発起趣意書(二) 【拝啓、当塾資金募集ニ関シ御照会下サレ御手数ノ段恐縮ニ存候…】(DK450022k-0003)
第45巻 p.55-56 ページ画像

諸会発起趣意書(二)           (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、当塾資金募集ニ関シ御照会下サレ御手数ノ段恐縮ニ存候、左記ノ通リニ付取敢へズ御返事申上候
一、募集組織
 (1)米国募集委員会
 (2)内地募集後援会
二、後援会規定
  別紙印刷物五部御送付申上候
三、右会長及幹部氏名
  米国"The Japanese Earthquake and after"第六面記載之通り
  内地 委員長   伯爵 林博太郎         小野英二郎
     女子英学塾長代理 星野愛子 女子英学塾幹事 蟹江操
     女子英学塾幹事  吉川利一         柳谷卯三郎
           子爵 福岡秀猪         桐島像一
              志立鉄次郎        鈴木歌子
              外欠員弐名
四、申込金額及其寄附者
 (1)米国申込額          一六六、〇〇〇弗
    内訳 ロックフェラー財団   一〇〇、〇〇〇〃
    カーネギー財団其他       一〇、〇〇〇〃
 (2)内地申込額          二一〇、四〇三円
    内訳 三井八郎右衛門殿     五〇、〇〇〇〃
       岩崎久弥殿        五〇、〇〇〇〃
       安田修徳会殿       一〇、〇〇〇〃
       其他五十三口
五、醵金セントスル金額
 (1)米国応募見込額        五〇〇、〇〇〇円
 (2)内地募集金額         八〇〇、〇〇〇円
 - 第45巻 p.56 -ページ画像 
      計         一、三〇〇、〇〇〇円
     以上
  大正拾四年七月七日
              東京市麹町区五番町十六番地
               女子英学塾資金募集後援会委員
    渋沢事務所御中
  尚当募集事業ハ大正十年之ヲ開始致シ候処、途中震災其他ノ事情ニヨリ募集案内容改正ノ必要ヲ生ジ、已ニ内地後援会ノ決議ヲ経印刷物モ新タニ調製イタス運ビト相成リ居リ候、募集ニ関シ不審ノ廉モ有之候ハヾ御一報次第、委員参上御説明申上可ク候


(ナーシツサ・シー・ヴァンダーリップ)書翰 渋沢栄一宛一九二六年二月二四日(DK450022k-0004)
第45巻 p.56-59 ページ画像

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渋沢栄一書翰控 ナーシツサ・シー・ヴァンダーリップ宛 大正一五年五月一七日(DK450022k-0005)
第45巻 p.59-60 ページ画像

渋沢栄一書翰控 ナーシッサ・シー・ヴァンダーリップ宛大正一五年五月一七日
                     (渋沢子爵家所蔵)
    案
                  (栄一鉛筆)
                  十五年五月六日一覧
 加州サンペトロー市
  ナーシツサ・コツクス・ヴアンダーリツプ様
                   東京 渋沢栄一
拝復、二月四日《(廿脱)》付御懇書落手難有拝誦仕候、然ば御良人御病気の為め先般紐育市を離れ幽静閑雅なる御地に御移転相成、只管御静養の処其効果著しく、大に御元気を恢復せられ候由遥賀之至に候、尚此上とも御加療被遊候様切望仕候、久々にて御家庭の近況を承知致懐旧の念禁し難く候、右事御取込中にも不拘社会的に御活動相成、殊に女子英学塾復興事業に対して演説会・園遊会及其他の方法により日本の現状を貴国知識階級に御紹介被下候御努力御厚情に対し感佩の至に御座候、大正九年日米協議会開催の際御良人と共に御来遊相成、親しく我国の風俗習慣を御視察の結果、一層日米親善の必要を感せられ、爾来親善
 - 第45巻 p.60 -ページ画像 
の増進に御尽瘁被下候儀と存じ、同会議の効果の偉大なるを痛感致居候次第に御座候
老生昨年中は兎角健康を損し殆ど籠居致候処、頃者大に恢復致し従来の通り社会公共の為め日夜奔走特に日米親善増進の為め努力罷在候間御省念被下度候、右御回答旁得貴意度如此御座候 敬具
   ○右英文書翰ハ大正十五年五月十七日付ニテ発送セラレタリ。
   ○日米有志協議会ニツイテハ本資料第三十五巻所収「日米有志協議会」ノ条参照。


(アンナ・シー・ハツホン)書翰 渋沢栄一宛一九二八年一一月一〇日(DK450022k-0006)
第45巻 p.60-61 ページ画像

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渋沢栄一書翰控 アンナ・シー・ハツホン宛 昭和三年一一月三〇日(DK450022k-0007)
第45巻 p.61 ページ画像

渋沢栄一書翰控 アンナ・シー・ハツホン宛昭和三年一一月三〇日
                      (渋沢子爵家所蔵)
              (栄一鉛筆)
              昭和三年十一月二十八日一覧
    案
拝復、本月十日付尊書順着拝読仕候、然ば今般御無事御帰塾の由慶祝の至に候、ヴアンダーリツプ夫人より御恵贈の珍品は御厚配により何等の故障無く到着致、御礼の申上様も無之候、荊妻も深く御厚配を拝謝罷在呉々もよろしく申上候様申出候、ヴアンダーリツプ夫人へは近日中に書状発送御厚志を陳謝可致候得共、御序の節貴方よりも可然御申通被下度候
女子英学塾復興資金中に些少の寄附致候に付き、御鄭重なる御挨拶に与り寧ろ恐縮に存候、右に付てはヴアンダーリツプ夫人には非常に御尽力相成、貴国に於て多額の醵金を得候由、同塾の為め慶賀措く能はざる義に御座候
右拝復旁得貴意度如此御座候 敬具
                     渋沢栄一
  北品川
    アンナ・シー・ハーツホーン女史様
   ○右英文書翰ハ昭和三年十一月三十日付ニテ発送セラレタリ。

 - 第45巻 p.62 -ページ画像 

渋沢栄一書翰控 ナーシツサ・シー・ヴァンダーリップ宛 昭和三年一二月七日(DK450022k-0008)
第45巻 p.62 ページ画像

渋沢栄一書翰控 ナーシッサ・シー・ヴァンダーリップ宛昭和三年一二月七日
                    (渋沢子爵家所蔵)
              (栄一鉛筆)
              昭和三年十一月二十八日一覧
                    字句修正之事
 紐育州スカーバロー・オン・ハドソン
  ナーシツサ・コツクス・ヴアンダーリツプ様
                   東京 渋沢栄一
拝啓、御揃ひ益御清安奉賀候、然ば過般ハーツホーン女史に御託送の小包並に御同封の尊書正に拝受仕候、過般当方より拝呈の粗菓は果して御嗜好に副ひ候歟を疑ひ居候処、思ひもよらぬ御賞讚を蒙り恐縮に存候と共に安堵仕候、加之之に依つて往年御来遊当時を御想起被成候趣をも拝承致し、別して愉快を覚候義に御座候
今回拝受の音楽器は誠に精巧優美の佳品に有之荊妻と共に日夕賞観致居候、御心入の程厚く御礼申上候、荊妻よりも呉々御礼申上候
我邦の女子教育事業に深甚の御興味を抱かせられ、今回女子英学塾復興建築資金募集に関し不容易御尽力を賜り多大の功果を挙げられ候由ハーツホーン女史より拝承御厚情感佩の至りに御座候、老生は同校には直接関係無之候得共、日本女子大学校及東京女学館等の経営には平素微力を尽し居候間、今回の御尽力に対しても別して感謝罷在候次第に御座候
一千九百二十年の米賓歓迎会に貴方様の如き有力なる友人を得たる事を今尚記憶いたし欣快を覚へ候儀に御座候、荊妻は数年前鳥渡の不注意より腰部の骨折を惹起し長く起居不自由にて困却致居候処、幸に加療功を奏し本年初秋頃より屋内の歩行相叶ひ候までに恢復致候間乍他事御省念被下度候
右御礼旁得貴意度如此御座候 敬具
  昭和三年十二月八日
   ○右英文書翰ハ昭和三年十二月七日付ニテ発送セラレタリ。



〔参考〕津田英学塾四十年史 同塾編 第一六一―一六二頁昭和一六年九月刊(DK450022k-0009)
第45巻 p.62-63 ページ画像

津田英学塾四十年史 同塾編 第一六一―一六二頁昭和一六年九月刊
 ○前篇 第六章 復興期
    第三節 復興資金募集
 ミス・ハツホンの帰米 ○中略 津田塾長と共に半生の精力を傾倒して築きあげた塾が一夜にして灰燼に帰したといふことは、女史にとつては堪へ難い事実であつたに相違ない。塾の焼跡に立ち惨憺たる光景に老眼を曇らせた女史は塾の再興に就いて思ひ惑はざるを得なかつた。考へあぐんだ末、偶々来遊中の知人ウェルズレー・カレッヂの学部長ミス・ハート Miss Sophie C. Hartが当時軽井沢に滞在中であるのを幸ひ、善後策について同氏の意向を問ふことにした。汽車はいづれも避難者で超満員、列車の屋根上さへ身動きもならぬ人ごみで辛うじて汽車に乗り込んだ女史は軽井沢まで立ち続けた。ミス・ハートは、早速帰米して復興資金を募集するやう女史に勧めた。社員のミス・マクドナルド Miss A. C. Macdonaldも同意見で極力女史を励ましたので、遂に女史も意を決して、九月廿八日横浜から乗船した。旅券の
 - 第45巻 p.63 -ページ画像 
下附は間に合はなかつたが、避難者として容易に乗船をさ許れた。
 救済委員会の設立 桑港で安孫子よな子夫人に迎へられ、この計画を打明けて協力を求めた。夫人は津田塾長の妹で、明治四十二年二月桑港の日米新聞社長安孫子久太郎氏に嫁し、夫君の事業を助ける傍ら、社会的にも活動して居たが、老女史の覚悟に感激して、直ちにフィラデルフィアに同行した。費府はミス・ハツホンの故郷であり、また費府委員会もある。さういふ因縁から、女史はこゝを資金募集運動の根拠と定め、各所に委員会を組織し、女子英学塾臨時救済委員会 Tsuda College Emergency Committee と名づけた。準備が整うて愈愈活動を始めたのは一九二三年大正十二年十月である。費府委員会委員長はアルバ・ジヨンソン氏 Mr. Alba B. Johnson(前ボールドウヰン機関車製造会社長)副委員長はモリス氏 Mr. Roland S. Morris(前駐日米国大使)会計はグリーン氏 Mr. Jerome D. Greene(ハーヴァード大学常任理事、曾て塾を教へたミス・グリーンの弟)で、その他知名の人々が加はつた。紐育委員会は有名な親日家富豪のエフ・エー・ヴァンダリップ氏の夫人 Mrs. Frank A. Vanderlip を委員長とした。ボストン委員会はミス・ニコルス Miss Grace Nichols(富豪、曾て日本へ来遊したこともある熱心な親日家である)を委員長とし、塾の卒業者で長らくボストン美術館に勤務中の平野千恵子氏がこれを助けた。桑港委員会は安孫子夫人が桑港へ帰つてからの設立で、夫人自ら委員長となり、ビルディングの一部屋を借りて、津田臨時救済委員会 Tsuda Emergency Committee の表札を掲げた。
○下略



〔参考〕津田英学塾四十年史 同塾編 第九九―一〇〇頁昭和一六年九月刊(DK450022k-0010)
第45巻 p.63 ページ画像

津田英学塾四十年史 同塾編 第九九―一〇〇頁昭和一六年九月刊
 ○前篇 第三章 建設期
    第五節 校地の拡張
○上略
 基金募集委員会の成立 大山侯爵夫人を委員長とする校資募集委員会は大正元年十月解散したが、毎年相当の高に上る経常費の欠損を補ふ方法として大正二年二月二十日の社員会では「基本金五万円を募集するものとし、案を具して更に協議すべきこと」を決議した。発起は社員会で、同窓会もその一助として一万円の募集を引受けた。その後同委員会は大正六年一月までに、総額五千百四十円内十円は追加を募集したが、偶々土地購入問題が起つたのでこの内五千円をその資金に振替へた。その主なる寄附者は米国人ではミス・ハツホン、ミス・モータン Miss Adeline Mortan, ブラウン氏 Mr. Wistar Brown, ミス・ソーヤー Miss Edith A. Sawyer, 邦人では渋沢男爵、高峰譲吉氏、森村開作氏、柳谷花子夫人、小泉文子氏等である。因に同窓会では予定の募集を了へて大正七年七月母塾基本金として一万円を塾に贈呈した。
○下略
   ○右記栄一寄付金額明確ナラズ。同書巻末ノ「創立以来ノ寄附者表」ニモ掲載ナシ。