デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
2節 女子教育
12款 其他 8. 昭和女子大学設立計画(京都)
■綱文

第45巻 p.98-104(DK450037k) ページ画像

昭和4年8月28日(1929年)

是日、辻内新太郎・甲斐久子等、箱根小涌谷ノ三河屋旅館ニ滞在中ノ栄一ヲ訪ヒ、当校設立計画ヲ述ベ、ソノ顧問タランコトヲ請フ。翌九月、栄一之ヲ承諾ス。


■資料

青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編 竜門雑誌第五一九号別刷・第二五頁 昭和六年一二月(DK450037k-0001)
第45巻 p.99 ページ画像

青淵先生職任年表 (未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編
               竜門雑誌第五一九号別刷・第二五頁
               昭和六年一二月
    昭和年代
 年  月
 四  八―昭和女子大学顧問―昭六、一一。


昭和女子大学創立趣意書(DK450037k-0002)
第45巻 p.99-101 ページ画像

昭和女子大学創立趣意書         (渋沢子爵家所蔵)
(表紙)
 (栄一鉛筆)
 昭和四年八月二十八日午後小涌谷客舎ヘ来訪セシ甲斐久子持参緩々接見談話ノ後、現在経営ノ状況詳細ニ聞取り、日本人希望セラルル本大学ノ顧問トシテ列スルハ篤ト熟考ノ上回答スヘキ筈ニテ辞去ス
     昭和女子大学創立趣意書


    昭和女子大学創立趣意書
 世界を友とし、国際関係の日一日と親交を増し行く新時代に処する我国婦人は、三千年来涵養し来れる我国独特の国粋を保存したる国家的観念の上に理智を啓発し、以て文明先進国の婦人に比肩して聊も遜色なき智徳と技能とを有するものでなくてはならぬ。
 熟々惟ふに現代に於ける女子の高等教育機関は、官立としては善良なる教員養成の目的を以て東京と奈良とに女子高等師範学校を設置せられて居る。私立大学としては安井哲子女史の経営せる東京女子大学故成瀬仁蔵氏の創立せられた日本女子大学校の二校あるのみで、是に因て女子に高等の学術の研究と応用とを指導する機関となつて居るに過ぎない。而して両者は共に帝都に存在し、経済方面の最も豊なる関西に於ては未だ女子の為に高等教育の機関たる大学は公私共に其実現を見ない。只地方数個の公立専門学校と、高等女学校に専攻科を併置し以て僅に其一部を充すに過ぎない。創立者は爰に見る処があつて昭和女子大学を設立し、以て世の婦人向学者の為めに備へたいのである然るに従来長く中等程度並びに高等程度の教育に従事した経験の結果今日の教育施設の状態が果して真に我国婦人の現代に於ける国家の要求の上に立てる教育機関として完全なるものなるや、否やは多年の疑問とする処であつた。即ち思想の上に教育の上に教科選定の上に指導方法の上に、或は訓練の上に頗る疑問を持つて居た事は久しかつた。
 女性の心理を解するは女性に若くはない。女性生涯の階段を刻みて其心理の慾求を精細に分解会得し得るのは女性が優つて居る。社会の要求と女性の心理とを審かにしたる後、是に適する教育を施すは女子の個性に対する教育の方法である。
 東洋には東洋の道徳がある。西洋には西洋の道徳が存在する。道徳
 - 第45巻 p.100 -ページ画像 
の真意に於ては東西両洋共に大差はあるまいけれ共、各其国家を樹立し、皇室或は主権者を翼戴せる以上は、其国民は其従属せる国家の組織によつて自ら異つた道徳観念の生ずるを見る事は明かな事である。由来我国は世界無比の国体を有し、万世一系の大君を拝戴せる以上は又世界無比の道徳基準の上に立つたる世界無比の道徳観念がなくてはならぬ。即ち我国独特の道徳は家族制度なる基準の礎に立ちたる者なることを忘れてはならぬ。聞く英国にては東洋の家族制度を賛美し、最も新しい教育法として加味すべきものなりと高唱しつゝありと。
 創立者は此大学を設立するに際し誓つて右の趣旨を貫徹せんことを期して居る。思想上に於ては国家的に、道徳上に於ては貞淑和衷に、実行上に於ては努力黽勉合理的生活の徹底を期せんとするのである。即ち校舎は勿論堅牢な欧風とすれ共、其玄関の左側には厳粛なる奉安室を設け、一階の正面には純然たる日本式作法室を設けて其第一の印象として国粋的ならしめ、家事に関する割烹室及び衣類実習室等を其背後に設けて婦人生涯に対する任務の大体の観念を得しめ、理科室・実験室・標本室・地歴室・音楽室等の各種の教室を其周囲に配置する等は創立者が抱負の一端を表示したる所以である。而して此の趣旨に協賛せられたる奈良電鉄会社にては、京都市外奈良電鉄沿線寺田に於いて一万五千余坪の寄附提供を申出でられ、為に此校の設立に対して一大権威を附与せられたのである。然るに従来の学校を見るに、大都市は勿論普通の都市といへども煤煙多く風塵熾なる処に其位置を設け其中に発育真盛りの女生徒をして終日心身を疲労せしめる事は、国民将来の保健上寒心すべき事である。是等の害毒を防ぎ善良なる知能と共に優良なる体躯を備へしめんには自然の美を備へたる純真なる環境の中に大地に親しみ、自然に接触せしめて順良なる発育をなさしめるに若くはない。
 敷地は我国婦人の典型と目されたる京都市を距る事電鉄僅かに二十数分、大阪市を距る事亦三十余分、奈良市を距る事二十数分、山河遥に広漠たる豊沃土、宇治の朝霧遠くとも、巨椋の池の蓮葉は慥かに俗腸の洗滌に究竟である。仰げば桃山御陵は北方に森厳として鎮座ましまし、男山八幡宮亦遥かに西方淡く隠見したまふ。
 同会社では此校に対する有利な条件を考慮せられ、既に竣成を告げたる奈良電鉄は、愈々通学の利便を完成にし、又最近に宇治より大阪に至る電鉄亦開かれんとして居る。斯る山水明媚崇高なる雰囲気中に高尚な心性の養成、質実なる勤労教育、科学的なる研鑚をなし、以て次代国民の母を養成するといふ事は理想中の最理想とする処で、女性教育の好適地たる事誰人も疑を容れざる所である。
 学科課程は本科(国文科英文科)高等部(文科)専門部{家事理科家事裁縫科音楽科}の部門に分ち、是れに昭和高等女学校を附設し、其道の権威ある指導者を請ひ三千余坪の建坪に一万五千余の敷地を劃し、特別教室・普通教室は更なり講堂・温室・体育館・花壇に至る迄注意周到を以て完成を期し、又既に図書館並びに図書及び寄宿舎の寄贈を申出づる特志家も出で、女性の教育場として万遺漏なき好適場を提出せんとするのである。
 伏して惟みるに、昨秋は昭和聖代の御大典を挙行せられ、上下国民
 - 第45巻 p.101 -ページ画像 
の恐懼激感慎んで奉祝し奉り、吾等臣民は降し賜はつたる御沙汰書の御趣旨を奉戴し、以て誠忠の微意を表すべきである。斯るめでたき聖代に逢ひ、年来久しく隠忍持重せる我教育の主旨を公表し、関西に於ける誰一の昭和女子大学の呱々の初声を挙げしめる事は深く意義ある事で、我国婦人の為に欣賀に堪へない次第である。幸ひに創立者の意のある処を諒せられ、賛同援助の栄を賜はれば光栄之れに過ぎたるものはない。敬具
  昭和四年八月十五日
                      創立者
                        辻内新太郎
                        甲斐久子
  追て本校の創立事務所は左の通りに定む
         京都市烏丸通り出水西ニ入ル
             電話西陣二七九〇番


(田中秀央) 書翰 渋沢栄一宛昭和四年九月一〇日(DK450037k-0003)
第45巻 p.101 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

(田中秀央) 書翰 渋沢栄一宛(昭和四年)九月一八日(DK450037k-0004)
第45巻 p.101-102 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

(甲斐久子) 書翰 渋沢栄一宛(昭和四年)九月二六日(DK450037k-0005)
第45巻 p.102 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

昭和女子大学書類(一)(DK450037k-0006)
第45巻 p.102 ページ画像

昭和女子大学書類(一)          (渋沢子爵家所蔵)
拝啓
初冬の候次第冷気相加はり申候処益々御清穆之段欣賀至極に御座候
偖而予而御承知之通り久世郡寺田村なる昭和女子大学の新築も漸く其之緒に就き、工事の一部分たる木造建設に対し来る十二月五日午前十時上棟式を挙行致し度候間、御多用中恐縮之至りに御座候へ共万障御繰合せ御臨席之栄を賜り度此段書状を以て御案内申上候 敬具
  十二月一日○昭和四年
                  設立者 辻内新太郎 甲斐久
  子爵
    渋沢栄一殿


昭和女子大学書類(一)(DK450037k-0007)
第45巻 p.102-103 ページ画像

昭和女子大学書類(一)          (渋沢子爵家所蔵)
             (別筆)
             昭和四年十二月六日 昭和女子大学
拝啓、本校々舎一部上棟式に際し態々御挨拶状を下され候御事深く御礼申上候、御蔭様にて式も無事に相済み一部なれ共校舎も頗る堅固に出来上り候事誠に有難く、且御安心願ひ上度候、右取あへず御礼旁御挨拶迄 敬具
                      遠武智正
    十二月六日             甲斐久
                      辻内新太郎
 - 第45巻 p.103 -ページ画像 
    渋沢栄一様
         閣下に


昭和女子大学書類(一)(DK450037k-0008)
第45巻 p.103 ページ画像

昭和女子大学書類(一)          (渋沢子爵家所蔵)
                (ゴム印)
                昭和五年弐月九日
                     (別筆)
                     昭和女子大学
拝啓、厳寒の候に御座候処、閣下には益々御健在にて渡らせ候事深く御よろこび申上候、扨御配慮下され候我昭和女子大学も次第に発展に相向ひ候事、偏に閣下の御蔭様と深くうれしく存じ上居候、然る処今回猶本校設立者として大阪市西区江戸堀北通原商事会社々長原万一郎氏の御承諾を得、今後なにかと御後援を願ふことに相成候まゝ、何卒御了承相成度右謹で御報申上候、なほ此上ながら一層の御後援をたまはり度偏に御願ひ申上候 敬具
                      遠武智正
二月九日                  甲斐久子
                      辻内新太郎
    子爵
     渋沢御尊台
         閣下に


(甲斐久子) 書翰 渋沢栄一宛(昭和五年)七月三〇日(DK450037k-0009)
第45巻 p.103 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

紹介状往翰(一)(DK450037k-0010)
第45巻 p.103-104 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕紹介状往翰 (一)(DK450037k-0011)
第45巻 p.104 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。