デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
1款 埼玉学友会
■綱文

第45巻 p.165-167(DK450052k) ページ画像

大正12年6月10日(1923年)

是日栄一、当会ノ例会ニ臨ミ、演説ヲナス。


■資料

集会日時通知表 大正一二年(DK450052k-0001)
第45巻 p.165 ページ画像

集会日時通知表  大正一二年       (渋沢子爵家所蔵)
六月十日 日 午後一時 埼玉学友会第三十五回大会(埼玉学生誘掖会)


学友会報 埼玉学友会編 第三一号・第一―四頁大正一三年六月 講演 訓辞 渋沢子爵(DK450052k-0002)
第45巻 p.165-166 ページ画像

学友会報 埼玉学友会編  第三一号・第一―四頁大正一三年六月
  講演
    訓辞
                      渋沢子爵
 例年二月十一日に学友会を開く筈でありましたが、報告せらるゝ通り、学生諸君の都合によつて、今日此の会を開くことになりました。
 自分は老人乍ら毎年引続き此の会に出席して、御話をする例になつて居ります。
 日本人の癖として少し年を取るとすぐ年寄だといつて、初めは力を尽した事にも大人ぶつて出て来ぬといふ弊が多いのであります。西洋人殊に米人に較べると此の点は少し劣つてゐます。私の解釈としては余り早く年を取るのは自分自身を粗末にすることで不経済の事だと思ひます。私の時分には人は十五・六から世に立てたのでありますから廿歳頃から私は独立し、廿四・五歳から僭越乍ら社会国家に尽し、役人にもなり、銀行事業も創め、爾来八十四歳の今日に到るまで、殆ど七十年に垂んとする間働いて居ります。
 其の間に成した事業はつまらぬ事ではありますが、勤勉努力の点では人に恥ぢぬ心算であります。学友会にも旅行や病気などの場合の外は必ず出席して、お役には立たずとも、教育勅語を奉読したり、賞与を授与したり、お話をしたりするのを私の勤めとし又喜びとして居ります。私は私のように年を取つた人とこういふ処に集つて、昔を共に語るのを此の上もない愉快としてゐるのでありますが、今日は斎藤君が居られるのみで、他は皆孫のやうな方ばかりなのは遺憾であります
 - 第45巻 p.166 -ページ画像 
満堂の若い諸君はどうぞその風にならないようにしてほしいのです。
 年を取ると別して声の妨げがあつて、詳しい事は申上げられませんが、近頃一体に、教育の然らしむる所か、政治の然らしむる所か、思想界が混乱して居ります。中には此の事を殊更言ひ立てる人もありますが、殊更にそういふ見方をせずとも、思想界の混乱は争はれない事実であります。満堂の諸君も私のやうな老人も等しく此の影響を蒙つて居ります。新しい思想が出て、古い思想に代るのは国の進歩でありますから、何時までも元の儘で居れとは決して申しませんが、唯新しくさへあれば良いとして、昔の結構な所まで棄て、均衡の取れぬ新しいものを望む傾向があります。殊に新しいことを望むのは、年若い人に多いので、其の弊に感染することも強いようであります。是は考へなければならぬことでありまして、自分自らを誤り、又世を誤り国を誤るに到ることがあります。
 只今奉読致しました教育勅語も文字上の意味のみによつて、真の意味を了解して実行しなければ効がありません。
「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ」とは何でありますか今日の思想は実に父母に孝ならず、兄弟に友ならず、朋友相信ずる所か相欺く有様であります。此の有様を見ると私は教育勅語を読む間にも汗が出るやうな感じが致します。此の悪思想を改める為に私は青年とあれば之に向ひ、青年ならざるものにも亦之に向ひ、又は私に関係ある事務所の如き団体に向つて声を嗄らしてこの不道理なるを説き、又本会に対しても深くこの事を言ふ必要があると思ふのであります。
 学友会の起つてより以来、既に三十有余年を過ぎて居ります。之を起すに努力した先輩の方々が、今日はお見えにならぬのは、甚だ残念でありますが、この学友会に続いて誘掖会が出来、学友会は誘掖会と相俟つて学生の進運を図り、相扶けて、以て全体の進歩を図ることが大体の主義であります。幸ひに三十有余年を経過したのは、喜ぶべき事でありますが、世の中は教育勅語と次第に背馳せんとしつゝあります。この逆流に対し、之を防ぐに当ては、大に覚悟を要するものであります。
 「狂瀾を既倒に廻らす」と言ふことがありますが、既に倒れたる波ではなく、将に倒れんとする濤であつて、余程の強い力を以て之に当らなければ、世の中の風潮を正道に導く事は覚束かないのであります斯く奮闘努力して来たものであります。そうして、互に相議し相磨き国家の進運に貢献すべきでありますから、埼玉全体に対してこの重大なる問題に覚醒を与へん為には、本会の如きは率先して恰も一家の家長の如くに、之を教導するの責任あるものと思ふのであります。
 斯くの如く世道の衰へたことは、互に憂ふべきことで、思想界の混乱に傾きつゝある時に、私は去年よりは今年と、年と共に深く之を感ずるものでありますから、かくこゝに一言御注意申し上げる次第であります。
 後に学問的講演がありますから、私は簡単ながら、こゝに一寸警戒的訓示を致す次第であります。
              (大正十二年六月十日口講速記)

 - 第45巻 p.167 -ページ画像 

埼玉県人会会報 第五号・第八八―八九頁大正一三年九月 学友会と県人会との関係に就て渋沢子爵の談(DK450052k-0003)
第45巻 p.167 ページ画像

埼玉県人会会報  第五号・第八八―八九頁大正一三年九月
    ○学友会と県人会との
      関係に就て渋沢子爵の談
 渋沢子爵は学友会と県人会との関係に就て斯く云はれたことを聞けり『学友会と県人会とは互に能く同化しなくてはならぬ、学友会の人は独立の生活を営み一人前として仕事をする様になつたら、進んで県人会に入会し、県人のため思想統一を謀り、後輩のためには誘掖補導に全力を注かねばならぬ、其が、学校を卒業し寄宿舎を出たら最早用は無い、と云ふ考へでは大に量見が違ふ、そう云ふ人は無からふと思ふが、何となれば学生誘掖会は県下有力の人々が互に金を出し合ふて建たものなり、其精神を忘却してはならぬ』
            (大正十二年六月十日飛鳥山邸に於て)