デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
2款 財団法人埼玉学生誘掖会
■綱文

第45巻 p.194-195(DK450063k) ページ画像

明治44年10月1日(1911年)

是日、当会新築道場落成式ヲ兼ネテ、第七回寄宿舎記念祝賀式挙行セラル。栄一出席シテ、訓示ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四四年(DK450063k-0001)
第45巻 p.194 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四四年         (渋沢子爵家所蔵)
十月一日 晴 冷
○上略 午前十時埼玉学生誘掖会寄宿舎ニ抵リ、剣柔道ノ稽古場落成式ト共ニ紀念式ヲ挙ケ、学生ニ一場ノ訓示ヲ為ス、学生一同ト共ニ午飧シ柔剣ノ試合ヲ一覧ス○下略


委員日誌(二)(DK450063k-0002)
第45巻 p.194 ページ画像

委員日誌(二)            (埼玉学生誘掖会所蔵)
十月一日○明治四四年
 寄宿舎紀念式及道場開き挙行す
 午前柔道撃剣の紅白仕合をなす、午后式を挙行す、当日の来賓、渋沢会頭・諸井監事・本多監事・斎藤監事・田島理事・諸井理事・山中理事・小沢愛次郎氏等なり
○下略


埼玉学生誘掖会十年史 同会編 第八五頁大正三年一〇月刊(DK450063k-0003)
第45巻 p.194 ページ画像

埼玉学生誘掖会十年史 同会編  第八五頁大正三年一〇月刊
 ○第一篇 埼玉学生誘掖会史
    第二期 財団法人組織時代
○上略 十月一日○明治四四年寄宿舎第七回紀念式を兼て新築道場開場の式を挙ぐ。会頭渋沢男爵・監事山中隣之助・諸井恒平・本多静六・田島竹之助・理事諸井四郎・斎藤恂・副監督斎藤阿具・維持員指田義雄・渋谷正吉の諸氏出席せり。○下略


埼玉学生誘掖会十年史 同会編 第一四六頁大正三年一〇月刊(DK450063k-0004)
第45巻 p.194-195 ページ画像

埼玉学生誘掖会十年史 同会編  第一四六頁大正三年一〇月刊
 ○第二篇 寄宿舎史
    一、寮史
○上略
十月一日○明治四四年五更の残夢はしなく醒むれば、今日は思出多き第七
 - 第45巻 p.195 -ページ画像 
回紀念日に当れり。加ふるに道場開き式挙行の日なれば、舎生諸君の笑顔も何となく福やかに、秋の晨にも似て賑はし。午前に柔剣道の紅白試合を為し、午後祝賀式を挙行せり。当日の来客は渋沢会頭、諸井山中・田島の諸理事、本多・諸井(四)斎藤(阿)小沢の諸先生なりき。夜に入りて紀念茶話会の開催あり、舎生の演説ありて後余興に移り、幼年寮生諸君の蕃人踊最も異彩をはなてり。○下略


埼玉学生誘掖会十年史 同会編 第一六五―一六六頁大正三年一〇月刊(DK450063k-0005)
第45巻 p.195 ページ画像

埼玉学生誘掖会十年史 同会編  第一六五―一六六頁大正三年一〇月刊
 ○第二篇 寄宿舎史
    二、運動部史
○上略 先輩殊に会頭を始め本多・矢作・諸井・斎藤・田島の諸先生間に道場設置の議起るあり。恰も舎生中には柔道に新井五段(当時四段)剣道に中村鉄也氏あるあり、加ふるに山口政二氏の熱誠を以てして交交諸先輩歴訪の労を取られしかば、道場設立、運動部開始の案終に満場一致を以て理事会を通過せり。是れ正しく四十四年七月の事なり。依て直ちに工を起し、○中略四十四年九月竣功せり。工費千五百三十円敷地四十坪。掲ぐるに青淵先生染筆の「柔能制剛」「察機審勢」の二額面を以てし、床を飾るに文天祥の忠、上事於君、下交於友、内外一誠、終能長久、孝、敬父如天、敬母如地、汝之子孫、亦復如是、及び節の二大幅を以てせり。
◎開場式、四十四年十月一日の本舎第七回紀念日を卜し、開場式並に第一回大会を挙行せり、午前、柔道は新井教導、剣導は中村教導及田島・小沢両先生の審判の下に大紅白試合を行ひ、午後は広間に於て会頭の訓示。部長の演説、相川・大沢二氏の祝詞あり。盛大に式を終つて庭前に紀念撮影を為せり。当日の主なる来会者左の如し。
渋沢会頭・諸井恒平・山中隣之助・斎藤恂・渋谷正治・田島竹之助・本多静六・小沢愛次郎・指田義雄・諸井四郎・斎藤阿具の諸氏、
○下略



〔参考〕渋沢栄一 日記 明治四四年(DK450063k-0006)
第45巻 p.195 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四四年       (渋沢子爵家所蔵)
十一月六日 晴 寒
午前七時起床、入浴シテ朝飧ヲ食ス、後渋谷南陽氏ノ来訪ニ接シ、埼玉誘掖会ノ事ヲ談ス○下略
  ○中略。
十一月二十二日 晴 寒
午前七時起床、半身浴ヲナシテ後朝飧ヲ食ス、後大井台二氏来《(大井台司)》リ、埼玉学生誘掖会ノ事ヲ談ス○下略