デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
4款 埼玉県大里郡八基村教育会
■綱文

第45巻 p.281-285(DK450107k) ページ画像

明治43年4月4日(1910年)

是日、八基尋常高等小学校ニ於テ、当教育会総会並ニ尚歯会開カレ、栄一、夫人ト共ニ出席シ、当教育会ヨリ頌徳状ヲ贈ラル。栄一謝辞ヲ述ベ、次イデ演説会ニ臨ミ演説ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第二六三号・第七八―八〇頁 明治四三年四月 ○青淵先生と八基村教育会(DK450107k-0001)
第45巻 p.281-282 ページ画像

竜門雑誌  第二六三号・第七八―八〇頁 明治四三年四月
○青淵先生と八基村教育会 青淵先生には令夫人と共に其郷里なる八基村教育会の招請に応ぜられ、本月四日開会の同会第二回総会へ臨席せられたり、是より先、同会にては青淵先生に対し頌徳状を捧呈するの議あり、乃ち当日先生の臨場せられたるを好機とし、別項記載の頌徳状捧呈の式を挙げたり、先生は之に対して叮重なる謝辞を述べられ次で村内の長老者優遇の目的を以て創設せる尚歯会の人々(八十歳以上)に一々挨拶を為され、且つ五・六十年前の懐旧談抔あり、それより演説会に移り、先生には約一時間半に亘りて日米の関係より渡米団の顛末、農業に対する希望及び現時の教育に関する意見等を述べられたり(演説筆記は次号に掲載すべし)
    八基村教育会より青淵先生に捧呈せる頌徳状
     頌徳状
八基村教育会長望月久知謹て頌徳状を
男爵渋沢栄一閣下に奉る、伏して惟みるに、閣下は幼にして岐嶷好んで書史を読み又武芸を嗜む、長して倜儻時勢を鑑み以て大志を抱き笈を負ふて郷関を出で、東奔西走国家の為に淬礪し、遂に一橋公に仕へ後従行して仏蘭西国巴里に渡り、大に文明の活学に通じ以て社会の大勢を看破し、其帰朝せらるゝや時恰も維新の初めに当り、朝廷抜擢して大蔵省の重任を以てせらる、故に国家財政の大計に就き大に献替する所あり、玆に財政の基礎初めて成るを得たり、已にして勇退、野に在りて国家実業の基を開き、以て第一銀行を創め財界の流通を闡き、以て公私の便益を図る、是に於て天下の実業家靡然として閣下の下に集り其の教を乞ふ者日日に多く、遂に推して此の界の泰斗として崇敬するに至れり、又我邦韓国を保護扶植するに当りてや、卒先して彼の国の進捗に従事し、其の経済界の運用をして円滑ならしむることを企図し以て其の発達を努む、其功大なりと謂ふべし矣、斯くの如く劇務に鞅掌せらるゝと雖、又常に古聖賢の道を服膺し実践躬行人の亀鑑と為る、加旃常に救済施与等仁恤の行に富む、故に頼りて以て火挙る者尠なからざるべし、本村嘗て学校を新築するに当り、我が教育の為に軫念し前後六千余円を恵与せらる依て之を基礎として蓄積を計り現に一万余円の資金を見るに至る是れ皆閣下の賜に外ならず、而して身青雲の高きに在りと雖、下桑梓の旧を忘れず洵に感激に堪へざるなり、又客年は米国実業家の招
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聘に応じ、其の団長として渡米彼の地を跋渉して大に我邦の信用を厚ふし、本朝をして九鼎大呂より重からしむるに至れり、斯くの如く内外に向て其の功績枚挙に遑あらず、朝廷其の功を賞し前に男爵を授けられ、其の後位勲累進して従三位勲二等に陞叙せられ、是惟り閣下の声誉なるのみならず、実に亦閣下の郷里たる我輩村民の名誉として欣喜抃躍の至りに堪へざる所なり、故に本村民は一に閣下の指導に依頼して、閣下を見ること父母の如く其の恩に浴すること時雨の如し、本村民は子々孫々盟て其の鴻恩終世忘れざるべし、顧ふに閣下春秋已に富めり、然れども矍鑠として壮者を凌く、冀くは国家の為克く自愛せられ孳々として弘道済衆に努められんことを、是れ此蕪言素より大偉人たる閣下を頌するに足らずと雖、閣下が嘗て相携て嬉戯せられたる同胞たる我々が満腔の熱誠を以て玆に高徳を頌する微衷を諒せられんことを、頌曰
 幼而岐嶷 長出家郷 東奔西走 国事不遑
 維新玆定 財界業創 商工諸士 推為棟梁
 功績赫々 名世界揚 仁恤己遍 徳及四方
 晩列華族 位勲共昌 高在碧落 卑思故郷
 寒村得暖 玆顕玆光 慈如父母 恩如大洋
 千載是仰 子孫不忘 休徴自至 寿考無疆
  明治四十三年四月四日
      埼玉県大里郡八基村教育会々長 望月久知


(八基村教育会)会務報告綴(DK450107k-0002)
第45巻 p.282 ページ画像

(八基村教育会)会務報告綴       (八基村教育会所蔵)
    八基村教育会四十三年度事務報告 
      総会
一、四十三年度総会ハ同年四月四日ヲ以テ第二回総会ヲ開キ、七十歳以上ノ高齢者二十余名ヲ招キ、尚歯会ヲ開催シテ紀念品ヲ贈リ以テ之ヲ慰藉シ、同時ニ渋沢男爵閣下ヲ招待シテ、頌徳状ヲ奉呈シ其偉大ノ高徳ヲ敬頌シ、式後吉岡氏蚕室ニ於テ閣下ノ演説ヲ拝聴シ、傍聴者約五百名アリキ、此日福井県視学・植村郡視学・隣村学校長等参会セリ
○下略
  ○八基村教育会ハ明治四十二年二月十三日ヲ以テ第一回総会ヲ開ク。当時ノ職員左ノ如シ。(「会務報告」〈同会所蔵〉ニ拠ル)
    会長  望月久知
    副会長 渋沢市郎   橋本芳郎
    幹事  鈴木徳三郎  富田秀吉
    評議員 福島治三郎  中沢文太郎
        橋本八郎次  荻野竜松
        荻野毎平   三友定吉
        今井喜七八  新井太吉
        栗田宗次   橋本喜作
        栗田米太郎  針ケ谷藤太郎


高田仙治回答(DK450107k-0003)
第45巻 p.282-283 ページ画像

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竜門雑誌 第二六四号・第一九―二一頁 明治四三年五月 ○八基村教育会に於て 青淵先生(DK450107k-0004)
第45巻 p.283-285 ページ画像

竜門雑誌  第二六四号・第一九―二一頁 明治四三年五月
    ○八基村教育会に於て
                      青淵先生
  本篇は本年四月四日、青淵先生が其郷里八基村教育会の招請に応して臨席せられ、同日開会の同会第二回総会に於て演説せられたるものなり
○上略
亜米利加談は先づ大体是で終りまして、教育に就て一言を添へて置かうと思ひますが、私は此教育といふ方に就ては当世風の教育は受けませぬのです、蓋し教育といふ文字から云ふたら先づ無教育と言はれても一言もないと思ふのです、決して本式の教育を受けた人間ではないさりながら兎に角社会へ立ちましてもう数十年を経過して居りまするし、維新以後文明社会に斯くありたい、斯様望ましいといふことは、政治にあれ法律にあれ、己れの本職は商工業でありますけれども、商業から他の方面に希望も言はねばならず、観察も附けねばならぬ、故に教育界のことは一切知らぬとは申さぬ積りであるが、今の教育は私から考へると余り科目の多い学ぶことの数々ある為に、人の精神をし
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て十分修養することが足らぬと言はねばならぬのであります、昔の学問は是に引替えて学ぶ部分の少い代りに、人間の性格を師匠が其弟子に対して十分薫陶陶冶するといふことに努めたものである、昨日も東京の京華中学卒業授与式に参つて其話をしましたけれども、どうも是は已むを得ぬ有様ではあるが、今日の教員は殆ど悪く申すと大寄席に出る落語家・講釈師みたやうな嫌がある、田舎ではさういふ弊が少いですけれども東京の学校を御覧なさると殆どさうである、ですから弟子が師匠と云ふものを一向知らぬ、若し十分の希望を言ふならば、もう少し教師は良い種類の人を少くしたいと思ふ位である、物を教ゆるといふことは智恵を増すのであるけれども、唯智恵だけ増せば教育は満足だといふことは言へない、教育と云ふものは智恵を増すと同時に其人物の性格を造るといふことが一の教育の元則にならなければならぬと思ふ、今は智育だけを主として精神修養といふ方には殆ど学校教育は力が届かぬやうに私は思ふのである、是は決して今日の教育が未だ完全と申し得ぬのであるか、又は今日の如き教育法ではそこまでどうしても遂げ得られぬのであるか、若し果してそこまで遂げ得られぬとするならば、それで満足すべきものであるか、或は満足と言ひ兼はせぬか、斯ういふ疑が生ずるのであります、昨日も申上げたことで、又繰返すやうですが、此間毎日新聞に載つてあつたと思ふ、仏蘭西の大学者のラベレーと云ふ人の言葉に「良心無き科学は人の霊魂を亡滅す」「道徳なき政治は国民を破壊す」若し智恵ばかり進んで人格の之に伴はぬ場合は今申すやうな弊害に陥ると云ふことを、仏蘭西の其当時の政体若くは風俗に就て慷慨した言葉のやうであります、又今日持参した書物の中に子供に対して注意させたいと思うて、英吉利のチスターヒルドと云ふ人の子供に与へた「父の書簡」といふ小冊子でありますが、それにも頻に此科学的教育のみを進めては人間の性格を造るには充分でないといふことを、チスターヒルトが其息子に、或は旅行先より手紙を寄越して、唯言語で言ふばかりでなく文字に書いて我子の性格を向上させるやうに努めて、それを一の材料として日本に引移して、或る人の著述したものでありますけれども頗る面白いと思ひましたから、私は序を書いて居ります、是は今申した仏蘭西のラベレーの話とは違ひますけれども詰り人格修養を重んじた趣意であらうと思ふ、今日智育の進んで行くことは決して悪いとは申しませぬ、人間はどうしても知識が発達しなければいけないからして、此教育界で人の智恵を進めるといふことは十分御努めなさるやうにしたい、学校は勿論それが専務である、さりながらそれと同時に唯智恵ばかりを進めるといふことはいけませぬ、其土地に応ずる其人に相応した人格が無くてはならぬ、其人格の根本は何に依るかと云ふたら、私は之を儒教に採つて差支ないと思ふ、即ち孔孟の教、孝弟であります、論語に君子務本。本立而道生。――孝弟は仁を為すの本か、誠に此辞は人格を造るの根原であらうと思ふ、先づ孝と弟とを本としさうして己れの心を正しうして誠を以て人の性格と云ふものを段々造つて行き、之に加るに知識と云ふものがあつて、始めて完全の人として世に立つことが出来るであらうと思ふ、唯小智小才を以て此世の中を押廻らうと云ふこ
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とは、或は悪利口覆邦家者、即ち有る智恵が寧ろ人物を損し、或は身を過つの原因にならぬとも申せぬやうに思ひます、学問は畢竟知識を増すを主義として居るのですから、教育と云ふことも知識を進めるといふことに専ら心を委ねるは勿論でございますけれども、唯単に知識だけを進めるといふことは寧ろ其人の性格を損ふことになる、即ち前に申す通良心なき科学は霊魂を亡し、道徳なき政治は国民を破壊すといふ言葉は、必ず何れの場合何れの学問にも忘れてはならぬと思ひまするので、玆に教育会に臨んで一言其事を申上げて置きます。
                       (拍手喝采)
  ○明治四十二年八月十九日、栄一渡米実業団団長トシテ一行ト共ニ渡米、十二月十七日帰国ス。右掲資料中略ノ部分ハソノ報告ニテ、本資料第三十二巻所収「渡米実業図」明治四十二年十二月二十六日ノ条ニ収ム。