デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
5款 埼玉県大里郡八基尋常高等小学校
■綱文

第45巻 p.289-291(DK450114k) ページ画像

大正12年11月(1923年)

是月栄一、摂政宮御成婚記念事業トシテ当校校庭ニ設置セラルル御真影奉安殿建設費中ニ寄付ヲナス。


■資料

八基村関係書類(一) 【(別筆朱書) 大正十二年十一月八日 八基村長代理助役栗田米太郎来状】(DK450114k-0001)
第45巻 p.289 ページ画像

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(埼玉県大里郡八基尋常高等小学校)学校要覧 昭和一二年四月刊(DK450114k-0002)
第45巻 p.289 ページ画像

(埼玉県大里郡八基尋常高等小学校)学校要覧  昭和一二年四月刊
    沿革ノ大要
○上略 同○大正十三年御真影奉安殿落成。○下略


八基村関係書類(一) 【(別筆朱書) 大正十三年八月 八基村長渋沢治太郎氏】(DK450114k-0003)
第45巻 p.289-290 ページ画像

八基村関係書類(一)           (渋沢子爵家所蔵)
               (別筆朱書)
               大正十三年八月
                   八基村長渋沢治太郎氏
謹啓
初冬之候愈々御健勝之段奉慶賀候、陳者予而御配慮ヲ蒙リ本村小学校庭ヘ建設中之
御真影奉安殿竣工致候ニ付、来ル三十一日午後壱時ヨリ天長之佳晨ヲ卜シ同所ニ於テ奉遷式挙行致度候ニ付、万障御差繰リ御臨場被成下度御案内申上候 敬具
                 八基村長渋沢治太郎
 - 第45巻 p.290 -ページ画像 
    子爵渋沢栄一閣下
  ○右奉遷式ニハ栄一出席セズ。



〔参考〕(保泉茂)書翰 渋沢栄一宛 大正一三年九月一三日(DK450114k-0004)
第45巻 p.290 ページ画像

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〔参考〕(並木新作)書翰 渋沢栄一宛 大正一三年九月一八日(DK450114k-0005)
第45巻 p.290 ページ画像

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〔参考〕渋沢栄一全集 山本勇夫編 第二巻・第一五六―一五七頁 昭和五年七月刊 【「実験論語」仁徳を心の安住地とせよ】(DK450114k-0006)
第45巻 p.290-291 ページ画像

渋沢栄一全集 山本勇夫編  第二巻・第一五六―一五七頁 昭和五年七月刊
 ○「実験論語」仁徳を心の安住地とせよ
    小学教育に出金す
 - 第45巻 p.291 -ページ画像 
 郷里の小学教育を完備させることに就ては、たゞ口ばかりで私が彼是と申したのみでは些か功の無いことゝ思つたので、私は今日まで数年に亘り既に数千円を出金し、又村の者も出金して、目下では八基村の中央に、相当に立派な尋常高等小学校の校舎が建てられて居る。かう申しては自慢話のやうにもなるが、この校舎でも又其器具器械其他の設備でも、近辺には余り見当らぬほど、小学校として完備したものだとの噂である。それから校長や教員は十分詮衡して其人を得るに力め、一旦得た人は容易に変へぬやうにするのを村の方針としてゐるので、三年前に死去せられた望月久知と申さるゝ校長の如きは、正心誠意能く八基村の為に永年御尽し下されたものである。この校長が死なれてから、新しい校長を迎へたのであるが、この御仁も実に良校長で永く村の為に御尽し下される事と思ふ。
 敢て自分の徳や功労を誇るわけでも何でも無いが、私の生家の者も能く私の意を体し、村内の者に率先して純朴の風を守り、小学教育が良く行はれて居るので、八基村は仮令完全無欠の理想郷で無いにしても、理想郷に近い村で、忠孝の道が廃れず、村内の者は一般に孝悌を重んじ、長幼相済け、漫りに小さな功を争はず、新らしい人が起つて是れまで勢力を得て居つた人を倒さうとする如き小競合ひなどは致さぬやうに相成り、仁厚の美風が漂つて居るかの如くに思はれる。都会に住み郷里を離れて居る者でも、苟も先輩とか長老とかと郷党の者より推される身分になつた者は、郷里のことにも多少意を注ぎ、純朴の風を保存させ、孝悌の美風を永く行はしむるやうに之を誘掖する事に尽力するが宜しからうと私は思ふのである。何と申しても、片田舎で最も大事なものは小学校である。これが総てに於て一村の土台になるのであるから、小学教育は決して忽に致すべきものでは無い。