デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
6款 埼玉県大里郡八基公民学校
■綱文

第45巻 p.303-306(DK450120k) ページ画像

昭和2年12月11日(1927年)

是日、飛鳥山邸ニ於テ、当校商議員会開カル。栄一出席シテ当校ノ経営ニ関シ協議ス。


■資料

集会日時通知表 昭和二年(DK450120k-0001)
第45巻 p.303 ページ画像

集会日時通知表  昭和二年        (渋沢子爵家所蔵)
十二月十一日 日 午前十時 血洗島公民学校諸氏招待会(飛鳥山邸)


商議員会議録(DK450120k-0002)
第45巻 p.303-305 ページ画像

商議員会議録              (八基青年学校所蔵)
  昭和二年十二月十一日商議員会記録
一、場所 王子渋沢子爵本邸
 - 第45巻 p.304 -ページ画像 
一、出席者  商議員十四名全部(宇都宮ヨリ望月義光氏モ商議員トシテ列席)
       渋沢子爵 石黒農林省蚕糸局長 渋沢博士 渋沢敬三氏 田島本県学務部長 初野県視学 佐久間教育会幹事 高田校長 後藤・小菅教諭 小沢助教諭 永島嘱託等
一、提出議案 一、学校施設に関する件
       二、内容充実に関する件
       三、学校名変更に関する件
       四、制度変革に関する件
       五、卒業生に対して短期学校制設置に関する件
       六、其他重要事項
本日開かれたる商議員会に於ては、第五項万場一致可決されたる外、其の結論に達せしもの少なしと雖も、其の内容概要次の如し
開会、渋沢村長開会の言葉あり、渋沢子爵より去る十月二十二日帰郷の際、商議員諸賢に親しく逢つて公民学校経営に関して協議して、惜しかつたが用事の都合上それが遂げられなかつたのが、今日此の会を開く迄に至つた事柄より、農業教育が他に比して一段と劣り、農村将来に対して甚だ寒心に堪へぬものがあるから、何んとかして農村良民養成に適切な学校を設けその実を挙げたいから、その点に関し充分なる協議を遂げて貰ひたい、と云ふ意の挨拶あり、引続きて高田校長より、公民学校今日迄の経過報告ありて、協議に移れり。
○一項学校施設に関して望月議員発言すべき所、遅刻した関係上後藤教諭之れに代るも、学校の施設並一般内容は、学校組織制度の確立に待つて初めて妥当なものを提案決定し得るものなれば、先づ根本問題に入られ度き旨を述べて着座
○管理者はそれを可として、第三項学校名に関する問題に入り、今井議員指名、今井議員は気分問題より入りて、此際学校名の変更の必要なる所以を説き、青淵実業学校にては如何、又公民中等学校は吉岡議員の考案なるも如何なりやとの説を述べしに、吉岡議員は之を受けて一言その動機を述べたり、之を聞きて
 渋沢博士は名に捕はることの否なる事を説けば、望月・後藤は校名変更の動機と経過の説明ありしも、博士は仮令それが輿論なりとするも、輿論必ずしも善ならざるを説きてその否を硬論せり、こゝに於て望月議員は今学校名変更が今日の中心問題となりたるが如き形を呈せしも、之れは決して大問題とすべき程の要求でも、又議員としても夫程重大視して居らないと考へると云へは、皆然りとして元に帰りて施設充実に入る
○施設、即ち望月議員は昨年来の経過を述べ、如何に農業教育で農民精神の涵養が主たりと雖も、教室なく鍬なくして教授も実習も出来るものでなきことを説く、更に氏は
○農業教育(即八基学校)は勤労中心を以て進むべきことに及べば、田島学務部長並に初野視学は之が名に終るの恐れありと云ひて挙例反対せり、此に於て石黒局長は農業教育の困難なる事柄を説に、日
 - 第45巻 p.305 -ページ画像 
本国民高等学校建立精神に及び、更に勤労教育の実効を述べたり
○昼食後渋沢管理者引続き開会を宣して、第四項制度変革問題に入り富田議員指名、富田議員立ちて高等小学校を廃して公民学校と合併し、新組織の学校を建立せんことを、印刷物を配して理由・方法・経費の三項に分つて論ぜらる、此に至つて望月議員は、先づ県当局が高等小学校廃止することの許可あるや否やを質すの要ありとして質問を発す、田島部長答へて曰く不可なりと、後藤教諭その言甚だ当を得ざるを慨して、高等小学校が更に優秀なる学校制定の為に廃されることが出来ぬとは何故なるか、現行六ケ年義務教育に於てすら文部省は上級教育を受けんとするものゝ為には、尋常小学五年より其の途を開く、是れ実に義務教育の根本精神は国民の質を向上せしめんが為に国民の受くべき最低の教育限度を示せるものにある、然るに今本村に於ては最も使命に富む農業学校を新制し、一般村民にその福を与へんとする為に必要なる高等小学の廃止の、当局の不可なりと断定するの理由解し難ければ、此の弁明を迫れば
 渋沢博士之を受けて、今制度迄変更せずとも何等か他に適当なる適切なる教育の道もあらうから、其の点を考へて頂きたいと云ふ旨を述べられた、此に於て後藤教諭は富田議員案に讚意を表し、更に之を具体的に説き、高等小学はその内容小学校の復習的であり、動もすると児童に倦怠を生せしむ恐れあり、又教師も一人にて十数科目を担当するは、その人賢なりと雖も広きに流れて深きを欠くの憾みを有す、これは単に高小学のみでなく、現行八基公民学校に於て亦然りとし、然るに之を併合して新組織のものたらしむる時は、是等の弊を除き得るのみならず、教師は適材適所の実を挙げ、所謂分科制を布き得て教授効果を奏し得るのみならず、冗費を除き得と述ぶれば、初野視学立ちて小学校にても農業科を増し、教員も専攻科出を入れ、二学級三教員制を採ればその点を補ひ得と云ふ、此に於て後藤は更に其の言の実行上不可能を論じ、更に富田議員は専攻科生の県下に普及は何年後なりやと野次り、論仲々興あり、次に
 石黒局長は右の説に就て文部省内の意向を述べ、低度の実業学校説高等小学校説とあれども、高等小学校説と雖も現行のものより極めて地方化したものなることを説き、更に内容問題に入りて前任教諭望月氏及後藤教諭を全責任を以て推薦せし事を述べ、尚此の制度問題は暫く時期を見られることを望まれたり
○続いて第五項に入り、管理者は後藤教諭指名せらる
 後藤教諭は従来一般学校の卒業生に対して研究修養の道の講ぜられて居らないことを述べ、本校に於ては卒業後実業に就きたるものに農閑期を利用して短期昼間学校を開きて、修養は勿論学理と実際の調和を計らんことを述べて賛成を得たり
夫れより尚補習学校令の学校新設に対しては高等科廃止は困難なるとも実業学校令としては如何。更に渋沢子爵より一層の協議の遂げられんことの希望あり、望月議員は又帰つて施設充実を述べ、更に小学校との独立如何を問ひたるも、時間の都合上閉会の止むなきに至れり

 - 第45巻 p.306 -ページ画像 

招客書類(二) 【昭和二年十二月十一日午前十時於飛鳥山邸 八基村公民学校商議員会】(DK450120k-0003)
第45巻 p.306 ページ画像

招客書類(二)             (渋沢子爵家所蔵)
  昭和二年十二月十一日午前十時於飛鳥山邸
  八基村公民学校商議員会
                     富田泰三
                     吉岡来作《(吉岡耒作)》
                     吉岡慎一郎
                     荻野毎平
                     荻野英一
                     栗田金作
                     尾高浩一
                     石川慶一郎
                     針ケ谷惣十郎
                     今井清
                     中沢佐太郎
                     福地清五郎
                     小内民之助
        栃木県実業補習養成所主事 望月義光
                     渋沢治太郎
                     助役
                     高田校長
                     後藤専任教諭
                     小菅専任教諭
                     関根女教諭
             図書館主任書記 小平幸吉
                     小沢教諭
                    埼玉県庁ヨリ二人
                     石黒忠篤
                     渋沢元治
                     主人
                     渋沢敬三
                     増田明六
一、料理ハ東洋軒四円、水物とも
一、食堂ハ書院ノ事