デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
8款 早稲田大学
■綱文

第45巻 p.323-324(DK450128k) ページ画像

大正3年5月21日(1914年)

是日栄一、北京畿補学院ニ於ケル当大学出身中国人同窓会ノ歓迎会ニ臨ミ、謝辞ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 大正三年(DK450128k-0001)
第45巻 p.323 ページ画像

渋沢栄一日記 大正三年         (渋沢子爵家所蔵)
五月二十一日 晴 風ナクシテ暑気強シ
○上略
正午ヨリ早稲田大学出身ノ民国人ヨリ案内セラレテ校友会ニ出席ス、場処ハ曾テ張之洞氏ノ経始ア《(リ脱)》タル畿補学院ト称スルモノナリ、食卓上主人ヲ代表シテ林氏ヨリ挨拶アリ、余モ一場ノ答詞ヲ述ヘ、二時半帰寓、更ニ衣服ヲ更メテ山座公使ノ先導ニテ、袁大総統謁見ノ為其居所ニ抵ル○下略
   ○大正三年五月二日栄一中国視察ノ途ニ上ル、五月六日上海ニ着キ十九日北京ニ到着ス。本資料第三十二巻所収「中国行」大正三年五月七日ノ条参照


竜門雑誌 第三三六号・第一〇七―一〇八頁大正五年五月 渋沢男爵支那漫遊中の演説及談話の梗概(DK450128k-0002)
第45巻 p.323-324 ページ画像

竜門雑誌 第三三六号・第一〇七―一〇八頁大正五年五月
    渋沢男爵支那漫遊中の演説及談話の梗概
○上略
  北京第三日
   五月廿一日 木曜日
午前を訪問に費し、正午早稲田大学支那人同窓会に臨まる、来会者凡そ五十名、総て日本語を解せり、林長氏一同を代表して男爵来臨の光栄を謝し、中日の関係の経済的ならざる可からず、之が為めには実業界の先輩たる男爵が有益なる教訓を垂れさせられたしとの希望を述べ男爵は之に対し下の如き答辞を述べられたり
 上海上陸以来到る処歓待を受けて感謝の情言葉に尽し難きも此席の如き愉快なる会合は未だ遭遇せざりき、蓋し人外国に赴きたるとき自国の言語にて自由に会談し得らるゝ程愉快なるはなからん
と言ひ、次に男爵と早稲田大学との関係を略叙したる後
 抑文明の進歩は学問の応用によりて促さるゝものなるが、天恵洽き支那の富源も亦学問の応用を待て開発せらるべきなり、而して支那富源の開拓は実に支那の為めなるは論を待たざるも、復た世界の文明の為めにも必要なることなれば、此点に於て諸君の発奮努力を望まざるを得ず、諸君は既に学問を修得せられたる人々なれば、今は此学問を如何に活用すべきかと云ふことに熱心ならざる可からず、此の如き実に実業家のみならず、官吏たるものも亦同一の熱心を以
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て実業の奨励を図らざる可からず
と諄々訓諭を与へられたり
○下略
   ○右ハ明石照男ノ筆ニナルモノナリ。本資料第三十二巻所収「中国行」大正三年五月二日ノ条参照。


中外商業新報 第一〇一二三号大正三年六月二九日 ○早稲田大学講師会(DK450128k-0003)
第45巻 p.324 ページ画像

中外商業新報 第一〇一二三号大正三年六月二九日
○早稲田大学講師会 早稲田大学は学年終了に付、二十八日午後四時より講師二百余名を麹町九段富士見軒に招待し、尚今回支那より帰朝の基金管理委員長渋沢男爵を迎へて盛大なる宴会を催し、席上総長大隈伯爵より一場の演説ありたり


集会日時通知表 大正三年(DK450128k-0004)
第45巻 p.324 ページ画像

集会日時通知表 大正三年      (渋沢子爵家所蔵)
十月十二日  月 午後五時  早稲田大学基金委員会(大隈伯邸)
   ○中略。
十一月十一日 水 午前八時  高田早苗氏ト会見ノ約(高田氏自宅)
         午後三時半 大隈伯ヲ早稲田ニ御訪問