デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
8款 早稲田大学
■綱文

第45巻 p.388-394(DK450152k) ページ画像

昭和5年11月1日(1930年)

是年十月ニ至リ、当大学学生同盟休校事件起ル。是日右ニツキ臨時維持員会開カレ、栄一出席ス。尚、栄一ニ調停ヲ懇請スル者アルモ応ゼズ。


■資料

東京朝日新聞 第一五九七一号昭和五年一〇月一九日 「応援せず」と決議して数千名気勢をあぐ けさ学校へ詰かけた早大生 校内を一歩も去らず(DK450152k-0001)
第45巻 p.388-389 ページ画像

東京朝日新聞 第一五九七一号昭和五年一〇月一九日
  「応援せず」と決議して
 - 第45巻 p.389 -ページ画像 
    数千名気勢をあぐ
      けさ学校へ詰かけた早大生
        校内を一歩も去らず
早慶野球戦入場券問題から起つた早大生の騒動は、十七日深更に及ぶまで開かれた学生聯合委員会において「入場券の不買断行」「体育会不承認」の決議となつて、入場券問題から、学生対体育会との抗争へと進んだが
 十八日は午前八時から各クラス会を開き、学生委員から経過と決議を報告するといふので多数の学生が早朝から続々登校した、ところで学校側では事態を見て取り、午前五時頃正門に臨時休業の掲示をなし各通用門をとざすと共に各教室の戸をも締切り、学生の入校を拒否する態度に出たので、登校した学生達は突然の休業に驚き、学校当局に対し、その
 不法をなじつた結果やうやく門及び教室の戸を開いた、各学生委員は声明書を正門に掲示し、各クラス会を開くことを一せいに発表し、午前九時半からクラス会に移つたが、体育会に対する反感は益強い、十七日の聯合委員会の決議を承認し、挙つて応援に赴かないことに決定し、各クラス毎に校歌を高唱、正門前に流れだし十時半頃講堂の広場を始め正門一帯は数千の学生で
 黒山を築いてゐる、この間に聯合委員会が開かれてゐるが学生達はその報告を待つために一歩も去らず折々校歌を歌ひ気勢をあげてゐる
 尚戸塚署では万一を慮り杉並・早稲田両署の応援を得て制私服警官百三十名を出動せしめ、講堂付近を警戒してゐる


東京朝日新聞 第一五九七四号昭和五年一〇月二二日 同盟休校を決行 総退学届をもまとめ早大生の背水陣(DK450152k-0002)
第45巻 p.389 ページ画像

東京朝日新聞 第一五九七四号昭和五年一〇月二二日
  同盟休校を決行
    総退学届をもまとめ
      早大生の背水陣
早慶野球入場券に端を発した早大学生騒動は、ぼつ発以来既に一週間に及んだがこの間学生側の意見は漸次硬化して、二十一日各クラス会が一せいに開かれ、更にこのクラスの意向を持ちよつて聯合委員会開催の結果問題は更に進展し、遂に同盟休校を決行する事を決議し、二十二日から学生は登校するも授業を拒否し、一種のサボタージユを実行、時期を見て盟休にいる事になつた、聯合委員会はストライキの前に全学生の結束を一糸も乱さぬために場合によつては総退学する事をも決議し、学生個個に退学届けを書かせこれを委員の手に集めていつでも提出出来る様に用意し、一種の背水の陣を敷く事になつてゐる


集会日時通知表 昭和五年(DK450152k-0003)
第45巻 p.389 ページ画像

集会日時通知表 昭和五年       (渋沢子爵家所蔵)
拾月廿七日 月 午前九―十時 早大常務理事田中穂積氏来約(飛鳥山邸)
   ○中略。
十一月一日 土 午後一時 早稲田大学臨時維持員会(同校恩賜館)
 - 第45巻 p.390 -ページ画像 

早稲田大学書類(三)(DK450152k-0004)
第45巻 p.390 ページ画像

早稲田大学書類(三)          (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
拝啓、左記ノ通リ臨時維持員会開会致候間御出席被成下度、此段御通知申上候 敬具
  昭和五年十月三十日
             早稲田大学総長 高田早苗
    (宛名手書)
    維持員 子爵 渋沢栄一殿
 一、日時 昭和五年十一月一日(土曜日)午後一時
 一、場所 早稲田大学恩賜館
 一、会議目的 一、学生事件ニ関シ経過報告並善後処置ニ関スル件
        二、其他


東京朝日新聞 第一五九八五号昭和五年一一月二日 渋沢老子爵 早大当局に一本 維持員会の三決議(DK450152k-0005)
第45巻 p.390 ページ画像

東京朝日新聞 第一五九八五号昭和五年一一月二日
  渋沢老子爵
    早大当局に一本
      維持員会の三決議
高田総長を迎えた早稲田大学では同校学生騒動につき、一日午後一時半から恩賜館楼上で、守衛・事務員総動員の
 物々 しい警戒のうちに維持員会を開催した
 出席者は大隈維持員会長始め総長・田中理事・渋沢子爵・増田義一埴原正直・鈴木寅彦・砂川雄峻氏等定員三十五名の中三十名
その結果維持員会では
一、今回の事件で理事のとつた処置は全部承認す
二、将来の善後処置も理事会に一任す
三、怪文書問題(坂本前監事の調査によるとせる学校の会計ぶん乱問題)は一切不問に付す
と決議をしたと学校当局から発表あつたが、維持員会の
 内容 について聞くに、まづ高田総長のあいさつの後
 田中常務理事は、そもそもの早慶戦切符問題から全聯合学生委員会の真相について説明報告し、切符分配については多少事務上の手落はあつたが決して不公平ではないと述べるや、維持員中から『切符を折半しながら慶応に騒動の起きなかつたのは何故か』と辛らつな質問があり、次いで同理事は今度の学生運動は一部学生でない左翼危険分子が裏面に策動してゐるといふ事を、色々の実例に示して説明したのに対し、渋沢老子爵は『当局者が学生を赤化と認められては学生を
  激昂 せしめる恐れがあるので慎重にされたい』とたしなめたので、当局でも『学生の大部分は純良で、たヾ非学生が赤化の策動をしてゐるのである』と述べた。更に全早稲田学生聯合委員会の設置に関しては、各維持員とも『学生が学校と同格に内政に干渉するのは教育上面白くない』と不賛成に意見一致した
 - 第45巻 p.391 -ページ画像 

早稲田大学書類(三)(DK450152k-0006)
第45巻 p.391 ページ画像

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早稲田大学書類(三)(DK450152k-0007)
第45巻 p.391-392 ページ画像

早稲田大学書類(三)           (渋沢子爵家所蔵)
昭和五年十一月八日、早稲田大学校友会有志稲田直道氏来訪談話した所を概記すること如左
一、早稲田大学のストライキは既に二十日間に亘り、学生側もホトホト困惑の状態なるに付、調停を待ち居る次第なり。
一、既に中野正剛氏仲裁を申込みたるも、学生側も学校側も共に辞退したり。
一、永井柳太郎・増田義一の諸氏も調停の意志あるも問題とならず。
一、一世に重きを為す人の起たんことを望む。其人としては渋沢子爵の外なし。渋沢子爵起たれゝば直ちに纏る見込。
一、今回の問題は其端を切符配付に発したるも、其真原因は幹部不信任なり。田中・難波両氏に誠意なく、言を二・三にすることゝ請託を容るゝことが学園の中心人物として不適当なるを以て、其辞職を要求するものなり。
一、早稲田全学生聯盟組織は其一の表れにして、幹部に於て之を容認せざることは学生の予期する所なり。
一、難波氏に付ては大隈会館の建築(田中氏と同郷の三流以下の請負師に建築を命じ其間怪しき関係あり)に付て数万円の贈賄を受け、又入学に付て理工学部五百円・商科参百円・政治法律学部弐百円の
 - 第45巻 p.392 -ページ画像 
冥加金を納むれば入学を許可す。現に贈りたるもの知人の内にあり
一、右事情に付学園将来の為め田中・難波両氏の辞職を希望す。
一、両氏の件に付ては検事局に於て取調べをなす筈なれば、仮令無罪となるも其職に晏如たるを得されども、其迄に到らざる間に辞職せしめたきものなり。
一、更に遡れば学制改革に迄到らざるを得ず。
 (イ)大隈家を無視したること。
 (ロ)推薦を広義に解し、選挙も亦其一方法なりと曲弁し我意を通したること、所謂功労維持員二名を学制改革当時其人なしとの理由を以て欠員としたるに、本年九月、塩沢・平沼(金子)両氏を選挙したり。之は文部省に於て行悩み中なり。
 (ハ)維持員・評議員とも殆んど全部を高田擁護派となし、大隈侯側は事実上圧倒せられたること、維持員として山田英太郎氏一人となり、厳正中立は子爵一人なり。
 (ニ)決議は投票によりなし、一人一票なるを以て高田派の思ふことならざるなし。
 (ホ)右によつて田中氏を常務理事とし、田中氏は腹心の難波氏を幹事としたり。
 右等の関係より不快に思ふもの多し。
一、山田英太郎氏に於て非常に憂慮し居るところ、自分より子爵に話すことを憚り、子爵より一声あらば喜んで参趨、事情並に思ふ所を詳細陳述したしと申居る由なり。
   ○右ハ渋沢事務所用箋ニタイプ印書セルモノ。思フニ稲田直道ノ来訪ハ渋沢事務所ニシテ、筆記者ノ署名ヲ欠クモ所員ニ談話セル所ヲ文書ニシタルモノナルベシ。


報知新聞 昭和五年一一月一〇日 校友団渋沢子に調停を依頼(DK450152k-0008)
第45巻 p.392 ページ画像

報知新聞 昭和五年一一月一〇日
    校友団渋沢子に調停を依頼
学生の運動と結びついて、田中理事一派に対する反対運動を続けて来た早大校友団の源兵衛組は、今回の調停に不満を抱き、聯合学生委員会統制部を詰問する一方、渋沢子爵に調停を依頼すべく、九日夜渋沢子爵を訪問した


(田中穂積)書翰 渋沢栄一宛(昭和五年)一一月一〇日(DK450152k-0009)
第45巻 p.392-393 ページ画像

(田中穂積)書翰 渋沢栄一宛(昭和五年)一一月一〇日
                    (渋沢子爵家所蔵)
                     (別筆)
                      田中穂積氏
拝啓
兎角不順之折柄愈御清栄ニ被為渡候段慶賀至極ニ奉存候、陳ハ先般来段々御高配ヲ蒙リ候学園之問題ニツキ、高田総長台湾旅行ヨリ帰京以后、既ニ二回迄学生諸子ト懇談ヲ重ネ候折柄、丸山警視総監之依嘱モ有之、逓信省政務次官校友中野正剛氏ノ仲介ニテ、学生諸子ノ中堅モ幸ニ納得致シ呉レ稍安堵仕リ候処、毎々怪文書ヲ頒布シ、事ヲ好ムノ徒ガ学生委員幹部ノ諒解ニ不満ヲ抱キ、之ヲ反覆セシムルガ為メ暴力ノ脅威サヘ加ヘ兼ネ間敷事態ニテ、頗ル憂慮罷在候、元来教育ノ府ト
 - 第45巻 p.393 -ページ画像 
シテ総テ譲ルベキモノハ譲リ候ヘトモ、学園ノ基礎ヲ根底ヨリ攪乱スルノ惧アル全早稲田学生委員聯盟ノ如キハ、教育上如何ニシテモ許容致シ難ク、万一此問題ヲ許ス場合ニ於テハ、早稲田学園ハ素ヨリ全国ノ学園ハ根本ヨリ紊乱セラレ、由々敷大事ヲ惹起スル結果ヲ胚胎スベキコトハ、文部当局者初メ全ク同一ノ意見ニ有之候ヘバ、此点ニ就テハ飽迄断乎タル態度ニ出ツルノ外無之、然ル処新聞紙之伝フル処ニヨレバ、校外ニ於テ事ヲ好ムノ徒ガ子爵閣下ヲ煩シ奉リ、御仲裁相願フヤノ風聞モ有之候ニ就テハ、予メ此義御含願上、此等之徒ガ乗スルノ間隙無之様御高配仰キ度乍略儀為念偏ニ奉悃願候
書中意ヲ尽サズ万々拝光ニ譲リ候 早々頓首
  十一月十日                  穂積
    渋沢子爵
        閣下
   ○昭和五年十月中旬、早慶野球戦切符問題ニ端ヲ発シタル同盟休校事件ノ経過大要、左ノ如シ。
    早慶野球戦ニ先立ツテ早稲田大学当局ハ、野球部ヨリノ依頼ニテ入場券ノ配分ヲ行ヒシガ学生等其ノ配分ニ不満ヲ抱キ、全早稲田学生聯合委員会ヲ結成シテ十月十八日入場券不買断行・体育会不承認等ノ決議ヲナシ、漸次自治権獲得運動ニ移レリ。大学当局ハ偶々台湾旅行中ノ高田総長ニ急電ヲ発スルト共ニ、学生ニ対シテ強硬態度ヲ持ス。学生等十九日聯合委員会決議文ヲ、田中常務理事ヲ通ジテ理事会ニ提出シ、二十一日同常務理事ハ学生代表十一名ト会見、当局ノ不行届ヲ謝ス。其他ノ理事・学部長等極力慰撫ニ努メ業ニ就カンコトヲ勧ム。然ルニ学生等当局ノ態度ヲ不満トシテ硬化シ、二十二日ヨリ完全ナル同盟休校ヲ決行ス。学校当局ハ旅行中ノ総長ヨリ、田中常務理事宛ニテ一切ヲ代行善処スベキ旨ノ急報ヲ受ケ、二十五日理事其他懇談会ヲ開キタル結果、二十七日ヨリ十一月五日マデ臨時休校ヲ決定セリ。程経テ十月三十一日高田総長帰京シ、学生側ハ同日六個条ノ最後的要求書ヲ作成シテ翌十一月一日総長ニ提出ス。総長ハ右要求書ヲ持シテ此日ノ維持員会ニ臨メリ。維持員会後、高田総長ハ学生委員ニ回答ヲナシタレドモ、学生等満足セズ事態益々混迷ニ陥ル。玆ニ於テ学園ノ前途ヲ憂慮セル校友有志等頻リニ調停ヲ栄一ニ依頼スルモノアレドモ、栄一表面ニ出デズ。校友等又調停ヲ校友中野正剛ニ依頼ス。同人出馬ヲ承諾シ十一月八日調停ニ乗出ス。九日其調停案ヲ学生側委員ニ示シ、学生側委員承諾ス。一般学生等中ニハ右調停案ヲ以テ尚不満ナリトスル者アレドモ、十三日聯合学生委員会ニ於テ右調停案受諾ヲ正式ニ決定シ、翌十四日ヨリ登校スルニ至ル。(「早稲田大学書類」(三)ニ拠ル)



〔参考〕早稲田大学書類(三)(DK450152k-0010)
第45巻 p.393 ページ画像

早稲田大学書類(三)           (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
拝啓別紙御報告申上候、十二月八日ノ定時維持員会席上、小職ヨリ今般常務理事ヲ二名トシ、田中理事ノ外ニ金子理事ヲ委嘱スルコトニ理事会ニ於テ申合ハセタル旨ヲ報告シ、満場ノ御承認ヲ得候間併テ御報告申上候也
  昭和五年十二月十日
              早稲田大学総長 高田早苗
      (宛名手書)
    維持員 子爵渋沢栄一殿
   ○別紙略ス。
 - 第45巻 p.394 -ページ画像 


〔参考〕報知新聞 昭和五年一二月一三日 改革された早大の職制 常務理事を二人制に(DK450152k-0011)
第45巻 p.394 ページ画像

報知新聞 昭和五年一二月一三日
  改革された
    早大の職制
      常務理事を二人制に
事務と教務の混同からしばしば問題を惹起し、ひいては学生騒動の原因を誘引してゐた早稲田大学の職制改革問題は、長い間重要懸案として残されてゐたが、過般の同盟休校が導火線となり去る八日の維持員会において、従来常務理事一人であつたのを二人制に改め、幹事を教務と庶務とに分け、それぞれ常務理事に金子馬治・田中穂積両氏が当り、教務幹事に第一高等学院教頭であつた岡村十曳氏、庶務幹事に難波理一郎氏が決定、十二日発表された、これが理由としては同大学が年々膨張発展するにも拘はらず、この問題を今日まで放任してゐた結果幾多事務上に支障を来してゐたので、今後は各部門の機能を円滑にしてその運用を完うするためであるとしてゐるが、現幹部に対して不満が勃発した結果であると見られてゐる、即ち過般の学生騒動から各教授間に反田中理事説が高まり、殊に高等学院の教授連は、現在の理事を更迭して公平なる人物が就任することを希望してゐたが、高田総長は幹部更迭によつて内部に動揺紊乱を来すことを恐れ、その結果右の如く各一名を増員し、それぞれ内部の憤まんを押へようとしたものである。