デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
13款 財団法人私立高千穂学校
■綱文

第45巻 p.518-521(DK450191k) ページ画像

大正5年5月27日(1916年)

是日、当校第十三周年創立記念式挙行セラル。栄
 - 第45巻 p.519 -ページ画像 
一出席シテ演説ヲナス。


■資料

集会日時通知表 大正五年(DK450191k-0001)
第45巻 p.519 ページ画像

集会日時通知表  大正五年       (渋沢子爵家所蔵)
五月廿七日 土 午后一時 高千穂学校記念会(大久保ノ方)


竜門雑誌 第三三七号・第九八頁 大正五年六月 ○高千穂学校記念会(DK450191k-0002)
第45巻 p.519 ページ画像

竜門雑誌  第三三七号・第九八頁 大正五年六月
○高千穂学校記念会 市外大久保町高千穂学校にては、五月二十七日正午より同校講堂にて幼稚部・小学部・中学部・高等商業部等の合併記念会を催せり、当日青淵先生にも同会に臨まれ一場の講演を為されたる由。


竜門雑誌 第三四二号・第三九―四一頁 大正五年一一月 ○精神的健康 青淵先生(DK450191k-0003)
第45巻 p.519-521 ページ画像

竜門雑誌  第三四二号・第三九―四一頁 大正五年一一月
    ○精神的健康
                      青淵先生
  本篇は高千穂学校紀念会に於ける青淵先生の訓辞なりとす
                         (編者識)
 本日の記念会に当り何か一場の挨拶を致すやうにとの、校長の御依嘱によりて参場致した次第であります。さて、歳月の進むと共に、校運益々拡張せられて、かく多数の学生を収容するやうになりました事は、最も愉快に堪へませぬ処で、本校のために先づ以て祝辞を申上げて置きます。
 前席で、高木男爵が、現在の日本の凡ての人々に関する衛生上の御講演が御座いました。高木男爵は明治廿二年から、欧米の風を一般に普及する事に尽力せられた事でありましたが、今の御話によりますれば、近頃になりて、欧米の風が、果して一から十まで、其のまゝ日本人に適用の出来るか否かと云ふ事に疑問を懐き、漸く其の適用の出来ぬ点を見出したに就いて、過と悟つた以上、看過する訳に行かずで、大声疾呼して、之を改むる事を主唱して居ると云はれました。私も御同感の事でありまして、殊に衛生上に関する事は、其の大切なる事、固より申すまでもありません。
 当校長の川田君が、最近著述せられた「父の御声」の中にも、健康が第一に挙げられて居たやうに見受けました。古より申す通り、健全なる精神は健全なる身体に宿る事で、身体の弱い人は、一身を支へて、行く事すら困難であります。故に天下国家を荷ふなどは、思ひもよらぬ事で御座います。されば老少共に、此の身体の健康と云ふ事には、よくよく注意を致すべき事と存じます。
 高木男は今、欧米主義の健康の方面に就いて御話しになりましたが私はまたその精神方面に関する事に就いて申上げやうと思ふ。
 日本では、維新前までは、ひどく実業の事を蔑視致し、それに関せる知識も、格別修養する価値のないものとせられて居たので御座りますが、之れは政治上の仕組が、さういふ調子に出来て居るが為めでありまして、海外貿易は、単に支那・和蘭の二国を対手に、長崎で取引に従事し、其の範囲は極めて狭小なもので、内国商業も亦幕府藩庁の支配を受けて居たもので、太だ窮屈なものであつたのであります。日本の重要物産たる米ですら、其運搬は幕府諸藩の力に依つたもので、
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其の商業は町奉行の許可を受けたものであります。詰り商は、幕府藩庁等官の仕事で、普通の商人は小売商でありました。それで、商業界に優秀な学問技芸を有した人が出なかつた事も、無理のない事であります。
 其の為めに、維新後、欧米諸国と対等の地位に立つやうになりてから、商業の範囲も知識も共に広く相成り、物質的知識を求むる事に急になつた事と思ひます。尤も明治の初年は、政治上の知識を吸収する事が主で、実業方面に向つたのは、十五・六年頃からこちらで御座ります。
 かく、朝野共に、実業の必要を認め、物質上の知識を追うて居る中に、私は明治六年以来、銀行業に従事致し、同時に此の方面の学問を進める必要を感じまして、今日の株式業に就きましては、各方面より人を取り、物質的文明に資するやうに努めました積りで御座ります。けれども、此の事は私一人の力とは申上げませぬ。偏に世運の然らしむる所で御座りまして、今日より致して、振り回りて、其の当時の商工業の事を考へて見ますれば、洵に隔世の感に耐へませぬ。
 先達て越中島の商船学校の創立四十年紀念式に臨みまして、祝辞を述べましたが、其の時郵船会社の近藤男が矢張り御臨席で、同様祝辞を述べられましたが、男の御話に、郵船会社の創立当時は、僅に六万噸の船で有りましたが、今日となりては、優に五十万噸の上に出て居るとの事でありましたが、して見ますれば、郵船会社のやうな大会社が二十年間に十倍からの発展でありますが、之れも亦学校や会社の力のみではなくして、偏に世運の御蔭であると考へられます。当校も亦其の通りで御座いまして、社会が疲弊して学校を声援する丈けの力がありませねば、今日かく多数の生徒を見なさる事は出来なかつた事と思ひます。されば、四恩の中にも、社会衆生の恩を立ててありまする事も、尤の事と思はれます。
 以上申述べた通りに、維新以後、日本の物質的文明の進歩は著しいもので御座りますが、精神教育が、之に伴うて進歩致したかと申せば之れは疑はしい。欧米諸国には、古くからして基督教が普及して、精神界の基礎を為して居りますが、日本には仏教もあり、神道もあり、基督教もあり、儒教もあり、思想界は甚だ錯雑したものであります。徳育が知育と伴つて進歩しかねたのは、斯く其の基礎が確定しないからの事で、従つて道徳と経済とが今日までの所、却て一致しかねたので御座います。之れは、甚だ残念な事で御座いまして、何卒此の二つを甘く調和させて行きたいもので御座ります。私は安心立命の基礎を孔子の教に置いて居りまするので、論語に拠りて、今日の処世の方針を立て、事業の規律を立て、わが関係の方面にも、それを述べて、其の一貫主義を徹致す事に努めて居りまする。かく申せば、自分一人が道徳を欠かず、世間のみが欠いて居るやうに御聞取りでもありませうが、之れは、語を以て意を害する事になりまするので、私の申上げるのは、ただ知育と徳育が伴つて行かねば、真の文明とは申されぬと云ふたに過ぎませぬ。
 高木男が云はるゝ如く、一人一人が弱くなれば、詰り日本全体が弱
 - 第45巻 p.521 -ページ画像 
くなる、恰度其の通り、精神界に於ても此れと同様で御座います。川田校長は漢学に長じて居らるゝから、夙に御承知の事であらうが、此に三島翁が私の七十の祝の時に、論語算盤説と云ふのを書いて下された。之れを校長に差上げて置きますから、何卒御序の折に、其の趣意を生徒諸君に伝へて戴き度いと思ひます。