デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
13款 財団法人私立高千穂学校
■綱文

第45巻 p.521-522(DK450192k) ページ画像

大正5年10月22日(1916年)

是日、当校ニ於テ、栄一ノ喜寿祝賀式ヲ挙行ス。栄一謝辞ヲ述ブ。


■資料

集会日時通知表 大正五年(DK450192k-0001)
第45巻 p.521 ページ画像

集会日時通知表  大正五年        (渋沢子爵家所蔵)
十月廿二日 日 午前九時 高千穂高等商業学校ヘ御出向(堀ノ内ノ方)


高千穂学報 十五 第二七頁 大正五年一〇月 【大正五年十月二十二日、本…】(DK450192k-0002)
第45巻 p.521 ページ画像

高千穂学報 十五  第二七頁 大正五年一〇月
大正五年十月二十二日、本校評議員男爵渋沢栄一氏喜寿祝賀式を挙行す。○下略


竜門雑誌 第三四二号・第八〇頁 大正五年一一月 ○高千穂喜寿祝賀式(DK450192k-0003)
第45巻 p.521-522 ページ画像

竜門雑誌  第三四二号・第八〇頁 大正五年一一月
○高千穂喜寿祝賀式 高千穂高等商業学校に於ては、同校評議員青淵先生が本年喜寿に躋られたるに依り、十月二十二日を卜し青淵先生を招待して、午前九時より同校々堂に於て喜寿祝賀式を挙行したり。席定まるや同校長川田鉄弥氏の寿詞朗読あり、次に来賓井上東京府知事祝辞あり、花籠贈呈の後、生徒一同の老松歌詞合唱等ありて、最後に青淵先生の謝辞、生徒一同の最敬礼ありて午前十一時式を終へたりといふ。同校長川田鉄弥氏の寿詞は左の如しと。
    寿青淵先生序
 青淵渋沢先生。以儒風立於世。其心追古人。以救世為己任。奮励努力。不知老之将至。今玆齢七十有七。竜門社員相議。開寿筵。作論語年譜献之。衆賓在席。欣欣怡愉之情。猶接父母温顔。何令人景慕之深。一至於此也。先生少遊江戸。備嘗辛苦。遂仕一橋家。従公子遠遊欧洲。修学而帰。慶喜公既奉還大政。退在駿府。当是時。先生蒙公殊遇。全命於危難之際。既而王政復古。為大蔵少輔。居五年。絶意於官途。創立第一銀行。為其頭取。四十有三年。其間追孔顔之遺風。毎稽其聖訓。尋経済之道所由。恐富而施与不至。世推以為財界泰斗。朝廷亦賞其功授男爵焉。去今十二年。先生罹大患。病日重時慶喜公。親訪先生。懐旧之情迫於中。而独私拭涙。不能発一語云世伝以為美譚。人益加敬焉。余初介谷隈山将軍。見先生於王子里。爾来屡登堂。辱知遇者二十年許。曾請得先生書以蔵之。乃録至誠以賛天地之化育之語。見贈且謂。此余壮時所自期者。子亦試之。余賦性魯鈍。不敢当。唯至其切摯懇篤之情。則永銘心不能忘也。曩余為二豎所冒。朝不虞夕。先生三顧病床。慰諭之情無不至。余自此始有起色。九死之中得一生。荷恩之心。不勝感激。自今以後。日夜励精得以養済々士。不為無用之人。則先生之賜也。嗚呼言有窮。而情無
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尽。今当寿筵。聊述所思者。不過欲頒其徳之私情而已。大正丙辰十月。
  ○栄一ノ謝辞筆記ヲ欠ク。


中外商業新報 第一〇九六九号 大正五年一〇月二三日 ○渋沢男喜寿祝賀(DK450192k-0004)
第45巻 p.522 ページ画像

中外商業新報  第一〇九六九号 大正五年一〇月二三日
○渋沢男喜寿祝賀 東京市外大久保町高千穂学校の催しに係る同校評議員渋沢男爵喜寿祝賀式は、二十二日午前九時より挙行せられ、席上学校長の寿詞朗読、来賓井上東京府知事の祝辞に次で、生徒一同老松歌詞合唱後、花籠を贈呈しけるが、男は喝采の中に登壇、高千穂学校発展の沿革を述べ校運の隆盛を祝福し十一時散会せり


渋沢栄一書翰 川田鉄弥宛 (大正五年)一〇月二五日(DK450192k-0005)
第45巻 p.522 ページ画像

渋沢栄一書翰 川田鉄弥宛 (大正五年)一〇月二五日   (川田鉄弥氏所蔵)
華翰拝読益御清適奉賀候、過日ハ老生之喜寿祝賀之主旨を以て特ニ多数之学生御会同被成下賢台之筆ニなれる寿詞御朗読相成、美麗なる花束御恵贈被下、百事御心入之御取扱感謝之至ニ御坐候、当日ハ生憎二本榎之除幕式有之候為め、時間切迫いたし満足之演説出来得さりしは別而不本意之事ニ御坐候、御海恕可被下候、右拝答迄匆々如此御坐候
                            敬具
  十月念五
                        渋沢栄一
    川田先生研北