デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
20款 財団法人国士館
■綱文

第46巻 p.68-78(DK460020k) ページ画像

大正15年11月25日(1926年)

是日、当館維持委員会第一回会合ヲ、東京銀行集会所ニ於テ開催ス。栄一出席ス。


■資料

国士館書類(DK460020k-0001)
第46巻 p.68 ページ画像

国士館書類               (渋沢子爵家所蔵)
粛啓 高堂益御清祥奉賀候
陳者予而甚大なる御高配を賜り候財団法人国士館、十年の経過を一紀元として更新願上候維持委員会、今回第一回会合相催し御懇談旁御高教仰度、就てハ御繁用之処甚乍恐縮来る十一月廿五日午後正二時丸ノ内銀行集会所迄万障御繰合せ御光来願上度、何れ理事等参上御提撕可願上候得共乍憚御依頼を兼ね御案内迄如斯御座候 敬具
  大正十五年十一月廿日
               財団法人国士館維持委員
                     子爵 栗野慎一郎
                     子爵 渋沢栄一
                        頭山満
                        野田卯太郎
                     伯爵 内田康哉
                        徳富猪一郎
   子爵
    渋沢栄一殿
        侍史
   ○ココニ維持委員会ヲ第一回トナスハ更新後第一回ノ意ナルベシ。


国士館書類(DK460020k-0002)
第46巻 p.68-69 ページ画像

国士館書類               (渋沢子爵家所蔵)
 - 第46巻 p.69 -ページ画像 
  財団法人国士館維持委員(イロハ順)
                 大正十五年十一月更新
                ○    井上準之助殿
                ○    井坂孝殿
                     飯田延太郎殿
                ○    服部金太郎殿
                     原邦造殿
                ○    浜地八郎殿
                ○    頭山満殿
                ○    徳富猪一郎殿
                ○    大橋新太郎殿
                     太田清蔵殿
                  子爵 金子堅太郎殿
                     貝島太郎殿
                     河野久太郎殿
                  男爵 武井守正殿
                ○ 伯爵 内田康哉殿
                     植村澄三郎殿
                ○    野田卯太郎殿
                ○ 子爵 栗野慎一郎殿
                     山下亀三郎殿
                     松本健次郎殿
                     馬越恭平殿
                ○    牧野元次郎殿
                     藤原銀次郎殿
                ○    昆田文次郎殿
                ○    小池厚之助殿
                ○    有賀長文殿
                     青木菊雄殿
                     麻生太吉殿
                     木村清四郎殿
                     湯川寛吉殿
                ○    結城豊太郎殿
                ○    宮田光雄殿
                ○ 子爵 渋沢栄一殿
                     白石元治郎殿
                     平賀義美殿
                ○ 男爵 森村開作殿
                ○    望月軍四郎殿
                     持田巽殿
                     末永一三殿
    備考 ○印御出席御内諾願置


集会日時通知表 大正一五年(DK460020k-0003)
第46巻 p.69-70 ページ画像

集会日時通知表 大正一五年        (渋沢子爵家所蔵)
 - 第46巻 p.70 -ページ画像 
十一月廿五日 木 午后弐時 国士館維持員会(銀行クラブ)


国士館書類(DK460020k-0004)
第46巻 p.70-77 ページ画像

国士館書類                (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
    維持委員会経過概要
期日 大正十五年十一月二十五日午后二時―四時半
会場 東京丸ノ内銀行集会所
 出席芳名              理事
      子爵 渋沢栄一殿      柴田徳次郎
         井上準之助殿     上塚司
         有賀長文殿      花田半助
         井坂孝殿      幹事
         結城豊太郎殿     関野直治[関野直次]
         服部金太郎殿
         牧野元次郎殿
         宮田光雄殿
      伯爵 内田康哉殿
         徳富猪一郎殿
         末永一三殿
         頭山満殿
   野田翁代理 野田俊作殿
    会長子爵 栗野慎一郎殿       以上
    (栄一鉛筆)
    当日老生ハ他ニ約束ありて本会への出席遅引せしニ付、此記録の全部を聴問せさるも、出席者ハ大概何等ノ意見ヲ吐露したるものと認むる
      十一月三十日          栄一

    小池厚之助殿       御電話にて
    望月軍四郎殿       御便りにて
      御出席の御予定の処、無拠急用のため御不参の趣申越さる
 子爵 金子堅太郎殿       維新史編纂会のため
    大橋新太郎殿       御出席被下筈の処
      新築披露会のため御不参
    湯川寛吉殿
    平賀義美殿
    貝島太市殿
      無拠御用のため御不参の御手紙
    木村清四郎殿
    植村澄三郎殿
    昆田文次郎殿
    馬越恭平殿
 男爵 武井守正殿
      御病気のため御不参
 - 第46巻 p.71 -ページ画像 
        其他御旅行、御用繁にて御欠席。
会長栗野先生
 大正十年維持委員会成立以来、五ケ年計劃の第一期は昨大正十四年を以て五ケ年を終りましたが、其の間国士館の基礎は益々確立し信用は益々増大するに至りました、此第一期の期間中各維持委員其他よりの御援助御寄附を受けた金額は合計十六万九千五百円に達しましたが其他に国士館としては創立建設の費が借金になつておりますので、之は渋沢子爵始め其他維持委員の御意見で、成るべく早く償還する様にとの御勧めの下に、還債基金制度を設けまして、維持金及臨時の寄附金を以て年々債務の整理に充てゝ居りましたものが、此の五ケ年間に合計二万八千円に達し、之を合計しまして十九万七千五百円、即ち約二十万円の御援助を頂きました訳でありますが、之は以上の国士館経営及還債資金として全部充当し尽し剰余金としてはありませんが、従来維持委員として御援助を賜つた方々は、第二期の維持委員会にも多くは御賛成下さつて、引続き御援助を頂く様になりました、そして私が会長として特に一言申添へたいことは、以上の金額の使途に就いては何等不正不当の無かつたこと、責任を以て申上げる事の出来ますのは維持委員会長としても満足に思ふ次第であり、国士館当事者にとつても重大なる事実で誠に祝す可き事であると存じます、其詳細に就ては何れ国士館当事者から御質問に応じ御答へあることゝ存じますから私は大体を御報告申上げます、尚私は第一期の会長を無事勤めたを機会に此際退任したいと存じまして、其旨国士館当事者にも申出でたので御ざいますが、是非共引続き重任して貰ひたいとの希望であり、其他の方々よりも同様の意見もありましたから、及ばず乍ら之も機会に申上げておきます。
理事柴田徳次郎
(一)国士館も創立十年基礎も確立し、殊に中学校が、文部省の認可は昨年でしたが、四学年になつて居りまして、明年度からは高等・専門の学校に進む者も有り、其の一部は是非各方面の学校に入れて刺戟改良の中心となし度い、又如何しても最後まで国士館式に世話し貫くが本当である
(一)何故なら、今の様な学校なら寧ろ無い方が良い、学校を是非必要と云ふなら、根本的に改良して、有益無害なものとせねばならぬ、夫には国士館の本科を是非完成して専門・大学とするが良い
(一)日本の今日の様な学校騒動は、二十世紀の世界では革命前のロシヤと支那位、又精神・科学まで隷属的で、欧米の糟粕許り嘗めて、独立し得ぬで、如何して国際競争に優勝する事が出来るかと云ふ様な先覚諸先生の御意見と、又私等も二十年の学生々活、十年の国士館の経験、又最近全国の高等・専門・大学を親しく視察し、所謂「悪化」の状態に驚かされ、益々責任の重大を感じまして、二・三年放任したら、何人を以てしても取り返しのつかぬ重大事になる、而も今年中位に計画を立て、明年早々必死の努力を為しますれば、この国士館の各方面、実業界・官界・政界・学界・朝野有力なる先輩、諸先生の御智慧、御信用と、縦・横揃つた団結の智慧・信念・努力
 - 第46巻 p.72 -ページ画像 
を以てしますれば、確に此の難関は打開して興国の新機運は作り得ると信じまするので、先輩先生方の御高教と相俟つて、何卒学園の模範となると同時に国家社会の中堅指導の実を全ふし、奉公の徹底します様にと云ふ考へで、種々皆様に御世話戴き、殊に別紙の通りの本年六月三日渋沢先生邸に頭山・野田・徳富四長老の御懇談願ひ其節の御話合の中
(イ)井上・大橋両先生に特に御世話願ひ上る事に就きましては
   井上先生は、維持委員の総代の様な事は、大橋先生は適任であるが自分は従来維持員として名前もあつた事だし、まあ維持委員並の世話と云ふ位にして置いて呉れ給へ、渋沢子爵は本気でやると言つて居られるし、夫で出来るよ
   大橋先生は、井上先生は非常に有力で是非御頼みしなさい、自分は余り役には立たぬ、然し渋沢子爵が老体で御心配になつて居らるゝから、出来る丈けの事は尽しませう
   と申されて居りますので、御同情の程は拝察されますから、皆様からも是非御頼み戴き度く
(ロ)毛利侯爵家の敷地御願の事は、関屋宮内次官・珍田伯爵・船越男爵田中男爵方の御高配で、西園寺八郎先生に御引見願ひ、殊に本月七日に山県公爵閣下に御招致頂きまして
    腹を極めて毛利家に話すから、然し全くの寄附も如何かと思ふから、それには彼の地所に代はる相当な地所を、学校からは他に求めて出すと云ふ腹を貴方でも極めて貰ひ度い、代価も高い様な事はせぬつもり
    との御事で左様御願出来ますれば、誠に有り難ふ御座います、価格等の事も御世話人方に御相談御高配願ひますれば、双方都合好く参りませうと申し上げました処、二・三日中とは参らぬが遅くならない期間に、確定の上知らするからとの御言葉で御座いました、本日皆様に御会合戴きますので、より確実なる御話もと存じまして、内田伯爵閣下に枢密院で御会ひの節右の御礼と、万一経過御聞き戴きますればと御願ひ申上げて置いた次第で、之も御高教仰ぎます
(ハ)何よりも文部省の保証金と図書・図書館・研究室・教室との設備費が先決でありますので、安田家に対しましては保証金を八十万円丈は、其れは現金で無くても、公債にても、期限も明年から五ケ年後までに、且名儀も安田家何々資金と云ふ様な御名儀で御保管願つて其の幾分かの利息を戴ける形式で結構でありまして、決して御無理は願へぬのでありますが、何卒御期待には負きませぬからと御願申上げて居ります、御親切に御考慮は被下居ると相承して居ります
(ニ)三井家には、御無理は申されませぬが、設備費の百万円丈けを、これも五ケ年間の期間にと一生懸命に御願申上げて居ります、世間並の事はすると云ふ様な御言葉を拝承して居ります
(ホ)本日御病気で御出席は願へませんでしたが、植村澄三郎先生に渋沢先生の御邸での事を申しました処が、自分も、三井家・安田家の様な事は出来ぬが、自分丈けの出資はしませう、北海道行の青森・函館間の汽船で、中学生の言語動作を見て実に身の毛がゾツトしまし
 - 第46巻 p.73 -ページ画像 
た、と云ふ有難い御言葉を戴きました
   大体以上の様な経過と御願ひが本日皆様に御光来戴きまして、御高教仰ぎまする主旨で御座いますれば、どうか皆様の御力添へと、又三井家・安田家等の方々に御頼みの御言葉添へをも御願申上ぐる次第で御座います
内田伯爵
○中略
井上準之助先生
○中略
三井、有賀長文先生
○中略
徳富先生
○中略
渋沢子爵
 私等は、昔の漢学塾で学んだ者であり、学んだと云つても大した学んだと云ふ程の学問もありは致しませぬが、何だか、今の劃一教育では真の人物は出さうにも思はれぬし、賛成はしかねるので、何とか仕様はないものかとかねかね考へて居つた処に、国士館を知つて、こう云ふ風に教育したら確に良いと感じましたので、及ばずながら、たいした力にもなりませぬが、世話をして参りました次第で
 如何にも団子を重箱につめた様な劃一主義は心細い気がしますので改良の工夫は無いものかと、団君や元気で居られた和田君方と相談まで開いた事もありましたが、名案も無いのでやめましたが、国士館は先日も行つて見て誠に心強く感じて参つた様な次第で、単に維持するのみでなく、大いに発展にも力を尽す心算で居ります、しかし私では力が足りませんから、何うか有力な皆様の御力添を御頼み申しまする
徳富先生
 柴田さん、あなた方の寄宿舎の話をしなさい
柴田理事
 学生に感化を及ぼし強い人物を作るには、寄宿舎が大事です、日本で昔伊藤仁斎の塾などは、何千人と弟子が居ても、感化が及び、明治時代の高等学校が、学風が好いと云はれたのも、欧洲で、独・仏よりも英国の学校が堅実な人材を出して居るのは、信仰ある教師を中心とした寄宿舎を有するからで、国士館も、寄宿舎と教師の館宅を作つて戴いて居ましたので、理想の学風が出来ます、学生を全部収容せぬでも一割でも結構です、是非之を中心とせねば練磨が出来ませぬ、之は学生許りでなく、協調会の労務者講習会等も、国士館でやつた時成功を見たのも、確に環境と寄宿舎の教師も学生も共に実践躬行して居る処に感化が、自然と湧いたと思ひます
服部先生、内田先生、有賀先生、牧野先生も寄宿舎はよいと皆御話をなされ
野田先生
 今幾人寄宿して居ます
柴田理事
 - 第46巻 p.74 -ページ画像 
 百人足らずです、独身の先生が一所に六・七人、館宅と附近に十人許り居ます
渋沢先生
 今日此席で出来上らねばやめてしまふなど云はずに、飽く迄、有力な御世話人が出て、出来上る迄、辛抱してやり通すと云ふ気でやんなさい、卒業生は如何です
柴田理事
 東京では、新聞社・官署、中学の教師、海外では支那、殊に四川の奥に、花田理事が引卒して行つて働いて居り、漢口・上海・北京・満洲・北米等に、三井さん、久原さん、銀行等にも入つて、優しい様で強い、当になる、正直で活動すると有賀先生方からも、褒められて居ます、新聞記者には恐る可き者も居ます
 又老先生から「久しうして怠らず」でやれと平生御教へ戴いて居り頭山・野田・徳富・内田諸先生方からも「焦らず、急げ」と教へられて居り、已に、大正七・八年の思想の大動揺期にも毅然として今日に至り、世間でも、大正の千早城と云ひますから、千早城では有り難くない、足利に負くるから、佐倉宗五郎と、楠正成と徳川家康とを、明治聖帝の世界的・日本的御信念を以て融かした位の力でなければ、現下の日本は救はれぬ、国士館はそれを願つて居ると答へます位で、此処まで御世話戴いた皆様の御厚情には感謝のみで、実に幾度び申しても感謝のみで、実に十年祭の時、老子爵の御高話は涙で拝聴しました学生もそう申して居ます、又六月三日に野田翁が飛鳥山の子爵邸に御出で被下つた時も、六時間と云ふ永い時間で、俊作先生方からも、柴田が命とると叱られました位で、実に数年の御寿命は戴きました、国士館の今日の隆盛の基礎は、諸先生方の六十年・七十年・九十年の御智慧と、御信用と、更に御命を以て作つて戴いて居る事は、深く肝に銘して居ります、現在で以て誠に過分であります、只皆様は夫々、実業界・官界・言論界等御繁用であらせらるゝに、私共は御高援で専心精神界教育界の事に従事させて戴き乍ら、重大なる実状を知り、之が対策を樹てゝ御報告もせず、御訴へもせずと云ふ事は誠に不忠実の至りでありますれば、宛も、楠公が逆賊討滅の計を上奏致しました上に赤誠を吐露して御訴へする次第で、万一採用されずとも、微塵恨む様では楠氏ではありません、未熟ながら、其辺の処は聊か養ひも御座います
 如何にも、高等・専門の学生が非愛国的であり、近眼鏡に肉のそげた青い顔でとぼとぼと無気力で歩く風は、世界何処の大学生にも見る事の出来ぬ図でありまして、且つ共産学生事件も、表れたのは腫物に膏薬張つた様なもので、体内の毒を一掃する根本の手術は少しも施されて居りませぬ、或人は、国粋会のステツキが良い、警察のサーベルが良い、否、普通選挙が万能薬と云ひますが、私等はそれでは駄目、無限の長さ強さの智慧、信念の太刀で心の縺れを解き纜して、天地真二つの切れ味を示さねば、此の時局は救はれぬと信じます
 又日本の現状を信長に譬へますと、国士館の大学案は、森蘭丸が、光秀の逆心を看破して願つた三百騎の兵であります、今日協調会・社
 - 第46巻 p.75 -ページ画像 
会局の如きは、蘭丸の槍であります、蘭丸は手兵を得ず、槍を得て安田作兵衛を突き、反つて手繰り込まれて命を落し、逆賊に名を成さしました
 かく観じまするが故に、之が根本的必勝の法として、国士館の国家に対し、皆様に対する責任として、已み難き至情を訴へますので、之が採用されずとて微塵恨む処はありませぬ、恨む様では楠公ではありませぬ
 況んや、御多用中に各方面の代表的皆様の今日の如き御高情溢るゝ御高援戴きまして、実に絶大なる自信を与へて戴きました、感謝の念は私等の顔にも声にも御掬み取り戴く通りで御座います
 和田豊治先生の伝記にも、国士館大学の基金百万円作つて被下つたとありますが、新聞でも世間でも、従来皆様維持会で御世話戴いて居ります本科は、皆大学と申して居ります、外国の大学でも其待遇します、外務省でも渡航には其の待遇します、然し正式の文部省の認可はありませぬから、他の大学・専門学校と交渉して感化掖導する機会が少くあり、奉公が此時局には消極過ぎます、永い間の信仰的感化と云ふ事には十分自信がありますが、二・三年、大正十六・七・八年と云ふ時機が、尤も思想的に志士の活躍し、国民に範を垂れる処と信じまする
 新潟県の小作人学校が小ながら不快である様に、反対に国士館が大学まで完成して、堂々と智的奉公をすると知つたら、言語に絶する不快な世相に、歯がみして来た全国の愛国者は如何に希望と力とを得る事でせうか、世界何国でも高等・大学生は愛国者です、戦時にも平時にも、日本では交通労衝者の罷工に学生が奉仕するのを非難する、騒動する、反逆する、驚く可き事の限りであります
 幸ひ国士館は多年の御高教が基礎になつて、県知事さん袋叩きに逢ふ時世に、地元六ケ町村の人士の信頼を得て、保証金は三万円、経常費は壱万円位でも、疑ひ、争ふ俗流を抜いて、商業学校まで出来る実を挙げ得るを得まして、何人が見えても御失望は与へぬ丈けの昼夜四時「平常心是道」で務めさして居る事は、日本もかくせよ、国は興る民は富むと云ふ活模範で、日本を護る神の御引き廻しと外思へません
 趣旨と予算の事は、御了解戴きまして、次に、教授の事ですが、御参考迄に従来よりの主なる方を此処に列記して置きましたが、それについて、徳富先生と井上先生とを是非、時々御願申上げたいと存じまして、無断で科外の先生として書かして戴いて居まして、御叱り受けるやも知れませぬが、何卒御寛容御願申上げます
徳富先生
 いや、時々は私達も是非、何かやらして貰ふ、私達で済む事はやりませう
 やはり大学とせぬと、他の大学と交際して国士館のよい学風の感化を全国的に及ぼす事が出来ぬから
 渋沢先生・井上先生・服部先生・牧野先生・栗野先生・末永先生・有賀先生・内田先生・徳富先生方一同
 どうも大学と云ふ事にせぬと、世間でも待遇をして呉れぬから止む
 - 第46巻 p.76 -ページ画像 
を得ぬ事になる
上塚理事
 吾々が、何故に今日大学設立の事を御願致しまするかと申しますれば、第一は人の関係、第二は時世の上より、今日は正に其の機会であつて、今日を逸してはならぬと云ふ信念を持つて居るからであります即ち人の関係から申して見ますると、今日我が国士館は、現在日本の有する最も有力なる先輩諸先生方の御諒解を得、其の熱心なる御後援を蒙つて居ります。此れ丈の方々を網羅する事は将来と雖仲々容易の事では無く、之れ正に天助であると考へられる事が一つであります。
 次に、今日の時世は、私が申す迄もなく、容易ならざる秋に際会して居ります。政界は醜悪なる党争を繰返して国家あるを忘れて居ります。帝国の最高学府並専門学校の教育は日本精神を没却して、不軌を図るの逆徒をすら出して居ります、小作争議・労働争議は随所に起り社会思想は益々悪化の情勢を示し、各方面とも、混沌たり、雑然たるの有様であります。近く普選の実施を前にして、日本の政局、時世は如何に帰着するや、実に不安であります。之に就ては、国士館の如き学校が一日も速に完成せられ、其の精神を奉ずる、正しく強き卒業生があらゆる階級、あらゆる方面に突入して、活躍するの必要痛切なるを感ずるからであります。
花田理事
 吾々当事者から見ますと、国士館も来年は略々中学校の方も定員に達しませうし、近く卒業生を出す事になつて、之等の卒業生が真に国士館の教育方針に合し確りした人物が出れば、それでも満足出来ぬことはないのでありますが、併し教育界の現状及最近の各方面に次々に起る不祥なことから見ますと、之を以て満足することは出来ぬやうに思はれ、且つ満足して居る事は国士館創立の使命から云ふても単なる自己満足であつて真に国家社会に尽す所以ではなからうと考へます。其れで、此上大学を完成し、リヤンとしたものにして置くことは、啻に国士館の完成と云ふ意味ばかりでなく、日本の学界・教育界の弊風を刷新し、之を以て自ら嚮ふ処を知らしむる灯明台ともなるのでありまして、之が亦現下の社会状態から見て最も急務だらうと存じます。即ち国士館に愈々大学が完成さるゝことゝなつたといふ声丈でも、現下の風教上異状な影響があり、その声が又国士館の主義方針の拡大でありまして、こゝ迄行かねば国士館の重大なる使命は未だ以て竭されぬのでありますから、どうぞ御列席の皆様も吾々当事者の真意微衷を御諒解下さつて、御高配御尽力を御願い致す次第で御座います。
徳富先生
○中略
上塚理事
○中略
 各位の御下問・御訓示・御激励等に薄暮に至る長時間、御高情溢るる御会合頂き、理事等感激に打たれつゝ御賛意、御了解頂きたれば
会長栗野子爵より
 いろいろ国士館当事者の詳細なる説明と皆様の御懇議とによりまし
 - 第46巻 p.77 -ページ画像 
て御列席の各位方にも十分御了解御同意頂いた様でありますから、此上御多用な皆様を煩はす事は甚だ恐縮に存じますで、本日は之を以て散会と致してはとの御挨拶有り
理事より
 先輩維持委員各位の御力添へ、御言葉添へ、殊に主なる方々に御言葉添への為め、頭山翁・内田伯・徳富翁方始め、三井家等に御足労御願に参上致しますれば何卒御高教御高援願上げまして、御同意仰ぎ、新日本建設の好個の紀念として、撮影終つて散会。
                       (文責筆者)



〔参考〕国士館書類(DK460020k-0005)
第46巻 p.77-78 ページ画像

国士館書類                (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
(太字ハ朱書)
維持委員会提出参考書式
              (栄一鉛筆)
              十五年十一月三十日一覧
(一)国士館完成長老懇談会経過
      六月三日渋沢子爵飛鳥山邸ニ於テ開催
○中略
(三)従来関係ノ中心教授
               哲学博士 渡辺海旭
               文学博士 渡辺世祐
               哲学博士 山崎直三
                    山崎源二郎
               文学博士 鹿子木員信
                    梶川乾堂
               法学博士 副島義一
                    下位春吉
               文学士  団伊能
                    大林一之
               法学博士 秋山雅之助
               医学博士 佐伯矩
               文学博士 鳥居竜造
               法学士  野田俊作
                    永井柳太郎
               法学博士 松田道一
               法学士  天野弘一
                    上塚司
                    花田半助
               文学士  柴田玉宗
                    山田悌一
               海軍中将 中島資朋
               陸軍大佐 森俊蔵
               法学士  波多野次郎
               文学士  山田了然
                    島原逸三
 - 第46巻 p.78 -ページ画像 
               法学博士 中村進午
                    真藤義丸
                    池田良栄
               法学士  小村欣一
  科外
                    徳富猪一郎
                    井上準之助
                    馬場鍈一
               理学博士 藤原咲平