デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
21款 財団法人興譲館 付阪門会 阪門会
■綱文

第46巻 p.101-102(DK460026k) ページ画像

大正5年1月15日(1916年)

是ヨリ先、大正四年十一月、大正天皇ノ即位大礼ニ際シ、阪谷朗廬正五位ニ追陞セラル。是日朗廬ノ忌日ニ当リ、旧門人ノ組織スル阪門会、上野精養軒ニ於テ贈位祝賀会ヲ開催ス。栄一之ニ臨ミテ懐旧談ヲナス。


■資料

阪谷朗廬先生五十回忌記念 阪谷芳郎編 第三五頁昭和四年一二月刊(DK460026k-0001)
第46巻 p.101 ページ画像

阪谷朗廬先生五十回忌記念 阪谷芳郎編 第三五頁昭和四年一二月刊
    行状(阪谷芳郎撰)
      附記
○中略
一、大正四年十一月十日 今上天皇陛下御即位大典挙行、同日特旨ヲ以テ朗廬先生ニ正五位追陞アリ、門人故旧相謀リ、同年十二月十五日備中興譲館ニ於テ同館創立六十年記念会ト共ニ、先生贈位ニ付祝賀会アリ、頗ル盛会ナリ、東京ニ於テハ大正五年一月十五日ヲ以テ奉告祝賀ノ式ヲ挙行セリ


竜門雑誌 第三三三号・第八五頁大正五年二月 ○故阪谷朗廬先生法要(DK460026k-0002)
第46巻 p.101-102 ページ画像

竜門雑誌 第三三三号・第八五頁大正五年二月
○故阪谷朗廬先生法要 阪谷家にては一月十五日午後二時半より谷中一乗寺に於て厳君故朗廬先生の贈位奉告法要を営みたり。青淵先生・穂積男爵を始め親族故旧門下生数十名の参拝者あり。午後五時よりは上野精養軒に於て阪門会主催の贈位祝賀会を催せり。来会者は青淵先生、穂積・阪谷両男爵及馬越恭平・美沢進・阪田実諸氏等朝野知名の士、主客五十九名、当日精養軒の一室に先生の肖像を掲げ、且つ先生
 - 第46巻 p.102 -ページ画像 
の遺品数十点を机上に陳列し、一同先づ記念の撮影を為し、軈て食堂を開きデザートコースに入るや、阪田実氏の開会の辞、阪谷良之進氏及び阪谷男爵の謝辞あり、次いで青淵先生・阪谷男爵の懐旧談あり、穂積男爵は「見ざる先生に対する所見」を述ぶべしとて其の研究せる所見を述べ、終りに幹事より会務の報告あり、余興として吉備楽の演奏あり、一同旧を談じて綿々尽きざるものゝ如く、散会したるは午後十時なりし由なるが、和気満堂一家庭の如き観ありしとなり。
   ○右祝賀会席上ニ於ケル栄一ノ懐旧談ハ、本資料第一巻所収「亡命及ビ一橋家任官時代」慶応元年乙丑三月ノ条ニ収ム。



〔参考〕竜門雑誌 第二九七号・第七一頁大正二年二月 ○朗廬先生追悼会(DK460026k-0003)
第46巻 p.102 ページ画像

竜門雑誌 第二九七号・第七一頁大正二年二月
○朗廬先生追悼会 本社評議員阪谷男の先考朗廬先生の物故せられてより、本年は三十三年に相当するを以て、阪谷男は朗廬先生の薫陶を受けたる古老、及興譲館に縁故ある青淵先生・馬越恭平・守屋此助諸氏を始め七十余名を、一月十五日築地精養軒に案内し追悼会を開きたり、先生の遺墨、遣愛の書等を互に持寄りて先生の昔を偲ぶこと深きが上に、盛宴の席上懐旧談続々出でゝ、故先生の高徳を慕ひ遺業の繁栄を祝し和気靄然、何れも歓を尽して散会したり、尚ほ故先生の遺業たる備中興譲館に於ては本年創立六十年祭を行ひ、先生の旧廬後月郡桜渓に建碑の計画ありと云ふ



〔参考〕興譲会報 第三二号昭和五年三月 阪谷朗廬先生五十年忌法会(DK460026k-0004)
第46巻 p.102 ページ画像

興譲会報 第三二号昭和五年三月
    阪谷朗廬先生五十年忌法会
 阪谷朗廬先生の逝去されたのは、明治十四年一月十五日、丁度今年は五十年目である。東京阪谷家に於ては、一月十五日先生の五十年忌法会を修行せられた。当日は谷中一乗寺にて読経、谷中墓所へ参拝、午後二時より四時迄朝野の名士を東京会館に招き、盛んなる茶話会を開催せられた。会場には朗盧先生の遺墨の陳列もあり、偉聖を偲ぶにふさはしかつた。参会者は内閣顕官を初め貴衆両院議員、野村竜太郎浅野応輔・久米民之助・高松豊吉各工学博士、矢野恒太・藤田譲・阿部吾市・藤田商工会議所会頭・和田嘉衡・久米金弥・平沼淑郎・徳富蘇峰・長岡外史・渋沢子爵・浅野総一郎・馬越恭平氏等知名の士五百余名であつた。因に席上詩人田辺碧堂・山田二松学舎長二氏の即詠があつた。