公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2025.3.16
第46巻 p.189-193(DK460049k) ページ画像
大正3年9月5日(1914年)
是ヨリ先、明治四十四年九月、当会名誉会員ノ制ヲ設ケ、栄一ヲ推薦ス。是日、十周年記念大会ニ当リ、栄一祝辞ヲ寄セ、次イデ大正四年四月刊行ノ「拾週年記念号入間学友会」ニ『学問に就て』ヲ寄稿ス。
拾週年記念号入間学友会 大正四年四月 入間学友会史(DK460049k-0001)
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拾週年記念号入間学友会 大正四年四月
入間学友会史
○上略
四十四年度。
○中略
大会は、九月三日を以て行はれたるが、其前七月下旬より同月に至
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る一ケ月の間は会務頗る多事多忙を極め、評議員幹事の総会を開くこと数回幹事会を催すこと実に十回余に及べり。午前中大沢幹事の会務報告に次いで神山太三郎氏・菅野政五郎氏・山内庫之助氏・飯沼正巳氏・志村伴次郎氏等地方先輩の講演あり、午後に入りて先づ第一に二三会則の改正を議し、又会頭より奨学事業其他諸につきて会員に訴ふる処ありたり。改正せられたるは次の三点とす。
一、名誉会員・特別会員の制を設くること
一、奨学資金監査員を設くること
一、明年より会費を二十銭とし、会報を年二回発刊すること
終つて直ちに来賓の講演に移る、当日の来賓及び演題左の如し。
一、社会改良策 (会報第三号掲載) 板垣伯爵
一、天下第一郡村たれ (同) 井上博士
一、大義明分論 (同) 福本日南先生
午後四時会を閉ず。○下略
拾週年記念号入間学友会 大正四年四月 会員名簿(DK460049k-0002)
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拾週年記念号入間学友会 大正四年四月
会員名簿
会頭 発智庄平
名誉会員(依頼順)
大隈伯 板垣伯 渋沢男
佐野男 松井子 高田博士
井上博士 大久保前知事 本田博士
島田前知事 矢作博士 山川博士
福本日南先生 徳川伯 三宅博士
添田前知事 昌谷知事 林博士
大木伯 横井博士
○下略
拾週年記念号入間学友会 大正四年四月 入間学友会則(DK460049k-0003)
第46巻 p.190-191 ページ画像PDM 1.0 DEED
拾週年記念号入間学友会 大正四年四月
入間学友会則
第一条 本会ハ地方学友ノ懇親ヲ篤クシ、一致団結ノ気風ヲ養成シ、併セテ知徳ヲ修養スルヲ以テ目的トス。
第二条 本会ハ入間学友会ト称シ、仮ニ事務所ヲ川越町黒須銀行支店内ニ置ク。
第三条 本会ハ毎年夏季ニ大会ヲ開ク。
但シ其期日ハ遅クトモ一週間以前ニ会員ニ通告スルモノトス。
第四条 本会ハ入間郡内ノ学生及一般青年ヲ以テ組織ス、但シ本郡接続地青年ノ参会ヲ妨ゲズ。
第五条 会員ヲ分チテ名誉会員・特別会員・正会員・賛助会員ノ四種トス。
一、名誉会員ハ本会ニ講演ノ労ヲトラレタル名士中ヨリ会頭之ヲ推挙スルモノトス。
一、特別会員ハ青年者ノ師表模範タル資格ヲ有シ、会頭ノ推挙スルモノトス。
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一、正会員ハ第四条ノ資格ヲ有シ入会スルモノトス。
一、賛助会員ハ本会ノ事業ヲ賛助スルモノトス。
第六条 本会ニ左ノ役員ヲ置ク。
会頭一名、幹事若干名、評議員若干名、地方委員若干名
一、会頭ハ会員ノ推挙スルモノニシテ、会務ヲ処理指導スルモノトス。
一、幹事ハ会頭之ヲ指名シ、万般ノ会務ヲ分担処理スルモノトス
一、評議員ハ会頭之ヲ推挙シ、本会ノ重大事項ニ参与評議スルモノトス。
一、地方委員ハ各町村毎ニ会頭之ヲ委任シ、会員ノ移動情況等ヲ本会ニ報告スルモノトス。
一、会頭・評議員ノ任期ハ三ケ年、幹事ハ二ケ年トシ、毎年夏期半数ヲ交代ス、地方委員ハ一ケ年トス。
但シ何レモ重任ヲ妨ゲズ。
第七条 正会員ハ会員トシテ一ケ年金弐拾銭ヲ納ム可シ。
第八条 本会会則ハ出席会員過半数ノ意見ニヨリ之ヲ増刪更正スルコトヲ得。
拾週年記念号入間学友会 大正四年四月 大会の記 演彦(DK460049k-0004)
第46巻 p.191 ページ画像
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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。
拾週年記念号入間学友会 大正四年四月 創立十週年に当りて 学問に就て 埼玉学生誘掖会会頭 男爵 渋沢栄一(DK460049k-0005)
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拾週年記念号入間学友会 大正四年四月
創立十週年に当りて
学問に就て
埼玉学生誘掖会会頭 男爵 渋沢栄一
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余は学問と云ふ題にて一言述べて見たいと思ふ、この間埼玉学生誘掖会で学友大会が開催され、昌谷知事も出席せられて就学に関する意見を述べられた、余も其の時学問に関する意見を述べたが、入間学友会も、大体埼玉学友会と性質を同うする様だから、之を繰り返して見たいと思ふ。
一体我日本は維新後非常に事物の変遷があつた。其が為め学問の風が亦之に応じて変つたと云ふ事は注意すべき現象と云はねばならぬ。即ち今の学問は単に科学の進歩所謂物質的方面の学問のみの進歩にて人格とか修養とか云ふ精神的方面の進歩と云ふ事は毫もないのであるこれは大なる弊害にて、吾れ人ともに憂へざる可らざる事である、人は是非曲直を知つて善に付き悪を去ると云ふ事が、何事をなすにも根本とならねばならぬものである、勿論科学の進歩は必要で従来の日本は、この方面に於て大に欠陥があつたので維新後はこの方面に大に努力した。
東洋が西洋に劣ると云ふ事は主として、この物質的方面より見たので、蒸汽船も汽車も電車も皆、この科学の進歩の結果だ、然しながら社会は、これのみにて事足るものでない、単にこれのみにて人格と云ふ事を忘れる時は、所謂利己主義となり己れ一人都合が宜ければ他を顧みないと云ふ有様となる。
一国の君主を誹謗がましく云ふは、或は如何とも思ふが、若しも独独のカイゼルにして、仁義を主とし、道徳と云ふものを顧みるの人ならば、決して今日の如き世界を挙げての混乱を見る事は、無かつたろうと思ふ、是れ取も直さず利己主義・物質主義の弊害であつて、忌憚なく言へば、西洋文明と云ふものは野蛮の文明と云ふも蓋し中らずとも遠からずと思ふのである、是れ吾人東洋人の大に慎むべきの点であらねばならぬ。
一国に付て云ふも、一個人に付て云ふも同様で、目的の為に手段を択ばずと云ふ風になると、実に社会の為に寒心せざるを得ないのである、近頃知名の軍人・官吏・実業家等にして、縲絏の辱を見る如き人もありて、是等は新聞紙上で、皆人の知る所であるが、是皆物質主義の弊害である事は言ふを用ゐない、故に科学の進歩は之に伴ふ人格を作ると云ふ事が第一に心懸けられねばならぬ、而るに維新後の教育と云ふものは兎角知識をのみ重く見て、人格を作ると云ふ事は第二とされた、維新当時は、未だ漢学が盛であつて西郷とか木戸・大久保とか又伊藤・井上・松方・山県とか云ふ人々は、皆漢学によりて鍛へられたのである、明治二十年頃より実業教育・物質教育が勃興し、余の如きも亦之を奨励した、而して実業が進むと、銀行など云ふものも出来る様になつて、其れで学生も、政治家・実業家を希望する有様となつた、由来学問と云ふものは其の人々の性質・資力・境遇等の事を充分に考へてなすべきもので、今日の如く、豆腐やの子も、桶屋の子も、金持ちの子も一様に同等に学問をすると云ふことでは、意義がない。であるから、世間常に就職難を訴ふるのである、是れ皆仕入向きの人間のみ作つて誂向きの人を作らないからである、誂向きの人ならば決して就職難を嘆ずることはない、勿論是には種々の原因も事情もある
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ので、結局父兄も教育者も被教育者も共に悪いのであると思ふ。今日は教育調査会と云ふ者が出来て是等の得失を調査研究してゐる、但しこの会は学制の調査会になつてしまはぬかと自分は憂へてゐる、自分の如きもこの調査会にも関係してをるが、将来軈て、この会の研究の案が出る事と思ふ。
要するに、今日の弊害の要点とするは、人皆、単に功利にのみ是れ走りて、道と云ふものを離れしにあり、軍人・政治家・実業家であつて凡て社会に汚名を流した人は皆、自分の都合のみを計りて、社会とか国家とか云ふ事を念頭にかけなかつたからである。
正義の観念、犠牲的精神の少なき人は、真の国民と云ふ事は出来ない、社会を思ひ国家を憂ふる国民は犠牲の国民である、玆に入間学友会の十週年記念に当りて、余はこの人格の修養と云ふ事を声を大にして諸子に警告する次第である(文責在記者)