デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
30款 教育関係諸資料 5. 教育諸会
■綱文

第46巻 p.260-262(DK460080k) ページ画像

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■資料

渋沢栄一 日記 明治四三年(DK460080k-0001)
第46巻 p.260 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四三年        (渋沢子爵家所蔵)
十月三十日 曇 冷
○上略 此日埼玉県児玉町ノ教育会ニ出席スル筈ナルニヨリ、朝来旅装ヲ理シテ、午前八時二十二分王子発ノ汽車ニ搭ス○以下記事ナシ
   ○詳細未詳。


渋沢栄一 日記 明治四五年(DK460080k-0002)
第46巻 p.260 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四五年        (渋沢子爵家所蔵)
五月二十五日 晴 軽寒
○上略 午後三時一橋教育会ニ抵リ、簡易図書館ノ為メ一場ノ講演ヲ為ス東京市ヨリノ依托ニ応シタルナリ○下略
   ○詳細未詳。


集会日時通知表 大正三年(DK460080k-0003)
第46巻 p.260-261 ページ画像

集会日時通知表 大正三年         (渋沢子爵家所蔵)
 - 第46巻 p.261 -ページ画像 
十二月十二日 土 午後三時 板橋教育会ヘ御出向ノ約
   ○他ニ資料ヲ欠ク。出席ノ有無未詳。


集会日時通知表 大正一一年(DK460080k-0004)
第46巻 p.261 ページ画像

集会日時通知表 大正一一年        (渋沢子爵家所蔵)
五月廿七日 土 午後一時 王子育英会ヘ御出向(王子町第二小学校)
   ○出席未詳。


(増田明六)日誌 大正一一年(DK460080k-0005)
第46巻 p.261 ページ画像

(増田明六)日誌 大正一一年       (増田正純氏所蔵)
十月三十日 月 晴
今日は学制発布五十年記念日で、全国の各学校並ニ教育関係の諸団体に依りて行ハれ、文部省ハ特ニ東京帝国大学ニ於て記念祝典を行ひ、摂政宮殿下の御台臨を仰き、教育上の功労者を表彰した○中略
一昨夜帰京セられた子爵ハ○中略 今日も早く飛鳥山邸を出でられ、学制記念祝典ニ列席の上午後一時事務所に出勤セられ○下略


集会日時通知表 大正一一年(DK460080k-0006)
第46巻 p.261 ページ画像

集会日時通知表 大正一一年        (渋沢子爵家所蔵)
十月三十日 月 午前十時 学制頒布五十年記念祝典(帝大構内)


中外商業新報 第一三一六四号 大正一一年一〇月三一日 病める首相も出でゝ感激に満ちた祝典 人の祝辞に清浦老なぞの貰ひ泣き 摂政宮は凛乎勅語を御捧読(DK460080k-0007)
第46巻 p.261-262 ページ画像

中外商業新報 第一三一六四号 大正一一年一〇月三一日
  病める首相も出でゝ感激に満ちた祝典
    人の祝辞に清浦老なぞの貰ひ泣き
      摂政宮は凛乎勅語を御捧読
◇学制頒布五十年記念の催しの色々、わけても帝大の庭内での祝典の輝かしかつた事と云つたら、一寸此頃にはその引当にするものを見付けるに苦しむ、摂政宮・閑院・久邇・山階の各殿下を始め奉り、朝野の名士の、それもいゝ所を集めてその頭数ざつと二千五百、澄み渡つた空からの陽が風を適度に温めて、何とはなしに実の香を撒いて行く
◇「病気欠席」の加藤首相も、その日和に気持がよくなつたのか、海軍大将の礼装に勲一等旭日章を輝かして一同を呀つと云はせた、「御病気はもう大丈夫ですか」「もうこんなに快よくおなりになつたのですか」など、その周囲に見舞をかねた驚きの言葉がしめじ茸の城のやうに折り重なつて発せられる、加藤首相その度毎に「有り難ふ」とのみ返事は簡単だ
◇凛とした御声で摂政殿下が、勅語を読まれた時は全く無人の野が現□《(欠字)》したやう、完全な「静」の一ト時を見せた、その言々句々は隅から隅まで手に取るやうに聞えた、それに何とはなしに殿下の持たるゝお慕はしさの御風采が人々の頭を余計に下げさせた
◇例の小野訓導の表彰状の筆法で行けば、鎌田文相の此日の祝辞も当然文章体でなければならぬが、そこを中橋前相の遺鉢を受け「ありました」流の言文一致で罫紙十数枚を綴じたのをやつた、大正十一年の今日としては当然これでなければと心持をよくした人甚だ沢山
◇大木鉄相がシルクハツトを式場の竹の柵にチヨンと冠せたまではよかつたが、摂政宮の御前間近であるに気が付いてコレハコレハとお引つ込、粕谷衆議院副議長の祝辞は余程感激の絶頂にあつた、清浦子だの
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金子子だのゝ連中まで「貰ひ感泣」の態は態として、当の粕谷氏の背中に式壇の杉の葉がくつ付いて、それが差詰「紋付のフロツク」は、氏が緊張しとる丈けに皆ンな苦しい笑を噛んだ
◇此日特殊功労者二十二名と一般功労者百五十五名には、文相から金製メダルを贈り、そして文相声を一段とあげ「皇室から特に功労者に銀杯を下されました」、と之は全く皆に取つては寝耳に水「さうまでして頂いては相すまぬ」と云ひ云ひ跡見花蹊さんなぞ涙で眼は見えさうもなかつた、正午散会
○下略


集会日時通知表 大正一三年(DK460080k-0008)
第46巻 p.262 ページ画像

集会日時通知表 大正一三年        (渋沢子爵家所蔵)
四月六日 日 午前九時 王子駅発松山町ヘ御出向
       午  時 詔書奉戴講演会(松山町)
       午后五時 王子駅ニ御帰着


渋沢栄一 日記 昭和三年(DK460080k-0009)
第46巻 p.262 ページ画像

渋沢栄一 日記 昭和三年         (渋沢子爵家所蔵)
一月十七日 晴 寒気強カラス
午前八時起床、直ニ洗面シテ朝飧ヲ畢ル、後埼玉県下各小学校長ノ来訪ニ接ス、当春小学校ノ大会開催ニ付邸内ノ使用ヲ要求セラル、依テ事務所ノ諸氏ト協議シテ之レニ応スル旨ヲ答フ○下略


集会日時通知表 昭和三年(DK460080k-0010)
第46巻 p.262 ページ画像

集会日時通知表 昭和三年         (渋沢子爵家所蔵)
一月十七日 火 午前九時 埼玉県教員会長高塚氏及同教育会主事佐久間氏来約(飛鳥山)
   ○中略。
五月廿五、六日 埼玉県教育会催日本全国小学校教員会代表者園游会ヲ飛鳥山邸ニ開ク予定
   ○「竜門雑誌」是年六月号所載ノ『青淵先生動静大要』ニハ「四月廿一日以来、自邸に於て専ら療養に努めらる。」トアリ。


渋沢栄一全集 山本勇夫編 第六巻前付写真版・第三二頁 昭和五年一二月刊(DK460080k-0011)
第46巻 p.262 ページ画像

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