デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
1節 学術
4款 社団法人癌研究会
■綱文

第46巻 p.345-347(DK460099k) ページ画像

大正11年5月25日(1922年)

是ヨリ先大正二年十月十一日、当会総裁桂太郎逝去ス。是日、日本工業倶楽部ニ於テ、伏見宮博恭王ノ総裁奉戴式挙行セラル。栄一出席シ、式後、宴会席上ニ於テ挨拶ヲ述ブ。


■資料

社団法人癌研究会沿革 本多忠夫述 東京医事新誌第二五〇六号抜刷・第三八頁昭和二年一月刊(DK460099k-0001)
第46巻 p.345 ページ画像

社団法人癌研究会沿革 本多忠夫述
             東京医事新誌第二五〇六号抜刷・第三八頁昭和二年一月刊
    社団法人癌研究会沿革
              会頭 医学博士 本多忠夫
○上略
本会の社団法人登記に先だつこと約三ケ月余の大正二年十月十一日午前十一時三十三分、総裁従一位大勲位功三級公爵桂太郎閣下は数月来本会と因縁浅からざる病痾に罹らせられ療養中なりしが、病頓に革まり溘然として薨去せらる。是れ啻に本会に取て一大痛恨事なる而已ならず洵に国家の一大損失なり○下略


集会日時通知表 大正一一年(DK460099k-0002)
第46巻 p.345 ページ画像

集会日時通知表  大正一一年       (渋沢子爵家所蔵)
五月廿五日 木 午後五時半 癌研究会総裁奉戴式(日本工業クラブ)


社団法人癌研究会沿革 本多忠夫述 東京医事新誌第二五〇六号抜刷・第四〇―四一頁昭和二年一月刊(DK460099k-0003)
第46巻 p.345-347 ページ画像

社団法人癌研究会沿革 本多忠夫述
            東京医事新誌第二五〇六号抜刷・第四〇―四一頁昭和二年一月刊
 - 第46巻 p.346 -ページ画像 
    社団法人癌研究会沿革
              会頭 医学博士 本多忠夫
○上略
大正十一年五月廿五日午後六時、丸の内日本工業倶楽部に於て、総裁○伏見宮博恭王奉戴式を挙行せり。当日副総裁・正副会頭・理事長・理事・監事其他の役員は定刻前会場に集合し、各部署に就き準備を整へ、来賓・会員等の来会せる者百数十名に達す。
総裁宮殿下には御附武官・宮内事務官を随へ会場に成らせられ渋沢副総裁を始め幹部諸員の奉迎を受けさせられ、本多会頭の御先導にて貴賓室に御少憩、役員等に拝謁を賜はりたる後、正六時一同式場に着席して起立最敬礼裡に 総裁宮殿下御台臨あらせらる。玆に於て本多会頭先づ御前に進み最敬礼の後、開会の辞を述べ、次で長与理事長本会の事業報告及計画を詳細に演説し終るや 総裁宮殿下には御起立あらせられ、左の令旨を賜ふ。
      令旨
本日癌研究会臨時総会を開催するに際し本会副総裁以下役員、名誉会員並会員等と相見るは予の深く悦ぶ所なり、曩に国際的性質を有する本会を設立し癌研究者を補助し其研究を奨励すること玆に十有五年、其間本邦に於て発表したる癌に関する業績中、欧米に於ける学者の注目せるもの少からざるを聞き、洵に喜に堪へざるなり、自今諸子の益益奮励研鑽し、本会設立の目的を達せられんことを望む
  大正十一年五月二十五日
        癌研究会総裁 大勲位功四級 博恭王
本多会頭は謹んで令旨を拝受し、再び御前に進み最敬礼の上、左の奉答文を朗読す。
 本日癌研究会臨時総会を開き総裁奉戴式を挙行するに当り 総裁宮殿下の台臨を辱ふし特に優渥なる令旨を賜ふ、忠夫等感激の至りに勝へず、惟ふに、癌は国際医界に於ける難問題にして根治の術未だ明ならず、寔に遺憾の極なり、統計に徴するに世界を通じて癌を患ふる者年々増加し、従て之が為に命を致す者亦其数を加ふる傾向あり、人生に及ぼす惨害頗る大なり、忠夫等将来倍々目的の遂行に勉め、癌の原因及治療法の進展を図り、以て人類の福祉を増進せんことを期す、謹で奉答す
  大正十一年五月二十五日
          癌研究会会頭 医学博士 本多忠夫
右了りて、名誉会員山極勝三郎博士登壇、癌に関する講演あり、其間総裁宮殿下には御熱心に御傾聴遊ばされ、最後に土肥副会頭壇に進み、左の閉会の辞を述られたり。
 本日玆に 総裁宮殿下を奉戴するに至れるは単に癌研究会々員の身に余る光栄たる而已ならず、本邦医学界に於ては未だ前例なきありがたき出来事にして、吾人はこれを永く子孫に伝へて記念するに足るものと云ふべく、癌研究の前途や尚ほ遼遠なり、殊に其予防若くは治療の研究に至ては頗る巨額の費用を要し、到底机上に於ける学理的研究の比にあらず、願くは世の篤志家諸子の後援に依り 総裁 
 - 第46巻 p.347 -ページ画像 
宮殿下の下に各々奮励努力せんことを期す云々。
右奉戴式終りて、殿下には会頭の御先導及山極博士の御説明にて、陳列せる各種の標本・図画等を臠はせられ、種々御下問に奉答するところありたり、当日午後七時十五分別室の宴会場に成らせられ、御会食中来賓諸氏と御歓談あらせられ、デザート・コースに入るや、渋沢副総裁には一場の挨拶を述べ、殿下の万歳を三唱して盃を挙げ、御晩餐後、貴賓室に御少憩、午後八時三十分一同の奉送裡に御還御遊ばされたり。
奉戴式は斯くの如く盛会裡に終了せり、而して曩に桂総裁閣下薨去後欠員の儘なりしが、本年の総会に於て定款の改正を行ひ玆に 総裁宮殿下を奉戴する光栄を得たるなり。○中略
寄附金 本会創立以来本会の趣旨を賛成せられ、一時又は年々継続的に事業費として寄附せられたる特志家の延数は、大正十四年度までに弐百参拾八名にして、其金額は拾五万五百拾壱円四拾六銭なり、玆に録して特志家各位に感謝の意を表す(其氏名及金額は会報に掲載せるを以て省略す)。
補助費 大正三年二月本会の組織を改め社団法人に変更し、同時癌研究補助規程並癌研究規程を制定して、創立以来実行し来りたる会誌の発行、学術集談会の開催及明治四十四年九月制定せる懸賞論文授賞規程に由り授賞する外、更に本項の規程に拠て会員に研究を嘱託し、若くは研究費を交附して癌研究を鼓吹奨励せし結果は頗る良好なり、而して大正三年乃至同十四年までに嘱託及補助に与かりたる者の延人員は百二十九名にして、報酬及補助費として、贈与せる金額は六万九千八百四十円なり。研究者の範囲は東京・京都を始めとして殆んど全国癌研究者の要望を充し、其金額は比較的少額なれども、概ね此種研究室の研究費は常に豊富ならず従て其一部が本会より補助せらるゝ為研究者の便宜は予想以上に大なるものありし為に、爾来癌研究の勃興し来れるは我医界に於ける周知の事実なり。
懸賞論文授賞 大正三年より同十四年に至る間に於て会員が発表せられたる業蹟は著しく進歩の跡を示せり。就中、山極・市川両博士の業蹟は欧米癌研究者の注目を惹けり。其他賞讚を博せる論文少からざれども、其題目及著者名は会誌に譲り玆に省略す。而して授賞者の延数は弐拾弐名なり。
会員数・資産並役員 大正十四年末に於ける会員数は弐百九十六にして、内名誉会員弐拾六名、特別会員弐名なり。同年度末に於ける本会の資産は金四万壱千百九十八円十六銭なり。而して本会現在の役員は次の如し。
      社団法人癌研究会役員
総裁   伏見宮博恭王殿下   副総裁   子爵 渋沢栄一
会頭  医学博士 本多忠夫   副会頭 医学博士 佐多愛彦
理事長 医学博士 長与又郎
  ○以下理事・監事・評議員計六十六名氏名略ス。
  ○総裁奉戴式後行ハレタル宴席ニ於ケル栄一挨拶ハ筆記ヲ欠ク。