デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
1節 学術
7款 帰一協会
■綱文

第46巻 p.579-587(DK460138k) ページ画像

大正4年3月10日(1915年)

是日栄一、上野精養軒ニ於ケル当協会例会ニ出席シ、前回提出ノ研究題目ニ関シ提出ノ理由ヲ演説ス。当協会ハ該問題ノ重要性ニ鑑ミ、少数ノ委員ヲ設ケテ討議スルコトニ決シ、十六日、渋沢事務所ニ幹事会ヲ開キ、井上哲次郎外二十六名ヲ時局問題研究委員ニ選定シテ承諾ヲ得。


■資料

集会日時通知表 大正四年(DK460138k-0001)
第46巻 p.579 ページ画像

集会日時通知表 大正四年        (渋沢子爵家所蔵)
参月十日 水 午後四時半 帰一協会例会(上野精養軒)


渋沢栄一 日記 大正四年(DK460138k-0002)
第46巻 p.579 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正四年        (渋沢子爵家所蔵)
三月十日 晴
○上略 午後六時上野精養軒ニ抵リ、帰一協会ニ出席ス、来会者約三十名上田万年氏・英人メーソン氏等一場ノ講演ヲ為ス、余モ時局ニ関スル国民ノ覚悟ト云フ問題ニテ意見ヲ述ヘテ、会員ノ審議ヲ請フ、来会者種々ノ説アリ、追テ委員ヲ撰定シテ調査セシムル事トシテ、夜十時過散会ス○下略


帰一協会録事第二(DK460138k-0003)
第46巻 p.579-582 ページ画像

帰一協会録事第二            (竹園賢了氏所蔵)
   三月例会
三月十日○大正四年午後五時上野精養軒に於て三月例会を開く
 過般帰朝せられたる上田文科大学長及びボールス氏の紹介に係る在
 - 第46巻 p.580 -ページ画像 
支那宣教師アイ・メーソン氏を招待す
 当日の出席者左の如し
 上田万年氏    服部宇之吉氏
 アイ・メーソン氏 添田寿一氏
 渋沢男爵     成瀬仁蔵氏
 中島力造氏    荘田平五郎氏
 菊池男爵     馬場恒吾氏
 秋月左都夫氏   田中穂積氏
 宮岡直記氏    斎藤七五郎氏
 諸井恒平氏    本多日生氏
 沢柳政太郎氏   マツコーレー氏
 ジー・ボールス氏 内ケ崎作三郎氏
 吉田静致氏    矢野恒太氏
 綱島佳吉氏
 中島半次郎氏
 山内繁雄氏
開会先づ上田万年氏の大要左の如き演説あり
一、日米国交の親善をいたすは官民共同の尽力を要す、交換教授の方法も可なり、其他日本博物館を彼地に設るも大に可なり
ワシントン、ニュー・ナシナヨル博物館には日本品を陳列するも之等は現代の日本を知らしむに足らす、日本人として示せるも之れ徳川時代の者にして、日本人としては甚だ面白からさるものあり、なるべく多種之ものを集めて陳列せは、日本の現代を知らしむる事を得ベし、ハーヴァートには独乙博物館ありて、米国人は独乙を研究す、日本も日本研究を為さしむる博物館を設けたきものなり、特に桑港には多数の日本人ありなからも、一の博物館すらなきは大に遺憾とす、博物館或は研究所は彼我の了解に大に捷径なりと信す
二、日本に対する米人の貢献者を表彰する事大に双互に利ある事なりかつて小泉八雲氏死去の際の如き、日本を世界に紹介したる大文豪として之を表彰すべしとの議ありしも実行されず、国家として之を行ふ能はさるは遺憾千万なり
三、交換教授も大に可なるも、むしろ米国人をして日本に留学せしむべし、従来は日本人の教師と彼地の学生との間は疎なる為めに徹底する事を得ず、故に米留学生が帰米して東洋の事を研究する際に、日本より人を派遣せは了解に大に効力あるべし、此の方法は交換教授十ケ年に対し五ケ年にて相等しき効果を得ん、故に此の方法に関し、彼各大学との連絡を付けん事の一日も早からん事を希ふ
四、日本に於ける米国研究甚だ進ます、明治十七八年頃より日本は独乙風に靡けり、米の法律、歴史、制度、人物を研むる者なし、大学にても之等の知識を与へられす、隣国に対する情として大に遺憾なり、大学に於て米国講座を開く事も此の点に於て難事ならさるへし
五、米国に限らす各国に日本が理会せらるゝ為めに、日本文学を世界に知らす必要あり、即ち文学の開国主義なり、漢字保存は固よりなるも、国民文学としては文字を世界的にせされは凡ての方面に効果少し
 - 第46巻 p.581 -ページ画像 
国字問題は現在、将来の急務なり
六、日本の学風は今日専門的に過ぐ、外国に在る邦人も各々別々に団体となり、同一日本人として意志を通する事なきは今日之弊なり、之日本教育の弊、また封建的精神の弊なりとす 云々
 右終りて食事に移り、後アイ・メーソン氏《*》の講演あり、馬場氏之が通訳の労をとらる、大要左の如し
 私は日本に来り日本を理会し、日支の親善に対して貢献する所あらん事を希望す
*欄外記事
 メーソン氏
 氏は廿年間支那宣教師として世界に尽しつゝある米人なり
 私の居る泗川省は交通実に不便にして鉄道なし、時勢に後るゝ事甚たしきも、今日に於てはやゝ趣を一変せり、現在は女学校、師範学校あり、政治思想も生し、党派主義も入り来れり、特に外国より来る者は外国之両党分立を外面的に倣へり、教育は四書五経の外なし、今日は多少制度の書などあり、地理の教育は最も困難なる所なり
 余は政治上の議論をなす資格なきも、日支問題の緊張せる今日なれは考へし事もあり、また人に問ふ事もあり、双互に誤解を有するものの如し、而して支那は、各地を諸外国に占領せらるゝ為め、現今は多少国民の自覚を生し来れるは喜ふべし、而して余は日本に来り、日本が領土的の野心を有せす、支那をしてその面目を持せしめんとする事を聞き、非常に喜を感す、願くは、此際日本は善隣の態度をとられん事を希ふ、而して支那留学生の言は俄かに信すへからさる事あり、支那の官憲すら彼等を持て余せりといふ、彼等は日本留学を大に得意とする者なれば、好く待遇しよく導かは両国之為めに好結果を得ん、余は常に支那に日本を了解せしめん事を努むる者なり(八時半)
 右終つて質問討議に移る
先つ中島氏は上田氏の講演に対し所感を陳べ、その実行の方法はなきものなるか、また外人のいふ所によれは、日本人は心を開放せすと、之れ奈何
秋月氏
 国として外国人を表彰する事は欧洲人に対しては多少過ぎたる感あり、米国人は勲章など受けず、品物を贈ることは予算に関する事にて困難也
 次に心を開かさる点はあるも、亦外人悟らさる所はあり、蓋し国語の禍せる所多し、日米の間柄は非常に重大且困難なり、故に日米の地位を知る事肝要なり、またギューリツク博士の案を真摯に研究する事急務なり
 メーソン氏に対し……余も亦日支の満円ならん事を庶ふ一人なり、新字事業に従事して長らく尽力せしも何等の反響なし、今日の場合日本に支那は満足を与ふるにせよ日支干係の序幕に過きさるべし、メーソン氏の親切は大に多とするも当分は同氏を満足せしむる事能はさるべし
沢柳氏
 - 第46巻 p.582 -ページ画像 
 日米関係の親善は両国民並に帰一協会の希望なり、然し日米、日支の干係を比較すれは同日の論にあらす、殊に日米問願は多少過去にぞくす。ギ博士の案も成立し得可や否や、博士の心配は唯移民を全然引上れは根絶する事なるも、今後は移民は更に加はるとも減することなかるべし、之に比すれは日支の干係は更に重大なりと考ふ、支那とは同文同種の干係ありて、然も誤解反感は米国よりも甚たし、メ氏のお話にて遺憾なる事は日支の親善を第三者を介して計る事にして、日本人の慚愧する所また本会員としても更に然り、日本の体面より云ふも大に熟慮すべき点なりとす
 右に対し秋月氏は、日米問題は過去の問題なりとは如何との質問ありたり(九時廿分)
渋沢男爵
  「時局に対する国民の態度」
意見にあらすして疑問なりとの冒頭をおきて、弱肉強食と仁義道徳、国際間に於ける道徳、に就て述べられ、今回之乱戦に際し殊に我道徳の標準を定むる必要を述べらる
中島博士
男爵の問題は信念問題以上重大なるものなれば、少数の委員を設けて討議せば多少効果あるべしと信ず 云々
此外添田博士、秋月左都夫氏等の意見あり、尚ほ右之委員撰定は幹事に一任の事となる
  時に九時五十分


竜門雑誌 第三二八号・第二八―三三頁大正四年九月 ○時局に対する国民の覚悟 青淵先生(DK460138k-0004)
第46巻 p.582-586 ページ画像

竜門雑誌 第三二八号・第二八―三三頁大正四年九月
    ○時局に対する国民の覚悟
                     青淵先生
 本篇は本年三月帰一協会に於ける青淵先生の講演なり(編者識)
私の玆に申述べますのは甚だ未熟なる問題で、斯かる学説、知識の広い深い諸君に対して、意見を述べるではありませぬ。寧ろ如何にしたら宜からうといふ、御意見を拝聴する為めに一つの問題を掲げたのであります。時局に対する国民の覚悟と申しては、少しく文字が穏当でありませぬが、欧羅巴の戦乱は、何れ早晩終局を告げるでありませうが、我が国民は此際何ういふ覚悟を持つたなら宜からうかといふことを、各方面に於て考慮しなければならぬ。又研究もしなければならぬと思ふが、特に当帰一協会員たる我々は、逸早く此大問題を掲げて、充分に攻究する必要はありますまいか。斯く企望した所から、此の物物しい問題を此に掲げたのであります。私に於て斯くしたら宜からうといふ意見を提出するのではなくして、如何致したら宜からうかといふ疑問を発するものとお聴き取りを願ふのであります。
平和の時でも又は戦乱の場合であつても、人の世に立つて尽すべき道は、大抵其人の分限に従つて相当なる程度がありますから、是に由つて行けば大なる誤りが無いといふても宜い。而して之を左右すべき標準は、其人の守る処の主義に依つて幾分の相違が生ずるかも知れませぬが、或は己れの欲する所を人に施せといひ、又は己れ欲せざる所は
 - 第46巻 p.583 -ページ画像 
人に施すこと勿れといふが如き、つまり働き掛けると受け身に居るの差といふても宜い位のものである。然るに今般の如き意外のことが勃発すると、所謂是非に迷ふといふやうな有様で、我々頗る判断に苦しむのであります。誰やらの詩に「前歌後舞武王帰天下蒼生妄是非」といふ、伯夷叔斉を詠じた警句がありましたが、文王が天下を三分して其の二を保ちながら、猶ほ殷に服事したるに、其の子の武王が、父の死後直ちに兵を起して殷を滅ぼしたといふは、天下の蒼生も善いか悪いか分らなくなつて来た。そこで伯夷叔斉は武王の行為を非であるといふことを言ひ現はす為めに、先づ疑問を起して後に断案したる傑作である。ずつと昔年に一読して僅に両句を記憶して居るのであります成程世の中には是と非との判断に苦しむことが、時々生ずるものであると思つたことを、今も覚えて居ります。
私抔は、古い学問をしたと申す程でもありませぬが、孔子の教に由つて、人たるものは斯くありたい、国を治め天下を平かにするといふのは、斯かる道理を要するのである、即ち明徳を天下に明かにするとか或は至善に止まるとかいふ主治者の側に於る心掛けと、又一方被治者の方からは孝悌忠信とか、仁義礼智とかいふものが一身を修むるの標準で、それが延いて社会の教となり、尚ほ又広く国家の教となり、以て国家は生存し繁昌して行けるものと思つて居りました。故に個人でも国家でも何処までも道徳といふものは、飽くまで突き通し得るものと許り信じて居りました。もし其の道徳が中途で違却して、個人も国家も自己の勝手我儘のみで差支ないとなる時には、これこそ天下の蒼生が是非に迷ふことになると思ふ、蓋し私は仁義道徳といふものは世の進歩に随つて進化すべきものであると思つて居りましたが、唯其の進化は仁義道徳をして普遍的ならしむるのではなくして、局遍的に止るのではないかといふ疑ひが生じて参つたのであります。昔語りになりますが、私は少年の時に経書を読むで孔子教に感化せられ、又春秋戦国の歴史を見て当時の策士が能く言つた、弱の肉は強の食といふことは、左様な道理はない筈である、此れは異端である、邪説であると解釈して居りました。後に仏蘭西に渡航して仏語の教授を受ける時に同国に於ける一の俚諺で強い者の申分は何時も宜しくなるものであるといふ意味の言葉がある。仏蘭西語としては明確に記憶しませぬけれども、其の意味だけは今日も覚へて居ります。能く味ふて見ると、弱の肉は強の食、といふ事と同じ趣意にて、吾々の標準とする仁義道徳とは全く道行きが違ふ。詰りこれが西洋の功利を主とするより生ずる弊害で、即ち其流義は異端であるか、若くは此れが国家社会生存上の必要と認めねばならぬものかといふことを、大に疑ひつゝあつたのであります。其後に日本に帰つて明治十年西南戦争の時分に、勝てば官軍負くれば賊といふ俗謡が流行りまして、維新の頃の活歴史に想到しても、支那語でいふ弱肉強食、又仏蘭西語の強い者の申分は何時も善くなるといふのが、取りも直さず我が俗謡の勝てば官軍負くれば賊と全然同意味である。是に於て私は迷ふた、成程斯うなると孔夫子の教といふものが、独り広く行はれない許りでなく、狭い範囲には行はれないことになる、是れは実に憂慮すべき事であつて、吾人の大に研究
 - 第46巻 p.584 -ページ画像 
せねばならぬ問題と私は苦心して居つたのであります。殊に実業に従事する身は、出来得るだけ世界の平和を主義とし、又それを希望して居る。双方相対する仕事に付ても自己の満足のみを企望せずして、社会全般の富を進め共に幸福を享受して行くといふことが、一個人からいつても、国家社会から考へても、道理であると思はれるので、是非とも弱肉強食若くは強い者の申分がいつも宜くなるといふことが、縦令或る時勢に於ては道理があるにもせよ、それは事の変である、権道である、通常はさういふことを攻究せずに、世の中は行き得ることゝのみ思ふて居つたのであります。
前にも申す通り総じて物の進化からして、論理も段々に変化して行くといふものではないか。果して然らば道徳も世の進化に随つて、其の解釈が幾分か違つて来るかといふことを、曾て学者の方々と討論したこともありましたが、果して如何に変化しても、斯く違却するといふことを論究した人もなかつた。例へば孝とか悌とかいふことよりも、信といふものが社会の進歩によりて必要が多い。世の中は段々人の交りが増すに随つて、信義といふものが別して必要になつて来るといふことは、嘗て服部君が或る雑誌にお述べになつたのを拝見したことがあります。信といふ字が五常として、仁義礼智の後に加はつたのは漢の時である。其前は五常ではなくて、仁義礼智であつた、信といふ字が後に加入したといふ服部君の御説であるが、もしも此れ等仁義道徳といふものが世の進歩に随つて幾分か変化するのではあるまいか、何うも自然に変つて来るやうになりはせぬかと恐れるのであります。
此の如く信といふものが甚だ必要になるといふ塩梅に、仁義道徳といふものも、何時も普遍的に必要であるならば、平和を主義とする相互の間は洵に都合が宜いやうであるけれども、たゞ悲しいのは、是れが国際といふ問題になると、全く変化して来るやうに思はれる。何うかこれを変化させぬやうに遣り得る道があるかといふことは、果して痴人の夢で到底望みないものであるか。想ふに人類が余りに私利私欲に過ぎるから、此の如く社会が極端に成り行き、真正なる平和の意義が行はれないのである。独り仁義道徳が行れないのみか、相対のものでは人として為し得られぬ行動も国際間になると、論理が変つて来るやうに見受けられる。是れが現今世界の通弊で真に憂苦に堪へぬのであります。一国内の社会では、仁義道徳に基いて交際するのでも、国際になると其信義が武器と変ずる故に、一国内の信義と、国際間の信義とは其意義が全く違ふといふことになるのは、結局是非に及ばぬといへばそれまでゞあります。
私が前に申上げた、強い者の申分は何時も宜くなるといふことは、一つの諺として仏国に伝はつて居るけれども、段々文明が進めば、人々道理を重んずる心も平和を愛する情も増して来る。相争ふ所の惨虐を嫌ふ念も文明が進めば進む程強くなる。換言すれば戦争の価値は世が進む程不廉となる。何れの国でも、自づから其処に顧みる所があつて極端なる争乱は自然に減ずるであらう、又必ず減ずべきものと思ふ。明治三十七八年頃露西亜のグルームとかいふ人が、戦争と経済といふ書を著作して、戦争は世の進む程惨虐が強くなる、費用が多くなるか
 - 第46巻 p.585 -ページ画像 
ら遂には無くなるであらう、といふ説を公けにしたことがあります。曾て露西亜皇帝が平和会議を主張されたのも、これ等の人の説に拠つたのであると、誰やらの説に見たことがあります。それ程に戦争は惨虐なものであるといふことが唱へられながら今度の如き全欧洲の大戦乱抔は、決して起るべきものでないやうに思はれて居つたが、丁度昨年の七月末に日々各新聞紙の報道を見た頃、私は両三日旅行して、什うなるかといふ人の問ひに答へて、新聞紙で一見すれば戦争が起ると信ぜられるが、先年亜米利加のジヨルダン博士がモロツコ問題の生じた時に、米国に有名なる財政家ゼー・シー・モルガン氏の忠言の為めに戦争が止んだといふことを、電報でいつて来たといふて、――博士は素より平和論者であるから、平和に重きを措いたのでもあらうが――特に手紙を寄越したことがある。私も其説を深く信じた訳ではなかつたけれども、世の進歩の度が増すに随つて人々が能く考慮するから戦乱は自然と減ずるといふ道理が起つて来る訳で、それは自然の勢ひと思はれます。
然るに今日欧羅巴の戦争の有様は、細かに承知は致しませぬが実に惨澹たる有様である。殊に独逸の行動の如きは、所謂文明なるものは何れにあるか分らないといふやうな次第である。蓋し其の根源は前にも申した通り道徳といふものが、国際間に遍ねく通ずることが出来ないで遂に是に至るものと思ふ。果して然らば、凡そ国たるものは斯かる考を以てのみ其国家を捍衛して行かねばならぬものであるか、何とか国際の道徳を帰一せしめて、所謂弱肉強食といふことは、国際間に通ずべからざるものとなさしむる工夫が無いものであらうか。畢竟政治を執る人、及び国民一般の観念が、相共に自己の勝手我儘を増長するといふ慾心が無かつたならば、此の如き残虐を生ぜしめることは無からうけれども、一方が退歩すると他方が遠慮なく進歩して来るやうでは、此方も進まなければならぬから勢ひ相争ふ様になり、結局戦争せねばならぬことになる。殊更其の間に人種関係もあり、国境関係もありませうから、或る一国が他の一国に対して勢力を張るのは其意を得ない、これを止めるには平和ではいかぬといふので、遂に相争ふ様になるのであります。蓋し己れの欲する所を人に施さないのであつて、たゞ我を募り、慾を恣にし、強い者が無理の申分を押し通すといふのが今日の有様であります。
一体文明とは如何なる意義のものであるか、要するに、今日の世界はまた文明の足らないのであると思ふ。斯く考へると、私は今日の世界に介在して将来我国家を如何なる風に進行すべきか、又我々は如何に覚悟して宜いか、已む事を得ずば其渦中に入つて弱肉強食を主張するより外の道はないか。是非これに処する一定の主義を考定して、一般の国民と共にこれに拠りて行くやうにありたいと思ふ。我々は飽く迄も己れの欲せざる処は人にも施さずして東洋流の道徳を進め、弥増しに平和を継続して、各国の幸福を進めて行きたいと思ふ。少くとも他国に甚しく迷惑を与へない程度に於て、自国の隆興を謀るといふ道が無いものであるか、換言すれば、相争ふの極戦乱の惨虐を見るが如きことなき仕方は無いものであるか、首道者間にて深く考へたならば、
 - 第46巻 p.586 -ページ画像 
必ず方法が無いとは云はれますまいと思ひます。国民全体の希望に依つて、自我をのみ主張することを罷め、単に国内の道徳のみならず、国際間に於て真の王道を行ふといふことを思ふたならば、今日の惨害を免れしめることが出来やうと信ずる。是に於て私は特に講究したいのは、王道と覇道との相違である。世界各国協約して、成るべく王道によつて進んで行くことが出来やうと思ふ、もしも之に反して益々覇道を進めて行くならば、常に相呑噬するの外は無い。斯の如きは時として自己の申分を押し通すことも出来ようが、更に他のより優勢なる国の申分と衝突して相争はざるを得ないことになる。
私は今日直に国民全体に此覚悟を持たしめるといふ訳には行かぬと思ふ、併しながら、斯かる世の中に処するには成るべく挙国一致の希望とし、之を一般の国情として行くことに致したいと思ひます。此の戦局が収まつた後に於て、全国民の希望が斯くありたいといふことを、此際我帰一協会より発表して自然他を感化せしめて、所謂輿論を作る道を講ずることは出来まいか。併し諸君の御意見の多数が、それは到底不可能事であるから、已むを得ず弱肉強食の渦中に這入るが宜いと言はれるか、もしも必ず行はれるといふ確信はなくとも、相誓ふて斯の王道を講ずるならば、幾分か防ぐことが出来やうと思ふ。
私は今度の戦争に就いて、孔孟の道徳も、何処に標準を立てゝ宜いか少しも当てにならないやうになつた気が致すのである。さらばとて人たるものは、如何に個人々々の利益を考へて見ても、嘗て申した如く仁義道徳と生産殖利とは、決して不一致のものではない、仁義道徳は其富を進めると同時に其人の人格をも進めるものに相違ない。果して仁義道徳と生産殖利とが一致するものならば、道徳は何処までも長く人の守るべきものであるが、たゞ国際間にそれが行はれないといふのは実に情けない話であります。何としても国際上には必ず仁義道徳は応用し得ないものであるか、それは主治者が王道を知らぬからであると思ふ。故に我々は此際大にこれを融和する道がある、調節する方法があると思はれるであります、其のことに就いて諸君はどうか私の蒙を啓かるゝやうに願ひたいと思ふ。


集会日時通知表 大正四年(DK460138k-0005)
第46巻 p.586 ページ画像

集会日時通知表 大正四年         (渋沢子爵家所蔵)
参月十六日 火 午後五時 帰一協会幹事会(兜町)


帰一協会会報 第六号・第二七六―二七七頁大正四年一一月 ○三月例会(DK460138k-0006)
第46巻 p.586-587 ページ画像

帰一協会会報 第六号・第二七六―二七七頁大正四年一一月
    ○三月例会
 三月十日開会。曩きに欧米漫遊の途より帰朝せられたる、文学博士上田万年氏、並に在支那米国宣教師アイ・メーソン氏を招待し、左の講演を請ふ、出席者二十五名。
 日米国交親善の方法       上田万年氏
 日支親善に付きて        アイ・メーソン氏
 右終つて、両氏の講演に関し中島力造氏、秋月左都夫氏、沢柳政太郎氏其の他出席会員の間に於て、質問討議及意見の交換ありき。次に渋沢栄一氏は前回提出の問題「時局に対する国民の覚悟」に関する疑
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問として、弱肉強食と仁義道徳、国際間の道徳問題に就き意見を陳じ今回の世界戦乱に際し特に我が国民道徳の標準を確定する必要なきかと述べ、此の外中島力造氏、添田寿一氏、秋月左都夫氏の意見ありたり、尚ほ本問題研究に関し委員を設くる事となり、且つ其の選定は之を幹事に一任せられたるを以て、三月十六日幹事会を日本橋兜町渋沢事務所に開き、左記二十七名の委員を選定し、各々其の承諾を得たり
 井上哲次郎氏 石橋甫氏   服部宇之吉氏
 新渡戸稲造氏 小野英二郎氏 片山国嘉氏
 鎌田栄吉氏  高田早苗氏  添田寿一氏
 綱島佳吉氏  中島力造氏  成瀬仁蔵氏
 浮田和民氏  中野武営氏  山田三良氏
 松本亦太郎氏 江原素六氏  姉崎正治氏
 秋月左都夫氏 阪谷芳郎氏  佐藤鉄太郎氏
 沢柳政太郎氏 吉川重吉氏  目賀田種太郎氏
 宮岡恒次郎氏 渋沢栄一氏  森村市左衛門氏