デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
1節 学術
10款 大日本文明協会・財団法人文明協会
■綱文

第47巻 p.254-259(DK470059k) ページ画像

大正7年10月26日(1918年)

是ヨリ先明治四十一年八月、栄一当協会特別賛助会員トナル。是日、大隈重信邸ニ於テ、当協会創立十周年記念会開催セラル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編 竜門雑誌第五一九号別刷・第一四頁 昭和六年一二月(DK470059k-0001)
第47巻 p.254 ページ画像

青淵先生職任年表 (未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編
               竜門雑誌第五一九号別刷・第一四頁昭和六年一二月
    明治年代
  年 月
四一  八 ―大日本文明協会特別賛助会員―大正一四、四。大正九、一二、―〃評議員―大正一四、四。大正一四、四、―財団法人文明協会々員―昭和六、一一。大正一四、四、―〃〃評議員―昭和六、一一。
  ○右ニ改組・改称ヲ大正十四年四月トナセド財団法人許可ハ同年七月ナリ。本款大正十四年七月二十二日ノ条参照。


大隈侯八十五年史 同史編纂会編 第二巻・第六九三―六九六頁 大正一五年一二月刊(DK470059k-0002)
第47巻 p.254-255 ページ画像

大隈侯八十五年史 同史編纂会編  第二巻・第六九三―六九六頁大正一五年一二月刊
 ○第八編 第八章 各種の文化事業(上)
    (二)国民知識の向上を主眼とした
      文明協会の誕生及び発展
 君の晩年興味をもつた事業の一つは文明協会であつた。今日は君の令嗣が君のあとを承けて会長となり、その遺業を継承して、君の生前と異なることなく発展してる。この会は君の主唱によつて、明治四十一年四月三日に生れた。当時日本は戦後経営の重大時期で、万事緊張革新を要するの状であつた。が、戦勝の祝酒に酔うたものや、成金の徒は、徒に浮華の幻影を夢みて、堕落、頽廃の空気を社会の上下に醸しつゝあつた。それらの夢を打破つて、真に興国の機運を助長してゆくには、広く新知識を世界に求めて、国民自ら深く教養を加へねばならなかつた。文明協会はこゝに考へて、国民の惰気を一掃し、新時代に適切な知識、教養の糧を一般に与へようとして生れた。
 文明協会の主旨によると、この千歳一遇の興国的機運に乗じて、国民知識の向上進歩に資し、東西文明の調和融合を計らんとする目的、使命を帯びて生れたのである。そしてこの事を左の如く敷衍した。
  戦後経営の美名は、思慮なき国民を駆つて戦慄すべき一大賭博場を開演せしめたに過ぎない。わが国民がかくの如く軽佻で、物事に妄動する所以は、これを国民性情の上から攻究すると、正しく冷静な常識の修養を欠くことに原因するらしい。この時に当つて、国民的知識の向上と常識の修養とは、誠に万全の救治策である。即ち病弱国民の根本性格につき纏ふ短所を一排して、国家進運の機に適応
 - 第47巻 p.255 -ページ画像 
せしむるのは、精神的、永久的、普遍的な戦後経営の一大事業であるまいか。本会はこの意味に於ける事業を目的として、世界の知識を吸収し、東西文明の渾一を計り、世界的国民の偉大な資格を養成しようとするのである。事は精神的、普遍的、永久的のものであるから、その成功を遠く百年の後に期する覚悟をした次第である。そして地方巡回講演、地方図書館の設立なども必要の一手段と思ふが就中最も有効なのは、世界の名著、大作を編纂して頒ち、或は天下の碩学の手に成つた最近文明の解説たるべき新著を公刊することにある。
 かうして君は文明協会の会長となり多数学者の賛同を得て編輯部長に浮田和民を用ゐ、略々組織が整つた。四十一年六月二十八日、君は賛成員を招いて上野精養軒で披露会を開いた。君は「日本は今日武力を以て世界の一等国に列したが、知識上では欧米先進国に比して遥に劣つた感がある。今日尚未だ模倣時代に属し大に先進国の知識を輸入する必要がある。わが文明協会はこの目的の下に生れた」と述べた。
 その後、協会の事業は着々進んだ。当時外国書の翻訳は文学類を除くと、概して不振に陥つてゐた。けれども文明協会は屈しないで、新知識普及の先駆として、右のやうな不利な時代に出版を開始した。
 最初出版したのは君の監修の下に成つた『欧米人の日本観』三冊であつた。当時、日本は戦勝後、世界嫉視の的となつて、欧米人が日本をどう見てゐるかと云ふことは何人も先づ知らうとした点であつた。この書は江戸時代から現代に至るまでの欧米人の手になつた日本旅行記乃至印象記の類を広く網羅した。それを手始めに毎月一冊又は二冊の新書を公刊、頒布して、明治四十四年の末迄に全部五十一巻、三万一千頁の名著を完成した。それには欧米名士の手になつた名著が主要部分を占めた。が、第一期計画を全うして、第二期に入つた時代が、文明協会の本色をより多く発揮したのである。当時、多少の革新を協会の組織及び事務の上に加へ、市島謙吉が入つて経営に当る事になつたが、爾来会運の進展を見た。
  ○大日本文明協会ハ明治四十一年四月三日設立セラル。其設立ニ当ツテ企劃協賛ヲナシタルハ、井上哲次郎・石川千代松・和田垣謙三・嘉納治五郎・高田早苗・坪内雄蔵・上田万年・浮田和民・松井直吉・真野文二・三宅雄二郎・元良勇次郎・杉山重義等ナリ。協会活動ノ第一期ハ、専ラ世界ノ名著ノ翻訳刊行ニ従事シタル七年間ニシテ、コノ間刊行セラレタル図書ノ総頁数約五万五千頁ナリ。(書名ニ関シテハ「財団法人文明協会三十年誌」第一六頁参照。)第二期ハ上記刊行事業ヲ続行スル傍ラ、大学拡張事業ヲ加ヘタル六ケ年間ニシテ、大正五年ヨリ同十年迄ナリ。大学拡張事業トハ、講師ニ斯界ノ権威ヲ網羅シテ当協会ノ開催セル講演会ヲ謂フモノナリ。(演説者及ビ演題ニ関シテハ「財団法人文明協会三十年誌」第七一―七三頁、第七七―七八頁参照。)第三期ハ第二期ノ講演会ノ外、大震災復興・日米問題研究会及ビ社会教育等ニ活躍シタル時代ニシテ、此間創設者大隈重信逝去シ、協会ハ財団法人トナリ、名称ヲ文明協会ト改メタリ。


森脇美樹談話筆記(DK470059k-0003)
第47巻 p.255-256 ページ画像

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集会日時通知表 大正七年(DK470059k-0004)
第47巻 p.256 ページ画像

集会日時通知表  大正七年       (渋沢子爵家所蔵)
十月二十六日 午後二時 文明協会之件


竜門雑誌 第三六六号・第五六頁大正七年一一月 文明協会記念祝賀会(DK470059k-0005)
第47巻 p.256 ページ画像

竜門雑誌  第三六六号・第五六頁大正七年一一月
○文明協会記念祝賀会 大日本文明協会にては、去十月二十六日早稲田大隈侯爵邸に於て、同会十週年祝賀会を催したるが、席上浮田博士開会の辞を述べ、次で大隈総裁《(会長)》、来賓青淵先生の祝辞演説等ありて後茶菓の饗応ありたる由。


財団法人文明協会三十年誌 同協会編 第四一―四四頁昭和一三年六月刊(DK470059k-0006)
第47巻 p.256-259 ページ画像

財団法人文明協会三十年誌 同協会編  第四一―四四頁昭和一三年六月刊
    第二期 文明的運動の拡張(大正五年―大正十年)
○上略
大正七年に至り市島理事長の発議により、大学拡張事業の一つとして成人教育の意味に於て時局研究茶話会を定期的に開催することとしてその第一回を三月廿二日に会長邸に開いた。爾来継続開会今日に至り已に百余回に達して居るのである。此年は本会開設十周年に相当するので七年十月廿六日に会長邸に於て十周年記念会を催した。
 当日は朝来曇天であつて、定刻に至つて微雨が降つたりしたので非常に気遣れたのであつたが、幸に霄れ渡つて後庭の会場で開催することが出来た。来賓加藤子・渋沢男を始め、村井吉兵衛氏・中村房次郎
 - 第47巻 p.257 -ページ画像 
氏等約二百名が参会されて、浮田博士司会のもとに開会された。渋沢男は独特の文明観を述べられ、加藤子は国際聯盟を例として外国事情を知る必要を力説せられた。最後に会長大隈侯は大に世界の文明運動を高唱せられ、本会の抱負と目的とを闡明された、浮田博士の閉会の辞によつて会を終り一同立食を共にし散会した。続いて同月三十日に十周年記念学術講演会を神田会館で催した。
      文明を論ず
                   男爵 渋沢栄一
  柄にもない、文明協会の十年の祝賀会に私如き不文明人が出まして意見を陳述するのは甚だ悪い対照のやうでございまするけれども然し物には必ず同じ色ばかりの配合が装飾になるべきもので御座いませぬから、或は文明に対して不文明が或場合には一応の意味をなすかも知れぬと思ふのであります。浮田先生・市島君からの御委嘱によつて今日は参上致したので御座います。実は私は此文明と云ふ意義に就て甚だ了解に苦んで居るものであります。幸に斯る場合に御集りの皆様は十分夫れ等を御研究になる方々と思ひますので、玆に愚存を陳述して、尚ほ後とからは侯爵の本会に於ける注意又理想を伺ひもしたならば、私の疑問も自ら氷解するだらうと思ふのであります。前座として文明の意義如何と云ふやうな事は、此十年の歳月を経た本会に対しては少し相応はしからぬ申上方で御座いますけれども、私の心に思ふ丈は玆に陳情致して見たいと考へます。
  ズツト昔、書生の時分に文明と云ふ字に対照して野蛮、文明と野蛮と云ふと、一方は非常に美しい言葉、一方は汚ない言葉、斯う云ふやうに相並び称したもので御座います。あれは文明人だ、之は野蛮人だ、もう其一語で大抵其人格も技能の有様も分つたので御座います、併し此文明と云ふのを抽象的に文字に現はすと、文と云ふ字明かと云ふ字であるから、文明といへば文字を沢山知つて居る、斯う云ふことになる。果して文明と云ふものはどう云ふものであらうかと云ふに就いては、尚ほ続いて其疑問は十分に解けなかつたのであります。今日に於ても尚ほ私は多少の懸念を持つのでありますが此頃の疑念は、先づ欧洲一般が文明国で、東洋などは是に叶はぬ、甚しき野蛮国と云はれた。夫れ故にどうしても、此物を余計知つて先づ形式の整つたのを文明、斯う云ふやうに解釈したのであります併ながら其文明が果して何時も同じやうに相化し相交はる、尚進んで行けるかと云ふに付て仮令知識は増し学芸技術は進んで居つても必ず相調和して共に泰平を謳ふと云ふことは、尚ほ文明国が決して文明を保護して行かれぬ様に以前から思つて居つたので、尚ほ以て野蛮と文明が甚だ疑ひなき能はず、如何なる事であらうかと云ふことを疑念に致して居つたので御座います。去りながら、兎に角に科学の進歩また富の増すと云ふこと、其富の増すには種々なる手段の要ることで、其方法に依つて増せば自から文明に助けを与へると云ふことは、事実争ふ可からざる道理と考へまして、自分等も此国家の生産上に対しては力を入れねばなるまい、斯う考へて他に善い知識もありませぬからして、先づ其方面に於て長い間刻苦経営をしま
 - 第47巻 p.258 -ページ画像 
したが、或は政治とか教育とか云ふ方面に於ては、成程文明とは云ひ得るけれども、夫れによつて真正の泰平が保てるか、真正なる道理が行はれるかと云ふことに就ては、欧米総ての国々の有様に多少の疑念を有つて居つたので御座います。果して然り、四、五年来の此戦乱によつて見ますると、其学んだ知識、其修めた学説が果して全く人類の幸福を増す為めの具になつたか、否反対に人の生命を絶ち惨禍を増す所の道具になつたのではないかと疑ふやうに相成るのでございます。斯く考へて見ますると、知識を進めるとか富を増すと云ふことも、一の要素が十分にございませぬ以上は、決して真正の文明として何時迄も之は謳歌することは出来ぬものでは御座いますまいか、是に於て、私共の古風な教育を受けました、維新以前に学んだ、即ち所謂東洋道徳説、仁義道徳とか正道とか云ふやうなものが是に加はらなければ、如何に知識が増し、物質の価格が進んで参つても、矢張り其傾く所は遂に相争ふて、真正なる文明を維持することが出来ぬではないか、と云ふ疑が益々強くなる、否強くなる所ではない、左様信ぜざるを得ぬかと思ふやうに感ずるので御座います。
  斯様考へますと、真正なる文明と云ふものは、唯知識にのみ依り物を知る丈けが完全なる文明とは、どうしても言はれぬものと申さなければならぬ、と私は存ずるので御座います。本協会の十年の経過は、或は私の希望しまする通り仁義道徳を進めると云ふことに私は資すると考へますけれども、其仁義道徳を進めると云ふ根拠は、矢張り物を知る、審に事を察すると云ふことにあると、斯う又元に還つたる考を付けねばならぬ。故に此本協会の十年の間に書を著はし説を講じ、一般に対して知識を進めると云ふことが、即ち文明の端緒であると云ふことは必ず申し得られるであらうと思ふので御座います。唯私の今申上げまする真正の文明は、唯夫れのみに依る訳には往かないと思ふことは、之を知つた以上に於て、尚ほ宜しく心せねばならぬであらうかと私は存じます。
  斯う考へますると、矢張り文明の根拠は、其元が本協会の如き仕組に依つて一般の知識を先づ進めると云ふことに基かざるを得ぬやうに考へまする。前に疑を持ちました事柄は、更に進んで物を知る暁に、其知識は何処迄も道理に依り人道に基いて行ふことから起らざるを得ぬ、斯う論じて差支なからうかと考へます。例へば論語の始に、男子は本を務む、本立つて道生ず、孝悌は夫れ仁を為すの本かと云ふ句があります。丁度此文明は尚ほ書物を読む即ち読書若しくは知識を拡めるが此の文明を進めるの本としまするならば、或は読書は此文明を進むる道の本だと申して宜しからうと思ひます。玆に至ると私共の如き甚だ読書眼の乏しいものは、文明たり得る所には進み兼ねますけれども、併し自己は劣つたものとして、今浮田博士の仰しやる如く、此本協会が多くの著述を出し、会員諸君の力に依つて一般に広く此文明の基に対して力を尽されたならば、必ず此文明の基を立つ事は出来るだらうと思ふ。而して私は前に申上げました通り、唯知識と云ふ方のみに赴かずに、何処迄も正義人道に基
 - 第47巻 p.259 -ページ画像 
くと云ふことを以て、その文明を作り直して行つたならば、玆に私の疑も解け、完全な文明が洽くなるであらうかと考へられるのであります。十年の歳月空しからずして、本協会の斯の如く進んで参りましたのは侯爵の如き偉人を戴いた本協会の仕合せと思ひます。私は平日至つて此会には不勉強極まるもので申訳もありませぬが、今日浮田・市島両君から勧めに依りまして、玆に文明と云ふ文字に対して常に思ふて居つたことを一言諸君の御聞に達し、且つ此協会の御著書が洽く世に拡まるやう諸君と共に力を致したいと思ふのであります。聊か愚見を陳情致して清聴を煩したので御座います。
  ○加藤高明ノ演説略ス。