デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
2節 演芸
1款 帝国劇場
■綱文

第47巻 p.394-398(DK470098k) ページ画像

明治45年1月1日(1912年)

是日栄一、当劇場ニ赴キ、社員及ビ男女俳優他一同ト共ニ新年ヲ祝シ、年頭ノ訓示ヲナス。二月二十四日、当劇場第十回定時株主総会開カレ、栄一出席シテ専務取締役西野恵之助辞任、手塚猛昌就任ノ決議ニ与リ、二十五日更ニ当劇場ニ於テ社員ニ対シソノ交迭ノ理由ヲ説明ス。二十七日西野恵之助ノ洋行ヲ新橋停車場ニ送ル。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四五年(DK470098k-0001)
第47巻 p.394-395 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四五年           (渋沢子爵家所蔵)
一月一日 晴 寒
○上略 十二時帝国劇場会社ニ抵リ、社員一同、男女俳優、其他道具方マテ会同シテ、新年ノ祝盃ヲ挙ケ、一言ノ訓示ヲ為シテ共ニ立食ス、畢テ三時王子ニ帰宿ス○下略
  ○中略。
一月二十九日 晴 寒
○上略 七時帝国劇場ニ抵リテ観劇ス、松井吉太郎同行ス、西野氏ト劇場会社ニ関スル要務ヲ談シ、夜十一時帰宿○下略
一月三十日 晴 寒
○上略 六時夜飧シテ事務所ニ帰リ、明石・竹山二氏ト共ニ帝国座ニ抵リ外国人ノ演劇ヲ観ル、九時半中央亭ニ抵リ、西野氏ト共ニ中村歌右衛門氏ト会話ス、帝国座ニ出演ノ事ヲ勧告ス、夜十一時王子ニ帰宿ス
  ○中略。
二月十一日 晴 寒
午前七時起床、入浴シテ朝飧ス、畢テ○中略 中村歌右衛門優来話ス、過日ノ会見ヲ謝スル為メナリ、諸井恒平氏来訪ス、午飧○下略
  ○中略。
二月十七日 曇 寒
○上略 午後三時帝国劇場会社ニ抵リ、西野・手塚二氏ト会話ス、四時過キ事務所ニ抵リ○下略
  ○中略。
二月二十五日 晴 軽寒
 - 第47巻 p.395 -ページ画像 
○上略 午後一時帝国劇場ニ抵リ、西野・手塚・山本氏等ト、常務取締役更迭《(専)》ノ事ニ付会社員一同ヲ集メテ其理由ヲ諭示ス、後西野氏其他ヨリモ各一場ノ拶拶アリ○下略
二月二十六日 晴 軽寒
○上略 午前十時帝国劇場ニ抵リテ、女優ヲ会シテ懇切ノ訓誡ヲ与フ、十二時帝国ホテルニ抵リ、西野氏ノ送別会ヲ開ク、帝国劇場会社重役・顧問及男女ノ俳優其他関係者会スル者五十名許リナリ、食卓上一場ノ送別ノ辞ヲ為ス、午後三時頃散会○下略
二月二十七日 雨 軽寒
午前七時半起床、入浴シテ朝飧ヲ食ス○中略 東京新聞社員来リ帝国座演劇ノ事ヲ談ス○中略 十一時五十分新橋停車場ニ抵リ、西野恵之助氏ノ洋行ヲ送別ス○下略
  ○中略。
三月四日 雨 寒
○上略 正午第一銀行ニ抵リテ午飧ス○中略 食後事務所ニ於テ書状数通ヲ裁シテ諸方ニ送付ス○中略 中村歌右衛門ヘノ返書○中略 ヲ送付ス○下略
  ○中略
三月十日 晴 寒
○上略 三時兜町事務所ニ抵リ、諸方ヘ書状ヲ認ム○中略 手塚猛昌氏来リ、歌劇ノ脚本ヲ交付シ、昨日小松・清水二氏会話ノ顛末ヲ述フ○下略
  ○一月三十日ノ外国人演劇トハ、東京アマチューア・ドラマチック倶楽部ニヨル是日一日ノ公演ナリ。「コルネヴヰーユの鐘」ヲ上演ス。(杉浦善三著「帝劇十年史」ニヨル)


(帝国劇場株式会社)第十一回報告書 明治四五年上半期・第一―五頁 刊(DK470098k-0002)
第47巻 p.395-396 ページ画像

(帝国劇場株式会社)第十一回報告書
                明治四五年上半期・第一―五頁 刊
 ○第一一回報告書
    第一 第十回定時株主総会
明治四十五年二月二十四日午後一時、東京市麹町区有楽町一丁目一番地帝国劇場内ニ於テ、帝国劇場株式会社第十回定時株主総会ヲ開ク、出席人員委任状共壱百弐拾九名、此株数壱万四千六百九拾株ニシテ、取締役会長男爵渋沢栄一氏会長席ニ就キ、明治四十四年下半期事務報告・貸借対照表・財産目録・利益金処分案等ヲ議シ、総テ原案ノ通リ承認シタリ、又監査役満期ニ付改選ノ処浅野総一郎及村井吉兵衛ノ両氏重任ニ決定シタリ
    第二 営業ノ概況
本期間ハ沈衰セル経済界ノ景気未ダ全ク恢復セズ、加フルニ米価著シク騰貴シタル等、世人ノ人気兎角良好ナラザリシ為メ、劇界一般概シテ不振ナリシニ拘ラズ、当劇場及劇場ノ経営方針ハ能ク時代ノ要求ニ適応シタルモノヽ如ク、幸ニ可ナリノ成績ヲ挙グルヲ得タリ
新事例ノ開拓ハ当劇場ノ主義トスル所、本期中、内外人混合劇・外人喜歌劇・日本式歌劇等ヲ試ミタルガ如キ、毎土曜・日曜日、大祭日、其他時ノ状況ニ応ジ臨時ニマチネー(昼興行)ヲ開催シタルガ如キ、或ハ自働車ノ観客迎送ニ、進物用観劇切手及定期割引切符ノ発売ニ、
 - 第47巻 p.396 -ページ画像 
特・一・二等同様三等切符ノ十日前発売ニ、郵便電信取次ギ発送ニ、麦湯接待ニ、開幕報知器ノ設備ニ、投書函ノ設置ニ、観覧席ノ内外花卉盆栽ノ装飾ニ、喫煙室ノ新設等絶エズ怠ラズ、種々ノ新計画ヲ試ミ観客誘導ニ力メタリ
本期間即チ二月一日ヨリ七月末日ニ至ル日数百八十二日ノ内、左表ノ開演日数百五十三日間ヲ控除スレバ、其閉場セル期間ハ僅ニ二十九日間トナルヲ見ルベシ、然カモ此二十九日間ノ閉場日数中 聖上陛下御不例ノ為メ謹慎ノ意ヲ表シ第二十五回興行ヲ中止シタル日数八日間ヲ差引セバ、真ノ閉場日数ハ二十一日間ナリトス、今試ミニ前記開演日数ニ「マチネー」開演日数三十二日間ヲ加フレバ、本期間ノ開演日数ハ本期間実際ノ日数百八十二日ニ超過スル事、実ニ十一日間トナルベシ、是レ如何ニ当劇場ガ間断ナク営業ヲ継続シ活動シ居ルカノ一端ヲ証スルニ足ラン
      本期間興行表
○中略
  合計興行数九回、此開演日数本興行 百五十三日 マチネー 三十二日
本期間中劇場全部ヲ貸切リ演劇ヲ観覧ニ供セシモノハ左ノ通リナリ
      本興行ヲ貸切リシモノ
  四月十四日審美画会、六月十五日博文館
      マチネーヲ貸切リシモノ
  四月十七日東京瓦斯株式会社、四月二十一日時事新報社(少年大会)四月二十五日内国通運株式会社
    第三 興行中止
第二十五回興行女優劇開演中、畏多クモ 聖上陛下 御不例ノ趣拝聞シタルニ付、七月二十日限リ同興行ヲ中止シ、謹慎ノ意ヲ表シタリ
    第四 天機奉伺並弔意奉表
聖上陛下 御不例ニ付、天機奉伺ノ為メ、手塚専務取締役ハ七月二十五日麹町区役所ニ出頭シタリ、又
陛下 崩御ニ付、同専務取締役ハ七月三十日東京市役所ニ出頭シ、恐懼敬悼ノ意ヲ奉表セリ
    第五 専務取締役更迭
明治四十五年二月二十五日専務取締役左ノ通リ交迭セリ
       専務取締役辞任 取締役 西野恵之助
       専務取締役就任 同 手塚猛昌


〔参考〕帝劇十年史 杉浦善三著 第一〇四―一〇八頁 大正九年四月刊(DK470098k-0003)
第47巻 p.396-398 ページ画像

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