デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
2節 演芸
2款 帝国劇場付属技芸学校
■綱文

第47巻 p.415-417(DK470107k) ページ画像

明治43年3月26日(1910年)

是ヨリ先四十二年七月、帝国劇場ハ川上貞奴ノ経営セシ帝国女優養成所ヲ引継ギ、帝国劇場付属技芸学校ト改称ス。是日栄一、当校総長ニ就任ス。


■資料

竜門雑誌 第二三三号・第三九頁明治四〇年一〇月 ○帝国劇場株式会社重役会(DK470107k-0001)
第47巻 p.415 ページ画像

竜門雑誌  第二三三号・第三九頁明治四〇年一〇月
○帝国劇場株式会社重役会 帝国劇場株式会社にては、去月二十一日麹町区八重洲町同会社楼上に於て重役会を開き、取締役会長たる青淵先生議長席に着き、専務取締役西野恵之助氏より工事上の報告及女優養成に関する議案の提出あり、種々協議の末、議長より田中常徳・益田太郎・西野恵之助三氏を委員に指名し、之に該案の調査を附托して閉会せり


都新聞 明治四二年六月二四日 【川上貞奴が発企して、帝国…】(DK470107k-0002)
第47巻 p.415 ページ画像

都新聞  明治四二年六月二四日
 川上貞奴が発企して、帝国劇場会社の補助により、成立ちたる女優養成所は、一部識者より兎角の評あるに拘はらず、今日まで命脈を繋ぎつゝありしが、貞奴が革新興行の為、地方を巡業して東京に居る時日とては尠く、殊に秋より夫川上の大阪に経営せる帝国座が興行を始むる事とて、愈愈多忙の身となり、到底養成所の責任を担ふ事能はざるより、此の際帝国劇場会社へ引継ぎて、同会社が直接経営する事となし、昨日午前十時西野、外二、三の重役が、養成所へ集まり、生徒の父兄・保証人をも呼寄せて、引継の式を行ひ、貞奴より今回の始末を報告し、父兄総代として森肇氏が、貞奴と新経営者たる会社とへ対し感謝の辞を述べ、一時半に散会したり。此にて貞奴は全く手切となり、来る九月よりは、大いに内部を改良拡張して授業を引続け、行く行く一個の学校をも建築すべしといふ。


渋沢栄一 日記 明治四二年(DK470107k-0003)
第47巻 p.415 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四二年         (渋沢子爵家所蔵)
七月十七日 晴 大暑
○上略 午後二時飯倉ニ抵リ、技芸学校生徒ノ演芸ヲ一覧ス、益田・西野 手塚・日比等ノ諸氏来会ス、演劇・踊・長歌等種々アリ、畢テ午後六時日本橋倶楽部ニ抵リ○下略


(帝国劇場株式会社) 第五回報告書 明治四二年上半期・第二頁刊(DK470107k-0004)
第47巻 p.415-416 ページ画像

(帝国劇場株式会社) 第五回報告書
                明治四二年上半期・第二頁刊
 ○第五回報告書
    第二 事業ノ経過
○上略
予テ当会社補助ノ下ニ設立セシ帝国女優養成所ハ、同所長川上貞奴ノ
 - 第47巻 p.416 -ページ画像 
申出ニヨリ、七月十五日ヨリ当会社ニ引継ギ、附属技芸学校ト改メ、直轄経営スルコトヽナセリ、尚ホ同校ハ来ル十月一日ヲ以テ第二期女優生徒十五名ノ入学ヲ許ス予定ニテ、之レガ募集ノ発表ヲナセリ
本邦従来ノ演劇ヲ帝国劇場ノ舞台ニ上場スル前ニ当リ、短縮取捨等部分修正ヲ要スルガ故ニ、試演舞台ノ設ナカルベカラズ、且又本劇場ノ主義トスル女優ヲ登場セシムル為メニハ、上記技芸学校ニ於テ広ク秀才ヲ募リ、当分毎年若干名宛之レガ養成ノ必要アルヲ認メタルヲ以テ之等ニ供用スル為メ附属屋(煉瓦石二階造リ、六十二坪)一棟ヲ構内ニ新築スルコトニ決シ、既ニ之レガ建築ニ着手スルコトヽシタリ


(帝国劇場株式会社) 第七回報告書 明治四三年上半期・第五頁刊(DK470107k-0005)
第47巻 p.416 ページ画像

(帝国劇場株式会社) 第七回報告書
                明治四三年上半期・第五頁刊
 ○第七回報告書
    第二 事業ノ経過
○上略
附属技芸学校ニ於テハ、東京市ノ依頼ニ依リ、第二回米国観光団及支那観光団ノ為メニ、有楽座又ハ交詢社ニ於テ余興劇ヲ備セリ、又毎月学校内ニ於テ、生徒技芸奨励ノ為メ、開催ノ試演会ニ於ケル生徒ノ成績ハ漸次進境ノ著シキモノアルヲ認ムルニ至レリ、尚同校総長ニハ三月二十六日男爵渋沢栄一氏就任セラレタリ


渋沢栄一 日記 明治四三年(DK470107k-0006)
第47巻 p.416 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四三年         (渋沢子爵家所蔵)
三月二十七日 曇 軽暖
○上略 午後三時女優試演会ニ抵リ、暫時観覧ノ後、六時王子ニ帰宿ス○下略


竜門雑誌 第二六三号・第八〇―八一頁明治四三年四月 ○青淵先生と帝国劇場(DK470107k-0007)
第47巻 p.416 ページ画像

竜門雑誌  第二六三号・第八〇―八一頁明治四三年四月
    ○青淵先生と帝国劇場
青淵先生は昨年中、頽齢に及びたれば事務を節約すとの旨趣を以て、第一銀行等特別関係のもの二、三を除く外、従来関係したる幾多の会社と尽く絶縁したる際、帝国劇場株式会社にも辞表を呈出したるが、同会社は一般営利会社と多少其趣を異にし、一国の体面上地位名望ある人の手に依りて是非とも之が成立を完からしむる必要あるを認め、同社重役及び株主等の懇請を容れ、依然名を取締役に列し、其会長の職に留まる事を承諾したり、尚ほ今回は、新女優を養成する目的を以て成立したる同会社附属技芸学校に総長たることを承諾せられたり


帝劇十年史 杉浦善三著 第一二三頁大正九年四月刊(DK470107k-0008)
第47巻 p.416-417 ページ画像

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