デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
2節 演芸
3款 円朝会
■綱文

第47巻 p.425-429(DK470112k) ページ画像

大正15年3月(1926年)

是ヨリ先、三遊亭円朝ノ伝記編纂及ビ全集ノ刊行、記念碑ノ建立等ヲ目的トスル円朝会設立セラル。

是月栄一、ソノ賛助員トナリテ之ヲ援助ス。


■資料

(鈴木行三) 書翰 渋沢栄一宛大正一五年三月八日(DK470112k-0001)
第47巻 p.425-426 ページ画像

(鈴木行三) 書翰  渋沢栄一宛大正一五年三月八日
                      (渋沢子爵家所蔵)
             (別筆)
             大正十五年三月八日
                 市外上落合四六三
                    鈴木行三氏来状
謹啓
知名の方の御紹介もなく突然書面を以て申上候失礼の段は幾重にも御海恕奉仰候、小生今回故三遊亭円朝の著作の滅びゆくを遺憾と存じ、先輩の御援助を得て別紙の如く円朝会を組織し、全集も春陽堂の手により今夏より発市の運びに相成可申候、就ては円朝生存中故井上侯と閣下とにハ多大の御眷顧を蒙り候由承り、此計画の為閣下の御声援御賛助を仰ぐ事を得ば、円朝会の名誉のみならず、故円朝の為にも此上なき追善に相成るべくと存じ、別紙記載の通り金銭上の意味にてハ決して無之候へば、抂げて御賛助仰度御願申上候、尚円朝の伝記逸話編纂に就き御伺ひいたし度存候へ共、御多忙中余りに失礼と存じ差控へ申候、万一にも御寸暇あらせられ御引見御許し下され候はゞ光栄之に過ぎず候、小生身分に就ては、大間々の人故田島太六氏と小生の亡父とは昵近に有之
尾高先生御在世の折、小生も田島氏に伴はれて、深川の御邸へ伺ひ候事かすかに覚え居候、只今三田の御邸に仕へ居候田島昌次氏ハ小生の甥とは別懇にて、小生の事もよく知り居る筈に候へば、御聞取被下候ハヾ明瞭なるべくと存候、以上あまりに唐突にてあつかましき御願ひに候へ共、よくも知らぬ人々に御紹介を乞ひて参上いたし候も不本意に候まゝ、失礼をも顧みず以書面御願申上候 敬具
   三月八日
                     鈴木行三
    渋沢男爵閣下
          侍曹
(別紙、印刷物)
    円朝会設立趣旨
名人三遊亭円朝の家系が絶え、著作が湮滅しつゝあるのは、誠に芸苑の為に惜むべき事と思ひまして、私共微力ながら円朝会といふものを作つて、永代供養、記念碑の設立、伝記の編纂、全集の刊行等を逐次実現し度いと存じます。御声援御賛助を御願ひ致します。
 - 第47巻 p.426 -ページ画像 
 追而金銭上其他の御迷惑は決してお掛け致しません。
  大正十五年二月
                  発起人 藤浦富太郎
                      落合浪雄
                      鈴木行三
                      神代種亮
      既に御賛助を辱うしました芳名(御承諾順)○二六名氏名略ス


諸会設立発起趣意書(三) 【円朝会設立趣旨】(DK470112k-0002)
第47巻 p.426 ページ画像

諸会設立発起趣意書(三)          (渋沢子爵家所蔵)
    円朝会設立趣旨
  ○本文前掲ト同ジニツキ略ス。
  大正十五年 月

図表を画像で表示--

                    発起人 藤浦富太郎 (別筆朱書)                 落合浪雄  大正十五年三月二十七日賛助ヲ        鈴木行三  承諾セラレタリ、但円朝ニ          神代種亮  関スル追懐談ヲスルノミナリ 



      既ニ御賛助を辱うしました芳名(御承諾順)○九七名氏名略ス


円朝全集内容見本(DK470112k-0003)
第47巻 p.426-428 ページ画像

円朝全集内容見本             (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
    円朝会の事
 円朝会は、名人初代三遊亭円朝の、家系が絶え、その著作が湮滅しつゝあるのを、芸苑の恨事として全集の刊行、伝記の編纂、永代供養墓地玉垣の修理、其他故人を記念すべき事業をなさんが為に創立されたものであります。皆様方の御後援を希望致します。
  賛助員として各方面から本会のために尽力して下さる方々(不順)
      文学博士 坪内逍遥氏           伯爵 小笠原長幹氏
        伯爵 酒井忠正氏  大日本麦酒株式会社々長 馬越恭平氏
      文学博士 芳賀矢一氏              沢田正二郎氏
           市島謙吉氏        貴族院議員 津村重舎氏
        子爵 渋沢栄一氏              香取秀真氏
 東京放送局放送部長 服部愿夫氏   大阪毎日東京日々社長 本山彦一氏
           川尻清潭氏         慶大教授 小山内薫氏
  松竹蒲田撮影所長 城戸四郎氏              河竹繁俊氏
           伊井蓉峰氏    帝国劇場専務取締役 山本久三郎氏
      文学博士 笹川臨風氏              与謝野晶子氏
           岡鬼太郎氏         医学博士 正木不如丘氏
      法学博士 吉野作造氏              国枝史郎氏
 歌舞伎座脚本部主任 木村錦花氏         早大教授 山口剛氏
           野崎左文氏         医学博士 高野六郎氏
    国民新聞社長 徳富蘇峰氏              朝倉無声氏
           鏑木清方氏       大分新聞社長 大津淳三氏
    読売新聞社長 正力松太郎氏             千葉鉱蔵氏
           吉田絃二郎氏  東京朝日新聞学芸部長 土岐善麿氏
 - 第47巻 p.427 -ページ画像 
      文学博士 高野班山氏              鰭崎英朋氏
           田山花袋氏         法学博士 高田早苗氏
国定教科書販売所専務 林平次郎氏              馬場孤蝶氏
           里見弴氏          理学博士 石川千代松氏
      松竹社長 大谷竹次郎氏       貴族院議員 渡辺暢氏
           久保田万太郎氏            伊達保美氏
      文学博士 幸田露伴氏    大阪電気軌道支配人 中谷春治郎氏
全国書籍組合聯合会長 大柴四郎氏         文学博士 五十風力氏
           永井荷風氏              日夏耿之助氏
   東京出版協会長 目黒甚七氏         早大教授 関与三郎氏
           頭山満氏               西村貞次氏
    九州日報社長 内山好之輔氏             半田良平氏
           三田村鳶魚氏     早大高等学院長 定金右源二氏
報知副社長経済学博士 太田正孝氏        常盤興行主 小泉丑治氏
  東京書籍商組合長 大倉保五郎氏             大野静方氏
   新愛知新聞社長 大島宇吉氏         文学博士 山岸光宜氏
           喜多付緑郎氏             吉江喬松氏
           長谷川伸氏              舟木重信氏
      博報堂主 瀬木博尚氏              谷崎精二氏
           尾上菊五郎氏             槙松寿樹氏
    帝国図書館長 松本喜一氏         早大教授 武田豊四郎氏
           与謝野寛氏              本間久雄氏
           窪田空穂氏         早大教授 日高只一氏
           永井鳳仙氏        根岸興行主 根岸寛一氏
      医学博士 小酒井不木氏             松村英一氏
           志賀直哉氏         医学博士 宇都野研氏
           伊原青々園氏             村松梢風氏
           足立欣一氏              伊藤静雨氏
     婦女界社長 都河竜氏               鈴本金輔氏
           竹久夢二氏              斎藤昌三氏
           小杉天外氏              岡野知十氏
           正宗白鳥氏        貴族院議員 安田善三郎氏
           渥美清太郎氏             杉浦非水氏
        伯爵 酒井克己氏              池田大伍氏
           長田幹彦氏              畑耕一氏
           長田秀雄氏              渡辺水巴氏
大阪製粉株式会社専務 片岡貞夫氏              遠藤権次郎氏
           生田葵山氏        金生庵住職 円山霊樹氏
    三越秘書課長 飯島安太郎氏       魚河岸頭取 今津源右衛門氏
           長谷川天渓氏             水島爾保布氏
           坪谷水哉氏              草村松雄氏
       胡蝶園 伊東栄氏               浪上義三郎氏
           小倉右一郎氏             市川左団次氏
        子爵 小笠原長生氏             市川猿之助氏
 - 第47巻 p.428 -ページ画像 
        男爵 大倉喜八郎氏             中沢弘光氏
      文学博士 上田万年氏         早大教授 野々村戒三氏
                  円朝会幹事
                      藤浦富太郎
                      落合浪雄
                      鈴木行三
                      神代種売

                      三遊派一同
                      柳派一同
    円朝全集刊行に就て
○円朝全集は、名人初代三遊亭円朝の作品を、全部集めたものであります。そしてそれらは皆名人円朝自身の口演であります。又円朝の作でなくとも円朝の得意で口演した落語や、日記や、書翰や、苟も大円朝の面影をしのぶに足るものは総べて採録してあります。
○大円朝の芸術が、九代目市川団十郎のそれと並び称せられ、その新作が黙阿弥のそれと同様に歓迎されたことは、誇張でなく事実であります。維新前後の文芸世相を研究せらるゝ方々にとつては、見落すことの出来ない貴重な資料であります。
○大円朝の作は、文学研究の方々ばかりでなく、いかなる人々にも熱愛せらるべき面白さをもつて居ると同時に、いかなる家庭にも推奨し得る興味の饒かな健全にして偉大なる芸術的教訓を備へて居ります。
○大円朝の全集が、幾度か世間で計画せられながら、今日迄世に出なかつたことは、作品蒐集の困難がその最大原因であります。誤りの多い粗末な本でさへ、今日では容易に獲難くなつてしまつたのであります。
○円朝全集は、古版のものを幾通りも蒐集し、厳密に校訂して、大円朝の面影を伝へ、その味ひを出すことに力を尽すと共に、其時代を想像することの出来るやうに、挿画も、大蘇芳年が活躍した頃の新聞の挿画など、出来るだけ善いものを蒐めて選択したもので、この点だけでも得難いものであらうと信じます。
○円朝全集には、大円朝独特の、渋い、穏かな、深味のある、調子や味ひが十分に現はれて居るばかりでなく、この尊い名人のたましひが秘められて居ります。
  大正十五年六月



〔参考〕竜門雑誌 第三六九号・第六六―六七頁大正八年二月 ○故円朝の名人の気質(DK470112k-0004)
第47巻 p.428-429 ページ画像

竜門雑誌  第三六九号・第六六―六七頁大正八年二月
○故円朝の名人の気質 一月廿七日の「やまと新聞」に左の如き記事あり、事、青淵先生に関係あれば左に掲ぐる事とせり。
 大根河岸の藤浦三周氏の話に、亡くなつた円朝が歯を一本なくして入歯をしたが、もう寄席もお座敷へも出ないといふ、歯が一枚かけると噺の調子が変るから、自分から気がとがめて噺をやる気になれないとて、誰がすゝめてもやらない。如何に名人でも生活は生活だ
 - 第47巻 p.429 -ページ画像 
から、仕方がなしに道具を売食ひしてゐた、道具を売食ひしても歯のかけた口から出る噺は聞かしともないといふ。夫れで生活が楽でなくなつて来たから、愛顧にしてゐる井上さんや渋沢さんが心配して同じ愛顧の連中から一人金千円宛醵金することにして、先づ二人で二千円を出して円朝を呼びにやり、其の話しをすると、円朝はいやな顔して金を貰はずに帰つて了つた。名人の気質はかうありたい云々。
  ○円朝ハ天保十年四月江戸ニ生レ、明治三十三年八月東京ニ歿ス。(新撰大人名辞典ニヨル)
  ○本資料第二十九巻所収「交遊」中三遊亭円朝ノ条参照。



〔参考〕実験論語処世談 渋沢栄一著 第五一八―五二〇頁 大正一一年一二月四版刊(DK470112k-0005)
第47巻 p.429 ページ画像

実験論語処世談 渋沢栄一著  第五一八―五二〇頁大正一一年一二月四版刊
 ○完全なる人物とは何か
    ○三遊亭円朝の落語革新
 芸に達した人は私の知つてる人々の中にも大分あるが、今の三遊亭円右なぞの師匠に当る円朝も確に其一人であるかの如くに想はれる。円朝は落語家の名人で、あの方の大家を以て目せられ、人情話で売出した人だが、初めから人情話をした人では無い。若い中は猶且芝居話《やはり》のやうなものを演つてたもので、高座の後背《うしろ》へ背景として書割様のものを懸け、その前で尺八を揮り廻して、ドタンバタンと身振をしたり身構へをしたり、又衣裳の引抜なんかを演つたりなぞして、話をして居つたのだ。万事が大袈裟で、シンミリした話なんかしたもので無かつたのである。
 然し後日には、名人と呼ばるゝほどの者に成る人の事だから、妙な軽口みたやうな落語《おとしばなし》だとか、或は大袈裟な芝居懸つた真似なんかし無くつても、何とかシンミリと素話丈《すばなし》けで聴衆を感動させ、泣かせたり笑せたりして、之によつて因果応報の道理を覚らせ、勧善懲悪の道を心得させるやうにする工風は無いものかと考へ、遂に人情話といふものを発明し、素話を演ることにしたのである。それが大変に時世の嗜好に投じウケるやうになり、名人の誉れを揚げるまでになつたのだ。
 一体自分で発明した新しい事により、世間の人を成る程と感服させ得る人には、何処か他人の及ばざる優れた長所のあるものだ。円朝がその発明した新しい話方によつて落語界に一新紀元を劃し、然も世間の人々を感服さして聴かせる事の出来たのは、円朝に他の落語家の持つて居らぬ優れた豪い処があつたからだ。今日でも円朝一門の弟子等《たち》が演ずる「安中草三郎」とか「牡丹灯籠」とか、或は又「塩原多助」とか云ふ人情話は、皆円朝が自分で作つて話したものである。畢竟円朝は話術《はなし》が旨かつたばかりで無く、却々学問もあつて文事に長け、能く読書して居つたので、あんな纏まつた長い人情話を作ることが出来たのだ。私は親しく円朝と会談《はなし》したことは無いが、かく学問があり文事の趣味もあつたから、何んな立派な人とも談の能きたもので、高貴の人の御前だからとて、別に憶劫《おくび》れるやうな事なぞは無かつたのである。この点から謂へば、円朝には本業の芸以外、なほその芸に遊び得る余裕のあつたものだと謂はねばならぬ。