デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
2節 演芸
4款 講談奨励会
■綱文

第47巻 p.430-436(DK470113k) ページ画像

大正15年7月(1926年)

是ヨリ先、猫遊亭伯知・宝井馬琴・錦城斎典山・上杉慎吉・山口正剛等ノ発起ニ依リ、講談奨励会設立セラル。是月栄一、ソノ斡旋者山口正剛ヲ財界人ニ紹介シテ援助ス。


■資料

講談奨励会書類(DK470113k-0001)
第47巻 p.430-431 ページ画像

講談奨励会書類              (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
    講談奨励会創立趣意書
 輓近国民思想の動揺甚だしく、綱紀漸く緩み風教日を逐ふて頽廃の傾向あり。我国固有の美風を毀損し、二千年来培養し薫陶せられたる国民精神を喪失する虞れあるは、実に寒心に堪へざるなり。惟ふに、泰西の物質的文化は取て私が用と為すべきものありと雖も、人倫の大本、情操の精醇に至つては、我国古来の名教厳として冒すべからざるものあり、生存競争の慾念強くして個人互に相食み、父子兄弟と雖も利己主義の為めに各々呑噛して譲らざるは泰西の風潮なり。之を以て我国民道徳の節義を貴び廉恥を重んじ忠孝の情愛濃やかに任侠の気風溢るゝに比す、固より同日の談にあらず。
 夫れ思想を撃つには思想を以てすべし、若し我国民性の堅持せらるるあらば、如何なる危険思想の輸入するありとも、毫も怖るゝに足るなきなり。勿論高遠なる学理は之を専門家の攻究に委すべく、日新の智見を摂取し善用すること、亦応に先覚者の聡明に俟つべしと雖も、我国固有の優秀なる国民性を涵養し、社会風教を振粛するは、最も民性に直接して離れざる卑近にして有効なる手段に依らざるべからず。我国民性の精華を最も巧妙に最も平明に、且つ最も普遍的に表現するものは講談を推すべく、凡そ我国の講談類に現はるゝものは、英傑烈婦、忠臣孝子の美譚を首め、人情の美節、任侠の粋を流露するものにあらざるはなく、百世の下、如何なる無智蒙昧の士女と雖も、之を読み之を聴きて感激せざるなく、我国民性の精華は洵に講談文芸に代表せらると云ふも過言にあらず。全国大小の新聞紙が一個の除外例なく悉く講談物を掲載し、一般読者亦各々先を争ふて講談類を愛読し、講談出版物の最も広き販路を有するは、即ち深く我国民性に共鳴する結果にして、其の感化流動の偉大なる、寧ろ驚くべきものあるなり。講談は実に千百の修身書に優る感化力を包含すと謂ふべし。是れ時弊を匡救し、思想を善導せんとする者の最も留意すべき所なりと信ず。
而して講談の云ふべからざる微妙の感化力を有するや、之を悪用すれば以て人心を荒ましめ、思想を兇悪ならしむるの虞甚だ大なるものあり、既に過激不逞の主義思想を懐く者にして、之を煽動の具に供せんことを企図するものありと云ふ、之れ予輩の愕然として講談に着眼し、其の悪化を防き、健全なる講談の奨励を図り、以て霊活なる風教
 - 第47巻 p.431 -ページ画像 
思想善導の機関たらしめんことを期するに至れる所以なり。
 然るに、現在講談界の状態は最も不振を極め、故老名人相次いで世を去り、而かも新進の後を継ぐ者殆んどあることなし、斯の如くにして放任せば、此の国民思想の精粋たる最も重大の意義ある講談も、遂に衰滅の運に陥らんとす、之れ甚だ憂慮すべきの事態に非ずや、識者先覚者庶幾くば之を一小事として看過せられざらんことを。生等微力にして、其の志ありと雖も之を遂ぐることを得ず、幸に諸賢の賛同を得て、講談奨励の目的を達せんことを希ふのみ、願くば助力を惜まれざらんことを。
 講談奨励の目的を達するが為、差し当り実行せんことを欲する事業概ね左の如し。
 一、従来の講談に改良を加へ、動もすれば鄙俗低調に陥り易き弊を除きて、益我国民性の美風を作興すると同時に、時代の趨勢に応じ、最も健全なる道徳思想を芸術的に包含するものたらしむるを期すること。
 一、時々講談会を開きて識者の傍聴を乞ひ、趣味の普及と内容の改良を期すること。
 一、青年団・学校同窓会・思想講演会・在郷軍人団の余興を引受くること。
 一、全国各地の新聞紙と連絡を取り、新聞講談の供給を為すこと。
 一、講談師の養成を図ること。
                   発起人
                      猫遊軒伯知
                      室井馬琴
                      錦城斎典山
                      上杉慎吉
                      山口正剛

          事務所 東京市牛込区赤城下町六十七番地
                    電話番町五百十九番


(山口正剛)書翰 渋沢栄一宛大正一三年一二月一七日(DK470113k-0002)
第47巻 p.431-432 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
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渋沢栄一書翰 控 阿部吾市宛大正一四年四月一六日(DK470113k-0003)
第47巻 p.432 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  阿部吾市宛大正一四年四月一六日  (渋沢子爵家所蔵)
拝啓 益御清適奉賀候、然ハ本書持参之山口正剛氏ハ講談奨励会の世話を致居候処、今般同会に於て講談之日本と題する雑誌を創刊致、右雑誌の義に付親しく御面会致度由にて、御紹介致候様申出候に付き本書相添候間、参上之節ハ御引見被下度候、右得貴意度如此御座候
  大正十四年四月十六日         渋沢栄一
    阿部吾市様


(山口正剛)書翰 渋沢栄一宛大正一四年一〇月八日(DK470113k-0004)
第47巻 p.432 ページ画像

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渋沢栄一書翰控 白石元治郎宛 大正一四年一〇月一九日(DK470113k-0005)
第47巻 p.432-433 ページ画像

渋沢栄一書翰控  白石元治郎宛大正一四年一〇月一九日
                     (渋沢子爵家所蔵)
拝啓 益御清適奉賀候、然は本書持参之講談奨励会世話人山口正剛氏ハ時々面会致居候人に候処、今般同会に於て発行致居候講談の日本之義に付親しく申上度義有之候由にて、御紹介方申出候に付本書相付候間、参上の節は寸時御引見被下度候、右得貴意度如此御座候 敬具
  大正十四年十月十九日
 - 第47巻 p.433 -ページ画像 
                       渋沢栄一
    白石元治郎殿


講談奨励会書類(DK470113k-0006)
第47巻 p.433 ページ画像

講談奨励会書類              (渋沢子爵家所蔵)
講談奨励会主任山口正剛氏を御紹介仕候、御引見之上其経営之事業御援助被下度候 敬具
                       渋沢栄一
    添田敬一郎様
    結城豊太郎様
  男 郷誠之助様
            各通
    浅野総一郎様
  男 大倉喜八郎様
    佐々木勇之助様
備考 右ハ総長之御名刺ニ御自筆ニテ御紹介ナサレ、直接山口氏へ交附セラレタル由
(欄外記事)
[大正十五年七月一日覚


渋沢栄一談話筆記(DK470113k-0007)
第47巻 p.433-436 ページ画像

渋沢栄一談話筆記             (渋沢子爵家所蔵)
 講談を奨励して一般の思想を善導するに就きまして、山口君より此会の沿革を説明されたのは一昨年のことであります、又典山さん其他の諸氏とは芸術上各所の宴会などでは数多く御逢して居りましたから此講談奨励会の計画は至極時宜に適た事である、どうか永く継続せしめたい故に、微力ながら私も多少の援助も致したいと思つて居りましたが、其後二年間多忙に取紛れて本会の活動及其経過を一向に承りませんでした、聞く所に依りますと其後も引続いて諸君の御努力で其本領を発揮され、現に日々悪化しつゝある人心を匡救指導し、殊に社会奉仕的に無報酬で奮闘を続けられて居るといふは私の最も敬服に堪ぬのであります、私も平素一般人心の善導に付て微力を尽して居る所から、同しく人心の改善に従事せらるゝ諸君と折に触れて相会し、何か意見の交換をと山口君よりの勧誘を得ましたが、別段私には善い考もないけれども、機会があつたなら諸君の御参考に私の意見を述へて見よふと申して居つたのであります
 次に述へる談話は数十年前の事にて、大分古い事でありますが、私は或る欧羅巴人と斯ういふ問答をした事があります、其人は米国で工業を研究して帰国する際に日本に遊び、東京に暫らく滞在しました、やがて日本を立去るに臨みまして、私と緩々意見を交換致したいとの事で、私の家で午餐会を開いて食事中も食後も色々談話をしました。而して其問題の要点は、日本は開国後非常な勢を以て諸事物が勃興して来た、且つ其政争が容易に平和に帰して、各階級の人々が共に文化の進歩に努力せらるゝが、其原因及動機は何であるかと云ふ処からだんだんと話が進んで、結局日本の将来はどうなるか、又貴下はどういふ風に日本の進歩を導かうと思はれるかと議論的に私に向つて問を起し、其第一問は斯うであつた、自分は日本は初度の旅行で見聞は短いながらも、各種の事業を視察したので大分御国の様子も分つたが、他
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国に比べて実に迅速なる進歩をなし、現に他の先進国を凌駕する如き形勢がある。而して当初の政変も速に鎮静した、是等の理由を充分に諒解することが出来ませぬ、之に就て何か日本人には特長でもありますかといふ問であつた
 そこで私の答は、自分は学者でないからさういふ問題に就て充分な研究はして居ないが、今日の実際に就て種々教へられる事から考察して見ると、明治維新といふ政治上の大革命は、何処の国に於ても日本の様に短日月の間に且つ手際よく行はれた例はないと思ふ、既往七百年余も継続して来た封建制度を根本から立直すといふ事は、却々容易な業ではない、殊に当時進取と保守の両思想が彼処に蟠り此処に滞つて互に争闘紛糾を続けたから、之を欧洲各国の歴史に徴するならば、所謂百年戦争とか宗教紛議とかいふて、容易に平和を得ることは出来ぬ、然るに日本の明治維新は、一時は戦争をしたが少時にして平定し朝敵の汚名を受けたるものも真相が了解すると屑く降伏して、殺伐なる大悲惨事は起らなかつた、之は欧米人の根本的に理解することの出来ぬ国民精神に帰するのであります、即ち国体に対する観念が欧洲人と日本人とは全然異つて居て、帝室の尊厳、君臣の情義が最も深く一般日本人の肺腑に浸み込んで居る為めに、事に臨み変に処して己を捨て公に奉する念慮が深いのである
 此政変に就ては、明治大帝の御盛徳が根本であるのは申す迄もない事であるが、時の将軍たりし徳川慶喜公が大政を奉還されたのは大に意義ある行動であつて、早く既に皇国の国体を観察したる大決断と称しても宜いと思ひます、故に公も一度は逆賊と迄汚名を受けましたがよく日本の国家を諒解された天晴な名政治家でありました、私は旧主であるが為に敢て斯く申すのではありませぬ、此根本観念に於て日本国民は知識階級も一般民衆も一致の思想があつたから、大革命も速に完成する事が出来たのである、而して維新後の廃藩置県も頗る困難な大事業であつた、自分の領地は全然自分の物であるかの様に考へられて居た数百年来の習慣を一朝根こぎにされて、何の騒動も起さぬと云ふ事は全く一大奇蹟であります、英国杯の諸侯が今尚広大な土地を所有して居る事と、日本の旧大名の領地は跡方もなくなつて居る事を比較して見ると、洵に雲泥霄壌の大差があります
 然らば斯様なる大改革が何を根拠として容易く成就したかといふと国体に基因する国民性と答へ得ると思ひます、武士道も日本国民には非常な感化を与へたのでありますが、政変に対しては左程重大な力はなかつた様であります、前にも述へる如く、明治大帝の御盛徳と旧将軍の指導宜しきを得たには相違ありませんが、之を工合よく運用することの出来たのは、国民に之を諒解する能力があつたからであります而して其能力の養成は旧来の教化であつて、素より各宗教の効果もあらうが、私は教化の根本は儒教に在つたと思ひます、蓋し儒教は千有余年前支那から伝来して、四書五経によりて孝悌忠信仁義道徳を指導して、如何に日本人の教化に大貢献をしたかは、其例証挙げて数ふる遑がない程であります、此儒教の説く所の五倫五常といふのは余り広い範囲ではないが、苟も士と名の付く者には君臣父子夫婦兄弟朋友の
 - 第47巻 p.435 -ページ画像 
道を弁へない者はなかつた、私抔も十四・五歳の時郷里で一生懸命に四書五経を読みまして、五倫五常の一端を理解して、一村の物知の仲間に入る事が出来たのであります、扨此儒教の外に一般の階級を教化したのは何であるかといふと、夫は実に講談でありました、故に講談は人心を維持し、忠孝仁義を鼓吹し同時に士気を鼓舞する為めに最も効果があつたのであります、其外に義太夫・演劇等もありましたが、到底講談には及ばなかつたのであります、講談は一般の人に極めて入り易く、自然聴衆に感化を与へるといふ頗る偉大な力をもつて居るのであります、常に講談に演せらるゝ宮本武蔵とか岩見重太郎・荒木又右衛門等の豪傑伝又は赤穂義士伝の如きは、単に勇気だけではなく其孝心とか忠節とか或は不義無道を膺懲する為に身を挺して之に当る等全く聴衆の感動を禁じ得ない力の籠つた教訓に満ちて居るので、此講談が一般の人心を維持して居るのは非常なものでありますと、国体・宗教・通俗講談などに就て詳細に答へたのであります
 すると其欧洲人は更に問を起して、段々事情を伺つて見ると大分合点が行きましたが、然らば日本の思想界の将来はどういふ風に推移して行かうと考へて居られるか、又其点に尽力する処あるか、成程上来述べられた儒教とか講談とか云ふものは、教化上重大な関係を有して居るとしても、依然として向後盛んに普及されて行き得るか、今日の如く一般の知識駿々として上進し、外来の思想学説が雑然として流入して居るのに対して、国民の精神的教化は萎微不振の有様であるのは由々しき大問題と思はるゝが、御意見はどうであるか、旧来の日本は知識と精神との教化が相併行して進んだのであらうが、現在は之に反し知識は秩序なく進展して、精神的教化は寧ろ退歩する様に見える、これではとても健全な思想界は望み得られまいと考へられるが、之を如何しやうといふ御意見であるかと詰問されました
 之に対し私は、成程質実なる御意見であるが、今日の日本に欠乏して居るものは欧米の新知識であるから、第一に之を輸入し、欧米の物質的進歩に追付く事が急務で、国民挙つて之に熱中して居る結果、多少精神教育に欠陥があつても已むを得ぬ、軈て国民が之に気付いて反省する時期が来ると思ふ、凡そ事物には一利一害の伴ふ事ハ免れないものであるから、精神教育の欠陥も其時に当りて大に努力する考へである、と答へた、是は頗る窮したる答弁にて、所謂遁辞たるを免かれぬとは思ふたけれども、外国人に対しては已むを得ざることゝ思ふが今日諸君との会談に於て、此の三十年前の欧洲青年実業家の質問が今更の如く痛切に胸を打つのであります、我国今日の状態を見たら此欧洲人はそれ見た事かと言れるかと、実に赤面に堪へぬ事であります
 又大正九年の十一月、東京に万国日曜学校大会がありました時、渡来された米国のフランシス氏の令嬢ヒンチといはれる女弁護士と帝国ホテルで会話しました、其時女史は日本の女子教育に就て私に疑問を発して、日本の女子教育を将来どこ迄進歩させる考へであるかとの事であつたから、私はそれには先づ日本の女子教育の現状を見て貰はねばお話が出来ぬと答へると、女子の曰く、東京の各学校は概略視察しました、貴下の年来厚く援助し居らるゝ目白の日本女子大学も一覧し
 - 第47巻 p.436 -ページ画像 
たが、比較的整頓し居ります、然れども此有様で満足といふならばどうしても日本の女子教育を完全に進める事は出来ない、而して女子教育が如何に大切であるかは、米国建国の祖ワシントンの母、支那では孟子の母の偉大なりし事に見ても容易に了解し得る事で、偉人英傑は凡て賢い母の生育した例は殆ど枚挙に遑ない、然るに日本の女子教育は此重大な点を見逸して居るではないかと思ふと、猛烈に斬込まれました、女史は更に進んで男子の教育に及び、日本の現今の学校には精神教育といふ事が全然にない、成程教授科目の中には修身とか倫理とかいふものがあつて、一週に一・二時間の講義はあるが単に形式に過ないので、有力なる教師が熱心に指導するのでないから、生きた倫理道徳の教育は皆無である、之に反して智育の方面は頗るやかましく其成績も良好であるが、精神に対して権威ある宗教なく、又教育なく、人々単に衣食住に心を労して、学校は殆んど子女の虚栄心を煽揚する会場に過ぎない、静粛で剛健且つ高尚な人間の精神的観念を与る事などは全く顧みられて居ない、斯様な有様で教育の効果を挙げやうとするのは、恰も木に縁つて魚を求めると同様であると言はれて、私は全く慚愧に堪へなかつたのであります
 熟々現下の風潮を見ますれば、今日の教育は全く智育にのみ偏して魂の教育を忘れ、学生をして自省自修を第一義として教育せぬ結果、教育に依つて得た知識の為めに却つて自ら傷つき自ら苦しんで居る人が多いのであります、是に於て種々の不祥事も生ずるのである、故に之を匡救するにはどうしても精神的教育を盛んにしなければなりませぬ、是を以て完全なる学校教育の改良と共に、興味ある物語の中に忠君愛国の思想を鼓吹し、義勇奉公の行動を讚美し、強大を恐れず小弱を侮らぬ義侠心を養成し、武士道の権化たる一代の英傑を舌頭に活躍させて、知ず識ずの間に老若男女を問はず一般階級の人々に感化を与へる諸君講談の効能は極めて重大であります、私は三十年前に会談した欧洲の一青年の意見と、三年前に受けた米国の女弁護士の質問を回想して、玆に其梗概を陳へて我邦の教化に就ては外国人が如何に注目して居るか、又現在の我思想界の欠点は何物であるかを、無遠慮に叙述したのであります、故に諸君が其本能によりて此悪化せる思想の潮流の善導に努力奮励せられむ事を切実に希望するのであります 畢
  ○右談話ノ場所・日時等未詳。