デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
3節 美術
2款 財団法人帝室博物館復興翼賛会
■綱文

第47巻 p.461-472(DK470119k) ページ画像

昭和3年9月7日(1928年)

是ヨリ先栄一、当会発起関係者ノ依頼ニヨリ、徳川家達ニ当会会長就任方ヲ懇請ス。是日栄一、当会発起人会ニ出席シ、副会長ニ推薦セラル。後、金三万円ノ寄付申込ヲナス。


■資料

集会日時通知表 昭和三年(DK470119k-0001)
第47巻 p.461 ページ画像

集会日時通知表 昭和三年         (渋沢子爵家所蔵)
七月卅一日 午前十時半 徳川家達公ヲ御訪問(華族会館)


中外商業新報 第一五二五六号昭和三年八月四日 渋沢子首相を訪ふ(DK470119k-0002)
第47巻 p.461 ページ画像

中外商業新報 第一五二五六号昭和三年八月四日
    渋沢子首相を訪ふ
渋沢栄一子は三日午後二時首相官邸に田中首相を訪問し、過般病中に首相から見舞を受けたるに対し全快の挨拶、並に御大典事業たる帝室博物館復旧に関する計画等につき意見交換をなし、同二時半辞去した


集会日時通知表 昭和三年(DK470119k-0003)
第47巻 p.461 ページ画像

集会日時通知表 昭和三年         (渋沢子爵家所蔵)
八月八日 午後四時半 華族会館ニ徳川家達公ヲ御訪問
八月九日 午前十一時 徳川家達公御訪問、郷男爵同道(華族会館)


渋沢栄一書翰 徳川家達宛昭和三年八月一四日(DK470119k-0004)
第47巻 p.461-462 ページ画像

渋沢栄一書翰 徳川家達宛昭和三年八月一四日 (徳川公爵家所蔵)
拝啓 頃日来天候漸く回復いたし稍快然を覚へ候も随而残暑酷烈と相成、都門之炎熱ハ難堪有様ニ御座候、御避暑地ハ定而気候適順にして閣下益々御清穆御坐可被成遥頌之至ニ候 老生も病臥中之雑務取片附昨日伊香保ニ転地引続き小康保持罷在候間、乍他事御省慮被下度候、偖特ニ一書拝陳仕候義者過日郷男爵同伴華族会館に於て拝謁縷々申上候御大礼記念帝室博物館復興翼賛会設立之件ニ関しては、当日郷男爵より発起以来之状況及政府当局之意向まて詳細陳上仕候も、御担当之済生会出願に係る政府より之補助問題未定之為め
閣下としては本会之首唱者位地に御立被下候事又は会長御引受も御差支との御趣意ハ詳細に拝承いたし候程、真ニ御尤之事と拝察仕候ニ付郷男ニ於ては更ニ爾来関係之諸氏と協議し、目下避暑気節不在者多き場合ニ於て一会相催候よりハ秋冷相催候際迄ニ諸般之都合取纏め開会致度と申事に相成、一方政府当局之御意向ニ付而ハ老生より再応田中総理に拝謁いたし懇切に内話致候処、総理も此博物館問題ハ御大礼記念も勿論なれとも、一般経済事業発展之手段としても是非とも完全之設立を企図致居候事柄に有之、而して此成立にハ是非とも徳川公爵を首唱者且本会之会長に相願度事ハ老生等と全然同案なるニ付、暫時之猶予あらは済生会之出願も何とか方法を講し、徳川公爵にも本会設立に御助力相成候様、所謂恰好之一案相立可申と内示有之候、就而ハ閣下にも本月中ニ御帰京御予定之由、老生も月末にハ必す帰宅可仕候間
 - 第47巻 p.462 -ページ画像 
其際拝光再応詳陳仕度奉存候、右者本件に関する爾後之状況拝陳旁一書奉得芳意候 敬白
  昭和三年八月十四日       香山客舎に於て
                      渋沢栄一
    徳川公爵閣下
          下執事


渋沢栄一書翰控 徳川家達宛 昭和三年八月一六日(DK470119k-0005)
第47巻 p.462 ページ画像

渋沢栄一書翰控 徳川家達宛昭和三年八月一六日 (渋沢子爵家所蔵)
拝復 本月十三日附日光御避暑地より御発送の尊翰は昨日伊香保客舎に於て落手拝読仕候、来示博物館復興翼賛会創設に付閣下其首唱者の位地に御立被下、本会成立の上は会長御就任相願度との事は、郷男爵始関係の諸氏当初よりの予望にて、過日郷男と共に拝謁の際済生会の事共相伺ひ、大に違却致居候得共、其後老生田中総理と会見承合候模様にては、現政府に於ても右博物館の義に付ては種々考慮も致居候様子に付、郷男に於て他の関係者と協議の末、此際暫時其運動を見合せ来月に至り各方面の手続を定め一気呵成の設立を期し度に付、閣下にも其際には是非御応援被成下度と申事に御座候、右に付ては老生一昨日附にて当地より一書拝呈詳細に申上置候に付、既に御一覧被下候義と奉存候
東京慈恵会寄附金募集の件及監事設置の義に付ても、昨日の書中にも愚見拝陳仕置候間御諒承被下度候
添田敬一郎氏の義に付来示の趣拝承仕候、老生は過日特に会見致し、床次氏との関係上最好の機会と相見へ候に付、添田氏には此際断然政事界を去り協調会専一に尽力有之度と懇切に忠告致候も、老生の婆心聞入候模様無之候、右等に付ては他日拝眉の際に縷述可仕と奉存候
右は尊翰に対する拝答まで匆々如斯御座候 敬白
  昭和三年八月十六日         香山客舎に於て
                        渋沢栄一
    徳川公爵閣下
           拝復

(欄外別筆)
[昭和三年八月十六日付徳川家達公宛渋沢子親筆写
   ○右徳川家達宛書翰ハ当会発起人(郷誠之助・滝精一・小泉策太郎・黒板勝美・安達謙蔵等)ノ依頼ニヨリ発信セシモノナリ。(当会事務所員談)


(渡辺得男)書翰 渋沢栄一夫妻宛昭和三年八月二一日(DK470119k-0006)
第47巻 p.462-463 ページ画像

(渡辺得男)書翰 渋沢栄一夫妻宛昭和三年八月二一日 (渋沢子爵家所蔵)
謹啓
兎角不順の天候ニ御座候処、御転地以来御障も在らせられず御機嫌麗はしき趣き誠ニ恐悦至極ニ奉存候、陳ハ本朝不取敢電話を以て申上候如く、昨夜十時半頃郷男爵より御電話にて、過般来子爵ニ不容易御尽力と御高配とを頂き候御大礼記念帝室博物館復興翼賛会長ニ徳川公爵の承認方依頼の件につき、昨朝公爵と会見懇談致候も、尚諾否の回答を留保せられしが、同夜ニ至り書翰にて承諾の旨返事有之候、右は全たく子爵の御配慮の果ニ外ならず、関係の閣員も非常ニ安神且つ満悦
 - 第47巻 p.463 -ページ画像 
致し候につき、右の次第男爵ニ代はりて小生より至急御報告旁厚く御礼申上げ呉るゝ様との事にて、不取敢今朝御電話申上候次第ニ御座候
御同族皆々様始め王子御本邸・当事務処何れも無事ニ候間乍憚御省念希上候
末筆にて恐入候へ共何卒呉々も御自愛被遊候様祈願罷在候
先は右当用得貴意申度如此御座候 敬具
  八月二十一日                得男拝
    渋沢子爵閣下
    同 令夫人
   ○右ハ避暑先キノ伊香保ヘ発シタルモノナリ。封筒消印 3/8/21.


(滝精一)書翰 渋沢栄一宛 昭和三年八月三一日(DK470119k-0007)
第47巻 p.463 ページ画像

(滝精一)書翰 渋沢栄一宛 昭和三年八月三一日 (渋沢子爵家所蔵)
              (別筆)
              昭和三年八月三十一日付
                     滝精一氏来状
                 (別紙ハなし9/18記)
拝啓 陳者今朝は参堂博物館之件に付御高説拝聴難有奉存候、夫より徳川公に御目に懸り、大体御賛同を得、細川侯副会長の事も御賛成相成候、細川侯へは近日小生伺ひ御願可申上候、又趣意書之儀は徳富氏に面談御高旨之趣を申候処、可然一句加可申との事に御座候
次に華族方の七日○九月に招待すべき人に付徳川公之御意見を伺候処、従来とかく武家華族に偏する嫌あり、公家方新華族をも相当加へよとの御説に有之候、尚ほ此事に就ては関西へ御相談せよと申され候、依て不取敢別紙の如く選定を試御送申上候間御一覧之上御取捨之程奉希望候、右に関しては何れ会の事務に関係の者参堂御伺可申上と存候
                          草々敬具
(別筆)
昭和三年
  八月卅一日                   精一拝
    渋沢子爵閣下


集会日時通知表 昭和三年(DK470119k-0008)
第47巻 p.463 ページ画像

集会日時通知表 昭和三年         (渋沢子爵家所蔵)
九月六日 午前十一時 徳川家達公ト御会見 華族会館
九月七日 午前十時  黒板博士来訪(アスカ山)
     午后六時  博物館建設ノ件(帝国ホテル)


大礼記念帝室博物館復興翼賛会書類(DK470119k-0009)
第47巻 p.463-465 ページ画像

大礼記念帝室博物館復興翼賛会書類 (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
粛啓 愈々御清康奉賀候、陳者今秋
聖上陛下御即位之大典を挙けさせらるゝに際し、朝野有志相謀り国民奉祝之微意を永久ニ記念せんか為ニ、帝室博物館の復興ニ貢献し一大古美術博物館の建設を図り度存候、就てハ御高説拝聴旁粗餐差上度、残暑之折柄恐縮ニ候得共、来九月七日午後六時帝国ホテルへ御光来被下度、此段御案内申上候 敬具
  昭和三年八月二十八日
                        徳川家達
 - 第47巻 p.464 -ページ画像 
                        田中義一
                        浜口雄幸
                        渋沢栄一
    (宛名手書)
    子爵 渋沢栄一殿
      追而御光来の有無折返御一報之程願上候

(謄写版)
    次第
一、会主の挨拶 徳川公爵 渋沢子爵
二、計劃事業の説明 滝博士 郷男爵 勝田文相
三、来賓意見陳述
四、発起人依嘱
   事業の賛否を問ひたる上、此日の来会者及び被招待者全部を発起人に依嘱する事の承諾を求む事
                       田中男爵
五、徳川公爵を座長に推薦するの件
                      郷男爵発議
六、会の名称を大礼記念帝室博物館復興翼賛会となすの件
                       座長提案
七、趣意書及会則の件
               座長提案 下村寿一氏朗読
八、会長及ひ役員の推挙に関する件
                      郷男爵発議
九、副会長・顧問・実行委員・評議員の推薦
                       徳川会長
十、会計監督及幹事の嘱託を会長・副会長及実行委員ニ一任の件
                       徳川会長
   右終つて食卓に就く
   司会者 下村寿一
   会場主任 重松清行
   記録係 梅沢銀造
   新聞記者係 荻野仲三郎 団伊能
 九月七日 会主
                    公爵 徳川家達
                    子爵 渋沢栄一
                    男爵 田中義一
                       浜口雄幸
 会の役員
                会長  公爵 徳川家達
                副会長 侯爵 細川護立
                    子爵 渋沢栄一
                顧問  男爵 田中義一
                       浜口雄幸
 - 第47巻 p.465 -ページ画像 
              実行委員(イロハ順)
                東京     大橋新太郎
                同 文学博士 滝精一
                同      団琢磨
                同   男爵 中島久万吉
                同      馬越恭平
                同 文学博士 黒板勝美
                同   男爵 益田孝
                同      小泉策太郎
                同   男爵 郷誠之助
                同      安達謙蔵
                同      木村久寿弥太
                大阪     稲畑勝太郎
                同      堀啓次郎
                同      渡辺千代三郎
                同      湯川寛吉
                京都     稲垣恒吉
                名古屋    伊藤次郎左衛門
                横浜     原富太郎
                神戸     鹿島房次郎
   ○右創立発起人会ハ午後六時ヨリ帝国ホテルニ於テ開催サレ、会合者ハ会主タル徳川家達・田中義一・浜口雄幸及ビ栄一ノ四人ノ外、民間有力者・華族・学者・官吏及ビ六大都市市長等約六十名。(案内総数二百六十五名)
   ○来賓ノ意見陳述団琢磨・木村久寿弥太・稲畑勝太郎ノ三名、徳川家達推サレテ当日ノ座長トナル。(「財団法人帝室博物館復興翼賛会沿革」ニ拠ル)


大礼記念帝室博物館復興翼賛会趣意書及規則 第六―一〇頁昭和三年九月刊(DK470119k-0010)
第47巻 p.465-466 ページ画像

大礼記念帝室博物館復興翼賛会趣意書及規則 第六―一〇頁昭和三年九月刊
           附発起人会席上諸氏演説
  発起人会席上演説
    (一)会主挨拶
○中略
      子爵渋沢栄一君挨拶
 今夕お集りを願つた事に就いては、唯今徳川公爵から十分申上げ尽くされましたから、私が更に蛇足を添へる必要はないやうで御座います。況んや美術の問題に就いては、お集りの皆様の中で、私は最も不案内な人間で非美術的な一人であります。此不案内な事柄に付て彼是申上げるのは、誠にお恥しい次第であります。
 大分古い事で恐縮で御座いますが、明治三十五年に私が亜米利加に参りました時分に、ルーズヴエルト大統領に謁見しました。私は此時始めてお目にかゝつたのでありますが、その時大統領は、日本の美術を大変賞讚されましたことを記憶して居ります。ルーズヴエルト大統領の云ふた所は、日本の美術は、古くから伝はつて居つて、而もそれが甚だ優美であるといふ点であつて、色々な誉め方をされました。それから又二度目に丁度日露戦争の後でありますが、私が再び大統領に謁見しました時には、今度は我が国の軍隊に対して、大変誉められま
 - 第47巻 p.466 -ページ画像 
した。日本の軍隊は独り勇敢であるのみならず、至つて清廉であるといはれまして、即ち日本人の如き優美な美術を有ち、又勇敢な軍隊を有してゐる国民の、実業界に於ける一人物である渋沢に会ふ事を喜ぶと言はれて、大変恐縮した事があります。其所で私は申しました、日本の銀行は唯今大統領がお誉めになつた古美術や軍隊のやうに左様に立派なものではない。併しこの次お目に懸る時には、銀行に対しても誉め言葉を頂戴するやうに努力したいと申しまして、大いに笑つた事があります。
 何れにしても私は美術に対して、何等知識のない人間でありますが併しこの美術博物館は、仮令左様に美術の心得のない私にしましてもこれは真に必要と思ひます。独りそれは文化の発展を期する上に必要なばかりではなく、経済上にも非常に有益であらうと思ひます。大体の趣意は唯今徳川公爵の御述べになつた通りでありまして、殊にお互がなさねばならぬ御大礼記念の事業として、この事の考へられました事は、決して謂れのない事ではございません。定めて私のみならず、皆様に於てもこの際、この事の成功を期して下さるだらうと深く信じて居るものであります。
 而してこの事業を取り纏めますに就いても、政府のお力添を願ふと云ふ事も勿論致さなければならぬと思ひますが、民間の希望がそこに現はれませねば、その実現は中々難しいと思ひます。仮令私共老衰してお役に立たぬ身体でも、従来かやうな事柄に多少微力を致し来つた縁故もありますから、御案内の通り発起人の一人に加へられた次第であります。決して私自身が何等良い方法を講じ、又力があつてこれに加はつた訳でなく、実に申すもお恥しい次第であります。何も出来ませんけれども、併し事柄は非常に必要であつて、帝室の博物館を改善して、前に申しました通り、文化の進展に資し、又一方経済に裨補する為めにも、一大美術博物館の建設が実現できまするなれば、御大礼を記念するのみならず、我が国民の大いなる発展に資する事もあらうかと思ふのであります。かく信じます為めに微力ながら皆様の驥尾に附いて成功を期したいと云ふ考へから、お集りを願ふ為めに名前を列ぬるの憚り多い事も私は敢てしたのであります。斯くあつたら宜からう、これに就いては斯う言ふ方法を取らねばならぬと言ふやうな事に就いては、段々これまで御取調べになつた方々もありまして、それ等の方々から計画事業の詳しい説明をして下さる事と思ひますから、それに依つて御承知下さるやう願ひます。
 ほんの大体の事だけを申上げるに止めまして、何卒此事業の完成の為めに皆様の御援助を煩はしたいと思ひます。
○下略


大礼記念帝室博物館復興翼賛会趣意書及規則 第一―五頁昭和三年九月刊(DK470119k-0011)
第47巻 p.466-468 ページ画像

大礼記念帝室博物館復興翼賛会趣意書及規則 第一―五頁昭和三年九月刊
            附発起人会席上諸氏演説
    趣意書
 昭和三年ハ実ニ当今ノ聖代ニ於ケル唯一無二ノ大礼ヲ行ハセラルルノ歳ニシテ、皇祖肇国以来幾千年帝室ノ恩沢ニ浴シツツアル我等臣民
 - 第47巻 p.467 -ページ画像 
カ、丹誠ヲ抽ンテ忠貞ノ志ヲ竭ス可キ一時ト為ス
 此ニ於テ、我等自ラ揣ラス胥ヒ議シテ、其ノ最モ適当ト信スル方法ノ一ニ就テ玆ニ大方諸君ノ賛同ヲ仰カント欲ス、其ノ事ハ何ソヤ、曰ク、各自応分ノ義金ヲ醵集シ帝室博物館ノ復興ニ貢献シ、以テ帝室ノ文化的御事業ヲ翼賛シ奉ラントスルコト是レナリ
 抑モ、東洋ノ美術ハ其ノ淵源甚タ深ク且ツ遠ク、今ヤ世界識者ノ驚異的嘆美ノ標的トナリツツアリ、特ニ我カ帝国ニ於テハ、帝室御府ノ豊富ハ勿論、古社旧刹乃至個人ノ儲蔵ニ係ルモノ頗ル多ク、而シテ是レ単リ自国ノ固有品ニ止ラス、延イテ他ノ東洋諸邦ノ希宝ニ及フモノ亦タ鮮カラス、但タ憾ラクハ、之ヲ安全ノ場所ニ集合シ之ヲ適当ノ場所ニ陳列シ、其ノ恵賚ヲ社会ニ光被セシメ、其ノ感化ヲ内外ニ普及セシムルノ道ニ於テ頗ル欠ル所ノモノアリシコトヲ、但タ頼ニ我カ帝室ニ於テハ帝室博物館ヲ経営アラセ給フモ、東京ノ本館ハ不幸ニシテ大正十二年九月ノ大震災ノ厄ニ罹リ未タ復興ノ運ニ至ラス、是レ我等カ玆ニ此案ヲ具シテ天下有志諸君ノ賛同ヲ竢ツ所以ナリ、豈ニ翅タ単ニ帝室博物館ノ恢復ヲ図ルノミト云ハンヤ、更ニ其ノ規模ヲ拡大ニシテ以テ即今国家的急須ニ応センコトヲ企画スルナリ
@抑モ、美術ハ国民ノ精神的表現ニシテ、国民的ノ精粋ハ渾テ之ニ向テ凝集醇化セラル、故ニ博物館ノ復興拡大ハ、一ハ以テ来者ノ為ニ健全ナル芸術的発達ノ指針トナシ、一ハ以テ現代人ヲシテ祖先累積ノ精華ニ近接触著セシメ、一ハ以テ外人ヲシテ我カ文化ノ欽美崇重ス可キ所以ヲ知ラシム、而シテ其ノ恵化ノ及ブ所、内ニシテハ国民思想ノ善導トナリ、外ニシテハ帝国文化的尊信ノ拡充トナル、乃チ国家利用厚生ノ法亦自ラ此中ニ尋繹ス可シ、蓋シ従来帝室博物館ノ設立セラレタル所以此ニ存セスンハアラス、我等ハ唯タ即今好個ノ機会ニ於テ此ノ皇謨ニ奨順シ、更ニ円満具足ニ達センコトヲ是レ勗メント欲スルノミ
 惟フニ、宮内省ハ固ヨリ政府当局ニ於テモ亦タ必ラス我等ト意見ヲ一ニスルモノアラン、我等ハ実ニ斯ク信ス可キ理由ヲ有ス、果シテ然ラハ、官民一致挙国同心、玆ニ堂堂タル東洋古美術博物館ヲ樹立シ、聖代一遇ノ大礼ヲ記念シ、帝国ノ光華ヲ千載ニ顕彰シ、以テ国民的精粋ヲ万世ニ存養スルヲ得ルニ庶幾ラン乎、希クハ大方ノ君子、恵然相ヒ奮ウテ戮協セラレンコトヲ
  昭和三年九月
    会則
第一条 本会ハ大礼記念帝室博物館復興翼賛会ト名ク
第二条 本会ハ 聖上陛下御即位大礼ヲ奉祝スルノ記念トシテ、帝室博物館ノ復興ニ貢献シ、一大東洋古美術博物館ノ建設ヲ図ルヲ以テ目的トナス
第三条 本会ノ趣意ヲ賛成シテ金員ヲ醵出シ又ハ本会ノ為メ功労アル者ハ之ヲ会員トナス
第四条 本会ニ左ノ役員ヲ置ク
  会長    一名
  副会長   二名
 - 第47巻 p.468 -ページ画像 
  顧問   若干名
  評議員  若干名
  理事   若干名
  会計監督  二名
  幹事   若干名
第五条 会長ハ本会ヲ代表シ会務ヲ統轄ス
  副会長ハ会長ヲ補佐シ会長事故アルトキハ之ヲ代理ス
  顧問ハ重要ノ事項ニ関シ会長ノ諮詢ニ応ス
  評議員ハ会長ノ諮詢ニ応シテ必要ノ事項ヲ審議ス
  理事ハ会務ヲ処理ス
  会計監督ハ金銭物品ノ出納ヲ監督ス
  幹事ハ事務員ヲ指揮シ理事会ノ定ムル所ニ従ツテ会務ヲ執行ス
第六条 本会ノ事務所ハ之ヲ東京市ニ設ク、必要ニ応シテ地方ニ支部ヲ設クルコトヲ得
  支部ヲ設ケタル時ハ支部長ヲ置キ会長之ヲ嘱託ス
第七条 本会ノ収支決算ハ適当ノ方法ニ依リテ之ヲ報告ス


大礼記念帝室博物館復興翼賛会趣意書及規則 第三五―四六頁昭和三年九月刊(DK470119k-0012)
第47巻 p.468 ページ画像

大礼記念帝室博物館復興翼賛会趣意書及規則 第三五―四六頁昭和三年九月刊
            附発起人会席上諸氏演説
      役員氏名
                会長  公爵 徳川家達
                副会長 侯爵 細川護立
                同   子爵 渋沢栄一
                顧問  男爵 田中義一
                同      浜口雄幸

図表を画像で表示役員氏名

 理事(いろは順)  東京     大橋新太郎○    京都     稲垣恒吉  同 文学博士 滝精一○      名古屋    伊藤次郎左衛門  同 工学博士 団琢磨       横浜     原富太郎  同   男爵 中島久万吉○    神戸     鹿島房次郎  同      馬越恭平      ○印を付するは常務理事  同 文学博士 黒板勝美○    会計監督(いろは順)  同      小泉策太郎       工学博士 団琢磨  同   男爵 郷誠之助○             木村久寿弥太  同      安達謙蔵     幹事(いろは順)  同      木村久寿弥太           荻野仲三郎  大阪     稲畑勝太郎            渡辺得男  同      堀啓次郎             川地喜三郎  同      渡辺千代三郎           重松清行  同      湯川寛吉 



   ○徳川家達会長就任後、会長ノ推薦ニヨリ副会長以下ノ各役員右ノ如ク決定ス。而シテ出席者ハ総ベテ承諾セシガ、欠席者ニ対シテハ書面ニ依リ更メテ推薦委嘱セリ。(「財団法人帝室博物館復興翼賛会沿革」ニヨル)

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中外商業新報 第一五二九一号昭和三年九月八日 帝室博物館復興翼賛会 昨夜帝国ホテルの会合(DK470119k-0013)
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中外商業新報 第一五二九一号昭和三年九月八日
    帝室博物館復興翼賛会
      昨夜帝国ホテルの会合
今秋の御大礼奉祝記念として、政府及び民間の協力の下に帝室博物館復興の目的を達成するため、復興翼賛会を組織する事につき協議をなすべく、七日午後六時半より帝国ホテルに
 田中首相・望月内相・勝田文相・浜口民政党総裁・徳川家達公・渋沢子等朝野の名士約百名出席、会主側より徳川公と渋沢子とが挨拶をなしたる後、滝精一博士・郷誠之助男及び勝田文相より夫々計画事業の説明をなし、之に対し来賓側として団琢磨氏等より、最も適当なる計画にして必ずこれを達成すべく努力すべきである、と賛成演説をなし、次で同日の招待者全部に発起人を依嘱し、座長に徳川公を推して発起人会を開き、会合を「大礼記念帝室博物館復興翼賛会」と名づけ、会長に徳川家達公、副会長に渋沢栄一子及び細川護立侯を推挙し、また顧問として田中首相及び浜口雄幸氏を推し、趣意書及び会則を決定し、既定計画に基き資金の募集に取りかゝる事となつた


大礼記念帝室博物館復興翼賛会書類(一)(DK470119k-0014)
第47巻 p.469 ページ画像

大礼記念帝室博物館復興翼賛会書類(一) (渋沢子爵家所蔵)
  昭和三年十月二日      大礼記念帝室博物館復興翼賛会
                           幹事
    副会長
    子爵 渋沢栄一殿
十月一日日本工業倶楽部ニ於ケル理事総会ニ於テ左記事項議決相成候ニ付此段御報告申上候
      記
一、寄附金募集総額ハ之ヲ金五百万円ト定メ、各道府県別割当予定額ヲ別紙割当表ノ通トスル事
一、寄附金募集ノ為メ左記要項ニ依リ各地招待会ヲ開催ノ事
   1主催者 文部大臣・細川侯爵(内諾済)
   2開催地及日割
    大阪市及神戸市(両市合同大阪ニ於テ開催ノ事) 十月十日正午大阪ホテル
    京都市    十月十日京都ホテル
    名古屋市   十月十一日名古屋商工会議所
                         以上
(欄外記事)
[別紙ハ入手不仕候


財団法人帝室博物館復興翼賛会沿革(DK470119k-0015)
第47巻 p.469-470 ページ画像

財団法人帝室博物館復興翼賛会沿革      (同会所蔵)
    寄附金道府県別割当額
 道府県   割当額     道府県 割当額
            円           円
 北海道   七九、八〇〇  宮城  三四、四〇〇
 青森    二五、五〇〇  秋田  三五、〇〇〇
 岩手    二七、三〇〇  山形  三七、〇〇〇
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 福島    四六、二〇〇  大阪 五〇〇、〇〇〇
 茨城    四四、七〇〇  兵庫 一〇〇、〇〇〇
 栃木    三六、五〇〇  奈良  一九、四〇〇
 群馬    三五、二〇〇  和歌山 二七、八〇〇
 埼玉    四五、二〇〇  鳥取  一五、九〇〇
 千葉    四四、二〇〇  島根  二四、〇〇〇
 東京 二、五〇〇、〇〇〇  岡山  四七、〇〇〇
 神奈川  一〇〇、〇〇〇  広島  五六、二〇〇
 新潟    七一、一〇〇  山口  三八、三〇〇
 富山    三〇、〇〇〇  徳島  二三、五〇〇
 石川    二六、三〇〇  香川  二〇、八〇〇
 福井    二一、〇〇〇  愛媛  三七、〇〇〇
 山梨    二〇、三〇〇  高知  二一、〇〇〇
 長野    五五、〇〇〇  福岡  八九、九〇〇
 岐阜    三六、九〇〇  佐賀  二四、六〇〇
 静岡    五五、三〇〇  長崎  三八、八〇〇
 愛知   二〇〇、〇〇〇  熊本  四六、五〇〇
 三重    四一、一〇〇  大分  二九、九〇〇
 滋賀    二八、六〇〇  宮崎  二一、〇〇〇
 京都   一〇〇、〇〇〇  鹿児島 四一、八〇〇
  合計 五、〇〇〇、〇〇〇
(備考)
 本表ハ各道府県人口(五分)及国税額(五分)ニ依リ按分シテ算出シタルモノナリ


大礼記念帝室博物館復興翼賛会書類(一)(DK470119k-0016)
第47巻 p.470 ページ画像

大礼記念帝室博物館復興翼賛会書類(一)   (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
粛啓
愈御清祥奉賀候、陳者今般本会事業に対し深厚なる御賛同を蒙り、帝室博物館復興資金中に、金参万円寄附御申込被成下、御芳情の段奉鳴謝候
玆に不取敢御挨拶申上度如此御座候 敬具
  昭和三年十月二十四日
         大礼記念帝室博物館復興翼賛会
                  会長 公爵 徳川家達
    子爵 渋沢栄一殿
   ○金額数字・日付数字・宛名ハ手書。



〔参考〕大礼記念帝室博物館復興翼賛会書類(一)(DK470119k-0017)
第47巻 p.470-472 ページ画像

大礼記念帝室博物館復興翼賛会書類(一)   (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
    事業の概要
 大礼記念帝室博物館復興翼賛会の趣意目的は、趣意書・規則の記する所に由て諒会されると信じますが、広く一般の賛成を翼《(冀)》ふ為に、尚説明を加へたいと存じます。
 - 第47巻 p.471 -ページ画像 
 本会の目的は、帝室博物館を復興すると共に、更に其の規模を拡張して、一大東洋古美術博物館の建設を図るに在ります、上野公園に在る東京帝室博物館は、大正十二年九月の大震災に罹り、僅かに表慶館を残すのみで、今尚復興の緒に就かず、宮内省には固より復興の計画があり、其の工費概算四百万円の腹案と承りますが、時節柄御内帑の多端なるは拝察するに余りあるに、右の計画が実行されても、纔かに旧観を回復するに過ぎないやうです、時代相応の設備を整へて、永久に博物館問題を解決する迄には余程の距離があるとすれば、震災後数年を経過せる今日、未だ復興に着手されざる所以も、略ぼ窺ひ知らるるのであります。
 本会は即ち従来帝室に於て博物館を経営あらせ給へる御趣意に奨順し、而して国家の急須、国民の翹望を充す為に、在来の規模を改めて時代適応の設備を整へ、庶幾くば之に由て永久的に此の種の博物館問題を解決したいと志すのであります。
 然らば其の目的を達成するには幾許の資財を要するかといふに、宮内省案、但し未定案ではあるがそれに依て右に申す概算四百万円と承る事に基き、其の計画に由る建築の規模を拡大し、その総費用七百万円乃至壱千万円と定め、本会としては最低額七百万円の半分三百五十万円を下らざる義金を民間の有志より募集する心算であります。
 本会の此計画に就ては予め宮内省当局の諒解もありまして、必ず天下の識者に是認され、国民一般に同情されると確信します、但し右の三百五十万円は最低限度であつて、それ以上は固より多きを妨げず、仏蘭西のルーブル博物館に近い規模のものを得んとするには更に多大の資金をも要するのであるから、多々益々弁じて、予期に優る成績を挙げたいのであります、而して政府は已に賛同の意を表し、発起人会の席上文部大臣は政府代表の資格に於て其の旨を言明されました、従て政府の予算関係及び議会関係は円滑に解決するを疑はず、朝野一致の極めて美しき形式に由て事に当り、本会としては醵集額を三百五拾万円以上とし、成るべく五百万円以上の好成績を挙げたいと念願する次第であります。
 固より美術博物館には現代を主とするものと、古代を主とするものと両種がありますが、本会の期する所は、専ら古美術に在り、則ち本会規則に一大東洋古美術博物館の建設を図るとある所以であります、然かれども古美術には考古学若しくは歴史と相分つべらざるものあるは言ふに及ばぬことでありますから、それ等の参考品を含むのは敢て之を妨げません。
 凡そ文明国に在つては、敦れの国でも古美術博物館を設けざるはないのに、独り我邦ばかりは、従来殆ど之を閑却し、国立博物館の必要は認められても、一部識者の議論に止まつて事実に現れない、其のこれあるは唯一つの帝室博物館のみで、而もこの唯一の博物館が、過去数十年来如何に其の恵賚を社会に普及したかは、既に国民一般の知るところであります、是に於て我等相議し、大礼奉祝の記念事業として其の最も適当と信する法を帝室博物館の復興に択んだのであつて、発起人等の意の在る所は必すや多数の同感者に賛成さるゝを信じます。
 - 第47巻 p.472 -ページ画像 
 東洋の美術の淵源が深く且つ遠き事は趣意書にも概説してありますが、我邦の古美術品は寧ろ国家の宝物として尊重すべきもの多く、之を古代の文化の象徴、歴史の記念と謂ふだけでは未だ意味を尽さず、正に世界に冠絶せる我国体の霊髄、金甌無欠の我歴史の精華が、古美術に残るのであつて、其の一物一品にも、祖先累積の文化が醇化凝集すと謂ふも過当でなく、正倉院の勅封御府の収蔵、古社旧刹の什物、皆是れ宇内の希宝にして、世界の驚異する所です、尚個人の襲蔵にも名品が尠くなく、それにも国家として保存の方法を講ぜざる可からざるものがあります、本会としては右に謂ふ所の宝物を、永久に保存するを以て、国家の責任、国民の義務なりとする見地に立ち、たゞに之を保存するに止まらず、之を欽美崇重して、謂ふ所の国体の霊髄、歴史の精華を深く、広く、洽く、感孚し摂受する事に由つて、国民の気品を向上せしめんことを庶幾ふのであります。
 唯夫れ本会の期する所は帝室博物館の大成であり、御府の収蔵、古社旧刹の什宝等の陳列以外、或は逸品を収蒐し、或は個人の寄託にも応じ、学問芸術に資益するが如き、総じて時代に適応する設備ある博物館の建設を図るに在ります、本会の起れる所以、醵金者諸君の精神の存する所は、やがて天聴に達し、幸に御嘉納あらせらるゝ暁には、神応響の如くにしておのづから国民一般の誠意を融和透徹し、玆にめでたく一大東洋古美術博物館の建設が成功すると確信します。