デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
4節 編纂事業
12款 渋沢栄一滞仏日記
■綱文

第48巻 p.67-70(DK480020k) ページ画像

昭和2年7月11日(1927年)

是月、栄一ノ評議員タル日本史籍協会ハ、同会刊行ノ叢書中ニ、栄一ノ著述「巴里御在館日記」及ビ「航西日記」ヲ収録出版センコトヲ希望ス。是日栄一、是ヲ承諾ス。後、更ニ同ジ著述「御巡国日録」ノ追加ヲ許ス。


■資料

日本史籍協会書類(DK480020k-0001)
第48巻 p.67-68 ページ画像

日本史籍協会書類             (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
(表紙)
 趣意書並会則
           東京市四谷区新堀江町三番地
    附会員名簿     日本史籍協会
               電話四谷三二八七番
               振替東京三九四五番
    趣意書
凡ソ国家アレハ必ス歴史アリ、歴史ハ国家ノ脈絡ニシテ、吾人祖先ノ精神ハ歴史ヲ通シテ吾人ノ血脈内ニ貫流シ、吾人ノ精神ハマタ歴史ヲ通シテ吾人ノ子孫ノ頭脳裡ニ活現ス、以テ古往ニ鑑ムヘク、以テ今来ヲ照スヘシ、治乱ノ機、興亡ノ決察知スルニ難カラサル也、故ニ歴史ヲ離レテ政治ナク、国民性ナキ国家ハ亡フ、歴史豈ニ史学者・文芸者ノ関スル事ノミナラムヤ
○中略
特ニ重ヲ維新ニ関スル史料ニ置キ、任ヲ史籍ノ蒐集保存及忠実ノ攷究ニ尽サムトス、想フニ其事業ヤ重大ニシテ前途マタ遼遠ナリト雖モ、幸ニ江湖同感ノ士ノ賛同ヲ得テ、以テ国家ノ万一ニ貢献スルヲ得ハ独リ本会ノ慶福タルニ止マラサル也
  大正十四年十一月      副総裁 侯爵 蜂須賀茂韶
                会長     赤司鷹一郎
    会則○略ス
    本会役員
会長  赤司鷹一郎
幹事  岩崎英重
幹事  早川純三郎
顧問
 子爵 金子堅太郎 公爵 徳川家達 伯爵 田中光顕
 公爵 九条道実  侯爵 徳川養親
評議員
    赤司鷹一郎 男爵 大倉喜八郎   大谷嘉兵衛
    武岡豊太  男爵 渋沢栄一    徳富猪一郎
 - 第48巻 p.68 -ページ画像 
    原六郎 文学博士 三上参次
     会員名簿 大正十四年十月現在(五十音順)
○下略


日本史籍協会書類(DK480020k-0002)
第48巻 p.68 ページ画像

日本史籍協会書類             (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
謹啓 時下益御健勝被為在大慶の至に奉存候、偖一昨年来本会事業御賛助の御意志により御入会被成下候処、御高庇に依り予定の如く月々書籍刊行貴覧に供し得候事、当事者一同深く感謝仕候処に御座候、愈来八月を以て第四期計画事業も完了致候に就ては更に次期の計画相立て、九月より別紙予定書目を刊行御頒布致す事に相成候間、尚此上共従前の通り引続き御援助相願度、玆に書札を以て御願申上候、御承知の如く本会の事業は貴重史料の湮滅を防き、其保存を計るを目的と為し全く営利を離れたる事業に候へは、只々皆々様の御熱心なる御後援を仰ぐ外無之、其頒布も三百を維持経営仕り度希望に有之候、何卒本会の微衷御酌取被下候て偏に御援助被成下度懇願致候 敬具
 追而手続の御手数を省き申度に付、引続御加入被成候事に致し置き候間御諒承被下度候
  昭和二年八月
                日本史籍協会長
                      赤司鷹一郎
    (宛名手書)
    子爵 渋沢栄一殿
   ○別紙略ス。


日本史籍協会書類(DK480020k-0003)
第48巻 p.68 ページ画像

日本史籍協会書類             (渋沢子爵家所蔵)
謹啓 時下益御清穆奉賀候、陳者予而閣下には本会評議員として御賛助を相願居候処、今般左記書類本会叢書(主として維新史料)の一部とし而出版仕り度候条、何卒御許可被下度、此如御願申上候也
    記
一、渋沢篤太夫 巴里御在館日記
一、同 航西日記
 尚台本ハ維新史料編纂会所蔵写本ニ拠リ出版仕リ度、尚又本会趣意書並会則等綴一冊(大正四年刊)差出申候也
  昭和二年七月八日
                日本史籍協会長
                      赤司鷹一郎
    子爵 渋沢栄一閣下


渋沢栄一書翰控 赤司鷹一郎宛 昭和二年七月一一日(DK480020k-0004)
第48巻 p.68-69 ページ画像

渋沢栄一書翰控 赤司鷹一郎宛 昭和二年七月一一日 (渋沢子爵家所蔵)
拝復 貴会益御隆祥奉賀候、然ば「巴里御在館日記」並に、「航西日記」貴会叢書の一部として御出版相成度由にて尊来の段委細拝承仕候只双方共に其価値可無之を思ひ恐縮千万に御座候、「巴里御在館日記」は公務の余暇其日其日の有りし事共筆の往くまゝに書綴りしものにて粗密とりとりにして体裁をなさゞる義に有之候へとも、兎も角纏め帰
 - 第48巻 p.69 -ページ画像 
朝の際携帯致、静岡藩へ差出候ものに御座候処、如何にかして貴会に知られ御請求に接し恐入候、呉々も見るに足らさるを恥入候義に御座候、又「航西日記」は帰朝後大蔵省に出仕中、時の大蔵卿伊達侯の切なる御勧説により、杉浦愛蔵氏の大人に於て取調の上出来致候ものに有之、今にして思へば余りに密に過き冗長の嫌有之、此亦採余の価値無之やに被存候、右様の嫌有之候得共御考慮の上御出版被下候様ならば、全然異議無之候間、左様御了承被成下度候
右貴答旁得貴意度如此御座候 敬具
  昭和二年七月十一日
                     渋沢栄一代
    四谷区新堀江町三
    日本史籍協会
    会長 赤司鷹一郎殿


日本史籍協会書類(DK480020k-0005)
第48巻 p.69 ページ画像

日本史籍協会書類            (渋沢子爵家所蔵)
謹啓 暑熱日々相募リ候処
閣下益々御清穆慶賀ノ次第ニ御座候、扨今般突然巴里御在館日記並ニ航西日記出版ノ事御願立仕候処、早速ニ御聴届被下、且又御鄭重千万ナル御尊翰ニ接シ恐縮ノ至ニ御座候、御書中巴里御在館日記ノ儀ニ付キ御謙遜ノ御沙汰拝承仕恐入申候、右者明治四十四年冬御所蔵ノ原本ニ依リテ、維新史料編纂会ニ於テ副本作成仕リ候モノニ有之、今般出版致スヘキ儀モ右副本ニ依リ度存居候、尚右ニ付テハ本会叢書出版ノ編纂ニ助力仕リ居リ候藤井甚太郎氏ヨリ、口上ヲ以テ御秘書ノ方ニ迄ナリトモ巨細言上仕ル可ク候、乍略儀御聴届御礼旁言上仕候 敬具
    七月十四日○昭和二年
              日本史籍協会長 赤司鷹一郎
    子爵 渋沢栄一閣下


日本史籍協会書類(DK480020k-0006)
第48巻 p.69-70 ページ画像

日本史籍協会書類            (渋沢子爵家所蔵)
謹啓 残暑甚敷御座候処、閣下益々御健勝之段慶賀の至に御座候、扨て予て本会より閣下御滞仏中の御記録二種刊行《*》の件御願申上置候処、早速に御承諾被下有り難く存し上候、其後更に御巡国日記予《**》て維新史料編纂局にて御蔵原本拝借謄写仕り居候事発見仕り候条、同しくハ同書も併せ刊行仕り度所存ニ御座候、左候へは、閣下御滞仏中の記録類全部一纏と致し壱冊五百頁位のものに完成仕り度所存に御座候、右事情御汲取被下御許可相成度御願申上候
  八月廿三日○昭和二年
               日本史籍協会長 赤司鷹一郎
    子爵 渋沢栄一閣下
*欄外別筆
 航西日記
 御在館日記
**欄外別筆
[自分ノモノデナイ
 - 第48巻 p.70 -ページ画像 
   ○「航西日記」ハ、明治四年ニ東京ノ書肆須原屋茂兵衛外二名ノ合同ニヨリ青淵漁夫(栄一)靄山樵者(杉浦愛蔵)共著、耐寒同社蔵版トシテ、半紙本六巻六冊ニ製本シテ出版セラレ、更ニ明治三十三年刊行ノ「青淵先生六十年史」第一巻(第二〇九―三八二頁)ニ収録セラル。