公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
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大正5年10月(1916年)
是月、実業之世界社、栄一ノ談話ヲ編集シ「村荘小言」ト題シテ、同社ヨリ発行ス。(四六版・一冊・五四九頁)
村荘小言 渋沢栄一述 実業之世界社編 序・第一―八頁大正五年一〇月刊(DK480041k-0001)
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村荘小言 渋沢栄一述 実業之世界社編 序・第一―八頁大正五年一〇月刊
序
塵も積もれば山となるの諺がある。私は至つて学問上の造詣浅く、素より学者を以て目せらるべきほどの者では無いが、実業之世界社より請はるゝに任せ、折に触れ時事に感じて所懐を披瀝し、之を文にしたものが既に積んで数十篇の多きに達して居る。今回、同社は更に之を一巻の書冊に編み広く刊行せんとするの意を齎らしたので、私は其れに対して快諾を与ふる事にしたのである。浅学不敏の私が、之によつて大いに世道の進歩を益し、人心の向上に貢献し得らるゝものとも想はぬが、多少なりとも実業之世界社に益する処あり、同時に又一人にても多くの人に、私の志を告げ得らるるものとせば、私の欣快は之に過ぎぬのである。
斯書は編まれて一巻を成して居るが、輯められた諸篇は数年の久しきに跨つて私の述べたもので、その間屡々筆者を異にして居る。為に文体の統一を欠く憾みもあるが、事情止むを得ざるの致す処で、今更如何とも為すべきの術なく、之に就ては斯書の編者より、詳しく凡例中に述べて居る。然し、斯書に輯められたる諸篇は皆な悉く城北飛鳥山の曖依村荘に於て、私が親しく筆者に口授したものである。依て、題するに「村荘小言」を以てする事にした。
浅学なる私の一家言を僅に輯めたものに過ぎぬを以て、斯く自ら謙
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して「小言」と題したのであるが、読む人のうち或は之を一家言の意に解せずして「コゴト」の意に解する者が無いとも限らぬ。「セウゲン」も「コゴト」も、之に当て箝めらるゝ漢字は、毫も異らぬからである。
私は、近頃柳家小さんの得意とする『小言幸兵衛」の落語を聴いて深く感ずる処があつた。幸兵衛は至つて法華宗に凝り固まつた或る長屋の差配人であるが、又朝から晩まで小言の言ひ続けで、一寸の暇も休む事の無い男である。或る朝、御題目を唱げながら、それ庭の掃除が穢い、やれ嬰児が泣く、火の焚き方が悪るいと、四方八方に小言を撒き散らして居る最中に、一人空家を借りに来たものがある。「御家族は?」と幸兵衛に訊ねられると「女房が一人ある」と答へる。「女房が一人あると返辞をする処を徴ればそのうち都合さへつけば三人でも四人でも女房を持つ気だらう、そんな不行跡な人へ家は貸せ無い」と、きつぱり断つてしまふ。そのうち又一人仕立屋が借りにやつて来る。幸兵衛例によつて「御家族は?」と訊ねる。「女房に息子で……」と答へる。それは誠に結構な事であると幸兵衛非常に悦び、直ぐにも貸さうとするが、不図その息子が何んな若者であるか気に懸つて堪らず「一体、息子さんは何んといふ名前で、気立は何んなものか」と問ひかける。「名は六三郎、至つて美男で能く稼業にも励みます」と答へる。幸兵衛之を聞くや驚くこと一方ならず「兎ても御貸し申すわけには参らぬ。美男の上に稼業に励むと聞いては一大事……それでは屹度、近所の娘たちをヤンヤと騒がせるだらう。運も悪るく又、同じ長屋うちには妙齢のお園といふ娘がある。昔から浄瑠璃本にもある通りお園六三といへば、深くなつた揚句の末が、情死するに極まつたものだ。貴公とこの六三郎も亦那的お園といふ娘と深くなり、情死するに相違ない。そんな息子のある人へは、兎ても物騒で家を貸すわけにゆかぬ」と、又断つてしまふ。
何事にも文句をつけて、小言を謂つて試たいのが、如何に持つて生れた幸兵衛の性分であるからとて、何時の時代何処の六三でも、お園と名のついた娘とは必ず深い仲になり、末は屹度情死するものと極まつたもので無いが、それを情死するものと独り判断にして小言を謂ふところに、斯の落語の滑稽味はある。
小さんによつて描かれた小言幸兵衛で無くつても、苟も、国家の前途を憂ふる者ならば、或は将来資本家と労働者との間に甚しい疎隔を生じ、労働者は資本家の専横を憤つて労力の供給を肯んぜぬやうになつたり、資本家は又労働者の暴慢に制せらるゝを煩つて投資を忌むやうになつたり、或は武備を専らにして国家の財源を枯涸させる結果は我が邦も列国より武断国たるの譏を受け為に国運の進展を妨げられ、国を挙げて武力のみによつて立つものたるに至らしめざるやなどの杞憂を懐き、彼是れと小言を謂ひたくもなる。
私の「村荘小言」は素より一家言たるに過ぎぬが、そのうちには天下国家の前途を杞憂して発した小言幸兵衛以上の小言が含まれて居らぬとも強ち断言し得られぬ。
夫れ、小を匹夫匹婦の間に発しても、之を舒れば六合に汎くなるも
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のは道である。依て、曖依村荘の一家言も、之を読む者の意如何によつては、国家の将来に対する小言であるとも解し得られるだらう。私は「小言」を「セウゲン」の意に読まずして「コゴト」の意に読む人があつても、其の読む人の意に任せ、敢て之に異存を挿まぬものである。
大正五年初秋
曖依村荘にて
青淵老人述
村荘小言 渋沢栄一述実業之世界社編 凡例・第一―二頁大正五年一〇月刊(DK480041k-0002)
第48巻 p.128 ページ画像
村荘小言 渋沢栄一述実業之世界社編 凡例・第一―二頁大正五年一〇月刊
凡例
一、本書は、現代の実業家、青年、七千万の国民に対する渋沢男爵の忠告なり、批評なり、而して又相談なり。今歳八月男爵喜寿の賀を迎へて実業界を引退せられたるに際し、弊社は記念の意味を含んで本書の公刊を劃り、男爵に切望して其好意により玆に出版するに至れるを光栄とす。
一、本書は曾て『実業之世界』誌上に掲載せし王子飛鳥山曖依村荘に於ける渋沢男爵の説話を一巻に蒐集編纂せるものにして、問題自ら多岐に亘るが故に、編次は説話の年月次に依らず、内容の種類に随つて之を篇に分ちたり。
一、本書は前後七年間に跨り、渋沢男爵の折に触れ時に応じての説話を蒐録せしものなれば、其間屡々筆者を異にして、各章の文体一ならざるのみならず、当時生存の人にして今は故人となりたるもの、或は当時伯爵にして今は侯爵たるが如きの例少からず。依て、各章の末尾に誌上掲載の年月日を附記し、読者の参照に便したり。
一、本書の編輯校合等は一に編者の責任にして其の到らざる処甚だ多きを恐る。されど、読者請ふ願くは之によつて累を渋沢男爵に及ぼす事勿れ。
実業之世界社にて
大正五年十月 編 者誌
本書表装の書名、背文字及び題言は渋沢男爵の特に本書に揮毫せられたるを縮写の上刻押せるものなり。
村荘小言 渋沢栄一述実業之世界社編 奥付大正五年一〇月刊(DK480041k-0003)
第48巻 p.128 ページ画像
村荘小言 渋沢栄一述実業之世界社編 奥付大正五年一〇月刊
○右奥付、飾ケイ省略。