デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
5節 新聞・雑誌・通信・放送
1款 新聞・雑誌 7. 博文館二十五周年記念祝賀会
■綱文

第48巻 p.228-231(DK480061k) ページ画像

明治45年6月15日(1912年)

是日栄一、帝国劇場ニ於テ開催セラレタル、博文館創業二十五周年記念祝賀会ニ臨ミテ祝辞ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四五年(DK480061k-0001)
第48巻 p.228 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四五年        (渋沢子爵家所蔵)
六月十五日 晴 暑
○上略 四時半帝国劇場ニ抵リ、大橋博文館ノ創業二十五年紀念会ニ出席ス、式場ニ於テ一場ノ祝詞ヲ陳フ○下略


中外商業新報 第九三八六号明治四五年六月一六日 ○博文館廿五週年記念会 各方面の名士集る(DK480061k-0002)
第48巻 p.228-229 ページ画像

中外商業新報 第九三八六号明治四五年六月一六日
    ○博文館廿五週年記念会
       各方面の名士集る
日本橋区本町の書肆博文館にては創業以来既に廿五年の星霜を閲し業務益々隆盛を極め、今や本邦に於ける出版界の覇者たる地位を占むるに至りたれば、月の十五日朝野の名士を帝国劇場に招きて創業二十五週年の祝典を挙げたり、定刻の午後四時前後より来集する賓客は雲の如く館主大橋新太郎氏以下同館幹部員等劇場入口に立ちて之を迎へて場内に案内したるが、さらぬだに美くしき同劇場は此日殊更に美麗な装飾を凝らし、観覧席には咲き匂ふ時の花など飾り華やかなる灯光の相映じて美観いはん方もなかりしが、先づ余興の時代劇嫗山姥及女優のセーラス・ソング・エンド・ダンスを観覧に供し、軈て来賓の打揃ふを待ちて午後六時過より紀念式に移り、奏楽の後館主大橋氏は起ちて一場の挨拶を述べ、過去二十五年間に我国の著しき発達をなしたる有様を叙し、前館主大橋佐平氏が越後より出京して始めて出版事業に手を染めたる当時は、本郷にて一個月家賃三円八十銭の借家に住み、
 - 第48巻 p.229 -ページ画像 
極めて小資本を運用せしのみに過ぎさりしが、今は一ケ月定期刊行物二十種と毎年四百種の書物を出版するに至れりとて創業以来の歴史を語り、次で桂公及び長谷場文相の祝辞の代読あり、大隈伯は亦博文館が我国文物の上に多大なる貢献をなしたるのみならず、其の富を割きて公共事業に寄附せし功績を称へ、将来も益々発展して今日毎月一百万部の出版をなせりとの事なれば、十年後には一千万部にも達する盛運を見るに至らん事を祈ると述べ、大岡育造氏は博文館が今日の隆盛を来すに至りしは精力主義なりし故佐平氏の力に依るべきも、現主新太郎氏が創業守成両面の才幹に富み、之に加へて故佐平氏の未亡人松子刀自が、温良なる性格を以つて能く内外の調和を計りし功多きに居ると述べ、最後に渋沢男は博文館が単り文運の上に貢献する所多かりしのみならず、実業といふ方面より見るも亦大いに讚美すべきものありとて、蘇東坡の言を引きて其の隆運を祝して拍手沸くが如き裡に式を終へ、別室に於いて立食の饗応あり、斯くて再び余興に移りて新夫婦、出来ない相談、風俗各所合せ等の演劇あり、各自歓を尽して散会したるは夜の十時過なりしが、当日は朝野の政治家を始め実業家文士等殆んどあらゆる階級の名士を網羅し、二条公・蜂須賀侯・大隈伯・金子子・伊藤巳代治子・渋沢男・阪谷男其他の来賓千数百名に達し非常の盛会なりき


竜門雑誌 第二八九号・第九六頁明治四五年六月 ○博文館の二十五年創業記念祝宴(DK480061k-0003)
第48巻 p.229 ページ画像

竜門雑誌 第二八九号・第九六頁明治四五年六月
○博文館の二十五年創業記念祝宴 博文館にては本年は恰も創業満二十五週年に相当するを以て、朝野の紳士及関係者を招待して六月十五日午後四時半より帝国劇場に於て記念祝宴を開催せられたるが、青淵先生も臨席の上一場の演説をなされたり。


博文館五十年史 坪谷善四郎著 第二三〇―二三一頁 昭和一二年六月刊(DK480061k-0004)
第48巻 p.229 ページ画像

博文館五十年史 坪谷善四郎著 第二三〇―二三一頁 昭和一二年六月刊
 ○第七編 明治大正変遷期
    明治四十五年(大正元年)
○上略
      創業二十五周年祝賀会
 此年六月十五日の本館創業満二十五周年祝賀会を帝国劇場にて催した。来会者一千余名に上り、式は館主の挨拶に次いで、侍従長桂太郎公及文部大臣長谷場純孝氏の祝辞朗読の後、大隈重信伯・衆議院議長大岡育造・男爵渋沢栄一諸氏の演説ありて、一同食堂に入り、立食を共にして、目出度く此の盛会を了つた。○下略


博文館五十年史稿 第七編・第一四一―一八一頁 【渋沢栄一男の祝辞】(DK480061k-0005)
第48巻 p.229-231 ページ画像

博文館五十年史稿 第七編・第一四一―一八一頁 (博文館所蔵)
    渋沢栄一男の祝辞
 満場の閣下諸君、本日博文館創業満二十五年の祝典を挙げらるゝに当りまして、玆に私が祝辞を申上げるの光栄を有します。
 桂公爵、長谷場文相の御祝詞、大隈伯爵、大岡議長の御丁寧な御演説がございましたから、最早私の申上げる余地は無いのでありますが多くは博文館の御事業が、文運に裨益したと云ふ点に在る、此文運と
 - 第48巻 p.230 -ページ画像 
云ふ字は、先づ文明とか、教育とか、学問とか云ふ方に強い意味を持ちますけれども、私は此方に就て博文館若くは大橋君を知つて居ることが不得手でありまして、寧ろ自分の本領たる実業界に対して、博文館が大に貢献したものであると云ふことを、玆に申上げて見たいと思ふのであります。
 只今館主大橋君から博文館の経歴を御述でございましたが、私は佐平君とは親しく交りまして、先づ申すと友人の一人で私の少々先輩であつた。又二十七・八年頃から、当館主新太郎君とは、年齢は少々違ひますけれども親みを厚うして、唯今も東京瓦斯会社の事業に就ては渋沢の勧誘で重役の一人になつたと仰しやいましたが、如何にも其通りで、私が新太郎君の極くお若い時分に、新太郎君の事業に忠実なる所、単に忠実なるのみならず、大に時を見るの明識あるに感じて、東京瓦斯会社に御薦めしたのであります。此人に対する推称は、博文館が我実業界を裨益したと云ふことの直接の理由にはなりますまいけれども、既に今申す通り、佐平君・新太郎君は、実業界に力を入れられた方である。さうして博文館の事業が実業界に大なる裨益を為したと云ふことは、私が申上げる主要なる理由があると思ひます。
 今日の社会の進運は、博文館抔の働きでありませうが、種々なる科学が進んで参つて、一つの事業をするにも、先づ学理的の考を以て、之を実際に応用して行くといふのでありますけれども、二十五年前の頃の有様で云へば、決してさうまでは参りませぬ。学理を実地に当て箝めると云ふことは勿論それぞれの道はありましたけれども、成るべく簡単な方法を以て普及せしむる手段で、多数の実業家に仕向けるやうなことでなければ、一般実業界の知識を増すと云ふことは出来なかつたのであります。此事に就ては、各新聞社も大に努めて下すつたでありませうが、博文館抔の雑誌が大に実業界の知識を増して、其結果種々の事業が興り、事業の興ると共に、博文館自身も、己れを利益されると云ふことに相成つたらうと思ひます。
 故に博文館が多数実業家の知識を進め見聞を増すことを努むると同時に、己れの事業を拡張された、即ち世の中の事は所謂持ちつ持たれつと申す如き次第で、古人我を欺かずと申して宜からうと思ひます。
 先刻大橋君が博文館の経歴を御述べになる前に、社会の進歩に就て御述べになりましたが、社会の進歩、例へば貿易が進んだとか、或は会社の資本が増して来たとか云ふことに就きましては、或は十若くは百を以て倍すると言ひ得るのでありますが、博文館の事業を若し統計的に算へて見ましたならば、数千若くは万を以て倍したと言ひ得るであらうと思ひます。是は即ち博文館の事を択ばるゝことが宜かつたのと、而して之を経営するの宜しきを得た為であると信じます。
 凡そ社会の事業は、殊に我々実業界の仕事は、其事を択ぶの智と、其事を経営して行くの能と、此二つを併せ有しなければ、充分なる成功を見ませぬやうであります。多く世の中の人が事を択びましても其経営が宜きを得ぬ為に其事業が発達せぬ、又其反対に、事業其物に就ての経営の能はあるけれども、撰択の充分でない為に、其事業が大に進歩せぬといふことがあるので、此二つが相須つて、始めて極致に達
 - 第48巻 p.231 -ページ画像 
するであらうと思ひます。蓋し博文館の事業の如きは、其選ぶ事の宜かつたのと、之を行ふことが、其宜きを得て居つたと申して宜からうと考へるのであります。蘇東坡の言と思ひますが、「智者創業、能者伸之、非一人而成也」と云ふことがあります。是は洵に博文館の事業に対して適切な言葉で、千年前の蘇東坡が博文館の今日を予期して、斯ういふことを言つたのではないかと思ふくらゐに考へます。之を以て今日の祝詞と致さうと思ひます。