デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
5節 新聞・雑誌・通信・放送
1款 新聞・雑誌 16. 読売新聞社屋落成祝賀会
■綱文

第48巻 p.242-244(DK480070k) ページ画像

大正15年3月19日(1926年)

是日読売新聞社、歌舞伎座ニ於テ、社屋落成祝賀会ヲ開催ス。栄一、病気ノタメ出席スルヲ得ズ、代理ヲ派遣シテ祝辞ヲ代読セシム。


■資料

中外商業新報 第一四三九〇号大正一五年三月二〇日 読売新聞祝賀(DK480070k-0001)
第48巻 p.242 ページ画像

中外商業新報 第一四三九〇号大正一五年三月二〇日
    読売新聞祝賀
読売新聞社では十九日午後二時から歌舞伎座に朝野の名士を招いて同社の社屋建築完成、ラヂオ版及び日曜夕刊発行等の発展祝賀会を催した、正力同社長の挨拶に次で郷誠之助男の挨拶、若槻首相・清浦子・後藤子・渋沢子・中村市長・大谷尊由師・東京朝日の下村宏氏等の祝辞あり、同四時から観劇に移つて盛会であつた


読売新聞 第一七六一〇号大正一五年三月二一日 社運発展新築落成の大祝賀会 芝居王国、春の歌舞伎座に朝野の名士三千を招待して 大正文化史上に劃時代的発展の記念 全社員家族配達員みな観劇の歓び(DK480070k-0002)
第48巻 p.242-243 ページ画像

読売新聞 第一七六一〇号大正一五年三月二一日
  社運発展新築落成の大祝賀会
   芝居王国、春の歌舞伎座に
    朝野の名士三千を招待して
      大正文化史上に劃時代的発展の記念
        全社員家族配達員みな観劇の歓び
近時、新聞界の驚異とされつゝあるわが読売新聞社の目覚ましくも華華しい劃時代的な発展を記念し併せて社屋の新築落成を披露する最も意味深い祝賀・観劇会は、十九日午後二時、芝居国の王者、芸術の大殿堂たる歌舞伎座に於いて、あまねく朝野三千の名士をはじめとして全社員並びに家族・配達員ことごとく招待して賑々しく開かれた、創刊以来実に五十三星霜、半世紀を超ゆる燦然たる歴史に彩られ、明治大正の文化史上に幾多偉勲を添えて来たわが読売新聞社の更に新しき発足点を表明し、いよいよ旺んに燃ゆるが如き意気を公示し得たる日大正十五年三月十九日
東洋唯一の大殿堂歌舞伎座の前に十九日は朝から大きな旗が翻へつてゐる。春曇の柔かい色をした空中になびくその旗に染ぬかれて曰く、「読売新聞社」正午頃から我が社員は全部祝賀会の会場である歌舞伎座に勢揃して今日の数千のお客様を待受けてゐる、定刻二時だと云ふのにもう正午頃から続々と自動車が横づけになる。人力車が勢ひよく飛び込んで来る。前の停留場にとまる電車からは洪水のように人々が降り立つて皆様が祝賀会場へ
受附で招待状と引き換へに座席券と記念品とを受けとつた来賓諸氏はあの広い場内を段々と埋めて行く。女案内人が目まぐるしく廊下を歩く。お客様が続々と階段を登つて来る。自動車がとまる。車が駈け込む。特に派遣された交通巡査が五六名会場前の整理をする。フイル
 - 第48巻 p.243 -ページ画像 
ムの転換のような激しい場面を諸々に見せたけれど主客ともに祝賀の気を一にしてゐるので、些の混雑も見せない整頓され秩序立つた激しい場面である。既に定刻となるや、あの何千をのむであらう場内は一つの空席すらなく、補助席もすつかり出きつて仕舞つた程、座方の人も「素晴らしい景気ですね」と驚いてゐる。舞台正面に下げられてゐる百花咲き競ふ春の楽園をぬいだした幕が、場内一杯に春の温かい空気を送つて居る。午後二時半開始のベルが響き渡る。幕が上るとそこには紅白の幕が下げられ、舞台一杯に金屏風が光る。真ん中にテーブル。左右に椅子が居ながれる。すると下手から正力社長を先頭に、来賓諸氏、我が社幹部が登場する、拍手拍手拍手の渦
 上手には郷男・清浦子・後藤子・渋沢子代理・中村東京市長・大谷尊由師・永田仁助氏・下村宏氏の順、下手には正力社長・桜井営業局長・座間整理部長・稲垣経済部長・安成婦人部長・中村販売部長・稲葉広告部次長が椅子に寄る。
先づ稲垣経済部長の司会の下に正力社長はテーブルの前に進み、春とは云へどまだ肌寒き今日斯く多数出席されたことを感謝し過去二年の苦心、今日の喜びを述べる。続いて郷男は我が社の友人として挨拶をなし、続いて清浦子・後藤子・渋沢子代理・中村市長・大谷尊由師・永田仁助・下村氏は種々の立場より別項の如き祝辞を述べられた。午後四時若槻首相には、政務多端の折柄議会から自動車を飛ばせて来場し、祝文を朗読された。それが終つてから後藤子の発声で一同起立の上、天皇・皇后両陛下の万歳と本社の万歳とを三唱した。各来賓の祝辞の大きな流れにいやが上にも祝賀気分にひたつてゐたので、耳もろうする許り万歳が終つても歓声は諸所に起る。かくて午後四時十分祝賀会は目出たく終り、ぶ台には浅黄の幕はきつて落とされ食堂も開かれた。
○下略


読売新聞 第一七六一〇号大正一五年三月二一日 諸名士の祝辞(DK480070k-0003)
第48巻 p.243 ページ画像

読売新聞 第一七六一〇号大正一五年三月二一日
    諸名士の祝辞
○上略
      病中の渋沢子が寄せたる祝賀と希望
当読売新聞社が正力社長の就任してから非常に発展し家屋の増築、日曜夕刊、ラヂオ版の発行など実に目覚しいものがある。この点は社長及び社員諸君に対し深く敬意を表する次第である。文化の進展に連れて、新聞がよい意味で力あることは今更喋々を要しない所で、内治・外交・国民思想問題に於きまして痛感する所である。故に家国民人を利導することは、今日の新聞の責任であると云つても過言ではない。どうぞ、読売新聞が過去二年の努力を更に将来にも続けられて、社長が年来の抱負を一日も早く実現せられん事を渋沢は切望して止まないのである。この事は必ず為し得る事と確信し、祝辞に代へるものである。(渋沢氏代理)



〔参考〕渋沢栄一 日記 大正四年(DK480070k-0004)
第48巻 p.243-244 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正四年       (渋沢子爵家所蔵)
 - 第48巻 p.244 -ページ画像 
三月三日 晴
○上略 午後三時事務所ニ抵リ、朝吹氏来リ読売新聞ノ事ヲ談ス○下略



〔参考〕渋沢栄一 日記 大正九年(DK480070k-0005)
第48巻 p.244 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正九年       (渋沢子爵家所蔵)
二月二十七日 晴 厳寒
○上略 午後三時事務所ニ抵リ○中略 松山忠次郎氏来リ、新聞紙供給ノコトニ付依頼アリ○下略
   ○中略。
三月一日 晴 寒
午前八時起床、洗面ノ後朝飧ス、畢テ○中略 松山忠次郎氏来リ、読売新聞社用紙ノコトヲ依頼セラル○下略
(欄外記事)
[鉄道協会ニテ松山氏依頼ノ新聞紙ノ事ヲ田中栄八郎ニ談話ス