デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
5節 新聞・雑誌・通信・放送
1款 新聞・雑誌 18. 崇文院
■綱文

第48巻 p.245-246(DK480072k) ページ画像

大正15年(1926年)

是年小室翠雲、我国ノ先哲遺書刊行ノタメ、崇文院ヲ設立シテ崇文叢書ヲ刊行ス。栄一ソノ協賛員トナル。


■資料

渋沢栄一 日記 大正一四年(DK480072k-0001)
第48巻 p.245 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正一四年       (渋沢子爵家所蔵)
一月二十三日 晴 寒
○上略 午後福島甲子三氏ノ紹介状ニヨリテ関儀一郎氏来ル、先哲遺書刊行ノ事ヲ談話ス○下略


崇文叢書刊行趣旨並会員募集書(DK480072k-0002)
第48巻 p.245-246 ページ画像

崇文叢書刊行趣旨並会員募集書      (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
    崇文叢書刊行趣旨
維新以来西学東漸して我が学術思想に一大激変を与へ、我が国伝来の旧書及び先哲の著作は、挙げて高閣に束ねられ、之を顧る者なかりしが、有識の士之を憂へ、国粋保存主義を倡へ、大勢を挽回せんと務めたる結果、世人も此に省る所ありて、始めて旧書先哲著作の貴重すべきことを知り、予約其の他の方法を以て、出版せらるゝもの相尋ぐに至れり、其の国書に属するものは、明治三十八年国書刊行会の創立に因り、湮滅を免るゝを得たる者多かりしも、漢書に属する者は未だ其の緒に就かず、空しく庫中に蔵して蠹魚の食を待つ者極めて多し、況や前年大震に際し、稀有の珍籍にして、灰燼に帰したる者亦鮮からざるに於てをや、今にして之が計を為さずんば、多数先哲が一生の心血を瀝ぎたる著作の烏有とならんことは、必然の勢なり、是れ吾人が崇文叢書刊行の挙ある所以なり、吾人は世人が此の書に因り、或は学術を研鑽し、或は文献を徴し、或は思想を善導し、因て以て聖化を裨補
 - 第48巻 p.246 -ページ画像 
せられんことを望むや切なり、玆に数言を叙して、崇文叢書刊行の辞とす
○中略
      職員
    総裁              伯爵 清浦奎吾
    顧問                 徳富猪一郎
    主幹                 小室翠雲
    編修(イロハ順)           館森万平
                       安井小太郎
                       島田鈞一
    主事                 中川吉郎
      協賛員 (承諾順)
    文学博士  井上哲次郎     男爵 福原俊丸
          福原鐐二郎     男爵 大倉喜七郎
          関屋貞三郎     伯爵 後藤新平
          江木千之      子爵 渋沢栄一
       子爵 青木信光         若槻礼次郎
○下略


中外商業新報 第一四四一一号大正一五年四月一〇日 崇文叢書披露の会(DK480072k-0003)
第48巻 p.246 ページ画像

中外商業新報 第一四四一一号大正一五年四月一〇日
    崇文叢書披露の会
画も描かなければならないがそれでも感付いた以上は、是が非でもやらねばならないといふので、先づ去年の十月に自分の集めた古書画を売り、その金をもとでにして崇文院といふものをもうけ、漢学者を雇ひ込み、我先哲の遺著の翻刻に着手した小室翠雲氏は、その第一期事業も余程進捗したとあつて、九日夜華族会館に各方面の人々三百余人を招いてその披露の宴を張つた、実業家・政治家・学者・書画商などで、席上、同院の総裁清浦子の挨拶があつて後、徳富蘇峰氏は東洋古典研究の振興を話の筋面白く力説し、聴く者の心を深くゑぐるところがあつた、次で小室氏は「よろしく」との挨拶をした、因に崇文叢書第一輯(二年間、凡そ六十冊)は会費二百円で、いよいよこの六月から配本する事ができるとある


小室翠雲回答(DK480072k-0004)
第48巻 p.246 ページ画像

小室翠雲回答               (財団法人竜門社所蔵)
拝啓 御問合せの崇文院の賛成員として御芳名頂き居候へ共、誠に遺憾ながら伝記資料として提供申し上ぐる何ものも無之候次第、不敢取右御返事申上候 草々
   ○右ハ当資料編纂所ノ問合セニ対シテ昭和十六年十二月三十日付回答セラレタルモノナリ。