デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
5節 新聞・雑誌・通信・放送
1款 新聞・雑誌 20. 修養全集
■綱文

第48巻 p.247-251(DK480074k) ページ画像

昭和4年7月(1929年)

是月、栄一ノ寄稿「重用される人物」ヲ収メ、修養全集第九巻訓話説教演説集、大日本雄弁会講談社ヨリ刊行サル。


■資料

修養全集9 訓話説教演説集 野間清治編 第九五―一〇〇頁昭和四年七月刊 【○訓話 重用される人物 子爵 渋沢栄一】(DK480074k-0001)
第48巻 p.247-249 ページ画像

修養全集9 訓話説教演説集 野間清治編 第九五―一〇〇頁昭和四年七月刊
 ○訓話
    重用される人物
                    子爵 渋沢栄一
      青年の意気
 世の中は絶えず動いてゐる。従つて社会の進歩発達を期するには時代に適応した人物を要すること勿論である。時代に適応した人物とは言ふ迄もなく新人を意味するものであつて、新人が出でて世の中の空気を絶えず新らしくし、向上進歩を計る処に国家社会の進歩発展があり、人類の幸福増進も亦此処に育くまるゝのである。此の見地より私は青年諸君に最も望みを属するものである。
 青年には元気が最も必要である。元気の横溢してゐるといふ事は、青年の第一の特色とする処であつて、青年の生命とも謂ひ得られよう然るに現代の青年は総じて活気に乏しいやうに思はれる。之は悧巧になり過ぎて所謂世渡りが上手になり、目先きの事ばかりを考へてゐる為ではあるまいか。維新の鴻業を成就したのは主として青年の力であ
 - 第48巻 p.248 -ページ画像 
つた。今後の日本の発展も元気発剌たる青年の力に俟つ処が多い。それにも拘らず、幾分意気が衰へたかの傾向があるのは遺憾至極である尤も幕末時代と大正の今日とでは時勢が違つて居るから同一に論ずることは出来ぬが、青年の意気は維新当時の如くであつて欲しいと思ふ此の意気がなければ将来大いに伸ぶる事は出来ない。只玆に注意すべきは理想と空想とは似て非なるものであるから、空想に趨ることを深く慎み、遠大の理想を樹てゝ之に向つて邁進すべきである。且つ或る一つの問題に対して決断を下し之に猛進するに先だつて熟慮する事が必要である。さうでないと、動もすれば青年の客気に逸つて取違へた途に進むことが往々にして有勝だからである。
 尚ほ一旦目的を定めて進んだ以上は、倒れて後止むの勇猛心を振ひ興して驀進すべきである。而して理想と実際とは必ずしも相一致するものでないから、時に或は予期に反して蹉跌する事があらうけれども決して失望落胆することなく、さういふ場合に立至つた際には一層の勇気を鼓して事に当る覚悟がなければならぬ。兎角血気盛んな青年は一気に事を成し遂げようとする傾向があり、其の勇気は賞すべきであるが、他の一面よりすれば持久力に乏しく、思ふやうな効果が挙がらないと中途で挫折することが多い。加ふるに青年時代は思想の動揺し易い最も危険な時代であつて、中途挫折の結果自暴自棄に陥り其の一生を誤るものも尠くない故、此の点を深く自省して功を焦らず苦難に忍従して飽くまでも初志の貫徹に務むべきである。
      不断の修養
 それにつけても不断の修養は処世の必須条件であることを深く心に銘すべきである。常に修養に心掛け、所謂内容の充実、実力の涵養に努力して居れば、如何なる場合に於ても出所進退を誤るやうな事なく又失望落胆して、自暴自棄に陥るやうな事もない。然るに悧巧になつた現代の青年は、此の大切な修養を怠つて、徒らに世に出る事を焦る傾きがあり、之がために自家広告もし自己宣伝もし、機会ある毎に自分を偉く見せようと吹聴する者も尠くない。自分から進んで知つた振りをし、偉く見せようとすることは、自分自身では早く世に知られ、栄達するの途と信じて居るかも知れぬが、第三者の公平な眼から見れば軽薄な奥行のない人間と見られ、信頼して事を托する事の出来ない人物と思はるゝに過ぎないのである。之に反し平素修養に心懸けて居る人物は、何時如何なる場合に遭遇しても決して狼狽するやうな事はなく、平素の修養が最も有効に役立つて、世人の信用を高め有用の人物たるを認めらるゝに至るものである。之でこそ本当の価値のある人間と云ふ事が出来よう。
 支那の古聖賢は「才能のある人の世の中にあるは、恰も嚢の中にある錐のやうなものである」と言つてゐる。即ち嚢中の錐は上から押されると其の尖端が現はれる。之と同じ様に実質の備はつてゐる人は、事あれば必ず其の才能が顕はれるといふ事を意味するものである。青年諸君は能く此の点を反省しなければならぬと思ふ。
 尚ほ知つたか振りをして出遮張る事の宜しくない事は前に述べた如くであるが、必要な場合にも知つて居る事を押し隠して知らぬ風を装
 - 第48巻 p.249 -ページ画像 
ふ如き事あつてはならぬ。謙譲の美徳は大いに必要であるが、此の如きは謙譲の履き違ひであつて寧ろ卑屈の部に属する。平常は決して出遮張らず、自らを持するに謹厳にし、而して必要な場合には自分の信ずる処を明確に述ぶるのが真の謙譲である。謙譲と卑屈とは動もすれば、誤解し易いから之を混同してはならぬ。
      処世上の必要条件
 次に現代の青年は概して大局に眼を注ぐ事を忘れ、極めて小さい範囲の目前の事象に拘泥し過ぎる傾向のあるのは看過すべからざる通弊であると思ふ。例へば玆に一人の青年があつて、首尾よく学校を卒業して或る会社に入社したとする。処が其の会社が自分の手腕を認めて呉れないと云つては、他にもつと優遇する処があれば其の方へ転じてしまふ。人間世に立つには志を一つにしなければならぬのに、現代の青年の多くは目前の小利に捉はれて、之を二つにも三つにもして平然としてゐる許りでなく、却つて之を世渡り上手の如く心得て居るが、之は自分の信用を篤くする上に於て大いに顧みねばならぬ点である。此の外、責任観念のとぼしいことや、執着力の欠如して居ることや、誠意の念に乏しい事など何れも現代青年の短所であるが、是等の欠点は自ら其の進路をはゞみ大成を傷つくる素因を成すものであるから、不断の修養によつて之を改むるやうにせねばならぬ。
 責任観念の薄しいといふことは、私が屡々其の実際を見聞する処であるが、之は結局その人の人格の反映であつて、之によつて此の人物は頼もしくないといふ事を裏書させるやうなものである。些細な仕事だからと思つて本人は無意識に之を粗末にするかも知れぬが、先輩から見れば頗る頼みにならぬ人間であつて、此麼仕事でさへも十分に成し遂げぬのであるから、重大な仕事は猶更一任する事は出来ないといふ観念を懐かしむるに至るのである。又執着力に乏しい人間は一面に於て仕事に倦み易いことを証拠立てるものであつて、是又信頼するに足らぬ人間であるとの感を起さしめる。更に誠意の欠如せる人に到つては、如何に手際よく仕事をなし得る手腕があり、又豊富なる新智識を有して居つても、到底世人より信用し得られないことは改めて言ふまでもない。
 之に反し責任観念が強く、執着力があり、誠意誠心を以て事に当るやうな人であつたならば、何所に行つても重用され得る素質を持つ立派な人物である。責任を重んじ誠意を以て成した仕事であれば、仮令失敗する事があつても自ら良心が咎むることもなく、又之がために信用を失墜するやうな事もない。孔子は「内に省みて疚しからずば、何をか憂ひ何をか懼れんや」と論語に説いてゐられるが、斯くの如き観念を以て仕事に対する人こそ、将来必ず大成するであらう。


(宮下丑太郎)書翰 渋沢栄一宛(昭和三年)七月二三日(DK480074k-0002)
第48巻 p.249-250 ページ画像

(宮下丑太郎)書翰 渋沢栄一宛(昭和三年)七月二三日
                    (渋沢子爵家所蔵)
粛啓
過日は御静養中にも拘らず親しく拝趨之栄を賜はり、且つ種々御懇篤なる御高教を辱うし御芳志有り難く感銘仕候、其節ハ失礼をも顧みず
 - 第48巻 p.250 -ページ画像 
近く小社発刊の「修養全集」「講談名作全集」のため賛助員に御推戴之栄を得度一同の切望にて無躾之御願申上候処、早速御快諾を賜はり誠に有難く奉深謝候、本全集の発刊に方り閣下の御高庇を頂戴仕候事は実に前途大発展の祥瑞と一同感激欣喜罷在候、此御芳情に対し奉り更に責任之重大なるを痛感仕候と共に弥々努力精進使命の遂行に励む所存に御座候間、此上とも十分御鞭撻御指導賜はり度偏に奉悃願候、こゝに寸楮を以て御厚礼申上候
昨下盛夏之候折角御摂養遊ばされ候様御祈申上候 敬具
  七月二十三日
              大日本雄弁会講談社
                      宮下丑太郎
    子爵 渋沢栄一閣下
           御執事


(大日本雄弁会講談社)書翰 渋沢栄一宛昭和四年一〇月二二日(DK480074k-0003)
第48巻 p.250-251 ページ画像

(大日本雄弁会講談社)書翰 渋沢栄一宛昭和四年一〇月二二日
                    (渋沢子爵家所蔵)
粛啓
時下秋冷の候益々御清穆に渉らせられ邦家の為め慶福至極に奉存上候毎々一方ならぬ御高庇を蒙り一同有難く感佩罷在候
却説、去秋御大典記念事業の一として計画仕候修養・講談二大全集の刊行に就ては格別の御高配を辱うし、特に尊先生にハ公私御多端の御身を以て賛助員として陰に陽に多大之御指導御後援を賜はり、御蔭を以て両全集とも其後順調の進行を続け幸にして途中何等の支障もなく終始一貫大好評裡に、今や玆に其終刊たる第十二巻の刊行を見るの運びに相成申候、之れ偏に尊先生を始め江湖各位の熱烈なる御同情御援助の賜と一同感激深謝罷在候
申すも烏滸がましき次第に候へども、凡一事を成す元より容易の業には無之候、況して此の両全集ハ小社としてはかなりの大計画に有之成敗の段幾多懸念なきに非ざりしも、幸に予期以上の成果を収めて無事完了といふことに相成申候、乍慮外御安意願上度、尚両全集の編輯に当つてハ特に一字一句の微に至るまで深甚の注意を払ひ、当初の目的たる良風美俗の育成国民精神の作興に向つて邁進し、旁々以て御賛助を仰ぎし御芳情の一端に御報い申度と微力ながら夙夜努力を続け来り申候、なかなか思ふやう参り兼ね及ばざる所、足らざる点等多々有之慚愧に不堪候へども、幸に名士諸先生の御激励の御言葉と読者諸君よりの賞讚の辞は、一巻ハ一巻より多きを加へ、御蔭を以て無事完結を告ぐる事と相成申候
幸にして両全集の刊行が聊かたりとも現下の時弊匡救の一助とも相成候はゞ御尊慮に副ひ奉るを得ると共に、小社の本懐之れに過ぐるもの無之と存候、玆に謹んで深甚なる謝意を表し度失礼ながら書中を以て御礼申述度如斯に御座候
仰ぎ冀くは今後とも何かと御指導御鞭撻賜はり度偏に奉懇願候、乍末筆時下不順の折柄為国家愈々御自愛の程奉祈上候 敬白
  昭和四年十月廿二日
 - 第48巻 p.251 -ページ画像 
                    大日本雄弁会講談社
    渋沢栄一先生
        御侍史


宮下丑太郎回答(DK480074k-0004)
第48巻 p.251 ページ画像

宮下丑太郎回答              (財団法人竜門社所蔵)
拝復 御書面の趣正に拝誦いたしました、講談社に於て修養講談全集編纂の際は故子爵に一方ならぬ御世話になりましたことは記憶いたして居りますが、具体的事項については確なる記臆も之なく、折角の御趣意に添ひ得るや否や懸念に堪へませんが、出来得る限り何時にても御答へいたします、又その際小生より差上げました書状を御見せ頂けますれば、記臆を呼起すに便宜かと存じますから、この儀御承引頂けますれば幸甚に存じます。
   ○右ハ当資料編纂所ノ問合セニ対シテ昭和十六年十二月付回答セラレタルモノナリ。