公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
第48巻 p.251-254(DK480075k) ページ画像
昭和5年8月(1930年)
是ヨリ先栄一、福島貞子ノ経営ニ係ル、婦女新聞社ニツキ尽力スル所アリシガ、是月、当後援会ノ相談役トナル。
渋沢栄一 日記 大正九年(DK480075k-0001)
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渋沢栄一 日記 大正九年 (渋沢子爵家所蔵)
一月二十日 晴 軽寒
○上略
福島四郎氏夫人貞子来リ、其経営セル新聞紙拡張ノ方法ニ付種々ノ談話アリ○下略
(増田明六) 日誌 昭和二年(DK480075k-0002)
第48巻 p.251-252 ページ画像
(増田明六) 日誌 昭和二年 (増田正純氏所蔵)
三月十一日 金 晴 出勤
来訪者
1守屋東・田中芳子両氏、福島四郎氏経営婦女新聞社後援ニ関する件○下略
○中略。
六月十三日 月 晴 出勤
○上略
午後三時半田中芳子氏と福島四郎氏夫人(貞子氏)との来訪に接した要件は福島四郎氏経営の婦女新聞社経済改革ニ関し、小生の意見を聴取したいとの事で種々説明があつた、結局更ニ福島氏より書面で会計の状況を報告された上立案する事を約した
○下略
○中略。
七月八日 金 降雨 出勤
本日の来訪者と其要談
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○中略
5、福島貞子 婦女新聞社会計整理ニ関する協議の為めてあつた
○下略
(福島四郎) 書翰 渋沢栄一宛昭和五年八月一日(DK480075k-0003)
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(福島四郎) 書翰 渋沢栄一宛昭和五年八月一日
(渋沢子爵家所蔵)
(別筆)
「昭和五年八月一日
婦女新聞社長福島四郎氏」
粛啓仕候、盛暑之折柄尊体益々御健祥に被為渉候段恭賀之至ニ奉存候特に国家のため慶賀此事に御座候、さて此度穂積大夫人・市河晴子夫人外百数十氏の御同情によりて婦女新聞後援会之組織相成、会之信用を裏書いたし候意味にて相談役の名称の下に閣下の芳名を特記致度希望につき、穂積大夫人を経て御願申上候処、快く御承諾を賜はり候趣伝へられ光栄感謝之至ニ奉存候、百数十名の発起人連もいかばかり力強く感ぜられ候事と被察申候
いづれ拝趨御礼可申上候へども不取敢書中を以て御厚礼奉申上候
恐々敬具
八月一日 福島四郎
渋沢子爵閣下
追而本日は天候不穏、恢復の上は酷暑又一段の事と被察候、何卒尊体御自愛奉祈上候
諸会報告書(六) 【(謄写版) 婦女新聞後援会報告】(DK480075k-0004)
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諸会報告書(六) (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
婦女新聞後援会報告
一、本会の会則印刷物○次掲が出来上りましたから同封御覧に入れます
一、会則印刷物に記載の通り、渋沢老子爵が本会の相談役たることを御承諾下さいましたことをお喜び下さい。子爵は近年新しい会に名を出される事は殆んどありませんのに、本会相談役を御快諾下さいましたのは、全く穂積歌子刀自御斡旋のおかげであります。
○中略
昭和五年八月三十日
宮田修
常務委員 田中芳子
小口みち子
婦女新聞後援会趣意書並ニ会則 第一―八頁(昭和五年七月)刊(DK480075k-0005)
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婦女新聞後援会趣意書並ニ会則 第一―八頁(昭和五年七月)刊
設立趣旨
週刊婦女新聞は本年を以て創刊三十年に達しましたが、日刊新聞以外の定期刊行物にして、三十年の寿を保つてゐるものは極めて僅少であります。況んや同一人の手によつて一貫した主義の下に三十年間経営を継続せられてゐるものは婦女新聞以外に全く無いのであります。
その婦女新聞が、皇太后陛下の東宮妃殿下として御入内あそばされた当日に創刊されて以来、三十年間、一夫一婦の倫道を正し婦人の自
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覚を促し、女子教育の振興に努め、最近には婦人の公民知識を養ふことに力を用ひ、風俗の浮華を警め、思想の詭激を斥け、常に穏健中正なる婦人界の指導者を以て任じてゐることは、兎角営利本位になりがちの出版界に於て、一層珍らしい存在であります。
しかし惜しい事に、婦女新聞は、その性質の上からも、また社長其の人の性格が余りに高潔なので、その経営が常に困難であり従つて宣伝が十分行届かなかつたため、三十年間一週間も休まずに(震災当時の三週間を除く外)発行を継続して居りながら、まだ一般的には弘く認められず、経済的基礎も尚極めて薄弱であります。然し社会は益々婦女新聞の如き読み物を必要とする時代になつて来ました。此際本誌を拡張せしむることは頗る有意義だと信じます。
それで下名の者等は、この婦女新聞を十分発展させるために後援し一層有力なる婦人界の指導機関たらしめたいと考へましてこゝに本会を組織しました。
婦女新聞の本塁が堅くなればなるほど、正義人道の力は社会に強くなり、婦女新聞が普及すればするほど、我が婦人界は病的思想から脱して健全なる進歩発達を遂げるであらうことを確信いたします。敢て婦女新聞のために後援するのでなく、社会のために、日本婦人界のために、婦女新聞を後援するのであります。
此の趣旨に賛せらるゝ方々が、どうか全国各地に続出して、義金に宣伝に、力を添へられ、本会存立期間の一年六ケ月を俟たずその目的を達成するに至らんことを熱望致します。
昭和五年七月
発起人並ニ設立委員(イロハ順)○印は設立委員
井上通泰 ○井上秀子 井上鼎子
○市川源三 ○市河晴子 市川房枝
一宮操子 石川武美 ○泉道雄
伊藤かう 巌本善治 ○鳩山春子
羽仁吉一 ○羽仁もと子 早川里子
○以下一五九名、氏名略ス。
実行委員 市河晴子 羽仁もと子
高島米峰 ○田中芳子 竹内茂代
○小口みち子 三輪田元道 ○宮田修
島中雄作 守屋東(○印は常務)
相談役 子爵 渋沢栄一
婦女新聞後援会会則
目的
第一条 本会は、全婦人界を向上せしむる機関としての「週刊婦女新聞」を一層堅実に発達せしむる趣旨に由りて、広く之を宣伝し、且経済的に援助するを目的とす
組織
第二条 本会は、第一条の趣旨を賛しこの目的を遂行せしめんと欲する週刊婦女新聞の同情者を以て組織す
期間
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第三条 本会の存続期間を一年六個月とし昭和六年十二月を以て終る
事業
第四条 本会の目的を達するため所定期間内に左の事業を行ふ
一、週間婦女新聞の宣伝及購読勧誘
二、座談会、講演会等の開催
三、資金の募集
○下略